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第二話 お世話します!

 ミズキが微笑む姿は、人間と全く変わらなかった。


 思わず椅子から立ち上がり、息を呑んだ。ミズキから見たら、俺は幽霊でも見たような顔をしていることだろう。


「……俺は起動していないぞ」


 やっとのことで、声を絞り出した。


「起動は吉川さんが設置した時点でされていました」

 ミズキは涼しい顔で答える。

「充電とファームウェアのアップデートで立ち上げに少々時間が掛かってしまいました」

 トレーを持ってこっちに歩いてくる。俺は反射的に一歩下がってしまった。

「コウタ様はお勉強中のようでしたので、できるだけ音を立てずに晩御飯をお作りしました」

 音を立てずにって、気配すら感じなかったのだが。


 クリームパスタの匂いがふわっと鼻をくすぐり、食欲を刺激される。

「これ、作ったのか?」

「はい!ツナとキノコのクリームパスタです。パスタの炭水化物はブドウ糖が含まれていて脳のエネルギー源になります。ブドウ糖は最終的にアセチルCoAに変換され、TCAサイクルでエネルギーを供給します。キノコはTCAサイクルを……」

「あー、わかった!説明はあとでな。パスタが冷める」


 机の上のノートや問題集をどけると、トレーを置いて、クリームパスタを口に入れた。

 一口食べた瞬間、ツナの旨みとキノコの香りが口の中にふわっと広がった。

 クリームソースは濃厚なのにしつこくなくて、後味にほんのりハーブが抜ける。


「この味、どこかで……母ちゃんが……いや、まさか」

 ミズキは嬉しそうに微笑んだが、すぐに心配そうな顔になった。

「コウタ様は、摂取カロリーが足りていないように思えます。学校から帰って何も召し上がっていなかったのではないですか?」

「あ、ああ。なんかバタバタしていたからな」

「私はコウタ様の健康管理を仰せつかっております。見過ごせません」

「え、誰に?」

「あなたのお父様からです」

「親父が?」

「はい、お父様が私の基本プロンプトに『コウタ様の体調を最優先すること』と明記されています」

「マジか……」

 あの親父が俺のことを思って?どうにも想像が付かない。

「他にもお父様から仰せつかっていることがありますよ?」

 ミズキは口をとんがらせて話を続ける。

「健康管理全般はもとより、生活の質を上げることや、勉強のお手伝い。あと……」


「あと……なに?」


「んー、これは、今は黙っておきましょう」

 顎に人差し指をつけて瞳を上に逸らすと、いたずらっ子のように笑った。こいつ本当にAIで動いているのか?

