Despair 13 公爵領の手前から
メルティアス公爵領。
古くから北の氷大陸とルアリース大陸を繋ぐ唯一の公爵領で、他の公爵領とは違い、ルアリスとは良好な関係を保っている。その証拠に、メルティアス公爵領の領都は寒さの厳しい北部ではなくルアリスとの領境線上にあり、都市の北半分だけがメルティアス領といった変わった形になっている。
また、他国と隣接している土地もないため、城壁すらなく自由な行き来が可能となっている。北の鉱山が主な収入源であるメルティアス領では、ルアリスから食料を運んでくれる商人は必要不可欠な存在であり、それと同時に税なく自由に往来できる市場も商人達には魅力的で、メルティアスの領都はルアリスの副首都ダリスに次ぐ規模の都市に発展していた。
「リフ。突然だけど、奥義耐性もつけよう」
そんな領都まであと一日の距離に近づいたリーフレットは、ミノアが突然発した提案に目を白黒させた。
「本当に突然っていうか、奥義耐性って何?」
馬の上で眉を潜めるリーフレットに、後ろから声を掛けたミノアはコホンと咳払いして話し始めた。
「リフは私が奥義書を貸してあげても、一つも奥義を修得出来ませんでした」
「悪かったな。覚えが悪くて」
「うん。でもね、奥義耐性ならつけられると思うんだよ」
「だから、奥義耐性って何?」
「相手が奥義を使ってきたときの対策を今から体に叩き込んでおくんだよ。そうすれば、時間稼ぎぐらいは出来ると思うの」
軽い口調のミノアに、リーフレットは前を向いたまま首をかしげる。
「そう簡単に対策出来るものだっけ? 奥義書を読んだ限り難しいと思うんだけど。簡単に防げるなら奥義って言わない気が」
「そこは任せて。私が懇切丁寧に教えてあげるから」
言いながら、ぽんとリーフレットの胸を叩くミノア。そこは自分の胸を叩きなよ、と思い小さな溜息をつく。
「で、耐性をつけようって考えに至った理由は何?」
「んー、もう言っちゃっても構わないと思うから言うんだけど、リフはこのあと襲われます。メルティアスに行った後、再びレアンに戻ってきた辺りでね。その時、私たちは分断されるんだって」
言い終わると同時に、ミノアは馬を下りるとリーフレットの横に並んだ。
「この前襲われた時に言ってた本格的な闘争ってやつ?」
「うん、そうそう。でね、リフは一対一の闘いを強いられることになるんだけど、その相手が奥義を五つぐらい使えるんだよね。私の知る限り」
大したことがない感じで指折り数えるミノア。リーフレットは慌てて止めた。
「いや、ちょっと待って。奥義を五つも使える人間って、思いつく人物一人しかいないんだけど」
「有名だもんねぇ、ルアリス双将軍の一人、ジェネラル・ルーフって」
その異名を聞き、リーフレットはやっぱりと顔を顰める。天井。つまり「武において、これより上はない」ことを比喩されているわけだ。
つい先日「鞘を無用にしてくれる」と迫ってきた人物の二つ名。バルドゥ・シェード・フロイライン将軍の異名だった。
「もちろん避けられればそれが一番なんだろうけど、ここまで預言書通り進んでいるし、正直戦闘は回避出来ない前提で対策を考えておいたほうがいいと思うの」
「そりゃそうだけど……えぇ、将軍? 心当たりはない、はずなんだけどなぁ」
まさか娘の戯れ言を信じて襲ってくるとか? さすがにそれは考えたくない。
ないよね?
