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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
七章 砂の牙城
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63 遠くて近くて遠い



 怒りに満ちた声がユーリ、と呼ぶ。


 力を込めて、けれども常識の範囲内の強さで開かれた扉。アンティークゴールドのベルは、カランカランと、まぁ許容してやろうといわんばかりの音をたてた。


 怒鳴り込む、と言うには冷静さを保ちながらやってきたシン。その手に握られた小瓶を見、いつもどおり、まるで物語の魔法使いのようなローブを着、揺り椅子にゆったりと腰かけていたユーリは、小首を傾げた。その視線は、真っ直ぐに小瓶に向いている。


 シンの手の中の小瓶。その中で揺らめく液体。


「あれ? 使わなかったの?」


 不思議そうに零された声。


 シンは苛立ちに眉尻を跳ね上がらせ、大股でカウンターへと近寄った。


「これはどういうつもりだ」


 ぐいっと小瓶を突き出す。それにユーリはゆっくりとシンを眺めた。


 赤みの残る眦。取り繕ってはいるが、腫れぼったそうな瞼。


「うーん、これは予想外。君、思っていたよりも僕のこと好きなんだねぇ」

「ふざけてねぇで答えろ!」


 怒りに顔を歪める様を眺め、別にふざけてなんかいないんだけどね、とぼやくユーリ。左手でかりかりと後頭部を掻く。にんまりと浮かべられた笑みは、どこか困惑しており、シンにもユーリが戸惑っているのがわかった。


 ふ、と短く息を吐き、冷静さを取り戻す。前のめりになっていた体を起こし、カウンターにエリクサーの入った小瓶を置いた。いつもの丸椅子に、いつもどおり片膝を立てて座る。むっつりとした表情のまま、カウンターについた手に頬を置いた。


 で、と促せば、いやね、と言葉が紡がれる。


「死ぬかもしれないから先に良い思いさせようかと思っただけなんだよね」

「は?」

「言ったじゃん。君が戻ったら行くよって。そこに行ったら死ぬかもしれないからね。そしたら君、夢半ばになるだろう? だから先に支払っただけなんだよ」


 あっけらかんと言われた言葉。一瞬頭に血が上り、カッとなるが、開けかけた口を無理矢理閉ざした。代わりに、一つ大きな溜息を零す。色々と言いたいことはあった。聞きたいことも。しかし、それらを一旦捨て置く。


 頭を起こし、自由になった手でくしゃりと前髪をかき乱す。


「俺は死ぬのか?」

「まぁ、そういうこともあるだろうね。君の技量じゃ勝てない相手だし。まぁ約束だから一度だけなら守るけど、二度目はないよ」


 だから頑張ってね、と言われた言葉は実にあっさりとしていて、シンは嫌そうに顔をしかめた。


 この男はいつだってそうだ。シンを身近に置く癖に、その生死に一切の関心がない。だから見誤ってしまう。期待して、そして失望して、また距離をとる。それの繰り返し。幾度繰り返せば諦めることができるのだろうか、と考え、そんな事を思う程度の付き合いでない、と心を奮い立たせる。


 そうかい、とぶっきらぼうに吐き捨て、カウンターに乗せた手に、顎を乗せる。


 ぐるりと見渡せば、商品棚に所狭しと並べられたアイテム。ここは錬金術の店。不思議な事に、この店には特定の人物しか辿り着くことはできず、一説には、店の主人に客として認められたもののみが複数回訪れることを許されているのだという。もしもその場所に辿り着きたいのなら、本当に主人の助けが必要となり、純粋な心で願わなくては、けしてたどり着けない。普通に聞いただけの道を歩いてきても、けして辿り着けないその店は、いつしか『魔法の店』と呼ばれていた。


 そこに住まう男を見る。金髪銀眼。豪華な色を持つ割に、その顔はあまりに平凡。色さえ誤魔化してしまえば、どの国でも埋もれてしまう男。それなのに、薬と名がつけば、劇薬から爆薬までなんでも取り扱う、一級どころか神級の錬金術師の青年。錬金術師はこの王国では珍しい存在ではないのに、彼の存在は国王でさえ一目置いていた。


 既にシンとの会話に興味を失くしたのか、いつものようにカウンターに足を投げ出し、大きな揺り椅子にだらしなく身を持たれかけるこの店の主人。ユーリ、としか名乗らず、それが本名なのか、偽名なのか、誰も知らない。いつもどこかつまらなさそうな表情を浮かべ、ぼんやりと中空を眺めたり、本を読んでいる。


 この主人が魔法使いだ、と言われてもおそらく、殆どの人間が納得するだろう。そんな、まるで絵本の中に登場してきそうな黒いローブを身に纏い、いつだって不思議な薬を与える謎の人物。年を取っているのかも謎で、いつからここにいるのか、誰も正確な事を知らない。気が付いたら、いた。