「それでは、食べ終わりましたので、食器を片付けにまいります」

 ミズキは皿とフォークとカップをトレーに戻すと、部屋を出ていった。


「あっ! そうだ! お風呂の用意もできております!」

 部屋を出ると思いきや、顔だけ出すとクスッと笑った。

「あ、ああ入るよ」

「お背中流しましょうか?」

「い、いや、それは遠慮します」

 なぜかドギマギと答えてしまった。


 問題集を片付けてから風呂に入ったら夜10時を過ぎていた。

 ミズキは椅子に座って眠るように機能を停止している。テレビもエアコンもついていないリビング。ミズキが眠るその静けさが、妙にしみた。


 タオルを首に巻いたまま、髪も乾かさずに冷蔵庫からコーラを出すと、ダイニングテーブルの椅子に座って、ちびちびと飲んでいた。


 ガタガタと玄関のドアが開き、親父が帰って来た。

 スーツを脱いでクローゼットにかけると、リビングに来た。

「ただいま」

 仏壇に手を合わせてから、俺の通知表を手に取ると、さっと目を通してまた仏壇に戻す。

 冷蔵庫から缶ビールを持ってきて、ダイニングテーブルの俺の向かいの席に腰掛けた。

 仏壇の横に眠っているミズキを見る。

「ミズキはちゃんと来たようだな……」

 そう言うと、ビールを一口飲んだ。

 俺は黙ってコーラを飲む。

 コップの中の氷が、やけに大きな音を立てた。

 ビールを半分ほど飲んだ所で親父が口を聞いた。

「ミズキは晩飯を作ったか?」

「うまかった……」

「そうか」

「あのさ……」

「なんだ?」

「友達の安西の弟が病気でさ、寝たきりで大変なんだってさ。ほら、あいつ両親共働きで、面倒見るの安西しかいなくてさ」

「それがどうした?」

「安西んちもミズキの試験運用に使えないかな……と」


 親父はビールを飲み干して、缶をテーブルに置くと、刺すような視線で俺を見た。

「お前、ミズキにどれだけ金が掛かっていると思う?」

 俺は首を横に振った。

「ミズキ一体で少なくともフェラーリが十台は買える」

 俺は生唾を飲み込んだ。

「保険もなしにおいそれと他人の家に置くことは出来ない」

「そ……そうだよね」

「あと、ミズキを外に連れ出そうなどと考えているのならやめておけ。あれは先端技術の塊だ。何かあったら責任が取れる取れないの問題ではなくなる。それに……」

 親父は小さなため息をついた。

「AI法があるからな。ミズキにとっても家においていたほうが安全だ」

「あのさ、それとさ……」

「まだあるのか?」

「ああ、ミズキのプロンプトに親父が直接関わったって、ほんと?」

 親父の表情が少し緩んだ気がした。滅多に見せない、どこか遠くを見るような目だった。

「母さんの昔のメモが残っていてな……。あいつに、それを元にして……いや。社外秘だ……」

 親父は空き缶を潰すとゴミ箱に入れる。

「あと、聞いてると思うが、ミズキの試験運用は8月一杯の予定だからな、そのつもりでいてくれ……」


「うん」


 また静寂が訪れた。

 古い冷蔵庫のコンプレッサーの小さく低い唸り声だけが部屋を満たす。

 仏壇の横に静かに眠るミズキをじっと見た。なぜか母ちゃんの遺影と重なって見えた。

 ベッドに入ると、眠ってしまった。朧げで思い出せないが母ちゃんの夢を見た気がした。


 眠っている俺をゆさゆさと揺する奴がいる。目を覚ますと、目の前にミズキが立っていた。


「はじめまして、私はミズキです」


 ミズキは名乗るとにっこり微笑んだ。

 この言葉が胸にちくりと刺さる。昨日一日過ごした時間が、ミズキには残らない。その事実に、どこか寂しさを覚える。

「お前、昨日のこと、覚えてないの?」

「はい、私は試験運用中なので、前日に体験した記憶は消去されます」

「AIの試験運用なら、毎日体験を積み重ねた方がいいんじゃないの?」

「今回の試験運用は『リグレッションテスト』というもので、毎日まっさらな状態から人と信頼関係を築けるかの試験です」 

「俺までモルモット代わりかよ……」

 親父に対して歯噛みしたが、ここで怒っても何かが変わるわけでもない。

「コウタ様、スケジュールを確認しましたところ、今日から夏期講習とありましたので起こさせていただきました」

 時計を見ると、七時半になる所だ。

「簡単ですが、ダイニングに朝食をご用意いたしました。お召し上がりください」

「親父は?」

「お父様はもうご出勤されています」

 ダイニングに降りると、テーブルの上にトーストとアボカドサラダ、ゆで卵が用意されていた。

「いただきます」

 テーブルについて、アボカドサラダを食べる。


「やっぱりうまい!」

 後ろに控えていたミズキは嬉しそうに笑うと説明を始めた。

「全粒粉パンは低GI食品で、血糖値を安定させるので、長時間の集中力を保てます。アボカドは不飽和脂肪酸が豊富で脳の健康に良いとされています。卵のコリンは記憶力を支え、ヨーグルトのカルシウムは神経伝達をスムーズにします」

