奴隷契約
上昇気流が透明な青空へと、木の葉を巻き上げながらひらりひらりと伸び上っていく。その先では、何匹もの龍が悠然と旋回していた。奴らは人間の戦争を眺めるのが好きなのだ。人間がカブトムシの喧嘩を眺めるのと一緒のことで、ただ、スケールが僕たちにとっては馬鹿みたいに大きいだけだ。
砲声が轟く。誇り高き女神の咆哮だ。
ひるひると尾を残して飛んで行った砲弾が、敵陣の手前で爆発した。敵陣を覆うようにして、岩がうねり、蛇がとぐろを巻くようにして砲弾から兵士を守っている。魔法使いのお出ましだ。味方が高らかにホルンを鳴らした。
僕は、ボルトアクションライフルの、トリガーに指を当てた。そっと引き絞る。照門越しに、深紅のマントを翻す敵の指揮官を睨みつけた。
――弾丸が銃口から飛び出した、その時。敵の指揮官が、笑ったような気がした。
暗転。
権利には義務が伴う。
立場には責任が伴う。
階級が高い者ほど、力を持つ者ほど、その身を縛る鎖は増えていく。
僕は、羊皮紙の柔らかな表面を撫でるように、金属のペン先を走らせた。ブルーブラックのインクが、うっすらと表面に盛り上がる。ナイフで削られて均された、紙の分厚い質感が、妙に艶めかしい。貴族の家紋が焼印で押された契約書に映る、僕の名前を、他人事のように眺めていた。
「マルクス・アキタ。契約はここに成った。今日から君は、ゲオルク・シノザキ連隊長の奴隷と成る。奴隷は、主の手足だ。主の望むままに動き、主を決して裏切らず。そして、主にとって掛けがえのない存在であり、また、公的には主と一体として見られる存在でもある。主を貶め、また、主に刃を向けることがあらば、その命は契約の鎖に縛り殺されると思いたまえ。以上だ。知恵の神の祝福がありますように」
青の法衣を着た男が、僕の書いた契約書に杖を向け、「クロス」と唱えた。そして、手慣れた動きで魔方陣を、光のインクで刻み、どこかへと転送した。僕はそれを見届けてから、部屋を出た。部屋の外で待っていた、甲冑を着込んだ大柄な男が僕に背中を向けて歩き出す。何も語らない、無機質な背中だ。
建物の外に出ると、そこには鮮やかに照らされた町並みがあった。5階建ての高層の、純白の煉瓦作りの住宅が立ち並び、街灯が白の街に輝きを与えている。夜なのに、甲冑が金属のきらめきを見せた。思わず息を飲む。口の中がからからに乾いているのを感じた。
甲冑の男が僕の方に向き直り、フェイスガードを外した。弦楽器なんかが似合いそうな、たれ目の優男だ。彼は全く似合っていない甲冑をカチリと鳴らし、微笑を浮かべて言った。
「ようこそ、ここが王国第13のキータワーを管理する街、メラハだ。塩のように真っ白な街だろう? 塩の神、メラハから引用したんだ」
「あなたは、誰だ? ……ですか?」
「君の先輩だよ、アキタ君。シノザキ連隊長の奴隷の、ゲーアノート・サガラだ。ゲーアノートと呼んでくれ。もちろん、敬語なんか使わなくて構わないよ」
驚いたことに、甲冑を着たいかにも騎士然としたこの青年は、僕と同じ奴隷らしい。改めてゲーアノートの甲冑を見てみると、その品質の高さがよくわかった。やや青みがかった金属光沢と、その表面に浮かぶ、年輪のような、重なった紺色の筋。これは、銃弾を防ぐ鎧を作るために開発された、最新の合金だ。高価なものだと聞いたことがある。――とても、奴隷が装備するようなものじゃない。
「ゲーアノート。一つ訊いてもいいだろうか?」
「なんだい?」
「その、シノザキ連隊長のところでは、みんな、そういう鎧を支給されるのだろうか? 僕が思っていた、奴隷のイメージとはなんか違う。そりゃ、契約の時に、主と一体と見做されるだの言ってはいたけど、所詮、契約に自由を縛られた奴隷なんだろ?」
「ああ、なるほど。いや、別にシノザキ連隊の全員がこの鎧を着ているわけではないよ」
ゲーアノートはカラカラと笑った。
「隊員は、普通の、鋼の装備を身に着けているよ。この群青二号の鋼の装備を使っているのは、シノザキ連隊長の奴隷だけ。つまり、君も群青二号の装備を貰える」
「なんだって?」
僕は、戦争奴隷だ。
捕虜が身代金を祖国に払ってもらえず、そのまま敵国の「物」となった存在。つい先月まで憎しみをもって殺し合っていた相手に、ひれ伏して命乞いをして、家畜のように養ってもらわなければならない、最も唾棄すべき兵士の末路だ。
僕の出身国は、北の共和国だ。共和国では、市民以下の身分の者が徴兵され、戦場に送られる。つまり、最初から死んでも惜しくない命なのだ。だから、捕まっても決して身代金が払われることはない。
共和国兵は、祖国への忠誠心がないため、リサイクルできる兵士だとされてはいる。だからこそ、こうして、奴隷として生かしてもらえる。
――それでもだ。
「僕はもともと敵国の人間だ。そんな人間に、高価で強力な装備を与えるだなんておかしい。絶対に間違ってる。裏切るとまではいかなくても、積極的に働かないかもしれないじゃないか。それに、そもそも奴隷が優遇されているとか、信じられない!」
僕がそう主張すると、ゲーアノートは、脱いだ兜を大切そうに撫でてから、こう言った。
「君の国ではどうだったかは知らないけれど、この国では、奴隷はとても敬意を持たれている職業なんだ。この国は封建制の国で、王族や貴族への忠誠心が、平民にとって何より大切なものなんだ。だけど、忠誠心なんて、目で見てもわかるものじゃない。長年仕えていたからって、肚の底で裏切りを謀っているかもしれない。そんな中で奴隷と言うのは、忠誠心を契約によって、目に見えるようにした者たちなんだ。主人に命も自由も捧げ、忠誠を表明するなんて、誰にでもできることじゃない。だから、奴隷はとても大切にされるんだ」
「ゲーアノートは、自ら望んで奴隷になったのか?」
「うん。ゲオルク・シノザキ連隊長は素晴らしい方だ。シノザキ伯爵家の次男で、シノザキ家の連隊の隊長をされている。新しいことに挑戦する気概を持っていて、人の話に耳を傾けることができる、貴族とは思えない性格をしている。仕えるに値する人だと思うよ」
「そうか。それは……。僕は、運が良かったのかもしれない」
「運命の神、ウォセカムイに感謝だね。さて、ゲオルク様の奴隷宿舎に移動しよう」
ゲーアノートは剣帯から杖を抜き、「クロス」と唱えると、地面に光で魔方陣を描いた。
「さあ、ここに乗ってくれ。5秒後に、宿舎の正面に飛ぶ」
5、4、3、2、1。
世界が、光で満ちた。




