64 分岐点
ブクマが増えてる!?
お、おお、どなたか存じませんが、ありがとうございます!
シンは歩く。歩き慣れた道を。人込みを抜け、借りている宿に戻ると中へ入った。
昨日置き去りにした、使い慣れた短剣を拾い上げる。短剣に付属した、ホルダー付のベルトを腰に回し、位置を確認する。即座に取り出せる位置にあることを確認し、旅人のマントを羽織った。
部屋を出て、鍵をかける。
誰もシンを気にしない。
シンがいつでも出かけられる格好で部屋を出るのは常の事。そしてそのまましばらく帰ってこない、というのもよくあること。というか、基本的にハンターはいつ依頼が入ってもいいように、いつでも出かけられる格好でいることが常。依頼次第ではそのまま街を出るのも常。故に、出かけの挨拶はない。
ポシェットから小瓶を取り出すと、左手に隠す。
ハンター通りを抜け、教会通りから裏路地へ。複雑な道を迷いなく進んでいく。しばらく進めば、大通りの喧騒も聞こえない、昼でも薄暗いどころか真っ暗な道に出た。そこさえも、シンは明かりもつけずに歩いていく。
やがて一つの角で足を止めた。
角ギリギリの壁に背もたれる。
腰に回したポシェットをあさり、目当てのものを取り出すと、右手を真っ直ぐ伸ばした。手が開かれ、ポシェットから取り出したものが落ちる。
空の小瓶。
宙を滑り落ちるそれを、角から飛び出す手首より先の手が、受け取った。手は、すぐに角へと引っ込む。
「死ぬのを確認しましたか?」
「吐血しなくなり、動かなくなるのを確認した」
静かに返る答え。
それは死ぬのを確認した、と同じではないだろうか、と問うた相手は一瞬黙る。だが、満足げにそうですか、とすぐに返した。
「痕跡は?」
「残んねーよ。あの店は、勝手に掃除されるからな」
「ならばよろしい」
酷く楽しげな声に何故、と問う。すると、声の主が少しだけ驚いたような気配を見せた。それもすぐに消え、楽しげな声が答える。
「彼は危険です。私の事を知っているのもそうですが、王家に含むところがあります」
だから先手を打った。そう笑う声に、シンは呆れたように溜息を零した。
ゆるりと頭を振る。
確かに、ユーリがこの国で知らないことはないだろう。だが、王家に含むところとは何ぞや。あの男は常にあらゆるものごとに含みを持っていて、持っていない。錬金術学校の件を指しているのだろうか。だとしたら、自分たちはあそことつながっていて、同じ穴の貉だったのだろうか。
嫌悪に顔が歪む。
「学校は、仲間だったのか」
「違いますよ。アレと我々を同一にしないでください。アレは、手を出すなと言われていたから放置していただけで、それさえなければすぐにでも破壊したかった場所です」
ゴミですよゴミ、と吐き捨てられた言葉。嫌悪のにじむ声に、それが偽りでないことがわかる。それでも、シンは納得いかない。
錬金術学校が戦争を操っていた。長い苦しみも、シンたち戦争孤児の存在も、全ては彼らの責。この国を守るために暗躍している、というのなら、何故彼は、彼の主人は、あそこを放置したのか。あそここそがこの国の癌だったのではないのだろうか。
この男の愛国心をシンは知っている。故に解せない。自分の主人が言った、ただそれだけで、これほど声に嫌悪をのせる相手を放置できるものか。穿った見方をしてしまうのは、自分が悪いのか。
国も、人生も、清濁併せて成り立つものだとしても、戦争を無駄に持続させる濁がいるのか、理解ができない。それで多くの人間を不幸にして、国のため、愛国心を持っている、など誰が信じるのか。
しかし、シンは口をつぐんだ。男の考えと、自分の考えが同じになることがない事を、知っているから。代わりに口を開く。
「アイツからの伝言だ。『金髪銀眼、僕の背には何がある?』」
シンの言葉に、男が笑う。
「何も。彼の背には何もありませんよ。私が調べていないわけ、ないでしょう? 錬金術師ユーリの背には、何もありません」
「……ああ。ユーリの背にはねぇな。だが、アイツは薔薇を背負っている」
「薔薇を、背負う者がいたのですか!?」
驚く気配。しかし、すぐに消えた。
