救済6:野蛮人の襲来!絶体絶命の悪女!
ラプラス家の邸宅は、今や完全なる「狂気の箱庭」として完成していた。
秋の陽光が差し込む昼下がり。
大広間に設置された特別捜査本部では、天才探偵アリシアが仮面の死神の足跡を追うフリを続け、当主ルミナリアは優雅にそれを見守っている。そして、メイドのシャルロッテは二人に仕えていた。
「……シャルロッテ。今日の紅茶は少し渋みが強すぎますわ。何度言えば完璧な温度で抽出できるようになるの? 貴女の無教養が舌にまで表れているようですわね」
ルミナリアは、冷酷なまでに高圧的な態度でシャルロッテを叱責した。
「申し訳ございません、ルミナリア様ぁ……すぐに淹れ直してまいりますの!」
シャルロッテは深く頭を下げ、怯えたようにトレイを抱える。
その様子を見て、アリシアもまた、氷のように冷たい視線をシャルロッテに向けた。
「シャルロッテちゃん。あそこの棚の埃、ちゃんと拭いておいてちょうだい。……メイドとしての本分すら果たせないなら、この捜査本部に居座る資格はないわよ」
「は、はいぃ……! すぐに清掃いたしますわ……!」
知性と権力を持つ二人の天才から、身分も能力も無いメイドとして、徹底的に見下され、否定される昼の光景。周囲の警官たちも「あのメイドはいつも怒られているな」と同情の視線を向けるほどだ。
だが。
太陽が沈み、重厚な扉に防音結界が張られる『夜』は違う。
「ああっ……シャルロッテ、もっと……私を……っ!」
「ルミばかりずるいわ……私にも、貴女の愛を……っ!」
闇に閉ざされたベッドルームで、昼間は傲慢に振る舞う当主と、純白の正義を掲げる名探偵が、一人のメイドの足元に縋り付き、その肢体と愛を貪り合っている。
ルミナリアは、自身が仮面の死神であるという重圧と罪悪感を。アリシアは、親友の罪を隠蔽するという探偵としての敗北と絶望を。それらすべてを忘却するために、シャルロッテという泥沼のような快楽と支配に完全に依存していた。
シャルロッテがいなければ、二人ともとうの昔に発狂し、自死を選んでいたに違いない。
シャルロッテこそが、この邸宅を裏で支配する絶対の『王』であった。彼女は二人の天才を夜ごとに組み敷き、その絶望を甘く啜りながら、自分がこの世の全てを支配する最強のジョーカーであると確信していた。
だが、この愛と憎悪が入り混じった無敵の牙城に。
さらなる、そして『真の規格外のジョーカー』が混入することになる。
その日の午後。
ラプラス邸のエントランスの重厚な扉が、ノックもなしに乱暴に蹴り開けられた。
「あら。随分と物々しいお屋敷じゃないの。探偵の真似事にしては、金がかかりすぎているわね」
透き通るような、それでいて芯に鋼を秘めた凛とした声。
そこに立っていたのは、一人の小柄な女性だった。
日に焼けた健康的な褐色肌に、夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪のロングヘアー。真紅の瞳は宝石のように鋭く光り、貧弱な胸元を覆う黒系のドレススーツが、彼女の異端な空気を際立たせている。
手には、無骨な『鉄扇』が握られていた。
「お、お姉様……!?」
アリシアが目を見開き、捜査資料を取り落とした。
ナラティブ・ヴェリタス。
アリシアの義理の姉であり、世界最高の魔導士と謳われるエラーラ・ヴェリタスの実の妹。アリシアがラプラス邸に泊まり込みで帰ってこないため、休暇がてら様子を見にやってきたのだ。
「久しぶりね、アリシア。エラーラが心配していたわよ」
ナラティブは、ヒールを鳴らして広間の中央へ歩み出ると、ルミナリア、アリシア、そしてシャルロッテの三人だけを見据えた。
ルミナリアは、とっさに貴族の仮面を被る。
「お初にお目にかかりますわ、ナラティブ様。わたくし……」
「挨拶はいいわよ」
ナラティブはルミナリアの言葉を遮り、目を細めた。
魔力など一切ない。学力も一般人以下。だが、彼女の『感性』は、理屈を遥かに凌駕する次元に到達していた。
ナラティブは、ふっと妖艶に、しかし絶対的な強者の笑みを浮かべて言い放った。
「あ。もう分かったわ。……多分あんたが『仮面の死神』ね。でー、アリシアはそれに気づきながら、隠蔽に加担していると。そして……」
ナラティブの真紅の瞳が、部屋の隅で気配を消していたメイド、シャルロッテを射抜いた。
「……このおままごとを支配しているのは、そこのメイド。……ってあたしの見立てに、狂いはないわよね?」
ピタリ、と。
大広間の空気が、文字通り凍結した。
ルミナリアの顔から血の気が引き、アリシアの膝がガクガクと震え出す。
シャルロッテでさえ、背筋に冷たい氷柱を突き立てられたような悪寒を感じ、目を見開いた。
証拠など一切ない。事情聴取もしていない。
ただ「その場にやってきて、見ただけ」で、ナラティブはこの密室の地獄のすべてを、一言で、寸分の狂いもなく言い当ててみせたのだ。
これこそが、王都最高の解決率「100%超え」を誇る探偵、ナラティブ・ヴェリタスの真骨頂であった。
「お、お姉様……!そ、それは……」
アリシアが必死に言葉を紡ごうとするが、喉が引きつって声が出ない。
だが、ナラティブは興味なさそうに鉄扇で肩を叩いた。
「安心なさい。あたしはね、あんたたちのチンケな連続殺人事件になんて、一切興味がないの。誰が誰を裁こうが、誰が誰に抱かれようが勝手になさい。……精々、破滅する瞬間まで、その泥水の中でおままごとを楽しみなさいな」
ナラティブは、アリシアの頭を乱暴に、しかし深い慈愛を込めて撫でた。
「あんたが自分で選んだ地獄でしょ?なら、最後まで一人で背負いなさい。背負う気がないなら、逃げなさい。あたしゃ帰るわ。ビールとステーキが待ってるの」
くるりと背を向け、去ろうとするナラティブ。
その時、シャルロッテの頭脳が猛烈なスピードで回転を始めた。
(……この女、危険すぎる。直感だけで全てを見抜いてくる……懐柔できるか……?)
