60 お帰りなさいは疲労と共に
一月半ぶりの帰宅。
長期契約で借りていた部屋の更新料を支払い、鍵を手に帰る。
本当なら先に教会へ寄って、半分を寄付したいところだが、流石に疲れが勝っていた。とにかく自室へと戻り、いつものあの硬いベッドで泥のように眠りたい。いかに前もった知識として知っていて、ある程度準備をしていたとはいえ、なかなかに気を張る日々だった。
緊張は知らずうちに疲労を溜め、帰りの道程では一緒に移動していたハンターに笑われたほど。城門をくぐってすぐ、さっさと帰って寝な、という言葉とともに、肩を叩かれた。もちろん、シン自身そうするつもりだ。
鍵を開けようとしたシンにかかる声。そちらへと目を向ければ、隣の部屋を借りているハンター。
久しぶり、お帰り、とかかった声に、ただいま、と返す。
ハンター同士は仲が良い。雇い主の意向で一緒に雇われたり、利害の一致で臨時のパーティを組むことがある。そういった時によく知らない相手だから、と連携が組めないと仕事のミスに繋がる。そして仕事のミスは今後に響く。ゆえに、初めて見る顔には自分達から積極的に声をかけていく。
ハンターはゴロツキとそう変わらない。ルールを知らない新人が騒ぎを起こせば、ハンター全員が白い目で見られる。それを防ぐため、新人は先輩ハンターがきっちり教育する。この教育のおかげで、外へ出た際も生存率が格段に上がるのだから、誰も損はしない。
「疲れてんな」
慣れたように声をかけ笑う隣人に、シンは苦笑を浮かべ、軽く肩を竦めて見せた。
「ああ、ちょっとな」
「飯にでも誘おうかと思ったけど、休んだ方が良さそうだな。また今度誘うよ。今日はゆっくり寝な」
「そうするよ」
また今度、と軽く片手を上げ、鍵を開ける。扉に手をかけた時だった。
遠くからシンを呼ぶ声。
砂埃を巻き上げながら走ってくる存在。
ス、とシンの目から生気が消え、目の前の扉ではない、どこか遠くを見る。今までシンと会話していたハンターは、こちらへ向かってくる相手を見、何とも言えない生暖かい微笑みを浮かべた。目には笑顔同様、生暖かい光が宿っている。
「しーーーーんーーー!! やぁああっと帰ってきたにゃぁああん!! さぁさぁさぁ、ユーリとのバディを解消して、アタシとバディ組んでにゃぁあああん」
両手を高々と上げ、満面の笑みで走り抜けてくるミーユ。びよん、と奇妙な効果音がつきそうな様子でシンへと跳びかかる。シンはそれを半歩右へずれ、体を横向きにして避けると、ミーユが己の正面を抜けざまに、その背を押した。
「へぶしっ」
普通なら自分で跳んだ距離。着地点も理解しているはずだが、力技で背を押され、勢いづいたミーユは、身体の前面全てで扉とキスをすることとなった。
最早扉だったかと首を傾げたくなるほど綺麗に、扉と一体化したミーユ。一部始終を見ていた隣人は横を向き、笑いを堪えている。そんな中、シンは無心を貫き、ミーユの襟首を摘まんだ。そして後方へと投げ捨てる。
ごろごろと三回転ほどしながら転がるミーユ。ヴォブゥッと女性にあるまじき声を上げ、今度は地面と全身でキスをする。
とても女性に対する行動とは思えないが、誰も気にしない。
ミーユはこの界隈で残念な女性として有名だし、そもそもハンターとは、そういうものである。
「お疲れさん。ゆっくりな」
「ああ」
くっくっと堪えきれない笑いを零し、片手を上げた隣人に、げっそりとした声で返し、部屋へと入る。
内開きの扉。そこから全てが見える狭い部屋には、備え付けのベッドが一つ。その隣にやはり備え付けの小さな棚。壁に立て掛けられた予備の短剣が二本と、壁に打ち付けられたコート掛けに吊るされた革製のベルトは、投擲用のナイフホルダー。それが、この部屋の全て。
着替えとタオルはシンの膝より低い、小さなその棚に収まるだけ。
基本的に物がない。
シンは殆どユーリの店で過ごしているので、持たなくとも生活ができる。他のハンターの部屋に招かれたことがあるが、大体どのハンターも足の踏み場がない状態だった。そのせいか、シンが偶にこの部屋に居れば、他のハンターが押し掛けてくる。そして飲み会が始まるのだ。シンとしては、きちんと後片付けはされるのであまり文句はない。
旅人のマントを脱ぎすて、愛用の短剣を鞘ごとベッドの枕元に置き、腰のベルトをポシェットごと外し、棚の上に置く。
久しぶりの自室。気が抜けていた。音もなく後ろから伸びた白い腕。体に巻きついて初めて気が付いた。それは、ハンターとしては致命的な事態。驚きに一瞬に硬直する体。振り払うより先にベッドに押し倒される。
