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第39話 絶海の孤島⑤

 「やめろっ!!」

かつて茜だった少女の成れの果てが、人間1人を軽々と持ち上げて見せた瞬間。真人は思わず叫び声を上げようとした。

後ろから両手で彼の口を押さえ込んでいるのは花梨だ。気配が漏れ出すのを防ぐ為、彼女もまた必死だった。

2人は食堂の入り口からそれほど離れていない所に放置されていた、サービスワゴンの陰に隠れていた。

ワインボトルが満載された大型のそれは、中学生2人の姿を覆い隠すには十分な面積を持っていた。


 「何処かに隠れる時は、必ず移動しやすい場所を選べ。出来れば出口に近い所が理想的だ」

ショッピングモールへの侵入の際、春樹は真人に言っていた。

出入り口が1つしか無い食堂において、茜を恐れるあまり最奥に引き篭ってしまったら、見付かったらそのまま殺されるしかない。

死の象徴から遠ざかりたいという本能に抗いながら、2人は必死に気配を押し殺していたのだ。

どういう経緯だったのか知る由も無いが、食堂に『先客』が居た事も2人にとって幸運だった。

不運を一身に背負ったやや小柄な若い男性は、今、まさにその命を摘み取られようとしている。

傍らの幼馴染が、未熟ながらも確かな正義感を持っている事を花梨はよく知っている。

普段から好ましく思ってさえいた。だが、この状況においては、それは生命を脅かす無謀な悪癖でしかない。


 無理矢理口を封じられた真人は、恨みがましくそれを振りほどこうとするが、花梨もその手には渾身の力を込めている。

結果、捕まった男はそのまま非業の死を遂げた。その直後、今度は男を殺害した茜の身に信じられない事が起こっている。

胸に突き立てられていた人差し指が引き抜かれると、そこに開いた小さな穴から鮮血が噴き出す。茜は、自分の身に何が起こっているのか理解出来ていない様だった。

持ち上げていた男諸共、血の海に崩れ落ちる。見開かれたままの目は、閉じられる事なく虚空を見つめていた。


 寄り添う様に倒れ伏す男女を見下ろしているのは、真人や花梨と同世代にしか見えない少年だった。

指に付着した茜の血を口に含むと、少年はつまらなさそうに眉をしかめた。

「ふむ。残念、またハズレ・・・かぁ。果たして、何処に居るんだろうね?」

抑揚の無い声。真人は対応に困っていた。本当に、自分達は助かったのか?

感染者となり、脅威となった茜が、あっという間に倒された。

異様な状況と異質の雰囲気は、姿を現すという選択を2人に許さなかった。

「……」

故に、気配を押し殺す。茜を葬った者の姿を視認したい欲求を抑えつけ、呼吸すら浅く少なく、とにかく静かに。

決して顔は出さない。代わりに、耳を澄ます。どんな些細な事でも、状況の変化を聞き逃すわけにはいかない。


 「……ねぇ。キミ達はどう思う? 僕は、辿り着けるかな?」

「……っ!」

最初からバレていた様だ。恐る恐る2人は少年の前に姿を現す。

(……幼い。白人の、子ども……?)

対面した2人が同時に抱いた印象だった。背丈は真人よりも少しだけ高い。170センチメートル近くはあるだろうか。

だが、華奢だ。手足はすらっと長いが、狭い肩幅、細い身体は女性的ですらある。ネクタイこそ締めていないものの、シワの無い白いシャツにパリッとした黒のパンツ。着の身着のままの自分達よりも、大分上品な格好をしている。

スポーツ刈りを長めに伸ばした真人とほぼ同じ髪型。だが、髪質は似ても似つかない。色素の抜け落ちた茶色の髪はフワフワと柔らかく、硬い直毛の真人とは対照的だ。

それに加え、メラニン色素が全く感じられない、病的にさえ見える真っ白な肌。そのせいか、右手の人差し指から滴り落ちる血液はその紅が一層強調され、薄気味の悪さに拍車を掛けていた。

