Despair 1 プロローグから
人に愛された者には幸せが訪れる。
神に愛された者には奇跡が訪れる。
なら〈絶望〉に愛された者には何が訪れる?
私はその答えを知り、そして全ての感情を失った。
目の前にある小石を蹴ってみる。特に理由もなく、目標もなく、何気なく蹴ってみる。
長い人生、誰にだって一度や二度はあるはずだ。ちょっとした暇つぶしに取りうる行動の、数多くある選択肢の一つに過ぎない。
蹴った石が思いのほかよく飛んだのも、路向かいの廃屋に当たったのも、ごくごくありふれた村の一コマに過ぎないだろう。
しかし、その直後、地響きと共にその廃屋が倒壊した場合、人が取りうる行動はほぼ一つに収束するのではないだろうか。
すなわち、素知らぬふりをして立ち去る。
ただの偶然だと自分に言い聞かせ、小石を蹴った事実さえなかったことにし、出来るだけ音を立てないようにしてその場を後にする。
迷わず「逃げる」を選択し、一歩踏み出そうとしてリーフレットは思い止まった。
自分に責任はないと主張するならば、当然ここは「捜索」を選択するべきだと、ちっぽけな良心が囁く。
ちらりと崩壊した廃屋を見て、リーフレットは渋面になって唸った。
あまりにも古びれた廃屋だったので、てっきり人はいないものだと思い込んでいたが、瓦礫と化した山の中に人の気配がある。
誰かに伝言だけして任せてしまえないかと、リーフレットは辺りを見回してみた。
誰もいない。
地響きが起こるほどの騒音にも関わらず、周囲の家屋を見ても、顔を出して様子を窺う人すらいない。
自分のいる村が廃村寸前のレアンだと思い出して、改めて溜息をつくリーフレット。
溜息をついている間に自力で這い出してくれないかな。なんて淡い期待も叶わず、人の動く気配はない。
仕方なく廃屋の方へと向かい、ふと足を止める。
倒壊時に発生した砂煙が風に運ばれ消えてもなお、リーフレットは瓦礫の前から先に進めずにいた。
何か、とてつもなくイヤな予感がするのだ。
あと一歩でもあの廃屋に近づいたら、長剣で胸を貫かれるような、そんな予感。
背筋に冷たいものが走る。
だんだんと瓦礫の山がアリ地獄に見えてきた。
それでも人がいると分かった以上、このままにしておくわけにもいかない。
意を決して、瓦礫を踏み越え中央へと歩く。
折れた木の梁や、壁の残骸、屋根であったであろう板が積み重なった状況。リーフレットは瓦解が進まないよう慎重に人の姿を探した。
おそらく倒れているであろう場所は分かる。しかし、その姿が見えず、瓦礫に埋もれているようだ。
どうやって瓦礫を除去するか、やはり人を呼んでくるべきか。判断を迫られたその時だった。
突然目の前の瓦礫が持ち上がり、隙間から這い出してくる一人の少女。栗色の髪。軽くウエーブの掛かったミディアムボブをローポニーに結わえた女の子だ。
手を貸そうとリーフレットが動くよりも早く、彼女は瓦礫の中から抜け出した。
次の瞬間、ぽっかりと空いた隙間が支えを失って沈下し、収まっていた埃が再び舞い上がる。
視界が遮られる中、辺りを見回す彼女と目があった。
リーフレットを見つけた彼女は、潤んだ瞳をすっと細める。
「大丈夫。……大丈夫だよ」
笑顔を崩さず、助けに来たリーフレットを安心させるかのように、彼女は言った。
「誰にも、言わないから」
……ナニヲ?
つられて笑いかけた表情が、一瞬で凍り付く。
もしかして、この廃屋を倒壊させた犯人だと思われてる?