不安になっていると、ミノアはこの上なく素敵な笑顔で胸を張る。
「リフがちょっぴり時間を稼いでくれたら、必ず私が助けに行くからさっ。頑張って逃げ延びてて」
明るく言われても、将軍に襲われる未来は変わらない。
「とにかく預言書を読んでみたいかな。どういう状況でそうなるかも分からないし」
「絵本だからそんなに詳しくは描かれてないけどね。けど、分かっていることもあるの。そこを切り抜けられさえすれば、ゴールだよ」
握りこぶしを作り力強く笑いかけるミノア。それを見て、リーフレットは空元気を出すしかなかった。
翌朝、メルティアス領手前の町で一泊したリーフレットとミノアは、宿を出るのを昼過ぎに決めると、宿の裏庭を借りそこで朝練を開始した。
ミノアは自分の書いた『誰にでも?できる奥義百選』を片手に、リーフレット向き合う。
「さてと、じゃあ奥義のおさらいから。奥義とは仮初めの神約を元に編み出された技であり、仮初めの神約はディリシア・エリクシュエルによって生み出される。ここまではいい?」
「もちろん」
「ん、じゃあ、何故ファリシアちゃんは奥義を放置するのか、私がズルと言いながらも奥義の多用を良しするのか、分かる?」
問われて初めて気づいた。そうだ、ファリシアには仮初めの神約を封じる使命があると、以前ミノアから聞いたのだ。そして、その使命から解き放つために、ミノアは〈愛される呪い〉に手を出し失敗した。
奥義の基礎が仮初めの神約ならば、ファリシアは封じようとするはずだし、全てを白日の下に晒そうとしていたミノアが、奥義に頼り切っているのはおかしい。
「どういうこと? 簡単に封じられないとか?」
「ある意味正解、かな。ディリシア・エリクシュエルが生み出す仮初めの神約はね、リソース……有効枠って言えば分かるかな、が限られているんだよ。例えば、風が吹けば桶屋が儲かるって仮初めの神約が作られたとする。するとね、他に風や桶屋といった言葉を使って仮初めの神約は作れなくなるの。つまり、いま奥義と呼ばれているものを無理矢理封じてしまうと、ディリシア・エリクシュエルに利してしまうわけ。新たな仮初めの神約が作れるようになってしまうの。より凶悪で、でたらめな神約がね。それを防ぐために、ファリシアちゃんは生半可な仮初めを封じることはないんだよ」
ミノアがその事実を知ったのは、絶望に愛された後だったらしい。
「結構深刻なんだよ? どのくらい深刻かって言うと、神剣を創造した〈愛される呪い〉ですら、放置される程度の仮初めに過ぎないってぐらい」
人差し指を立てニヒルに笑うと、ミノアは思い出したかのように再び口を開く。
「あと、これはあまり公にしちゃマズい事実なんだけど……」
目を逸らしたまま半笑いのミノアに、ゴクッと唾を飲み込むリーフレット。
「何?」
「世間一般に奥義と呼ばれている仮初めの神約は、ディリシア・エリクシュエルがリソースの残り滓を集めてその場しのぎに組み立てたハリボテだったりします」
ミノアのひそひそ話に、リーフレットはああなるほどと感心してしまった。
奥義とされる技の中には費用対効果がすこぶる悪いものがある。普通に殴りかかった方が早いんじゃないか、と思うような奥義だ。そんな奥義であっても、使用出来れば一目置かれる存在になる。
「公にすると、奥義の伝授で生計を立ててる方々から刺客送られてくるから気をつけてね」
私は過去にそれで失敗した。と、自慢げに笑うミノア。
「っと、話が逸れちゃったね。要はね、奥義なんて全然大したことないよって、言いたかったの。ちゃんと対策すれば、防ぐ手段はいくらでもあるってこと」
「それを君が教えてくれるんだろ? よろしくお願いします、センセ」
先生と呼ばれるのに興奮したのか、鼻息荒く笑むミノアは「まっかせなさいっ」と胸を張った。
「まずね、将軍が使いそうな奥義は、錯視無用、背面抜手、一手矢礫、武装張力、対称遅延の五つ。それぞれ剣の奥義、槍の奥義、弓の奥義、短剣の奥義、拳の奥義として有名だね」
「一つ聞きたいんだけど、その熟語っぽい技名って……」
「私が考えましたっ」
「だよね。奥義書に書いてあったから不思議に思わなかったけど、それが技名だと奥義の核心がモロバレだったからさ。絶対に公にしちゃいけない門外不出の秘密だよね」
技名に盛り込んじゃダメだと思う。
「うん、リフも気をつけてね。以前、百冊ほど奥義書の写本を燃えるゴミの日に出したら流失しちゃってさ、大手の道場から刺客送られてきたから」
「すでにやらかした後だったか。っていうか、何回刺客送られてるんだよ」
「まあ、それはともかく、襲われる状況からリフが一番気をつけなきゃいけないのは錯視無用かな。将軍が弓を持っているようなら一手矢礫も要警戒だけど」
錯視無用。剣の奥義だ。まったく同じ空間を同じ速度で何度も切り返すと空間が曲がり、薙いだ先がどんなに離れていても、奥義が発動した瞬間、空間を無視して切りつけられる。