「うふふ、つぅかぁまーえた」
甘い声が楽しげに響く。
聞いたことのない声に、シンは眉根を寄せ、相手を確かめようと体を捻った。いかに後方から抱きつかれようと、ハンターとして鍛えられたシンと、女性では力は雲泥の差。あっさりと絡みつく腕、という名の拘束を解き、仰向けになる。
シンが仰向けになったため、腹部に乗る状態となった女。
銀髪の清純そうな美女。満面の笑みを浮かべている。普通の男なら喜ぶべきその状態。けれどもシンは、心の底から嫌そうに顔をしかめた。
「どけ、ユーリ」
「あれぇ、もうバレちゃった?」
溜息と共に言えば、美女が首を傾げる。柔らかく、清純そうな笑みが、にんまりとした胡散臭い笑みへと姿を変えた。美女の顔に浮かぶ見慣れた笑みに、再度溜息がシンの口から零れ落ちる。
「当たり前だろうが」
何年お前と居たと思っている、お前の顔を見間違うか、そう呆れるシンに、残念そうな、けれどもとても楽しそうに笑うユーリ。相変わらず上に乗ったままどこうともしないユーリに手を伸ばし、再度どけ、と短く声をかける。
ぐ、とその体に手をかけるも、驚いて離した。
シンが押した腕が、ぐにゃりと形を変えた。ただそれだけだが、その、普通の女のような柔らかさに驚愕する。掴んでいた手を離し、思わず自分の手を見つめた。なんだぁ、と上がった声は明らかに困惑している。
「お前、太ったのか?」
「違うよ! どうしてそうなるんだい!?」
首を傾げ、真顔で問うシン。反射的にそれに噛みつくユーリ。
ぐにゃぐにゃになるほど太ったような見た目にもなっていないというのに、自分のことをなんだと思っているのか。そう噛みつく。
「女の子になったの! ほら!」
シンの手を掴むや否や、ぐいっと無遠慮に引っ張る。そして、胸元の膨らみに押し当てた。そのまま、ほらほら、と押し付け続ける。
掌に当たる柔らかさに、シンは首を傾げた。
「へぇー良くできたニセモンだな」
「いや、本物だよ。女の子になってみたよ。これで男女だからオッケーだね?」
にんまりと笑うユーリ。
ユーリの言った言葉を数度反芻し、シンの顔からゆっくりと血の気が引いていく。ユーリを見る目に浮かぶ驚愕。何か、得体の知れないものを見るような、そんな光が宿る。
「どけっこの変態野郎!!」
「ぎゃふっ」
下から全力の拳が振るわれ、ユーリの顔面にヒットした。
普段なら男同士のじゃれあい。けれど、今は男のシンから美女への暴行にしか見えない。だがシンはそんなことを気にしない。身の危険に全力を賭して逃れようと動く。けれども、ユーリはしっかりと太ももでシンの腹を挟み、シンの逃亡を阻む。
「ふ、ふははは、諦め給え、シンちゃん! だいじょーぶ、だいじょぶ! 痛いのは君じゃない、多分僕だ。君は気持ちイイだけだよ」
「ふざっけんな! 変態野郎! アホか!」
「ふざけてないよー。言ったじゃないか、嫁においでって。君が嫁に来てくれないなら、僕が嫁に行けばいいでしょ? ははは、役に立ったね、性転換の妙薬!」
ユーリの言葉に、去年、カリオン湖に行った時が思い出される。
失敗の産物とかいう性転換の妙薬。
絶対に違う、とシンは苛立ちを覚えた。目の前の頭が良すぎて頭がおかしい男は、錬金術において失敗などしない。絶対に、わざわざ拵えた。自分が使うか、シンに使うか、どちらが面白いかで悩んでいたに違いない、と本気で思う。シンの思う、シンの知る、ユーリという男は、そういう男だから。
人の腹の上に乗り、太ももでがっちり拘束したまま、わきわきと手を動かす美女。先程顔面に拳を受けたせいで鼻から一筋、赤い筋ができているのが、また気持ち悪い。絶対にこれがやりたかったに違いない、そう、シンは確信した。
「はっはっは、残念だが君に逃げ場はない! 観念したまえ、シン! それとも、ご希望とあるならば、この姿のまま、君を抱いてあげるよ。それなら痛いのは君の方だね!」
「オルァッ」
「がっふぁっ」
まるで悪役のようなセリフを吐き、のしかかるユーリ。その胸倉を両手で掴んだシン。問答無用でユーリの顔面に頭突きを入れる。
なかなかに重たい音が響き、流石のユーリも顔面を抑え、後方へと倒れた。
自由になったシンは額を抑え、倒れたユーリは顔面を抑えたまま、ごろごろとベッドの上で転がる。ユーリからは、ぬぉぉ、と美女にあるまじき声が漏れていた。
先に起き上がり、距離をとったのは当然、シン。ユーリは未だに転がっている。
