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世界が終わるその前に  作者: 深井陽介
第一章 春・夏編
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#11 地は固いまま(前編)


 わたし、宮原文香は困惑していた。

「大体そっちがやろうって言い出したことじゃないの! 約束破る気?」

「はあっ? 俺は言い出しただけで、勝手に乗ってきたのはそっちだろ? なんで俺だけ責められるんだよ」

「決めたことを一方的にやめようって言い出す方が悪いじゃない!」

「無理だと分かってんのに突っ走ったら元も子もないだろ! 何も分かってねぇな!」

 ……学校から帰宅すると、我が家の和室で菜月と丈太郎が、お互い仁王立ちで喧嘩していた。

 何があった? 隅っこで壁に寄りかかって座りながら、黙々と読書を嗜んでいる夕貴に、わたしは目で尋ねた。夕貴は無言でかぶりを振った。どうやらここでのいさかいに興味がないらしい。

 ええい、これから夕食の支度を始めようという時に……。

「ねえ、今晩の夕飯は何がいいかな、と」

 ギャーギャーと騒いでいる二人に、わたしは怯えながら尋ねた。すると二人は鬼の形相で振り向き、

「「何でもいい!」」

 ハモりを利かせて答えると、またすぐに目を合わせて言い争いを再開した。ダメだ、どちらも完全に怒りがヒートアップしている……。

「何でもいい、っていうのが一番困るんだけど……」

 いっそこの二人だけ激辛カレーにして、ショックを与えて鎮めるか……作ったことないけど。

 しかし、きょうだい喧嘩なんてわたしと夕貴の間では一度もなかったなぁ。もちろん義理のきょうだいだけど。でもこの二人だって同じはずなのに、本当のきょうだいみたいに喧嘩するのだな。……いや、きょうだいが全部そうなのかは知らないが。

 それにしても夕貴はずいぶん落ち着いている。もしや、わたしのいないところで二人が喧嘩するところをたびたび見ていて、もう慣れているとか?

「ふああぁぁ……」夕貴は大きなあくび。「いい加減、この本も飽きたな」

 単に他人事で済ませているだけかよ。わたしは少しムカついた。

 ねえ、放っとかないで何とかしなさいよ。わたしは夕貴に目で訴えた。さっきも言ったように、わたしはきょうだい喧嘩の経験がないので、止め方もまったく分からないのだ。

 夕貴は文庫本に目を落としていたが、やがて気づいてこちらを向いた。そして、文庫本の開いたページの途中を指差して、わたしに見せた。こう書かれていた。

『まあまあ、喧嘩するほど仲がいいっていうじゃないか』

 何のフォローにもなってねぇ!

 意地でも喧嘩の仲裁に関わる気がない夕貴は、放置することにした。登場人物のセリフの中に、偶然いまの状況にぴったりなものがあって、それを見せたかっただけで……つまるところ何の役にも立たない。この義弟を頼るだけ時間の無駄だ。

 仕方がない。こっちはいつも通りの手段に訴えるか。わたしは眼鏡を外して頭に上げた。

「ねえ、二人とも」

「「ああっ?」」

 怒りで我を忘れている二人は、般若の形相で睨みつけてくる。が。

「暴れると畳が傷ついて掃除が大変だし、夜中に大声で騒ぐと近所から苦情が来るから、キリのいいところで休戦しなさい。これは命令」

 と、わたしが両の拳をぽきぽきと鳴らしながら笑顔で言うと、二人はおとなしくなった。

「「分かりました……」」

 二人は目を逸らしながらこぼした。両腕はすでに戦闘の構えになっていたけど。

 それにしても、こっちに何か言う時は必ずハモるって、仲がいいんだか悪いんだか。まあ、喧嘩は滅多にしないわたしでも、これまで幾度となく笑顔で鉄拳制裁を加えていたので、その恐怖感がここでも上手く働いたようだ。

 夕貴が、ひゅう、と口笛を吹いた。お前は感心するだけか。


 翌日、学校でのことだ。

「ああぁぁぁ~……やんなるな、ホント」

 わたしは自分の机に突っ伏して(うな)っていた。もうお昼の時間だというのに、昨日からの疲労がまだ完全に抜けていない。おかげで午前中の授業はほとんど頭に入らなかった。

「あの、大丈夫ですか……?」

 同じクラスの女子生徒が心配そうに話しかけてきた。名前は日向(ひゅうが)朝美(あさみ)。友達のいないわたしがクラス内で比較的よく話す相手である。この学校で同じように眼鏡をかけている女子は少なめなので、どことなく気が合う。

