61 苦労人は愛される
錬金術学校以外、これといった事件はなく、ユーリとの会話が終わる。座っていたベッドからユーリがどき、代わりにシンが座った。先程までのお遊びのような雰囲気もなく、ユーリの興味も感じられなかったので、そのままごろりと転がる。
積み重なった疲労。それだけで眠気がくるほど。
無意識に落ちてくる瞼。逆らうことなく目を閉じたシン。
いいの、とユーリがにんまり笑う。
目を開ければいつの間にかユーリがベッドサイドに腰掛けて、シンを見下ろしている。
何がだよ、とシンは眉根を寄せた。
「僕、言ったろ? ミーユは馬鹿だけど一途だって」
肩を竦める姿に、シンはユーリの言葉を反芻する。
馬鹿だけど一途。それはシンが仕事に出る前、ユーリがミーユに下した評価。なぜその話になったのか、ゆらゆらと揺らめき、落ちそうになる意識の下思い出す。霧散しそうな意識のせいでなかなか至らなかったが、ようやく至ったとき、何とか落ちかけていた瞼を持ち上げた。
「あー……諦めてなかったな、確かに」
嫌そうに顔をしかめる。
今までは、一月も帰らなければ諦める者ばかりだった。ミーユ相手にもつい、そのつもりでいた。まじかよめんどくせぇ、と思わずぼやきながら、ふと、シンはユーリを見る。ベッドサイドに腰掛け、何故か自分の上にのしかかっている。その手はシンの服にかかり、脱がそうとしていた。
「おい」
思わず低い声が零れる。
けして先ほどのような意図が見られる手つきではないが、穏やかな気はしない。
何している、と問えば、どぅふ、と楽しげな笑い声と共に、どこに持っていたのか、真っ白な寝巻を取り出す。
「シンがこれ着てるの見たくって」
ぴらんと振られる寝巻。レースとフリルをふんだんに使い、胸元も襟首も、手首も裾部分もひらひらと鬱陶しい。女ものだろうかと思うが、サイズ的に男用。むしろ、シンやユーリのような一般的な男にさえ大きそうだ。わざわざ嫌がらせに手縫いでもしたのか、と思うが、ユーリにそんな技術はないな、と即否定する。
とりあえず出所は些細なこと、そんな不気味なもの、着せられてたまるか、とシンはユーリの手を払う。そうすればユーリは、げへへ、と喜色悪い笑い声をたてながらシンの上に跨った。
「これ着てれば流石のミーユも夜這いとかしないから、着ちゃおうよ」
にやにやと、あからさまに楽しんでいることを隠しもしない笑顔を浮かべるユーリ。フリル満載のその服に、シンは顔をしかめ、ユーリの手首をつかんで動きを阻害する。
なぜこの男は一度で多数の欲望を満たそうとするのか。
シンは疲れた体に鞭打ってユーリを抑え込みつつ、そんなことを思う。確かに、一度で複数をこなすのは合理的だろう。それが仕事や生活に関することなら、シンとて特に何かを言ったり思ったりしない。だがユーリは、他者へのちょっかいと言う名の嫌がらせの時にだけ、行う。
こっちは疲れてるんだ、いい加減にしやがれ。それなら観念して着ちゃいなよ。ふざけんな、お前が諦めろ。嫌だね、僕は僕が楽しめることには妥協はしないよ。
二人の攻防。ベッドの上で時間だけが過ぎていく。
ベッドの上、という部分だけを見れば、人によっては色めくことかもしれない。けれども、残念ながらこの二人にそんなことを期待するようなことは起きない。だというのに都合よくも色めく存在が一人、いる。そして二人はそのことをすっかり忘れ、互いの意地を通そうと無為に過ごしていた。
ばぁん、と破壊され、吹き飛んできそうな勢いで扉が開く。
「にゃぁあん。ユーリ、シンにドッキリ成功したかにゃぁんってうぉおおお!? ユーリがシンに全力で迫ってる!? ハッ!? やっぱり二人はそういう関係だったかにゃ!? アタシは二人のマンネリ対策に都合よく使われたのかにゃ!? 酷いにゃ! 乙女の純情を返せやコラッ! シンなら旦那さんにしてもいいって思ってたのに! クソ野郎どもは他人を巻き込まず、二人でアチチしとけにゃ!」
入ってくるなり、何やら暴言と上から目線を含ませながら大騒ぎするミーユ。全身の毛は膨れ上がり、目は涙を浮かべている。負け惜しみ的に喚いているのが、傍から見てもわかる姿。
ほんの僅かとは言え、ちょっと良いな、と思っていた相手。ある意味始まる前に終わったような、そんな淡い形にさえならずに消えたものの痛みに、ミーユが気づくことはない。なぜなら、彼女の声が辺り中に響き渡ったから。
「なに!? 久しぶりにシンの家に乗り込む猛者が居たって!?」
「マジかよ!」
「おい! 皆、賭けの時間だぞ!」
