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幸せな世界

84話 結末は向こう側


「今日は演劇の本番ね。お母さん見に行くからね。」

「うん。ありがとう。お母さん。」

「お母さん!リリィも見てね!」

「もちろん。2人とも頑張ってね。」


母の声は穏やかで、いつもより少しだけ高かった。その違いを、ソフィアは気に留めなかった。

支度を終えて玄関に立つ。鏡に映った自分はいつもより背筋が伸びて見えた。


「主役なんだから、堂々としてなさい。」


そう言われて、胸の奥がきゅっと鳴る。

誇らしいはずなのに、なぜか落ち着かないのだ。

その言葉が、頭の中でゆっくりと転がった。


「……うん。」


返事は、ちゃんと声になった。それが当たり前みたいに。靴を履きながら、ふと考える。いつからわたしは、こんなふうに喋れていたんだろうかと。主役という言葉が、頭の中をぐるぐる巡り、変な違和感を生み出している。ここ最近ずっとそうだ。


(そういえばなんで私は主役になったんだっけ?)


普通、主役はオーディションで決まるもの。もちろんその役になりたい人が少なければオーディションは開催されない。しかし、主役なんて立ち位置、みんな欲しくて仕方ないものだ。オーディションが開催されないなんて考えられない。


「お姉ちゃん、早く行かないとリハーサル始まっちゃうよ。」

「そうだったね。うん。行こう。」


----------


会場であるホールに着いた。楽屋前の通路は、人で溢れている。

衣装の裾を押さえて走る子、台本を片手に小声で確認する声、誰かが落とした小道具を拾う音。


「ソフィアさん。リハ始めるから来て!小道具はいつもの場所に置いてあるから、ついでにそれも持ってきて欲しい!」


全員が慌ただしく動き回る。本番の朝は、いつもこう。全員が一丸となって作り上げてきた演劇を。最高の舞台を客に披露する。


「…いつも姉様ばかり。私に才能がないから…」

「そんなことないよ!君は素敵な人だ。それは僕が保障する。」

「でも、みんな姉様ばかりと言うわ。あなただってそう思うでしょう?私は所詮、第二王女なんだから。」


今回の話は、国の第二王女と旅人が結ばれ、共に旅をする話。

第二王女は、姉と比べられ自分に価値なんかないと思いながら生きてきた。しかし旅人と出会うことで彼女の生活は変わった。そして、その旅人と結ばれ、共に旅をすると言う物語。旅の中で、彼女は仲間と出会い、そして自分自身を見つめ直していく。今回はソフィアはこの第二王女の役をする。


----------


彼女は舞台袖で深く息を吸う。

幕の向こうから、ざわめきが聞こえた。観客の声。足音。空気が、少しだけ重くなる。


「ソフィア、スタンバイお願い!」


台詞も、動きも、全部頭に入っている。

スポットライトが灯る。一瞬、視界が白く弾けて、それから世界が開いた。


「…今日も姉様と比べられてしまった。やっぱり私は…」

「…そんな落ち込んでる君にこの花をあげるよ!」

「……だ、だれ!?」

「僕?僕はしがない旅人さ。会えてうれしいよ。プリンセス。」


声が響く。会場全体に。


「あなた一体どこから入ってきたの?!ここ3階よ…!」

「あ〜ちょっくら、その辺の壁を登ってきました〜」

「…いたぞ!!侵入者だ!」

「おっと…じゃあそろそろお暇しようかな。また会いに来るよ。プリンセス。」


ここは第二王女と旅人が出会うシーン。ここから旅人は毎日彼女の元を訪れるようになる。旅人はプリンセスを外の世界へ連れ出そうとした。


「…いつも姉様ばかり。私に才能がないから…」

「そんなことないよ!君は素敵な人だ。それは僕が保証する。」

「でも、みんな姉様ばかりと言うわ。あなただってそう思うでしょう?私は所詮、第二王女なんだから。」


その感情は、演技のはずだった。台本に書いてある感情で、役として用意されたもののはずなのに。言葉が、喉の奥で震えた。ソフィア自身、なぜこんな感情になっているのか理解できなかった。


「…そんなこと思わないよ。僕の旅についてきて欲しいんだ。きっと君を楽しませてみせるから。」

「……わかったわ。」


中盤、ここから彼女の旅が始まる。旅人の手を取ったとき、ソフィアはなんだか無性に暖かい気持ちになってしまった。


----------


物語も終盤に近づいてきた。このシーンでは、旅人と王女が結ばれる。


「僕は君に救われたんだよ。誰よりも優しくて、素敵な君を君自身が否定するなんてしないでくれ。」


旅人役の声が、はっきりと届く。


「君が自分の価値がないと言うなら、僕が証明してみせる。だって、君は僕だけじゃなくて、たくさんの仲間に恵まれたじゃないか。」

「プリンセス。あなたは自分を生きていいのよ。」

「プリンセスと旅してる時すっごく楽しかったの!」


その台詞を聞いた瞬間、


(この場面、こんな風に苦しくなる台詞だった?)