いいえ、と否定する声。
「そんなわけがありませんね。貴方はいつもユーリと共にいた。薔薇を知るわけがありません。シン、友人を殺させた私への反抗ですか?」
男はシンに薔薇の事を教えたことがない。それなのにシンが知っている。その事実に気づかずに、声に呆れを乗せる。
「第一、その言葉、本当に預かってきたのですか?」
「ああ。五年くらい前に。その時がきたら伝えろ、と言われた。今がその時だと思ったから言っただけだ。信じる信じないは依頼に入っていないから、勝手にすればいい」
竦められた肩。信じるに値しない、と男は一蹴した。それが最後の分岐点だと気づかずに。
角から手が伸びる。
男の手が、シンの腰にぶら下がる短剣を掴む。ハンターであるシンさえ反応できない速度で鞘から抜き、シンの脇腹に押し込んだ。
押し込まれた短剣に赤が伝う。口からせりあがり、零れる赤に、眉根が寄った。短剣が引き抜かれると同時に、身体から力が抜け、膝が崩れ落ちる。
男の手が、シンの体が地に伏す直前、腰からポシェットを切り取ると、遠くへと投げた。
ガシャン、とポシェットの中の瓶が割れる音。
じわりと広がり、地面に吸い込まれていく液体。
「貴方は彼に近づきすぎました。もう、私の駒としては使えません」
「……そうか。神父様は、俺を棄てるんだな」
角から姿を現した男を、伏したまま見上げる。その目は、顔は、悲しみに歪んでいた。
要らない子。
それはシンが恐れる言葉。
物心ついた時から何も持たない子供だったから、誰かに必要とされたかった。誰かの目に留まっていたかった。だからだろうか。誰からも忘れられてしまう、存在感の薄い自分を見てくれるリリに依存した。依存はやがて形を変え、恋になった。
恋は、シンからリリへ求めるばかりで、シンの心は少しずつ、少しずつ、疲弊していく。本人も気づかずうちに。
そんな折、ユーリと出会い、彼に必要とされた。ユーリは、自分のために君が必要だ、と口にした。それは、どんなに自分勝手な思いで、言葉だったとしても、シンの中を満たすに十分なもの。だからこそ、シンはユーリを気に入ったのだから。
それも一つの依存。けれども、シンがシンであるために必要なもの。そのユーリが、自分を棄てた。それが恐ろしくて、実際には棄てていない、とわかっても、冷えた全身は温まることを忘れた。
そっと目を閉じる。
自分と言う存在が、消えることを厭わない、育て親を視界に入れたくなくて。
「私は、この国を守るためなら何でも切り捨てます。貴方が特別、というわけではありませんよ。では、さようなら、シン。貴方は私の可愛い息子でしたよ」
いつものように優しくかけられる声。その全てが嘘偽りのない本心で、信じて尊敬していた相手の狂気を知る。そして己の見る目のなさに、心の底からうんざりした。
投げ捨てられ、地に落ちた短剣の位置を、音で把握する。
リーニャは、シンが死ぬのを確認しなかった。
ここは、路地裏の最奥とも言える場所。昼でも明かりがなければ暗闇に包まれ、ほとんど見えない。そんな場所に来る人間は極限られている。そしてそんな人間がまともか、というそんなことはない。裏稼業の者が殆ど。そんな輩が、あからさまに死にかけているものに関わるか、といえば、ない。衣服を含め、所持品を剥ぎ取りはしても、助けることはない。
このまま静かに死んでいくだけ。
どうせ死ぬ者にわざわざとどめを刺して、その姿を見られるより、早々に立ち去る方が正しい選択と言えよう。
シンはリーニャの気配が完全に消えてなおしばらく、動かない。リーニャの気配が消えるまでと同じだけの時間を数え、左手を動かした。
手の中に隠し持った小瓶。
瓶の中で揺れる、小指の爪ほどの量のそれ。
一瞬迷う。
信じて、尊敬してきた父に棄てられた自分に、どれほど価値があるのか。考えてしまった。それでも、小瓶の蓋を外し、口をつける。
小指の爪ほどの量のそれでも、味はした。
喉が焼けそうなほど甘い。命の危機に瀕している状態で口にするには、少々、というよりも、大分遠慮したいほどの重たさ。思わず噎せそうになるが、ぐっとこらえた。そしてその効力を、身をもって知る。