バタバタと掛けてくる足音。近隣の部屋を借りているハンターと、そのハンターたちの伝達網で情報得たハンター達。あっという間に、シンの借りている部屋の入り口には人だかりができた。
「よっし、張った張った! シンが陥落する、なら青の帽子。防ぎきるなら赤の帽子だ!」
シンの隣人ハンターが手際よく帽子を並べる。その、あまりに慣れた姿に、この賭けが初めてでないことがわかる。
「うぉおお! シンが陥落する方に俺は賭けるぜ!」
「俺もだ!」
「アタシも!」
「こうなりゃヤケだにゃ! 今日の稼ぎ、全額青に賭けるにゃ!」
次々と青の帽子に、名前入りの小銭入れが投げ込まれる。隣人の男も当たり前のように青の帽子に投げ込んだ。
「おいおい、誰か赤に入れろよ! 賭けになんねぇだろぉ!」
「そういうお前も青じゃねぇかよ」
「ぎゃはは、ここで赤に入れるようなチキンいねぇだろ、ばーか」
真昼間だというのに既に酒でも入っているのか。異様に高いテンションのまま、次々に青に放り込まれていく小銭入れ。
何あれ、と思わず目で問うユーリに、シンは深い溜息を零した。
シンがハンターになって八年。その間に、シンに熱を上げる女が何人もいた。そしてその中には、大家を騙して部屋にあがりこむような強者も。最初こそはリア中爆ぜろ、とやっかみを受けていたシンだったが、いつしか同情の目を向けられるようになった。誰だって、好きでもなんでもない女に追い掛け回され、揚句に勝手に部屋に上がりこまれれば嫌にもなるだろう。安心できるはず家に帰れず、何日も路上で寝る姿が目撃されたからかもしれない――ユーリが偶々見つけ、そんな時は自分の店か孤児院に行けばいい、と助言をしてからは路上で寝ることはなくなったが。
この賭けは同情されるようになってから始まった。初めは陥落と防衛半々だった。そのうちシンには思い人がいる、という事を知ったハンターたちは、確実にありえない方、に賭け、集まった金でパーッと騒ぐようになった。要は、シンをダシに宴会をする費用をカンパしているだけ。
話を聞いたユーリは、なるほど、と呆れたように笑った。相変わらず、君達は仲が良いね、と。
その宴会にシンは一度も呼ばれたことがないが、出来上がった近隣住民ハンター達が、酒や肴を手に部屋に押し掛け、朝まで騒ぐまでが一連の流れ。ユーリの言葉に微妙に反論できず、シンはそっと視線を逸らした。そして無理に話題を変えようとする。
「あー……っと、おい、こいつは友人で、そういうんじゃねーぞ」
「そうだよ。僕はただシンにこの寝巻、着てほしいなって思っただけだよ」
いつものようににんまりとした笑みを浮かべ、鈴の鳴るような可憐な声の、残念美女姿をしたユーリ。その両手にあるのは、繊細なレースとフリルがふんだんに使われた純白のネグリジェ。
す、とシンの目から生気が消えた。禄なことをしない、と怒るよりも、無心になることを選ぶシンに、ユーリが首を傾げる。
裕福で優雅な世界に生きている女性くらいしか着そうにない見た目のソレに、数瞬、時が止まった。恐ろしいほどの沈黙ののち、起こる大爆笑。
「よーっし、張った張った! あの服をシンが着るなら青に、着ないなら赤だ!」
「うぉおお! シンが着る方に俺は賭けるぜ!」
「俺もだ!」
「アタシも!」
「こうなりゃヤケだにゃ! 昨日の稼ぎ、全額青に賭けるにゃ!」
「おいおい、誰か赤に入れろよ! 賭けになんねぇだろぉ!」
「そういうお前も青じゃねぇかよ」
「ぎゃはは、ここで赤に入れるようなチキンいねぇだろ、ばーか」
新しい小銭入れが次々と青の帽子に放り込まれる。ミーユが本日分に続き、昨日の稼ぎも景気よく投げ込んでいる姿が見えたような気がした。
ああ、いいさいいさ、どうせ俺は玩具みたいなもんだ、と拗ねるシン。
ちょいちょい、と服を摘まんで、ユーリは拗ねるシンの関心を引く。
「あんだよ」
「ねぇ、あれって、もし本当に君が着たらどうなるの?」
「は? ああ、いや、結論はかわらねぇよ。不成立で結局宴会だな」
どうせ彼らは飲みたいだけだ、と苦笑する。その理由としてシンは使われているに過ぎない。何それ、と思わず笑うユーリも、呆れているというより、仲の良さに感心しているように見受けられる。
「騒々しい! 何の騒ぎだ!」
収まりつかず、騒ぐハンターたちに、流石にどこからか苦情が来たのか。騎士がやってきた。しかし、ここはハンター通り。酒場ののんだくれよりは理性的だが、基本が自由に楽しく暮らす者達の集う場所。騎士相手に怯むような者はいない。
「お、騎士様、アンタもどうだい?」
経緯を説明し、賭けに誘う者まで現れる。