ミノア曰く、棒を上下に小さく振ると曲がって見える。それを錯視ではなく空間が曲がったのだと言い張ったディリシア・エリクシュエルが、見栄のために本当に空間が曲がる仮初めの神約を作った。それが、剣の奥義が生み出された真相なんだとか。
そんな技が今では最もポピュラーな奥義として大陸中に使い手がいるのだ。何事も知らない方がいいこともある。その代表例かも知れない。
「リフは奥義書を読んだから知ってると思うけど、元が錯視だからさ、十回振って一回発動すれば奥義体得って感じかな。リフは一回も出来なかったけど」
「やかましい。同じ空間を同じ速度で往復させるって簡単に言うけど、想像以上に難しいんだぞ」
「まあ、今はその対処法だし、出来なくても問題ないよ。これの対処は簡単だし」
「簡単って、まさか……」
想像がついたので、苦虫をかみ砕いたような顔になる。
「うん、剣先向けられて剣を振り出したらかわす。それだけ」
「それだけって、見えない刃が飛んでくるとかじゃなく、空間を無視して直接切られるんだよね? 相手が一歩も動いてなくても、剣を数回振るだけで切られるんだよね? 至近距離から射かけられる弓矢をかわすより難しいと思うんだけどっ?」
「うん、まあ、一番有名な奥義だし。でもね、そうと分かっていれば練習次第でかわすのも容易なはずだよ。切っ先が向けられないように動けばいいわけだし」
「ずっと向けてきたらどうするつもり?」
「ずっと避け続けるとか」
「相手は一歩も動いてないのに? こっちだけがドタバタ動き続けるの?」
「大丈夫、リフは体力あるし。躱しながら相手に近づくって選択肢も……」
「将軍相手に?」
「だよねぇ。うん、やっぱり避けつつ後退する方向で」
「後退して距離をとっても意味ないから剣の奥義って呼ばれているわけだけど?」
リーフレットの一言に、ミノアは遠い目をして空っぽの笑みを浮かべる。
「奥義って、すごいね」
おい。
睨んでいると、ミノアはえへへと媚びた笑みを見せる。
「だって私の場合、ごり押しで何とかなってきたんだもん」
「だもんって……結局、避けるしかないってことか」
「頑張ろ、リフ。奥義は私が出してあげるから、リフはとにかく避ける練習ねっ」
言いながら、ミノアは木の枝を拾うとヒュンヒュンと何度か振るう。七回ほど振ったところで、突然リフの後ろの木から「バゴンッ」と衝撃音が響く。
「秘された理をちゃんと理解していれば、木の枝でも再現可能なんだよ」
剣の奥義を枝で再現出来ることにも驚いたが、それ以上にその凶器を自分に向けていることにリーフレットは慌てた。
「ちょっと待ったっ。別に奥義を再現しなくても、枝の切っ先を避ける訓練で良くないっ?」
「え? それじゃ、緊張感でないでしょ? タイミングも読みづらいだろうし。遠慮しなくても私は何発でも出せるから、思う存分避けてみてね」
嗜虐的な笑みを浮かべると、ミノアはリーフレットの返事を待たず枝を振り始めた。
強制的に回避行動を取らされるリーフレット。その訓練は、昼前まで休むことなく続いた。
「じゃ、今日の訓練はこれぐらいにして、そろそろ出発しよっか」
結局三回ほど直撃を食らったところでリーフレットがギブアップし、ミノアは木の枝を捨てた。
荒くなる息を整えながら、リーフレットは恨みがましい目をミノアに向けた。
「途中からさ、ミノア振る数減ってなかった?」
奥義を放つ回数がではない、奥義を放つまでに振る回数が、である。
「最後の方、三往復ぐらいで出てたね。枝に慣れてきたのと、剣よりもずっと軽いからだと思うよ。三往復は私も新記録だし。剣だと無理かな」
冷静に自分の実力を分析し、重い剣では不可能だと判断するミノア。
「あと、動きながらは発動出来ないのも分かったしね。振るときの条件、同じ空間でっていうのに引っかかるんだよ。必ず立ち止まって放たないといけないから、将軍が動きを止めたら警戒だね」
それなら何とかなるか。そう思いかけたリーフレットに、ミノアが微妙な笑みを向けてくる。
「リフ、これだけは覚えておいてね。奥義を使えるのと奥義を極めるのは違うって。私は確かに多くの奥義を使えるけど、極めているわけじゃない。本当にやっかいな連中は、使える奥義が一つでも極めた連中だってこと。……まっ、滅多にいないけどね」
一転、明るく締めくくるミノアに、リーフレッタは神妙な顔で答えた。
「バルドゥ将軍がその滅多でないことを祈る」
ジェネラル・ルーフの異名を持ち、五つの奥義を操るバルドゥ将軍が、奥義を極めていないなんてことあるのか? と思いながらも、リーフレットは祈るしか出来なかった。
「大丈夫。リフならきっと逃げ延びられるよ」
将軍は奥義を極めていない、とは言わないミノアだった。