「本当に魔法が使えないのか?」


 言い慣れたその言葉を口にする。


 返ってきたのはいつもどおり、気の抜けたようなふは、という笑い声、ではなかった。けれども、いつもの言葉。


「僕は魔法は使えないよ。使えるのは錬金術だけだ。そもそも魔法なんてこの世にあるわけがない」


 幾度この応酬を繰り返したか。シンには記憶にないが、ユーリなら数えているかもしれない、などとくだらない事を思う。


 なぁユーリ、と声をかける。いつもの流れを断ち切るその言葉に、けれどもユーリはなんの戸惑いもなく、何、と返す。


「お前が何と言おうと、お前は俺にとっては友達だ。そこんとこ、忘れるなよ」


 ふん、と息を鼻から吐き捨て、反論は受け付けない、と示す。それにふは、と気の抜けたような笑い声が返った。ついで、何だいそれ、と呆れたような声が聞こえる。それに頭を起こし、ユーリの方へと体を真っ直ぐに向け、胸の前で両腕を組んだシンは、そのまま胸をそらした。


「お前がどう思うと、何と言おうと、この国で、お前の友人第一号は俺だ。客観的に見ても、主観的に見ても、それは違わない。わかったな?」


 顎を上げ、傲慢とも不遜ともいえる態度で言い切る。そんなシンに、ユーリはひへへ、と堪えきれない笑いを零す。


 カウンターから足をおろし、両手を合わせると頬にあてた。


「いやん、僕ってば愛されちゃってる」

「おう。俺の友愛に浸ってろ、ポンタ」

「なにそれ」

「爺さんが言ってた。貴族みたいに腹に一物二物抱えたクズは狸っていうんだと。で、貴族を直接狸っていうと問題になるから、陰でポンタ野郎って呼ぶんだとよ。お前の腹黒さは貴族みたいなもんだろう?」

「つまり狸野郎って言ってるわけだね?」

「クズのほうがよかったか?」


 真顔で問うシンに、いやまさか、と笑うユーリ。そして、ポンタ、とシンに教えた男を脳裏に浮かべた。


 既に髪が何色だったのかもわからぬ見事な白髪ながら、鉱山夫よりも立派な体躯に、熊のごとき厳めしい顔をし、豪快に笑う男。そんな男が、ちょっと大きな声を上げるだけで新人ハンターどころか、騎士も青褪めるようなだみ声で、ポンタ、と誰かを称している姿を想像する。


 ぞわりと下から上へと駆け上がる悪寒。気持ち悪っと顔をしかめ、鳥肌が立った腕を摩る。


「お前が今、何を考えたのか大体わかるぞ。俺も爺さんの口からその言葉が出たとき同じことを思ったからな」

「流石はシン、僕の嫁なだけあるね」

「うるせぇ。で? いつ、どこに行くんだ?」


 へらへらと笑うユーリに、シンは鋭い視線を向ける。


「明日、お城に行こうか。丁度タイミングもよさげだし」

「タイミング?」


 首を傾げたシンに、ユーリはにんまりと笑った。それだけでシンは判断する。碌な事じゃないだろう、と。


「今日、要らないものが処刑された。彼等にとっては大した問題じゃないから動かないかもしれないけど、僕なら警戒して固める」

「なるほど。相手がお前の思考を読んで嵌めたなら、お前が相手の思考も読めるってことか。だが、それなら変じゃないか? 警戒させて固めてどうするんだ?」


 基本的に奇襲は守りの薄いところを、薄い瞬間を突く。迅速に。それはどんな兵法でも同じこと。わざわざ相手を警戒させ、守りを厚くさせてどうするのか。彼我の戦力差がこちらに有利にあるのなら、奇襲する必要がない。だが、ユーリの言い分だと、シンは相手より弱い。そして、ユーリの戦力はシンだけのはず。ならば、奇襲なら守りが薄いときでなければなりたたない。これではまるで、捨て身の囮。


 ハッとした。


 まさかユーリは己自身を囮として使うつもりなのだろうか、と。


 確かに、ユーリの敵だ。ユーリ自身なんていい囮だろう。シンが隣に引っ付いていれば、囮とも思えない。だがこの国には、シンほどユーリの完璧な手足はいない。シンを囮に混ぜるのだとしたら、誰が手足になるのか。


 そっとユーリを窺うが、にんまりとした笑みが返る。


「そう、思うだろうねぇ、相手も」

「つまり?」

「深読みして思考の迷路に陥るも良し、囮と断定されても良いのさ」


 僕が行く、という事実は変わらない、そう言って浮かべたにんまりとした笑みは、実に機嫌良さげ。まるで鼻歌でも歌いだしそうなほど。


 何か策があるようだが、それがなんだかさっぱり理解ができないシンは首をひねる。


「お前が行くってことに意味があるんだってのは理解したが、そもそも相手は城にいるのか?」

「ちょっと違うね。まぁ、明日、道中で説明してあげるよ」


 そうかい、と頷いたシンは、それより、と眉根を寄せた。


「折角友人様が来てやってるんだ。茶の一つでも出したらどうなんだ?」

「嫌だよ。それは君の役目だろう?」


 間髪入れずに返る返事。向けられた表情は、本気でシンが何を言っているのか理解していない、できない、そういった表情。クソが、とシンの顔が歪むのも仕方のないことだろう。しかしここで言葉を重ねたとしても暖簾に腕押し。ち、と一つ舌打ちし、シンは奥の台所へと消えた。