「あー、うん、大丈夫。家庭の問題に頭を悩ませているだけだから」

 わたしは顔を上げて答えた。

「それはそれで心配ですけど……何があったんですか」

「いやあ、それが……菜月と丈太郎が喧嘩しちゃって」

「えっ、あのいつも仲良さそうな二人がですか?」

 本気で驚く朝美。まあそう思うよなぁ。あの二人、学校でも頻繁につるんでいるし。

「何が原因か分からないけど、昨日からなんだか雰囲気が悪いのよ。こっちは家でも学校でも行動を共にしているから、居心地が悪いったらありゃしない」

「でも……」朝美は背後を向いた。「夕貴くんはいつも通りみたいですよ?」

「あー、あいつはある意味でぶれない男だからな」

 その夕貴は数人の男友達と一緒に昼食談義を楽しんでいた。あの嫌な沈黙の中で、必死に気分の悪化と戦いながらお弁当を作ったというのに、あっという間に減っていく……。いや、そのほうがいいに決まってるんだけど。

「こっちは食欲がなくなりそうだよ。食事の場はカニでも食べてるのかってくらい静かだし、学校に行く最中でもあからさまに目を背けあっているし、そのまま同じ教室に入っていくし……授業中もああやって敵愾心(てきがいしん)を向け合っているのかと思うと、胃がきりきりと痛む……」

「苦労性ですね、文香さん……」

 本当に、なんで高校生のうちから、高校生の子供を持つ親の苦痛を味わわねばならんのだ。

「それにしても……」朝美は近くの椅子を引っぱり出して座った。「そんなになるまで喧嘩するって、珍しいですよね。心当たりはないんですか?」

「ぜんぜん。ちょうど喧嘩が始まった場面に夕貴もいたはずだけど、たぶん訊くだけ無駄だし」

「頼りにならない弟さんだなぁ……顔はいいのに」

 容貌はこの際あまり関係ない気もするが……。

「まあでも、それで文香さんが元気をなくしたら、元も子もないですよ。喧嘩を止める人がいなくなったら余計にこじれますし、放っておいたら家庭崩壊するかもしれませんし」

「朝美ちゃん、笑顔で縁起でもないこと言わないで……」

 ついでに言うなら、あの二人は軽い喧嘩ならしょっちゅうやっている。だから今さら喧嘩程度で家庭崩壊というのは大げさだ。でもこの子が笑顔で言うと、冗談に聞こえないから怖い。

「とりあえずお昼ごはんにしましょう? おなかが減ってると元気出ませんし」

 そう言って朝美はわたしの机の上に、膨らんだビニール袋を置いた。ちなみにこの子のお昼はいつも、惣菜パン3個とおにぎり2個といちごミルクのパックである。……その細身によく入るな。

「まあ、腹が減っては戦はできぬ、っていうのも理屈だけど」

「戦レベルの問題なんですね……」

 わたしも自分のお弁当を取り出した。朝美の言うとおり、わたしがしっかりしていなければ、事は何も始まらない。まずは腹ごしらえをして、気分を整えておかないと。

 ……と、思っていたのに。

「たのもぉ―――っ!」

 ガラッと教室の引き戸を派手に開けて、菜月が入ってきた。左手には弁当入りの巾着がある。菜月は窓際にいるわたしに向けて、キッと鋭い視線を向けた。

 ……呆然として、手に取った箸を落とすわたし。

「文香、ごはん一緒に食べよ!」

 菜月は、巾着の口を掴み、眼前に掲げながら言った。クラスメイト全員が何事かと思いながら見ているのですけど。

「……いいけどさ、道場破りのテンションはやめてくれない?」

「あれ、先客がいたの?」

 人の話をまったく聞いてないな、こいつ。菜月は周囲の視線などものともせず、悠然とこちらに歩み寄ってきた。この図太い神経が時にうらやましい。

「あ、わたしはいいですよ」朝美が言った。「ご一緒しましょう」

 菜月は口をぽかんと開けて朝美を見ていたが、やがて顔を背け、片手で両目を覆った。

「ううっ……」

「あの、どうかなさいましたか」不安そうに菜月に尋ねる朝美。

「いや……文香が夕貴以外のクラスメイトとまともに付き合っているのが、もう、感無量で」

 わたしはカチンときて、親指をどこかにビシッと向けた。

「ちょっと表に出てもらおうかなっ」

 さらっと馬鹿にしたようなこと言いやがって。あとでこいつしばいたるわ。

「…………」

 義理の姉妹の寸劇に、かけるべき言葉が見つからない朝美であった。

「あ、そうだ文香」菜月は思い出したように言った。「放課後どうせ暇だよね」

「あんたほど暇じゃないわ」

 誰が毎日のご飯の買い出しをしていると思っている。

「今日の帰り、わたしに付き合ってくれない?」

 菜月はこっちの事情も顧みずに言った。……まあ、真顔で言われたら断れないけど。

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