駆け付けたはずの騎士も、あまりのくだらなさに呆れて顔を歪めた。しかし、次の瞬間、人垣が綺麗に左右に分かれ、騒ぎの原因となった部屋の中身が見える。
ベッドの上、寝転ぶハンターの男。その上に跨る、美女。
「あの男があの服を着る方に」
す、と冷えた目をシンに向けたのち、騎士はそう言って懐から金貨を一枚取出し、青の帽子に投げ込んだ。
八つ当たり気味な願望を込めて投げ込まれる金貨。わざと中を見せたハンター達は、げらげらと笑い転げる。そして湧き上がる『腹をくくって服を着ろ』という謎の掛け声。周りからの要望に応えねば、と嬉々として迫りくるユーリ。全力で拒むシン。しまいにはハンターたちがまぁまぁ、と意味の分からない言葉を投げかけながらシンを取り押さえ始めた。
服も半分以上はぎとられ、あわや、という瞬間。
「騒々しいぞ」
低く、腹の底にずしっと響く、静かな声。一瞬で辺りは静まり返った。美女に迫られる幸運に暴れるシンに対し、腕を組み、冷ややかな視線を投げかけていた騎士も、思わず背筋を正す。
縦に高く、横に広く、奥行きの厚みも十分な大男がゆっくりとした足取りで、けれども驚くほどの速さで近づいてくる。
「せ、聖騎士長様!」
「何の騒ぎだ」
「あ、いえ、あの」
「カイン聖騎士長様。こちらのハンターがおねむだと言うので、寝巻を着せようとしたのですが、いやいやと子供のようにぐずるので、仕方なく皆で着替えさせていたところです」
言い淀む騎士に変わり、ベルトに手を伸ばしていたユーリがにんまりと笑う。誘うように割れた人垣の間を通り、シンの部屋に窮屈そうに踏み込んだカインは、ふむ、と頷いた。
「君か。化粧は女性の嗜みだろうが、あまり濃い化粧は、男側からするといかがなものかと思うぞ」
パッと見、ナチュラルメイクなユーリに対し、とんでもない一言を言い放った。
確かに、ユーリは平凡極まりない顔で、この美女顔は完全に化粧で作りあげている。だが、ナチュラルメイクに見えるように、ミーユの渾身の力作だ。真実を知っているユーリ、シン、ミーユ以外の全員が、カインの言葉に何を言っているんだ、という視線を向けた。恐るべきミーユの腕。この場にいる女性ハンターの目さえも欺いていた。
そもそも、男性が女性の化粧等身だしなみに関するおしゃれに口を出すのは好まれない。よほどどうかと思う奇抜なものでない限り、口にしないのは暗黙のマナーというもの。助言のつもりだとしても女心がわかっていない、と嫌われる。
それを平然と口にしたカインの、ポンコツっぷりを知っているシンもユーリも気にしないが、ミーユは明らかに残念な者を見る目を向けた。そしてシンとユーリは、ミーユにそんな視線を向けられた、という事実に残念そうな視線を向ける。だが、カインが気づくことはない。
「それとそっちの君。いい大人なのだから、寝巻ぐらい自分で着るべきだと思うぞ」
「それが男物の寝巻なら着替えます」
まるで子供を諭すかのような言葉に、シンは憮然とした表情を浮かべる。しかしカインは、ユーリの手に握られたネグリジェに首を傾げた。それのどこが不満なのか、と。
ユーリの持っているそれは、真実、裕福なご家庭でなければ手に入らない高級品。布も、レースも、何もかも一級品を使用されている。貴族であるカインは、ちらりと見ただけで即座に理解した。手にされたその一枚で、騎士の給料一年分よりも高価なものだと。なぜそんなものをユーリが持っているのかは知らないが、相手がユーリなので気にしない。
「それは男性用だ」
「そんな見た目が男性用だとは認められません」
「そうなのか? 同じものを私は使っているが?」
そこまで口にしたカインは、ああそういえば、と頷いた。
「二年前、頼んだ仕事の報酬に、と望んだやつか?」
それは、と指差す。それにユーリはにんまりと笑った。それ以上は何も答えない。
色々と情報量が多く、一瞬、純白フリルレースの寝巻を着た美丈夫を思い浮かべて混乱したシン。正気に戻っても場所が場所なだけに面前とののしることもできず、ひっそりと額に青筋を浮かべる。そんな前から用意周到にアホな物を準備するユーリを睨み付け、後で覚えていろよ、と呟くにとどめた。
二週続けて趣味に走ったトドです。
皆様おはようございます。
白いひらひらネグリジェを着た、パンチパーマの50代っぽそうないかついおっさんが、夢に出てきました。
何を暗示していたのか、私の深層心理とはいったい何なのか、ちょっと悩みました。
が、そのままネタにしましたw
カッとなって書いた!
後悔はしていない!
誰か、私と同じような趣味の人、いたらいいな、とか思ってる!