少女は立ち上がってパンパンと埃を払うと、リーフレットに手招きをした。
「とにかく、こっちに来て。ここにいるのはマズいでしょ?」
マズくない、マズくないっ。
勘違いだと否定する間もなく、彼女はリーフレットの腕を取ると、裏路地に向かって走り始めた。
引きずられるようにして瓦礫の山から離れ、裏路地の一角まで連れ込まれてしまった。
廃屋が完全に見えなくなったところで、彼女はコホンと一息つくと、華やかな笑みを作って、すっと手を差し出す。
「え? あ、どうも」
思わず握り返したリーフレットに、彼女は言い放った。
「じゃ、契約成立ね。よろしくっ」
「は?」
「だって、私の差し出した手を握り返したでしょ? 契約成立の握手」
リーフレットの手を握り、ブンブンと上下に振る少女。
自分の理解できないペースで進行する話に、恐ろしくなったリーフレットが手を振り解く。
「そんな握手をした覚えはないっ。ただの挨拶だと思ったんだよっ。大体、名前だって知らないのにっ」
「ミノア。はい、これで問題は解決したでしょ?」
ミノアと名乗った少女は、ポンと手を叩いてリーフレットに微笑みかける。
「してないっ。僕はただ君を助けようとしただけなんだ。あの廃屋が倒壊したのも僕のせいじゃない。とにかく、僕はそれが言いたかっただけだから。ケガなくて良かったね。じゃ、僕は行くよ」
早口に捲し立て、速やかにこの場から立ち去ろうとするリーフレット。
ミノアは満面の笑みを浮かべたまま、ぼそっと呟いた。
「生き埋めにされたって言う」
リーフレットが振り返ると、ミノアはあさっての方を見ながらさらに続けた。
「めずらしい桃髪の男が、家を壊して私を殺そうとしたって言う」
「そんな嘘、誰も信じるわけ……」
「コレ、なーんだ?」
ミノアの親指と人差し指の間にある小さな石を見て、リーフレットの顔が強ばる。
「見て、たのか?」
「もちろん」
「でも、あれは関係な……」
「ないって言える?」
自分の立場が非常に危うくなっているのだと、今更ながらに気づく。
一呼吸おいて、リーフレットは観念した。
「……何が、目的なんだ?」
リーフレットが小さな声で聞くと、ミノアはにっこりと笑い、両手を広げた。
「では改めて。初めまして、主人公。私がヒロインです」
……はい?
「えーっと、それは誰しも自分が主人公とかいう名言的な?」
「じゃないよ? キミはこれから世界を救うのです。そう予言されていましたっ」
声高らかに宣言するミノアを見て、リーフレットは全てを悟った。
関わってはいけない人だ。
「あー、なるほど。宗教の勧誘なら結構です。じゃ、失礼します」
頭を下げたまま半回転し、早歩きにその場を立ち去ろうとする。が、後ろから手を捕まれて動けなくなった。
振り向くと、得意げに笑ったミノアが決定的な一言を告げる。
「ほらね。逃げると思ったの。だから私はキミを脅すことにした」
言い切りやがった。
「家屋倒壊犯として領兵に追いかけられるのと、私につきまとわれるのどっちがいい?」
「ぬ、濡れ衣だ。冤罪だ。小石一つで家が倒れてたまるかっ。仕組まれた罠……」
そこまで言い放って、ふとリーフレットは恐ろしい事実に気づく。
小石を蹴ったのは気まぐれの行動だ。その行動に合わせて、彼女はとっさの判断で廃屋一軒まるごと潰してしまった?
