28、モリーとハワード卿の秋と冬③
モリーが生活する聖騎士団女子寮は、聖騎士団本部から半ブロックのところにある。そこからオルソン夫人の家までは、たった二ブロックしか離れていない。買い物は、聖騎士団本部周辺に立ち並ぶ商店でほぼ事足りる。
しかも、この辺りの治安は極めて良好。
それでもハワード卿は、モリーの外出時には必ずエスコートをしてくれた。
「毎日エスコートしてくれるのは嬉しいけれど、ハワードの負担にはなっていないかしら?」
ある日モリーがそう尋ねると、ハワード卿は首を振った。
「ニューシャーウッドにいた時、ホテルの支配人から聞いたんだ。去年の初夏、ホテルの近くにあるロックハート学院の女子学生が、学院から下宿先までの半マイルにも満たない距離を徒歩で帰る途中で事件に巻き込まれた、と。その話を聞いて、恐ろしくなった」
ハワード卿は、次のように説明してくれた。
ヒルダとエズメ、そしてトミーも常々懸念していることではあるのだが、聖騎士団員の多くもモリー本人も、「ヴィーナス・モリー・ターナーもまた、守られるべき人間の一人なのだ」ということを失念しているのが、恐ろしい。
聖騎士団に勤める騎士たちは本来、戦闘に向かない者が多い守護者を護るよう教育されている。ところが、聖騎士団員の多くは、その守護者の一人であるモリーのことを、護る必要のない強い女性だと考えている。むしろ騎士の中には、モリーを護るどころか、モリーに護られたいと思っている者さえいるくらいだ。
確かに何体ものヴァンパイアをその拳で殴り倒し、家もどきの口を拳二つ分でも内部からこじ開けることが出来る者は、彼女の他にそうはいないだろう。
だが、それは相手が悪しき魔物だからだ。破魔の力の通用しない人間に対しても同じことが出来るわけではない。それに相手が人間だった場合、モリーは一瞬だけ攻撃を躊躇するだろう。そのほんの一瞬が命取りにならないとも限らないというのに。
「だから、せめて私が君の側にいられる間は、君の護衛をしたいんだ。無論、私が君から離れていても、タイタニアとロビンの分身が君を守ってくれるが――」
「ひどいわね、私もいるわよ!」
突如モリーの肩の上に現れたエラが、ハワード卿の言葉を遮った。
「私があんまり可愛い過ぎるから頼りないと思っているかもしれないけれど、私だって家事魔法だけじゃなくて、主人を護る魔法くらい使えるんですからね」
拗ねるエラに対して、ハワード卿は生真面目に謝った。
「すまない、エラ。君もエリザベスタウンでは、守護者を襲撃しようとした侵入者どもに幻惑の術をかけるという、重要な役目を担ってくれたというのに」
「まぁ、わかってくれたんなら良いわよ」
そう言いながらエラはどこか得意げだった。ロビンがすかさずエラの機嫌を取りにかかった。
「まぁ、エラの幻惑は強力だからな。俺も、かけられる側には心底なりたくないと思ってるよ」
「まぁ、ロビン様ったら」
エラの声が分かりやすく華やいだ。もしや、エラはロビンのことを?
