第九話
周囲が明るくなり、耳に駅の雑踏が戻ってくる。
「先輩っ!」
駆け寄ってきた陽向が、大希のケガにおろおろとして声をあげる。
ケンカか、などと周囲の視線が集まり、大希は口の前で人差し指をたてて、陽向に静かにするように示した。
伊藤は座り込んだままだ。
自身の身の上に何が起きたのか、今だ理解が追いついていないのだろう。
呆然とした男の周囲に、イヅナたちが鼻を寄せ、妖の気配が完全にないかを念入りに確認している。
チチッ
大丈夫だと声をあげ、三匹は伸びをしたりあくびをしたりと思い思いに寛ぎ始めた。
体は分かれていても胃袋はひとつ。腹が満ちて、満足したらしい。
大希が伊藤に無言で手を差し出す。
その手を気味悪そうに見た伊藤は、手に掴まることなくのろのろと立ち上がった。
「伊藤先輩は、ケガ、ないですか?」
陽向が声を掛けると、ばつが悪そうに視線を逸らした男は、ああ、と小さく頷いた。
「お前なんなんだよ。あの化け物で俺を襲わせたのか?」
大希を詰る伊藤の声に、答えたのは陽向だった。
「先輩、馬鹿なんです?」
辛辣な物言いに、思わず大希が視線をむける。
小首を傾げた可愛い顔で、「先輩の中にいた化け物が、私と九重先輩を襲ったんですよ。見ましたよね?」と尋ねた。
「それと」
陽向はちらと大希を見た後に、きゅっと掌を握りしめて伊藤を見上げた。
「私は、自分が選ばれないなんて最初から知ってたんです。あの夜は……どうしてそうなったかよく覚えてないですけど、私はきっと何かを変えたかったんです。……たぶん」
だから、私が一番馬鹿でした、と眉を寄せて小さく笑った。
「陽向、それは……」
「下の名前で呼ばないでください。伊藤先輩には、そう呼ばれたくないです。もう、呼ばれても会いません」
握った拳が小さく震えている。
こうしてきっぱりと言葉にすることは、きっと陽向にとってひどく勇気のいることだ。
「……わかった」
項垂れた男は、陽向と目も合わせずに改札へと向かう。
それを見送った陽向は、ゆるゆると息を吐くと、「……傷つけちゃった」と独りごちた。
きっと伊藤は幾度もあったチャンスを棒に振ったのだ。
誠実に向き合わず、手っ取り早く手にしようとして、得られたはずの信頼も好意も手にし損ねた。間違えた。
ほんの欠片ほどわいた同情を、自業自得と切り捨てて、大希は陽向に向き直った。
「渋沢さんも、手、それ消毒しよう」
声を掛けると、陽向は初めて気づいたとでも言うように掌を開いて見つめた後、「私より先輩の方が重傷じゃないですか」と眉を寄せた。
ドラッグストアで買ったもので簡単に手当を済ませ、ふたりでファーストフード店へと足を向けた。
満腹になったのはイヅナだけで、大希は昼も食べていない。
バーガーを三つにポテトとナゲットを付けると、陽向が目を丸くした。
「先輩、本当にすぐ病院行かなくて大丈夫ですか?」
大希にすれば慣れたケガでも、陽向にすればそうではない。
見た目ほどひどくないから、と笑ってみせると、納得がいかない顔をしながらも、陽向はエビバーガーにかぶりついた。
「……先輩。私、大学の時から先輩と会った後、なぜか体が軽くなって。もしかしてなにかお祓いとかしてもらってるんでしょうか」
「まあ、……そういう作用もあるかもね」
「だったら、ちゃんとお金を払わないと」
金額を提示したら言い値で払いそうなほど、陽向の目は真剣だ。
「いいんだ。こっちも助かってたから」
困った時の陽向頼み。
試験前、充分狩りに時間を割けない時には、とりあえず陽向の周りの小物を喰わせて凌いだ。大希とイヅナだけが知っていることだ。
「お金、払ってないのに?」
「うん。気にしないで大丈夫だから。……あ、それと、これ。渡しとく」
大希はデイバックを漁ると、今日壊れてしまったのと同じ塩の入った小瓶をテーブルに置いた。
「黒ずんだら連絡して。新しいの渡すから」
三個目の照り焼きバーガーを手にした大希は、そう言ってからかぶりつく。
「……サブスクです?」
「……お金はいらないよ」
「先輩、ボランティアがすぎます。……徳を積む的な?」
「いや、……うん」
陽向の中では、どうしても宗教の方に思考が寄っていってしまうらしい。
けれど、陽向はそれでいい、と思う。
そのくらいの警戒心があったほうが安心だし、大希の生業など理解しなくていいのだ。
「正規の料金は、おいくらなんですか?」
「売ってないから」
「非売品……」
真剣な顔で考え込むのがおかしくて、大希は「アヤシイ宗教じゃないから安心してよ。渋沢さんからお金をもらおうとか思ってないし」と笑った。
「……はい。アヤシイ宗教じゃないってことはよくわかりました。怪しくない宗教的な感じですよね」
「まあ……いや」
「なら、お布施? お礼? ……は考えておきますね」
納得したように頷く陽向は、最後のポテトを口にして、ご馳走様でした、と手を合わせた。
「それが黒ずまなくても、なにかあったら連絡して?」
「なにか……でも、私、それが怪異かどうかなんてわからなそうです」
「それを判断するのは僕の仕事だよ」
「……何もなくても、連絡していいですか?」
「何かあったら、だよ」
少し残念そうな陽向に気づかないふりで、大希もナゲットの最後のひとつを口に運んだ。
第一部はここまでとなります。
読んでくださってありがとうございました!
第二部は現在準備中です。
書き上がりましたら、また掲載していきますので、その時は読んでいただけると嬉しいです。
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