エリクサー。伝説の秘薬。そう、呼ばれる理由を。
臓腑を貫く深い傷。それらが一瞬で癒えた。低位のポーションのような、じわじわとした治癒ではない。まさしく一瞬。失ったはずの血液さえ戻ったのか、貧血さえない。シャツに穴が開いていなければ、刺された事実が夢幻か、というほど。
起き上がり、暗闇の中、地面に転がった短剣を拾い上げる。己の血で汚れたそれを、払い、マントで拭いて、鞘へと戻す。
歩いてきた道を戻る。
シンとリーニャ。二人の道が別たれた。それにシンは気づいており、リーニャは知らない。
シンの頬を涙が伝う。
後戻りはできないと知っているから。
こうなることは、わかっていた。昨日、リリに泣きついた後、孤児院で一晩を過ごすこととなった時に。
なんとか気を持ち直したシンは、客間を借りた。そこにやってきたリーニャ。親として、シンの話を聞き、諭してくれるのはいつものこと。シンの心の隙を突くように、言葉を重ねる様子に不信感を覚えたのは初めて。小瓶を手渡し、それをユーリに飲ませるように言われた時、それは確信へと変わった。
父は、違う。
それは、シンの世界を揺るがすほどの衝撃だった。いつだったかユーリに言われた言葉が頭をよぎる。
『君は少し、自分の味方でさえ、時に疑い、突き放す事も覚えるべきだよ。そうでなければ、いつか、大切なものを失う事になる』
あの意味を、思い知る。
父である神父との決別は、孤児院の仲間を、リリとの接点を、育ってきたその場所の全てを、失うという事。失うには大きすぎる、大切な物。
ユーリとの決別は、唯一、自分を見、自分の心を救ってくれた、大切な友人を失うという事。そして、父の教えを棄てる、ということ。
どちらか一つしか選べないとき、より大切な方を選べ、と父は言った。その大切なものが同等なとき、どうするべきか父からは教わっていない。ユーリと出会う前のシンなら、選べぬまま、立ち尽くしていただろう。けれども、シンはユーリと出会い、八年もの時を過ごしていた。そして、その間に教えられたことがある。それをそのまま実行した。その結果が、今。
くじけそうな心を奮起し、零れた涙を乱暴に拭った。
シンの足は真っ直ぐに、ユーリの店へと向かう。
ユーリの店は、静まり返っている。扉を開ければ、アンティークゴールドのベルがカランと鳴った。その音が、今日ほど物悲しく聞こえた日はない。
カウンターには突っ伏したままのユーリ。
近寄り、担ぎ上げる。
シンにだけ立ち入ることを許された、二階の居住区へ。ユーリこだわりのベッドに、ユーリの体を横たわらせると、タンスの中からタオルを取り出した。それを手に、下階へと降りる。
錬成室に備え付けられている水場でタオルを濡らし、二階へと戻ると、ユーリの血まみれの口元を拭った。
「神父様。悪ぃな。言ってなくてよ。ユーリは、ユーリが造れる毒の全てが、致死にはならないんだよ」
ぽつん、と呟く声に覇気はない。
ユーリの薄い胸は、ゆっくりと上下していて、生きていることを示している。
「それにな。ユーリはアンタが自分の命をいずれ狙うって知ってたんだ。そして、その時俺がどう動けば良いのか、指示してたんだよ」
ぽたりと、拭ったはずの涙が零れ落ちる。
言われたのは随分前。その時はユーリの言葉を冗談だと思っていた。あの心優しい神父が、父が、恐ろしい暗殺者だという事が信じられるわけがない。しかも、自分で出会わせたシンの友人を、殺そうとするなど。
たちの悪い冗談を、と顔をしかめたのに、それが現実となった。だから、ユーリが言ったとおりにした。
もしも神父に、シン自身で手を下すように言われたのなら、そのとおりにすればいい、と。彼なら、毒を使うだろう。けれども僕は毒で死なない。多少動けなくなるだろうけど、けして死なない。だから、そのとおりにしろ、と。
そのうえで更にユーリは言った。
死なないことを伝えるかどうかだけ、自分で選べ、と。自分の目で見、耳で聞き、心で感じた、自分が正しいと思う行動をとれ、と。
シンは選んだ。父との決別。だから、リリの為の薬を、自分に使った。それが正しい、と信じて――。