少年は穏やかな微笑を浮かべたまま、グリーンの瞳で2人を真っ直ぐに見つめている。


 少年と目を合わせつつも、真人は慎重に入り口までの距離を測る。

自身の歩幅で約10歩。1人だけなら3秒もあれば駆け抜けられるが、傍らには花梨が居る。

あと3秒程度、余分に必要だった。仮に食堂を出たとしても、その後逃げ切れるかはまた別の問題である。

「……あんた、誰?」

花梨が口を開く。その表情は真人同様、険しいものだ。少年が何者かよりも、今のこの状況がどう運ぶのかが気になる故の質問だった。

「僕は……君達と同じ、避難民だよ?」


 食堂を目の前にして、春樹・沙羅・バックナーの3人を取り巻く状況は悪化の一途を辿っていた。

予め弾薬を詰め込んでおいた8個の弾倉は既に5つが空になった。

前方の道を切り拓く沙羅は、怪我をした様子こそないが、汗だくになり呼吸も荒い。消耗している事は誰の目にも明らかだ。

後方から詰め寄る群れも確実に距離を詰め、春樹とバックナーを圧迫する。

「クソッ! おい、クラタ! あまり弾を無駄遣いするな!」

「俺は素人なんだ! いきなりそんな精密な射撃なんて出来る訳無いだろ!」

そんな口論を幾度繰り返しただろうか。その間もじりじりと少しずつ前進を重ねる3人。

しかし、感染者の包囲は徐々にその輪を狭めつつある。

素手で感染者を薙ぎ倒していく沙羅は語るまでも無いが、発砲する2人と感染者の距離も、最早1メートルも離れていない。

(駄目か……?)

3人の脳裏に絶望がよぎり始める。ちょうど、そんな時だった。

『撃て』

簡潔な言葉。春樹は聞き違いかと自身の耳を疑った。直後にバックナーが叫ぶまでは。

「伏せろっ!!」

乱戦状態の沙羅も含めて、一斉に姿勢を低くする3人。ほとんど同時に、けたたましい銃声が辺りに響き渡った。

低くした頭のすぐ上を通過する無数の銃弾。春樹は背筋が凍るのを感じた。目の前の感染者がばたばたと倒れていく。

いつの間にか、後方から迫っていた感染者の群れは一掃されていた。そのさらに後ろから現れた者達。

ライフルを携行した3人の米軍と、白衣に身を包んだフレーザーだった。


 油断無く周囲を警戒する兵士達とは対照的に、フレーザーは悠然としていた。その両手は未だに白衣のポケットに入ったままだ。

『中尉。どうしたのですか、こんな所で? 貴方の部隊は、甲板で避難活動にあたっている筈ですが』

『なに、この先の食堂に、逃げ遅れた奴らが居るみたいなんでな』

『そうですか。ならば、我々も同行しても宜しいですか?』

『……好きにしろ』

『わかりました。では、最前線で交戦中のあの女性に退避の指示を。このままでは連中を片付けられませんので』

沙羅が下がると、再び米兵のライフルが火を噴く。後詰の感染者達は無数に居るが、その銃撃で食堂までの道が拓かれた。

「よし、2人とも。さっさとガキんちょ共を回収してバスまで急ぐぞ! もうあまり時間は残っちゃいないからな!」


 「意外。日本語、喋れるんだね」

努めて明るく、花梨が少年に話し掛ける。

「この国に来る前に勉強したんだ。コツを掴めば、特に難しい事は無かったよ」

「へえ。発音、すごくキレイだね。日本人と比べても不自然じゃないかも。何処の国の人?」

「それはどうも。アメリカ生まれなんだけど、一応、国籍はイギリスって事になるのかな? キミ達は、島の人?」

「うん」

この場から逃げ出したくて堪らない2人だったが、少年が1つしか無い入り口のすぐ側に立っている以上、それは叶わない。

得体の知れない相手ではあるが、会話は成立するらしい。現状はまだまだ予断を許さない厳しいものだが、生き残る可能性の模索は続けねばならない。

何気無い会話を交わしつつも、花梨は脱出する隙を探して忙しなく頭をフル回転させ続けた。


 注意深く目の前の少年を観察する真人と花梨の目に、最早茜の姿は映っていなかった。

微笑を崩さない少年は、そもそも茜への興味を失っていた。

だからこそ、茜の行動は誰にも気付かれなかった。

今も、その胸からは鮮血が溢れ続けている。それでも、茜は動いていた。少しずつ床を這い、ついに少年の左足を彼女の右手が捉えた。

「おっと。なんだ、キミ、まだ……」

呑気に喋り続ける間も、茜は行動を止めない。それを見た真人は、茜は少年を攻撃するものだと思った。

しかし、茜はせっかく掴んでいた少年の左足をあっさりと離してしまう。どうやら、少年を捕まえる事が目的ではなかったらしい。

少年の左足を引き寄せた右手は、今度はその更に奥の地面を掴んでいた。ゆっくりと、真人や花梨の方へと進んでいく。


 少年の事など最初から眼中に無いとでも言うかの様に、茜はその横を通過しようとする。

茜が血まみれの顔を上げる。呆然とそれを見ていた真人と、彼女の視線が交錯した。

「う……、あ……」

言葉にもならない茜の呻き声を、真人は確かに聞いた。ほとんど全ての指が変形し、傷だらけになった見るも無残な右手が、真人に向かって伸ばされる。

「うん。キミ、もういいから」

パンッ!