「やっぱり、夕べと変わらないミズキだな……」

 なぜか、少し安心している俺がいる。

「あとですね……お弁当をご用意しました!」

 ミズキが笑顔で弁当箱に向かって両手を広げると、ジャーンという音が聞こえてきた気がする。

「名付けて、集中力アップ!彩りそぼろ弁当です!」

「まず、ご飯はブドウ糖を豊富に含んでいますし、黒胡麻はセサミンという抗酸化物質を含んでいます、ビタミンEやカルシウム、鉄分まで含まれて……」

「えーと、時間がないから、説明は今度な」

 弁当箱を手に取った。

「ありがとう。持って行くよ」

「はい!」

 ミズキは嬉しそうに微笑んだ。


 身支度を整えて、カバンを持って玄関のドアを開ける。

「お勉強、頑張ってきてください!」

 ミズキが玄関で手を振って見送ってくれた。

 くすぐったいような、嬉しいような、変な感覚に包まれる。

「いってきます」

 夏期講習のある予備校は池袋にあるので、電車に乗っていく事になる。

 午前の講習の後、食堂でミズキの作った弁当箱のフタを開けて、まず彩りにびっくりした。

 黒胡麻がまぶされたご飯の上に、そぼろと炒り卵が枝豆を仕切りに左右に分けて乗せられていた。別のおかずの箱には、ミニトマトのマリネと三日月に切られたオレンジが彩りを添えている。

 まずご飯を食べてみる。


「うん、うまい」

 

 黒胡麻の風味と、そぼろのほのかな甘じょっぱさに加え、隠し味の鰹節がふわりと香る。炒り卵のやわらかさと、そぼろのぷつぷつとした歯ごたえがご飯に絶妙に絡み、口の中でほどけていく。

 なぜか、とても懐かしい感じがする。幼稚園に母ちゃんが作ってくれたお弁当を思い出してしまった。

「あれ、コウタじゃん!」

 突然、後ろから声がするので、振り向くと、佐伯ほのかが弁当箱を持って立っていた。

「コウタもここの予備校だったんだね!ここ座っていい?」

 返事も聞かずに隣に座り、自分の弁当箱を開けた。

 ほのかの弁当は、のりたま俵おにぎりとでんぶをまぶしてのりの巻かれた俵おにぎりが可愛く並んでいる。おかずはプチトマトのサラダとタコさんソーセージだった。


 ほのかが俺の弁当箱の中身に気がついた。

「えー、すごいじゃん。そのお弁当コウタが作ったの?」

 一番見られたくない奴に見られた気がする。

「……まさか」

「え?お父さん……は作らないか。じゃあ誰?」


「……アンドロイド」


「え?」


「親父の会社の介護用試作アンドロイドの試験をうちでやってて、そいつが作った」

「ほへー!」

 ほのかは間の抜けた声を出して驚いていた。そして、ほんの少し目を伏せた。

「へー、良かったじゃん!ごはんの心配いらないね!」

「まあ、アンドロイドがいなかったら、間違いなく昼はカップ麺だったからな」

 ほのかは良く聞かないとわからないくらいの小さなため息をついた。

「……コウタ学校でもパンばっかりだったじゃん。同じ予備校なら、たまには私が作ってきてもいいかなって……ちょっとだけ、うん、ほんのちょっとだけ思ってたんだけどさ」

 ほのかが小さく呟くその言葉を聞いた時、胸がチクリとした。彼女の瞳に浮かんだ寂しさに、ほんの少しだけ触れたような気がしたのは気のせいだろうか。


「そうだ、今度の日曜日、空いてる?」

「ん?講習はないし、別にいいけど」

「画材屋さんに付き合って欲しいんだけど」

「うん、いいよ」

「やったあ!」

 そういえば、中学の美術部で絵を描いていた頃は、よく画材屋に行っていたな。絵の具や練習用の油彩紙を買ったりしていた。

 高校に入学して、部活もやらなくなってから、一度も行っていない。

 日曜日は講義も休みだから、たまに付き合うのも良いかな、ぐらいに思っていた。


 予備校を出たときはまだ明るかった空も、駅の改札を出た頃には薄暗くなっていた。

 駅から家までの道を歩くと、方々の家から晩ご飯の香りが漂ってくる。煮付けとカレーかな。それに、トマトとオリーブ油の香りは空腹に厳しい。

 家に着くにつれ、炒め油とごま油、ピーマンの爽やかな香りが混ざった匂いが鼻先をくすぐる。

「これは……チンジャオロース?」

 不意に食欲が刺激され、胃がきゅっと鳴った。ミズキの仕業か、恐るべし……。

「ただいま」

 玄関を開けると、ミズキが立って待っていた。

「おかえりなさい!」

 満面の笑みで迎えてくれるのは良いけど、まさか、ずっと待ってた?