シャルロッテは、ナラティブの視線の動き、匂い、立ち振る舞いから、瞬時に彼女を「読み取った」。
(なるほど!……女好きか!それも、相当な)
シャルロッテはメイド服の裾を僅かに引き上げ、艶やかな太ももをチラつかせながら、ナラティブの前に立ち塞がった。
「……ナラティブ様。お帰りの前に、少しだけわたくしとお話し、しませんこと?わたくし、貴女に極上の『奉仕』をさせていただきますわ。何でも……」
それは、シャルロッテが、ルミナリアとアリシアを陥落させた、最強の武器。
底なしの魔力と色香による、精神の掌握。
だが!
ナラティブは、シャルロッテを頭のてっぺんから足の先まで冷ややかな目で見下ろした。
真紅の瞳に浮かんでいたのは、欲情ではなく、圧倒的な『憐憫』だった。
「……器をわかってないわね」
ナラティブは、シャルロッテの顎をクイッと持ち上げた。
「うーん。……あのねえ、あたしは確かに女好きよ。でもね……」
ナラティブの瞳の奥で、暴風のような覇気が渦を巻いた。
「あんたみたいな、テロリストじみた女の身体なんて、抱く価値、ないわ」
「……こいつ……!!」
シャルロッテの黄金の瞳が、憎悪と殺意で極限まで見開かれ、全身から高密度の魔力が顕現し始めた。
「待って!!シャルロッテ!!やめて!!」
その時、アリシアが悲鳴のような声を上げ、シャルロッテとナラティブの間に身を挺して飛び込んだ。
「アリシア様……退いてください。この女を生かして帰せば、ルミナリア様が……ッ!」
「違うの!!違うのよ!!貴女が死ぬわ!!お姉様を敵に回したら、私たちが破滅するのよ!!」
アリシアの顔は、かつてないほどの恐怖に引きつっていた。
彼女は、自身の義姉がどれほどの『怪物』であるかを、誰よりも熟知していたからだ。
「シャルロッテ……!お姉様は、ナラティブ・ヴェリタスは魔法なんて使えない。でも、そんな『次元』じゃあないの!」
アリシアの口から語られるナラティブの戦歴は、魔法や科学という常識を根底から粉砕するものだった。
先日、王都の上空に飛来したテロリストの巨大空中戦艦。ナラティブは空軍の制止を振り切り、たった一人で飛び乗り、「拳一つ」で分厚い装甲を叩き割り、エンジン部を素手で粉砕して墜落させた。
港湾都市を襲った巨大魔獣。 海軍が全滅する中、ナラティブは海の上を走り、「蹴り一発」でその魔獣の頭蓋を粉砕し、海を真っ赤に染め上げた。
そして、先月の「カマキリ男」連続殺人事件。 犯人の凶刃によって右腕を肩から切り落とされながらも、ナラティブは一切怯むことなく、残った左腕だけで相手の全身の骨を粉砕。肉塊となった犯人を、まるで虫かごに入れるかのように片手で王都警察のロビーに投げ込み……その後、暇つぶしに行くような足取りで、自身の切り落とされた腕を拾って病院へ向かい、そのまま蘇生手術を完了させたのだ。
「……世界最強はエラーラお姉様だと言われているけれど、それは間違いよ。一切の魔法も、物理法則すら通用しない……ナラティブお姉様こそが、この世界で、最強なのよ……!」
アリシアの絶叫が、大広間に響き渡る。
ルミナリアは、腰を抜かしそうになっていた。
自分がいくら完璧な知性で完全犯罪を目論もうと、この女がその気になれば、邸宅ごと拳で粉砕されて終わるのだ!
そして、シャルロッテは。
ゆっくりと、自身の身体から溢れ出していた魔力を霧散させた。
シャルロッテの嗅覚は、アリシアの話を聞いた今になって、ようやく、ナラティブの奥底に眠る『底の見えない本当の暴力』を感じ取っていた。
もし先程、自分が魔法を放っていれば。
発動する前に、自分の首は鉄扇で刎ね飛ばされていただろう。
(……わたくしは、なんて愚かなのだろう)
シャルロッテは、ガタガタと震える己の手を強く握りしめた。
三人の閉じた世界で神を気取り、ルミナリアとアリシアを支配して全能感に浸っていた自分。だが、世界には、己の知性も、魔力も色香も一切通じない、圧倒的な本物が存在している。
ナラティブの底知れない強さに、直接対峙するまで全く気が付かなかった自分。
シャルロッテは、自分が所詮、狭い箱庭の中で粋がる『三流の悪党』に過ぎないという絶望的な事実を、魂の底から思い知らされたのだ。
「……じゃあね、アリシア。ま、せいぜい、仲良く地獄に落ちなさい」
ナラティブは、恐怖に凍りつく三人を背に、一度も振り返ることなく、ヒールの音を響かせてラプラス邸を後にした。