少年の右足の踵が、茜の後頭部を真後ろから踏みつけた。頭蓋の砕ける嫌な音を響かせると、糸の切れた人形の様に四肢を床に投げ出す茜。

胸の孔と頭の穴から漏れ出た液体が、そこに新たな水溜りを作り始める。その場で、今度こそ少女は動かなくなった。

「うーん。指で心臓を貫くなんて、やっぱり無理があったか。胸骨も邪魔だったしね。最初から脳を潰すべきだったかも」

「お、お前っ……!!」

激高した真人が、思わず少年に掴みかかろうとする。

「だ、駄目っ! 真人、やめて……!!」

花梨がその腕にしがみつくが、怒りで我を失った真人は止まらない。

血に濡れるのを嫌がり、素早く茜の頭から足を退けた少年は、どこか嬉しそうに真人を迎えた。

彼我の距離がゼロになる、僅か1秒前。一際大きな銃声が辺りを包んだ。

思わず足を止めた真人がその音源に目を向けると、ちょうど春樹、沙羅、バックナーの3人が食堂内に飛び込んで来たところだった。

「2人とも、無事かっ!?」


 食堂内に入ると、春樹は絶句した。そこには、想像していたよりも凄惨な光景が広がっていた。

下顎をむしり取られた見知らぬ男の死体。頭を踏み砕かれた茜の死体。そして……

「な、何だコレは……」

「おう、少年共! よく生きてたなっ!」

「は、春樹さん、隊長……!」

「真人っ!」

少しだけ冷静になった真人を、花梨が渾身の力で後ろに引き戻す。幸い、少年の注意はいきなり現れた春樹達に向けられた為、容易に距離を取る事が出来た。

「わあ。なんだか、急に賑やかになったね」

「あ? 何だ、他にも逃げ遅れたヤツが居たのか? 感染者の奴らに噛まれたりしてないだろうな?」

初対面の少年に、バックナーが無遠慮に歩み寄って行く。

「駄目だっ、隊長、コイツは普通じゃない!」

「ああ、確かに普通じゃあないよな。こんな状況で何ヘラヘラ笑ってんだ? 壊れちまったか?」

真人の警告を意に介する様子も無く、バックナーはさらに歩を進める。春樹にした様に、気絶させて運び出すつもりだった。

「止まれ、バックナー!」

ダンッ!

その前進を止めたのは、硝煙を吐き出す銃を手にする春樹だった。弾丸は少年の頭の少し上を通過し、はるか後方の照明を打ち抜いた。ガラス片がぱらぱらと床に落ちる。

「……おい、クラタ。今のはどういうつもりだ?」

足を止めたバックナーはその場でくるりと振り返り、春樹を睨みつけた。恐ろしい形相をしている。

訓練された兵士であり、隊を率いる立場にあるバックナーは、同士討ちを決して許さない。ただでさえ、銃を必要とする場面は緊迫している。

そこで味方による誤射で被害が出れば、互いの信頼を失った隊はそのまま自壊に直結する事もある。

今の春樹の行動は、厳しく罰せられなければならない。素人の春樹に銃を渡した責任のある、彼自身によって。


 だが、春樹のそれは誤射などではなかった。

「それ以上近付くな、バックナー! その子は感染しているっ!!」

「なにっ!?」

その言葉に、バックナーも思わず少年から距離を取った。慌てて銃を構え、油断無く少年を観察する。

真人と花梨はゆっくりと少年の背後を通り、ようやく春樹達との合流を果たした。


 「さ、沙羅姉……それ、大丈夫なの?」

「ああ、うん。怪我はしてないよ。コレ全部、わたしの血じゃないの」

茜にも負けないほど血まみれの沙羅を見て、花梨が思わず尋ねる。沙羅から返ってきた言葉に、真人と花梨は引きつった苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。

沙羅はそんな2人を自分の後ろに避難させ、改めて少年への警戒に加わる。その表情は春樹らと同様真剣なものだった。

少年は微笑を絶やさない。春樹、バックナーの2人に銃を向けられていても、まるで怯えた様子を見せなかった。


 食堂内に、極度の緊張を伴った沈黙の時間が訪れる。誰も何も喋らない。そのままの姿勢で固まっていた。

「あ、父さん」

「!?」

静寂を破ったのは、渦中にある少年だった。その言葉の意味を図りかねて、僅かに混乱を見せる一同。

「レオナルド。こんな所に居たのか。……で、見付かったかい?」

その後ろから、ゆっくりとフレーザーが歩いて来た。

「ううん。中々、うまくいかないものだね」

「大丈夫。もうすぐ見付かるさ」

その親子は、とてもよく似た顔立ちで、同じ微笑を浮かべていた。





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