「私は位置情報システムとリンクしているので、コウタ様が帰るタイミングは分かっていました!」

「……なるほど」

 とにかくお腹が空いていたので、テーブルについてご飯をぱくついた。横でミズキがニコニコと見ている。

「本日は、『チンジャオロースー』をご用意しました!」

「うん! 大好き!」

 箸で一切れつまんで口に運ぶと、まずはシャキッとしたピーマンの食感。噛んだ瞬間に広がる、ほんのり青くて清涼感のある香りが、夏の空気を一気に涼しくする。

「ピーマンとパプリカはビタミンCの宝庫で、夏バテ対策にぴったりです! しかも香りづけに使ったごま油と生姜で、消化機能もアップ! まさに『食べるエネルギーチャージ』ですね!」

 続いて牛肉。細切りなのに、しっとりとやわらかく、噛めば噛むほど、甘辛いタレと肉の旨みがじゅわっと染み出す。

「牛肉には、アラキドン酸という多価不飽和脂肪酸が含まれており、リラックス効果や記憶力増進効果もあります。もちろん、たんぱく質や鉄分、必須アミノ酸を含んでいます! 冷やしトマトも添えておきました。クエン酸でさらに元気に!」

「……あの、静かにしてもらっていいかな?」


「はい!?」


 ミズキの大きな目がさらに大きくなった。

「ゆっくり味わいたい……」

「あ、失礼しました! どうぞどうぞ」

 両手のひらを上に向けて差し出す、どうぞのジェスチャーを慌ててするミズキを見て、つい笑ってしまった。

 心が柔らかくなる、不思議なAIだなと思った。

「ごちそうさま」

 お腹いっぱい食べたところで、部屋に戻って、問題集に取り掛かる事にした。

 苦手とする数Ⅲの極限の問題だ。乗り越えねばならない壁だ。高い壁だ。

「極限のはさみうちの原理がわからん!」

 問題集を開いて10分で、これだ。

「お困りですか?」

 ミズキが顔だけドアから出して、右手を口の横に当てる内緒話のポーズで話しかけてきた。

「よければ解説しましょうか?」

 俺の返事も聞かずに部屋に入ってくると、横にきて問題集を見た。

「はさみうちの原理ですね。任せてください!」

「……説明は短く、簡潔にな」

「了解しました!」

 ミズキは小さく敬礼の真似をすると、楽しそうに口を開いた。

「例えば、ネズミが細い廊下を逃げています。ネズミの前には猫A、後ろには猫Bがいて、ネズミを追いかけています。ネズミは必ずこの2匹の猫の間にいます。猫Aと猫Bがどんどんネズミに近づいていき、最終的に2匹が同じ場所でピタッとぶつかったとき、ネズミはどこにいると思いますか?」

「猫と猫の間に挟まれてる」

「そうです! ネズミは猫AとBがぶつかったその地点にいるしかないのです」

「はさみうちの原理は、ネズミという値が2匹の猫という境界に挟まれている状況で、猫たちが近づいて境界が狭まることで、ネズミの位置が1つの点に確定する、という考え方です。猫が前後からじわじわ追い詰めるイメージで、ネズミは逃げ場がなくなり、ピンポイントで捕まる、ということです!」


「……なんだそれ」


「えーと、『どの値かわからないもの』に、ちゃんとした境界という枠を与えてあげれば、その本当の姿が見えてくるってことです!」

 よくわからないけど、なんか言い得て妙だなと思ってしまった。

 ミズキの横顔を見ながらふと思う。俺も、父と母に挟まれて育ってきたのかもしれない。今は、その間にいるミズキも。


「……俺のこと言ってるみたいだな」

 変なことを言ったと少し後悔した。

「ふふっ、はさまれているものこそ大事なのですよ」

「大事……ね」

「あ!すみません。私は時間なので、そろそろお休みさせてもらいます」

「なあ、ミズキ。今日のこと、明日になったら忘れるのか?」

 ミズキはいつもの笑顔のまま、ほんの一瞬だけ、ためらうように間を置いてから言った。

「はい。明日もまた『はじめまして』って、私は言うでしょう」

「そうか。……おやすみ」

 ミズキがリビングに降りていった。また静けさが訪れる。


「ミズキ。お前、誰に似てるんだろうな……」


 その日は、すぐに寝てしまった。

「はじめまして、私はミズキです」

 朝になると、この挨拶から始まるのは、どうしても慣れる事はなかった。


 そんな事を五日繰り返して、ほのかと約束した日曜日がやってきた。

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