「おン前、いいかげんにしろよ? 俺は疲れてんだぞ?」
「あいたたた、いやぁ、でも、こんな美女に迫られて、疲れも吹き飛んだだろう?」
「余計に疲れたわ!」
バチコンと音が立ちそうなウィンクと共に、両手の人差し指で指差すユーリに、シンは苛立ちのまま答える。対してユーリは、スナップのきいた切れの良い突っ込みに、感動した。このひと月半、圧倒的に足りていなかったものを全力で補給する。
はぁ、と深い溜息。
顔の右半分を手で覆い隠したシンは、呆れたようにユーリを見る。
「あのなぁ、お前、少し危機感ってのを持ったらどうだ? 俺がその気になって手ぇ出したらどうするんだよ? 力の差は歴然だろうが」
「それはそれで美味しいんで問題ないよ」
「このクソ野郎!!」
ぐっと親指立てて全力笑顔と共にサムズアップするユーリ。常識の通じない相手だった事を思い出したシンは、嫌そうに顔をしかめた。
「で? なんだ、その恰好は」
これ以上それについて会話したところで、どうせまともな会話にならない。早々に諦めたシンは話を変える。一応警戒して、ベッドには近寄らず、背を壁に預けた。
「これ? 可愛いでしょ?」
「可愛い? ん、まぁ美人だな」
鼻血と、腫れ上がっていく頬を見ないことにして、上から下までを見たシンは素直に答える。それに満足げににんまりとした笑みを浮かべるユーリ。当たり前のように、ベッド近くの棚の上に置かれたポシェットをあさり、中からポーションの瓶を取出し、中身を呷る。
人のモンを、とシンは思うが、薬に関しては、基本的にユーリの好意で古いものを新しいものへと入れ替えてもらっている。あまり強く言えないため、黙ってそれを眺めた。
頬の腫れが引いた美女が、男らしく親指で鼻血を拭う。
「ふふん! シンの好みに仕上がるよう、ミーユに仕上げてもらったんだよ! 感謝してよね!」
「いや、要らん世話だからな?」
ドヤ顔で胸を張る姿に、がっくりと肩を落とす。
何故にあれほど疲れる日々を過ごした後に、気を抜けるはずの自室で疲れねばならないのか。理不尽な押し掛け相棒を目の前に、シンの溜息は止まらない。仕方なくそれで、と続きを促した。
「俺がいない間に何があった?」
「そうだねぇ、錬金術学校が焼け落ちて、明日、校長と教頭が処刑されるって。それ以外の教師は奴隷落ちだってさ」
「はぁ??」
予想外の言葉に驚き、ぽかんと口を開く。それほどの事。
ハッとしたようにユーリを見る。一年も使わなかった性転換の妙薬。なぜ、今なのだろうか、と疑いの眼差しを向ける。
「お前、何したんだ?」
「何のこと?」
にんまりとした笑みが答える。しばらくその笑みへと探るような視線を向けるが、ユーリは微動だにしない。答える気がない、とはっきりと理解できる態度。
本日何度目かわからない溜息を零し、それで、と促した。
「暴動が起きたんだよ。あの戦争の絡繰りを知った民衆が、怒り、手に松明を持ち、押し掛けた。そして、松明が投げ込まれた」
錬金術では火薬や爆薬の取り扱いがある。そして、それらは敷地内の店で売っていた。投げ込まれた松明。火が付き、大規模な爆発が起きた。そして、爆発は何度も繰り返され、大きな炎となって学校を飲み込む。
さながら魔女を断罪する、火あぶりの刑場のようだったよ、と続く言葉。そりゃぁ怖ぇな、とシンは顔をしかめる。
「あまりに酷い状態で、騎士隊が出た。で、火は何とか鎮火したんだけど、校長が狂ったように、民衆の言葉を肯定するような暴言を吐き散らかした。それで、学校関係者は全員捕縛。校長教頭は内容が内容だけに処刑。でも、国から錬金術師が消えるのは問題、というわけで、その他の先生は奴隷落ちで、首輪をつけられた状態で今後は真実、国のためだけに錬金術を行うこととなったのさ」
「なんか、俺がいない間にすっげぇ事になってんのな」
にんまりと笑うユーリ。
こいつが民衆を扇動したに違いない、と確信しつつもそれ以上口にしない。ユーリが知らない、といえばユーリは知らないだろうし、ユーリが僕じゃない、と言えば彼は何もしていない。それが、シンの中の真実。
二人の関係は、他人が見るより希薄で、シンが思う以上に固い絆で結ばれている。それをもたらすのは、ユーリの言動で、シンの言動。
だから、これでいいだろう? そう、誰に言うでもなく、シンは笑った。
雨が降ると頭が痛くなるトドです。
皆様おはようございます。
ああー!
やっとつかえた!!
一章のカリオン湖で出したネタ!
ずっと書きたかったんです。
すっきりしました~♪