「……僕を脅すためだけに?」
冷や汗が背中を伝う。逆らってはいけない。本能がそう告げる。
「陽光の主神、ハーヴェルの神剣。心当たりがあるんじゃないのかな?」
ミノアの問いかけに、リーフレットは警戒感を露わにする。
「どうして、それを知っている?」
今、リーフレットが受けている依頼。南隣の国、ベルフライン神公国に赴き、そこに封印されているハーヴェルの神剣をこの国に持ち帰ること。
それをこの少女はほぼ言い当てたのだ。
「このままだとね、キミは失敗する。神剣は暴走し、数万もの人命が失われる。そこで私の出番なわけですよ。私が一緒に行けば神剣の再封印は成功するし、誰の命も奪われない。安心して任せてね」
再封印のことまで知っている。リーフレットは驚きを隠せなかった。
今回の依頼は、封印が解けかけているにも関わらず、ベルフライン神公国が神剣を手放そうとしなかったことに端を発している。
業を煮やしたルアリスの王邸宗主ウラシェルは、神剣の奪取を密かに画策し、その連絡員としてリーフレットは雇われた。
リーフレットの仕事は、ベルフライン神公国にあるルアリス諜報部の拠点から、神剣の封印ができる者に神剣を送り届けることだ。
「まさか、君が神剣を封じる者なのか?」
受け渡しの場所のみで人物について知らなかったリーフレットは、もしかしたらと聞いてみるが、ミノアは困ったような笑みを浮かべる。
「んー、残念。私じゃないんだなぁ。私は封呪能力者であるファリシア・シェード・フロイラインの元にキミを導く者……だ、そうですよ? 預言書によると」
「何故に疑問形?」
「だって私、彼女の居場所知らないし。ファリシアちゃんとは幼なじみなんだけど、諸事情により只今絶賛逃げられ中だから。っていうか、ぶっちゃけ私は彼女と会いたくてキミに近づいたの。預言書の通りに動けば、キミはファリシアちゃんと会えるって描かれていたからね」
ミノアの素性や目的が朧気に見えてきて、リーフレットの口が軽くなる。
「逃げられ中って、じゃあ連れて行ったらまずいじゃないか」
「大丈夫。私はただ、彼女に返したいものがあるだけなんだから」
リーフレットは眉をひそめる。
「受けた恨みを今こそ返す……とかじゃないよね?」
「違う違う。このブレスレット。ファリシアちゃんはあげたつもりなんだろうけど、私としては借りているだけだから、そろそろ返さないとね」
ミノアは左の手首を軽くあげた。金のチェーンにいくつかの翡翠玉が付いた、ごくごく普通の装飾品だ。
「ブレスレットの返却が目的で僕についてくる? それを信じろと?」
どうにも納得できない理由だ。リーフレットは再び警戒心を高めた。
その様子を察して、ミノアは幼い子を諭すような笑みを浮かべる。
「これ封緘孔のブレスレットって言ってね、封呪能力者が能力をコントロールするのに必要不可欠なものなんだって。ファリシアちゃんはそんなものあってもなくても大して変わらないって言ってたけど、やっぱり能力者でない私が持ち続けるのは駄目だと思うの。だから返したい。それだけだよ」
嘘は言っていないと感じる。しかし、このまま彼女を連れてベルフライン神公国に渡っていいものなのだろうか? 受けた依頼の内容を考えれば、神剣を封じられる者と知り合いの彼女がいれば心強いだろうけど、預言書とか眉唾な……ん? 預言書?
「ねぇ、一つだけ聞いておかなきゃいけないことがあるんだけど、その預言書ってもしかして絵本の形式で描かれていたりする?」
聞いてみると、ミノアは目を大きく見開いた。
「おおっ、正解。予言絵師コールネリー・ニブルテットが描く二冊の預言書に、キミは描かれいるの」
この出会いが誰の仕業なのかに辿り着き、リーフレットは深い深い溜息をつく。
予言絵師コールネリー・ニブルテットは、リーフレットを神剣の移管に推薦した人物だ。直接本人と会ったことはないが、今までニブルテットの依頼に振り回されてきたリーフレットにとって、預言書は馴染みのある言葉だった。
彼女が預言書にこうなると描いているのならば、ミノアを連れて行けとの遠回しな指示だろう。
「よろしくねっ。リフ」
強引に話をまとめてついてこようとするミノア。
そう言って浮かべるミノアの、その笑顔だけは、何故か憎めないなとリーフレットは思った。
サブタイトルですが、
笑顔令嬢と書いて「スマイルレディ」と呼んでいます。
ちなみに、
無表情令嬢は「シールレディ」(造語)です。




