①女生徒と概念
ぜひ最後まで読んでいただけると幸いです。
ちょっぴり哲学的な女生徒ちゃんの日常のお話です。
幼少の頃から私は気の強い父と頼れる母の元、きっと世間的には不自由なく大切に育てられたのでしょう。五体満足健康に生まれ、特に体を悪くすることなく中学生になった。
小学校の頃は毎日ただその日を必死に生きていた気がしますが、中学生になってからは1日が短くなっていく日々です。
夏は暑さで制服のシャツが肌に張り付き、下着が透けていないかちょっぴり心配になったり。
私は普通の女の子だと思っていました。ですが人によって普通や常識、当たり前というものが何を指すのかが違うのではないか、なんて格好つけて哲学者のようなことを考え込んでぼーっとする登校中。
朝の決められた読書時間、皆静かに本とにらめっこしていて少し面白い。本なんて興味のない子たちは本を開いてページを進めずただ時間が流れるのを待っていたり、今日提出の宿題をこっそり進めていたり。
妙な静けさの中の珍妙な空気が絶妙に滑稽でどことなく面白い。
進級したての頃、お互いに気を使ってたような妙な空気は嘘のように桜とともに散り、少しずつグループやカーストと言ったしがらみが、早くも出来上がろうとしていた。
学生生活はゲームみたいに努力したら誰でも上位勢に慣れるわけではないのです。では何がそれを形作っているのか。
言葉としてはよく聞くし、意味を言葉として説明はできるでしょう。でも、そういう概念がどうして生まれるのか、妙に気になる。
私の仮説に過ぎないが聞いてほしい、と言ったが誰に話しかけてるのやら。
目に見えない情報、つまり概念と呼ばれるものを言葉や文字といった記号に示して可視化する。そうすることで人同士で伝えあったりするのだ。
これ自体はなかなか理にかなった話だこと。
だったらどうして私たちは見えない概念というものに縛られているの。
言葉に心を打たれたり、壊されたりするの。
人が言葉を作ったのに、人が定めた概念と言葉の中でまるで囚われてるような、なんともいたたまれない気持ちになる気がした。
そうなら人は馬鹿なのか傲慢なのか愚者だ。
では自分はなんなのか、きっと世界の外や心理にいち早く気がついている天才少女。
はたまたイタいの厨ニ病の女子中学生。
きっと一人ではたどり着けないほどのものが、この世界には色んなことが浮かんでいるのかな。
沢山の命の一生が積み重なった現代は、人間にとってきっとキャパオーバーだよ、そうに決まっている。
歴史の教科書だって年々量が増えてるんじゃないか。きっと十年前の歴史の教科書より覚えることが多いはず。
ネットニュースやSNSなんて情報の塊だ。
そんな風に情報ばかり脳に押し込んでもやっぱり無理がある。
真面目で賢いクラスメイトは中間テストで92点を取った。
でも私は平均ぐらい、私は特別賢いわけでもない。
結果生まれたときから全部決まってるのか、家庭や環境、時代によって充実度や幸福度は変わるのかな。
そんな現実はあまりに非情だね。
きっとこの先も可もなく不可もなく生きていくことが決まっているのかもしれない。
そう思うと悔しい気もするけど、少し諦めがつく。
いつしか辺りが暗くなるのが早くなった。もうそんな時期か、なんて思うことも度々。
私は教室にのこって静かに読書。意外と読書は好きと言いたいところだけれど、実際は本を読んでる人が大人っぽいというイメージで憧れていただけなのかも。
ある日は晴れ、またある日は曇、そして今日は雨でした。
傘忘れてきちゃった、きっと晴れて。内心焦りながら窓の外を眺める。
いつかの望みも打ち砕かれ、下校時刻も雨でした。
濡れて帰る覚悟をして私は駆け足で学校の門をくぐりました。
肌寒く冷たい雨が体にさすように降りかかるの。
これはこれで悪くない、なんてちょっぴり思ったり。
次の日の朝はドラマかあるいはアニメのように虹がかかっていて、どんな嵐も過ぎ去れば晴れるのか。
なんちゃって。
結局始まれば終わり、いつしか古く薄れていき、今はこの瞬間にも過去になって目に見えない記憶の中の概念になるのね。
結局また概念。
結局、私も囚われているのかもしれない。言葉と概念という曖昧なものに。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ちょっぴり哲学的な女生徒ちゃんの日常のお話でした。




