表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
熱血×百合:ラプラスの背理法  作者: LIU
第一部・悪を屠る者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/14

救済1:悪魔に希望を与える悪女!

豪奢な天蓋付きのベッドに腰掛けたルミナリア・フォン・ラプラスは、最高級のシルクで設えられたハンカチを口元に当て、咳き込んだ。

肺の奥で小さく鳴る嫌な音。

ほんの少し深呼吸をしただけで、目眩が視界を歪ませる。ラプラス公爵家という、この国で王族に次ぐ権力と莫大な富を持つ血筋に生まれながら、彼女に与えられた肉体は、ガラス細工よりも脆く、脆弱だった。

魔力は皆無。体力はスラムを這い回る病犬にも劣る。

神は彼女に、世界を支配できるほどの「権力」と、この世のあらゆる事象を瞬時に計算し尽くす「知能」を与えたが、それを振るうための「腕力」も「才能」も、一切与えなかった。


「お加減が優れませんか、お嬢様」


音もなく執務室の扉を開け、一人の青年が恭しく一礼した。どこにでもいる平凡な顔立ちの従者、ノア・アトウッド。だが、彼こそがルミナリアの無慈悲な知能を現実世界の「罠」として組み上げる、彼女の最も忠実な手足であった。


「……ええ。本当に……忌々しい体ですわ。窓の外で囀る小鳥の羽音すら、私には、暴風のように感じられますもの」


ルミナリアは自嘲気味に微笑み、淹れたてのダージリンの香りをゆっくりと吸い込んだ。


「それで、ノア。あの『害虫』の様子はどうかしら」


「はい。現在、ターゲットである孤児院長兼、紡績工場のオーナー、アーチボルト男爵は、『選択』を迫られております」


ノアが懐中時計を取り出し、報告を始める。

アーチボルト男爵。表向きは身寄りのない子供たちを保護し、自身の工場で手に職をつけさせる、慈愛に満ちた貴族。だが、その実態は、子供たちを酷使し、その利益と国からの助成金をすべて自身の裏口座へ横領している極悪人だった。

弱者を無関心に踏み躙り、生まれ持った『強者の権利』を貪る豚。ルミナリアが最も嫌悪する存在である。


なぜなら……ルミナリア自身がかつて、彼らと同じ「無関心な悪」であったからだ!


公爵家の温室で大切に育てられた彼女は、つい数年前まで、外の世界で子供たちが泥水をすすって死んでいくことなど知りもしなかった。


知る必要もなかったのだ!


圧倒的な特権階級に生まれた彼女の「無知と無関心」は……それ自体が罪だった!


自分の存在そのものが、世界から選択肢を奪う「悪」であるという絶望。彼女がその絶対的な事実に気づき、己を恥じ、正義ではなく「善のための悪」を成すと決めたのは、ある雨の日の出来事がきっかけだった。


『ルミ、無理をして歩かなくてもいいよ。私が背負ってあげるか、ここで一緒に休むか、どっちがいい?』


脳裏に蘇るのは、あの、エルフの少女の透き通るような声。

とある晩餐会の日に、発作を起こして倒れ伏していたルミナリアを見つけ、何の躊躇いもなく白百合のような手を差し伸べてきた親友、アリシア・ヴェリタス。


あの日、アリシアが突きつけた「選択」は、ルミナリアのプライドを粉々に粉砕した!


アリシアには悪気など微塵もなかった。ただ、純粋な無償の愛で、弱き者を救おうとしただけだ。


しかし、底抜けの善意によって与えられたその選択肢は、「貴女は永遠に私に守られるしかない無力な存在だ」という残酷な事実を、ルミナリアの胸に、永遠の呪いとして刻み込んだのだ!


愛だけでは、人間の尊厳は救えない!


強者の善意は、時に弱者の心を殺す!


だからこそ、ルミナリアは誓った!


アリシアのような光り輝く者が、その、美しい手を泥で汚さずに済むように!


彼女の愛が届かない、あるいは、彼女の愛につけ込もうとする悪党どもを、この自分が完璧な『選択』でもって社会的に……惨殺してやると!