 しばらく後、盆に黒い液体の入ったコップを二つ、持ってくる。


「手を抜いたね」

「冷たいコーヒーが手抜きだとは心外だな」


 眉根を寄せるユーリに、逆に眉根を寄せるシン。


 自分で淹れないのなら何が準備されたとしても文句を言うな、と顔をしかめられても仕方のないこと。それを、気分でなければ平然と不満を口にするユーリの頭を、ぺしりと叩く。


 黙って飲め、と言わんばかりにカウンターに置いた。


 盆が、先に置いていたエリクサーの入った小瓶に当たり、小瓶が揺れる。


「ああ、それ、ちゃんと持って帰りなよ」

「いらねぇ」

「君が勝手に使う使わない別にして、とにかく持っているんだ。明日のために。昨日僕が勝手に使ったポーションの代わりだと思えばいい」


 強く言われ、思わず眉根を寄せた。


 ユーリにしては真剣な声音。強い警戒心が乗った声だった。


「そんなに危険なのか?」

「竜の巣が可愛いと思えるほどには、ね」


 勿論僕も用意してはあるよ、と袖に手を入れる。その様子に、ポーションでは間に合わない怪我をする場所に行くのだ、とようやくまともに認識した。


 ユーリがポーションより強力な傷薬を用意するのは、これが始めてだ、と気づく。


 八年、ともにいた。低位のポーションか、擦傷用の塗り薬しか見たことのなかったシン。袖から手を出し、カウンターに置いたエリクサーを押し付けるように渡され、小瓶に視線を落とす。


 手のひらにすっぽりと収まる小さな小瓶。ガラスの冷たく硬い感触。まるで拒絶するようなその感触の中、揺れる液体。小指の爪ほどのそれ。ゆらゆらと震えるのは、シンの中に芽生えた不安のせいか。


 ユーリが、シンの死を暗示したのはこれが初めてではない。シンの実力以上のモンスターが巣食う場所に行くときは、必ず示した。それでも『下手をしたら』と枕詞が付く程度。こんなにはっきりと死ぬことが前提のように話すのは、初めて。それがどういうことなのか、わからないような愚か者ではない。


 ぐ、と小瓶を握りしめる。


 何度確かめても手の中のそれは、冷たく硬い。


 手の中の小瓶。伝説の秘薬。国王でさえ戸惑う金額。それがお前の命の値段だ、と言われたようなもの。


 しかし、違う。


 値段ではない。価値にこそ意味があることを知っている。この秘薬は、己の命に相応しい価値だと知っている。


「生きて帰れたら、そのままこれ、くれんのか?」

「勿論。それは命を賭けた代償さ。ただ、帰るまでにそれが残ってればね。それに、生きて帰ったからと言って、使える状況とは限らない。出し惜しみはしないことをおすすめするね」

「生きて帰ったら、契約は終わりなのか?」


 どうだろうね、とユーリは笑った。


「それはその時の君次第だよ。君が、相変わらず僕にとって興味深い人物なら、そのままだし、生きていたとしても、戦いの最中、心が壊れることだってある。もしそうなったら要らないから、契約終了さ。あぁ、契約続行でそれが手元に残っている時は、別の報酬を提示するから安心して」


 にんまりと笑う顔に乱れはない。


 わかった、と一つ頷いたシンは、小瓶を腰のポーチにしまい、自分で淹れたコーヒーに口をつけた。


 カップの周りに水滴が付いている。ひやりと冷たいコーヒー。


 取っ手に指をかけ、ぐるりと回してみても、縁をなめる僅かな部分以外は黒く、カップの底を見ることはできない。


 ゆらゆらと揺らしていたユーリは、ゆっくりと口をつけた。


 優雅に一口飲み、カウンターへとカップを置いたその瞬間、ごぼり、とせりあがったもの。ユーリの口から溢れる赤。少しだけ驚いたように、けれどもにんまりとした笑みは崩さない。


「これは驚いた。君が僕に毒を盛るなんてね」


 ぐらりと体が崩れる。咄嗟にカウンターについた手が、カップに当たる。がしゃん、と音をたて倒れたカップは、中身をまき散らしながら転がり、床に落ちて砕けた。それらをあっという間に勝手に動く掃除用具達が片づけていく。


 じっと見つめるシンに動きはない。ごほごほと吐き出される血を、雑巾が拭き取っていくのを無感動に眺めていた。


 ユーリが動かなくなる、その瞬間まで。


 完全に動きを止めたのを確認して、やがてふーっと大きな息を吐く。右手を体から離すように動かし、自身が口をつけていたカップから手を離した。重力に従い、落ちるカップ。傷一つない床に当たると同時に砕ける。当然、それもあっという間にユーリが造り出した動く掃除用具達によって片づけられた。


 動かないユーリに一瞥を寄越し、立ち上がる。丸椅子をいつもの場所に戻せば、誰かがいた痕跡はない。


 カウンターに半身を預けるように崩れたユーリに、それっきり目を向けず店を出て行く。それを見送るように、アンティークゴールドのベルがカラン、と音をたてた。


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