胸が締めつけられる。


「君が好きだ。プリンセス。僕とこれからも一緒にいてくれないか?」


物語は、この手を取りハッピーエンド。

でも、本当にそれが正しいのか。

ソフィアの心の中で何かが揺れ動いていた。


「…ソフィア…?どうしたの?」


旅人役の子が小声で彼女に聞いてきた。周りにいる仲間役も、ソフィアの方を心配そうに見てくる。


違和感。経験したことないはずなのに、まるでずっとそこにあるような感覚。

比較されて育ってきた第二王女。手をとってくれた旅人たち。彼女に価値を与えてくれた人…


「……あなたたちが、私を認めてくれたことは嬉しかった。」

「…なら…!」

「でも、あなたのそばにいることはできないの。」


台本と違う。

本来なら、ここで第二王女は微笑んで手を取る。愛を受け入れ、仲間と共に旅を続ける。

そういう結末が、用意されているはずだった。


旅人役の彼が、言葉を失っている。


「プリンセス……僕のことが、好きじゃないのかい?」

「……やらなきゃいけないことがあるの。この世界は、私にとってとても素晴らしい場所だった。それでも。ここは、私の居場所じゃない。」


胸の奥に、迷いはなかった。


ソフィアはステージから飛び降りた。照明も、幕も、拍手も、すべてを背にして駆け出す。観客も演者も全員がどよめいている。

ここに留まること。それが、正しい選択じゃないことだけは、わかっていた。


(思い出した。全部。ここは都合のいい夢だ。現実はこんなに甘くない。)


----------


ホールを抜け、街に来た。

いつもと変わらない風景。でもどこか静かだった。


「ここから出なきゃいけない。みんなのところに戻らなくちゃ…」

「お姉ちゃん〜!」

「リリィ…」

「どうしたの突然…みんなお姉ちゃんがいなくなって困ってるよ!早く戻ろう?」


みんなが心配してくれてる都合のいい世界。


「戻ることはできない。」

「なんで?お姉ちゃんは主役だよ。」

「…主役でもこの世界にいることはできないの。」


リリィはきょとんとした顔をした。


「この世界がどれだけ素敵でもここに留まることが正しい選択だとは思えないから。現実世界は確かに辛いことも多いけど、でも楽しいよ。楽しいことって辛いことの中にあると思うから。現実で生きるのも悪くないことだと思わない?」

「……この夢の中にいれば、お姉ちゃんはずっと幸せでいられた。私はそれを望んでたんだけどな。でもお姉ちゃんが現実を望むなら私は引き止めないよ。」


リリィはそう言って、少しだけ笑った。

いつもみたいに無邪気で、でもどこか大人びた笑み。


「じゃあね、お姉ちゃん。」


その声を最後に、彼女の輪郭が、ふっと揺らいだ。光が滲むみたいに、リリィの姿が薄れていく。

次の瞬間、彼女の身体は淡い光に包まれ、

砂のように、音もなくほどけていく。


「リリィ…」


光が消えたあと、そこに残っていたのは、

小さな鍵だった。ソフィアは、それを拾い上げる。

鍵を握った瞬間、目の前の空間が軋むように歪み、白い扉が静かに現れる。

その鍵をそっと鍵穴に入れた。すると、扉がひとりでに開いた。振り返る先は暖かくて眩しい街。

幸せで、優しくて、都合のいい世界。


(この世界はわたしを主役にして、認めてくれて、手を差し伸べてくれる場所。)


これ以上に、理想的な世界はないだろう。

けれど、ここにいたら前に進むことはできない。


扉の先は真っ白な何もない場所。怖くないと言えば嘘になるかもしれない。現実に戻ればまたあの戦いが待っているのだ。

けれど、後悔はない。


次に目を開けたとき、そこにあるのが

舞台でも、夢でもない世界だと、わかっていたから。


ゆっくりと、息を吸う。


扉の中は、少し冷たくて、それでいて、少し暖かかった。

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