「……先ほど、アリシア様が男爵の元を訪れました」


ノアの言葉に、ルミナリアはティーカップを置き、ふふっ、と冷たい笑みをこぼした。


「ああ、目に浮かびますわ。あの愚かで愛おしいお人好しは、きっとこう言ったのでしょうね。『工場の経営が苦しいのなら、私の魔力で機織り機を動かします。だから、どうか子供たちを休ませてあげて』……と」


「お嬢様のご推察の通りです。アリシア様は、男爵に『無償の奉仕』という選択肢Aを提示なさいました」


「それで?」


「私は私のやり方でこの工場をデカくする』と。アリシア様を追い返したようです」


「……本当に、人間とは救いがたい生き物ですわね」


ルミナリアは優雅に立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。眼下には、煤煙に霞む王都の街並みが広がっている。


「ではノア、ゲームの仕上げですわ。あの豚の前に、私が用意した『選択肢B』をぶら下げて差し上げなさい」


ノアが深く一礼し、分厚い契約書の束を机に置いた。

それは、ルミナリアがこの一ヶ月をかけて構築した、完全無欠の法の罠。


「西方大陸の魔石鉱脈の採掘権。および、その独占投資契約書ですね」


「ええ。アーチボルトは、自分の工場を担保にしてでも、莫大な利益を独占したがるはずですわ。アリシアに哀れまれたことで、彼の見栄と傲慢さは今まさに、最高潮に達している。誰よりも『強く、偉大になりたい』と渇望している」


ルミナリアの計算は完璧だった。

アーチボルトの心理状態、資金繰り、そして彼が裏でマフィアから高金利で借金をしているという事実。すべてを盤上に並べ、彼が「自らの意思」で破滅のスイッチを押すように誘導したのだ。


「あの投資話は、与太話です。王都の裏社会を牛耳る反社会勢力のフロント企業を通しています。アーチボルトが契約書にサインし、横領した裏金と工場の権利書を投資した瞬間、その資金は幾重ものダミー口座を経由して完全に消失する。そして……」


「彼の工場と孤児院の所有権は、合法的に、彼の企業の親会社のオーナーである、私へと移譲される、というわけですね」


「ええ。彼は何一つ手に入れられないどころか、マフィアの借金だけが手元に残り、工場の権利も失う。そして、子供たちを虐待し、裏金を横領していた証拠書類は、明日の朝一番で王都警察のカレル警部のデスクに届くよう手配してありますわ」


暴力は使わない。血の一滴も流させない。

ただ、対象者の「欲」を刺激し、彼ら自身に選択させるだけだ。


「さあ。あなたの罪に、選択を」


ルミナリアが窓の外を見つめたまま問うと、ノアは懐中時計の秒針を見つめた。


「……5、4、3、2、1。……今、アーチボルト男爵が契約書にサインをしました」


その瞬間、ルミナリアの口角が吊り上がり、氷のように冷たく、美しい笑みが浮かんだ。


「ゲームオーバー、ですわ」


王都の片隅で、一人の悪党が完全に社会から抹殺された瞬間だった。

今頃、男爵は投資会社がもぬけの殻であることに気づき、顔面を蒼白にしているだろう。間もなくマフィアの取り立て屋が彼の屋敷のドアを蹴破り、明日の朝には警察が彼を横領と児童虐待の罪で連行する。彼はすべてを失い、冷たい石の牢獄で一生を終えることになる。

そうして、彼から奪い取った莫大な資金と孤児院の権利は、匿名でアリシアの元へと寄付される手はずとなっている。


「お嬢様。アリシア様からの手紙が届いております」


ノアが差し出した真っ白な封筒を、ルミナリアは細い指で受け取った。

そこには、丸みを帯びた見慣れた文字で、こう綴られていた。


『ルミへ。今日ね、すごく悲しいことがあったの。私が助けようとした男爵様が、実は子供たちを酷使する悪い人だったんだって。警察に捕まったらしいの。……もし私が彼を手伝っていたら、もっとたくさんの子供たちが苦しむところだった。私は彼を助けられなくて、本当に良かった。でもね、匿名の寄付のおかげで、子供たちはもう働かなくて済むようになったの!世の中には、女神様みたいな人がいるんだね』


手紙を読み終えたルミナリアは深い溜息をつき、手紙を胸に抱きしめた。


「……本当に、貴女はどこまでも純粋で、残酷な光ですわ」


アリシアの善性は、今回も無傷のまま守られた。

彼女は自分の無力さを嘆くこともなく、ただ子供たちが救われたという結果だけを純粋に喜び、神に感謝している。その神が、血反吐を吐くような計算で泥水をすすりながら悪党の骨の髄までしゃぶり尽くした、この才能を持たない親友であることなど知る由もなく。


「私は彼らに選択を与えました。そして彼らは、自ら破滅を選んだ。……でも、アリシア。貴女が与えてくれたあの日の選択こそが、私に『悪の道』を選ばせましたのよ」


ルミナリアは目を閉じ、再び小さく咳き込んだ。

冷たい窓ガラスに額を押し当て、薄暗い王都の空を見上げる。彼女が流した血と憎悪の結晶が、今日もまた、アリシアの周りの世界を美しく清らかに保っている。


「だからこそ私は、貴女のその底抜けに甘く偽善的な愛を誰よりも憎み──そして。……誰よりも、深く愛しているのですわ、アリシア」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