モリーはどう思う、とハワード卿に目で尋ねたつもりだったが、どうやら彼はそれどころではなかったらしい。
「――とにかく、私がいなくてもモリーの護衛が手薄になることはない。……だが、今はどうか私に、君の騎士を気取らせてくれないか?」
そう言っている途中からハワード卿の顔が真っ赤になったので、モリーは思わず笑ってしまった。彼はとても不器用で、いつも真摯で、可愛い人なのだ。
だから、彼女は彼にその手を差し出した。
「どうぞよろしくお願いいたします、私の騎士様」
秋の終わりが近付き、スカーレットタウンの秋祭りまで残り一週間となった頃。モリーは魔法の編み針を使わなくても、帽子や靴下まで編めるようになっていた。
「ハワード、今日はオルソン夫人の家に行く前に、二ブロック先の毛糸専門店に行きたいの。一緒に来てくれる?」
聖騎士団本部からの帰りにモリーがそう尋ねると、ハワード卿はふわりと微笑んだ。
「喜んで」
毛糸専門店に入ると、全ての壁に色とりどりの糸かせがかけられていて、見るだけで気持ちが浮き立つようだった。
「あのグリーンの毛糸が良さそうね」
モリーが奥の壁にかかった緑色の糸かせを指さすと、ハワード卿は首を傾げた。
「君にはもう少し華やかな色合いが似合いそうだと思うのだが」
モリーはくすっと笑った。
「あら、私のを編むわけじゃないわよ。ちょっとこっちに来て」
モリーはハワード卿の手を引くと、目当ての糸かせの側に行き、店員に目配せした。少しふっくらとした、感じの良い中年の女性店員が、上品な歩き方で二人の元にやって来た。
「どのような毛糸をお求めでしょうか、若奥様」
店員にそう言われて、モリーはくすぐったくなった。
「この方に似合うマフラーを編みたいのだけれど、こちらの糸かせがどのくらい必要か分からなくて」
「若奥様のお見立てになった通り、こちらの毛糸の色合いは本当にご夫君にお似合いでございますわね。紳士用マフラーを一本お編みになるのでしたら、この一かせで充分でございますし、残りの毛糸でご婦人用のマフラーもお編みになれますので、ご夫婦でお揃いになさるのは如何でしょう。編み針は九号がお勧めですが、お持ちでいらっしゃいますか?」
モリーは毛糸一かせと九号の編み針を買った。
「こちらの糸かせは、お使いになる前に毛糸玉に巻くとよろしゅうございますよ。この糸かせをこのように輪にして、どなたか手伝ってくださる方があれば、こうしてその方の両腕にかけて、このように糸端から丸めていきますの。固く巻いてはいけませんわ、毛糸がしぼんでしまいますから。このように、ふんわりと巻いていってくださいまし」
店員はモリーが初心者だとわかったのだろう、見本の毛糸を手に、扱い方まで教えてくれた。
「じゃあ、毛糸を玉に巻くのをハワードが手伝ってくれるのね。羨ましいわ、バズと来たら、その気配を察しただけで逃げてしまうのだもの。あぁ、でもそれなら、その作業はここで終わらせてしまった方が良いわね。二人とも、そこのソファを使って頂戴」
オルソン夫人の家で、いつものようにパッチワークキルト作りをした後、お茶を飲みながらモリーが糸かせを買ったことを話すと、彼女はすぐにモリーとハワード卿が糸を巻く作業をする場所を貸してくれた。
「私も何度か、ヒルダに毛糸を巻くのを手伝わされて閉口したものよ。相手が毛糸を巻き終わるまで、何も出来ないのだもの」
エズメが懐かしそうにそう言うと、ローラがくすくすと笑った。
「アーケイディア単科大学に通っていた頃、ロイド先生とフォスター先生が準備室で、毛糸を巻きながらお二人で楽しそうに言葉の応酬をなさっているのをお見かけしたことなら、何度もありますよ」
エズメは澄ました顔で答えた。
「退屈なのだもの、あの頃は口喧嘩くらいしか話の種がなかったのよ。今なら恋の話で盛り上がれるでしょうけれどね」
二人の話を聞いたオルソン夫人はふふっと笑い、ローラとエズメに紅茶のお代わりを勧めた後、ハワード卿とモリーに温かな眼差しを向けた。
「口喧嘩なんてしなくても、あの二人は充分に楽しそうね」
ハワード卿は全く苦にもならない様子で両腕に毛糸の輪をかけたまま、幸せそうな顔でモリーをずっと見つめていたし、モリーは「ふんわり、ふんわり、ふんわり……」と唱えながら糸を玉に巻いていた。
「結婚後もあんなふうに日々を過ごしていけるなら、それだけでとても幸せなことでしょうね」
「あの二人ならば、必ずそうなるに決まっていますよ」
オルソン夫人の祈るような言葉を耳にして、エズメがそう請け合った。
――キルトは、まだやっと二枚出来たところだ。
「サザエさん」の秋・冬の定番ネタといえば、輪になった毛糸を毛糸玉に巻き取りたいから手伝ってほしいサザエさんと、どうにかして逃げようとするマスオさん・カツオ君の駆け引き……だったように思うのですが、近頃「サザエさん」を見ていないから分からないのですよね。サザエさんに登場する毛糸の輪は糸かせになっているものを買った可能性と、古いセーターを解いて再利用している可能性の両方があるのではないかと思います。




