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 その後飽きることなくうっとりと仲良く姿絵を眺め続けた二人がぽやぽやと飛ばしていた意識を取り戻したのは、夕食の時間になり声をかけた侍女の促しによってだった。

 上気した頬をそのままに自ら丁寧に姿絵を片付けていく。

 余韻に浸るようにほうっと嘆息をついている未だ夢見心地な二人に、侍女は呆れつつ旦那様たちを待たせてしまいますとわざと焦れた声を出して部屋から押し出した。

 無礼な扱いであるものの姿絵に見いって大変満足していた二人は特に気にすることなく足取り軽くリディアルへの賛美を並べ合いながらその部屋を後にした。

 実に満ち足りた笑顔を浮かべるそんな二人を――特にハイネルフを――残念なものを見るような眼差しで侍女が見送っていたことは、同じような眼差しをしていたハイネルフの従者しか知らないだろう。







 夕食はいつも通り至って平穏なまま和やかに終わった。

 そして、キエラの宣言通りハイネルフは叩き出されることになった。といっても、乱暴なのは言葉だけで、その実、単なるお見送りだ。

 デザートに好物のアプーという果物――それも公爵令嬢キエラでさえたまにしか食べられない超最上級のもの――が出てきて喜びにわいたキエラは、夕食が終わってハイネルフを見送るこの時になってもまだ上機嫌なままで、珍しく屋敷の門のすぐ側までハイネルフとともに歩いていた。少し距離を開けて二人の侍女と侍従がついていく。

門のそばまでお見送り、とはあまり見られない姿だ。それを目にした門番は一瞬意外そうに目を丸くしたが、すぐに表情を引き締めてより背筋を伸ばした。横目で二人の様子をうかがいながら。


「君がここまで来てくれるだなんて珍しいな。いつもは早々に背中を向けてしまうのに」

「デザートにアプーが出ましたからね。わたくし、今は寛大な心を持てそうなんです」

「アプーひとつでなんて単純な……」

「あら、何かおっしゃいまして?」

「いや、別に」


 ただ、今度からアプーを手土産にしなくてはと思ってね。


 ハイネルフの口からわずかにこぼれたその言葉は残念ながらキエラの耳には届かなかったらしい。

「しょうがないですわね、わたくし、今は寛大な心を持っていますから。聞き咎めないことにしますわ」と胸を張りドヤ顔をするキエラに、ハイネルフは苦笑するしかなかった。


「君をこんな風にさせてしまうなんて、君は相変わらずアプーが好きなんだな」

「そうですわ。子どもの頃からの好物です!」

「ああ、昔からそうだった」


 ハイネルフは懐かしむように微笑みながらキエラの頭を撫でた。

 大人しく撫でられるがままのキエラは、きょとんとした顔でハイネルフを仰いだ。

 頭を撫でられるという行為は出会ったときから当たり前のようにされている。兄が妹を可愛がるように。ハイネルフもキエラの頭をよく撫でていた。だから、それを不思議に思ったわけではない。

 キエラがひっかかったのはなんだか会話が噛み合っているようで噛み合っていない気がしたからだ。

 ハイネルフの優しげな微笑みと、眼差しと、言葉。少しだけ、自分との温度に差を感じるのは気のせいだろうか?

 些細な違和感はあるが、それが何かはさっぱり分からない。首をひねることしかできないキエラは結局その違和感を流すことにした。


「リディアルは本当に美しかったな」

「リディアル姉様の美しさに過去形は存在しませんわ、ハイネ。リディアル姉様はいつだって美しいのです」


 呟くほどの声音でこぼれでたハイネルフの唐突な言葉にキエラは真顔ですかさずくいついた。

 きっと無意識に吐かれた言葉だったのだろう。

 キエラの返答に一瞬瞠目したハイネルフは、しかしすぐに瞳を柔らかく細め、「そうだな」と賛同してポンポンとキエラの頭を撫でていった。優しくなだめるような手つきはまるで子扱いだ。

 リディアルより更に年嵩の彼はキエラと比べれば確かに大人だろう。そして彼はキエラのことを小さな妹のように思っているのだろう。けれど。

 妹のように思われているのは別に良いとしても、こうも子供扱いされるのはお年頃のキエラにとって少しばかりムッとしてしまうものでもある。

 思わず、可愛いげの無いキエラが顔にも声にも出てしまった。


「なんです、いきなり。あと、鬱陶しいので止めてくださいませんこと?」

「おっと、悪いな。あーいや、ほら、あの姿絵を見てあの式の時のリディアルの姿を思い出しただけさ」

「……なるほど、確かにあの姿絵は本当に素晴らしいものだけれど本物のリディアル姉様の美しさには到底及ばないものね」

「ああ、ようやくあの幸せそうな姿が見れたんだ。あれほど美しいリディアルを俺は一生忘れないだろうね」

「まあ! わたくしは一生と言わず来世でも思い出すくらいリディアル姉様の麗しく美しい幸せな花嫁姿をこの目に焼き付けましたわっ!」


 思わず謎の張り合いを出しながらも、キエラはやはりハイネルフの言葉に少しの引っ掛かりを感じた。

 ハイネルフは「ようやく幸せそうな姿を見れた」と言った。

 ようやく、とつけるほど姉リディアルは不幸だったことがない。

 むしろ、キエラとまわりの協力とリディアル自身の努力のおかげで上手に軌道修正できたリディアルの人生は、穏やかで暖かな光に満ちたものだとさえ思う。


 ……ハイネルフは、いったいいつ(・・)のリディアルと比べたのだろうか。


 キエラは思わずハイネルフの腕を掴んでいた。

 立ち止まったキエラにハイネルフもつられるように足を止める。


「ハイネルフ……」


 か細い声が、名前を呼んだ。


「なんだいキエラ」

「あなた、わたくしに隠しごとか何かしてはいませんか……?」


 緩やかに風が吹き、静まる。

 綺麗に整えられた庭の花たちが、キエラの心を映すように一瞬だけざわめいた。

 不安げに揺れるキエラの眼差しを受けて、ハイネルフは今度こそはっきりと瞠目した。


「あー、そうだな……」


 逡巡するように視線を泳がせたハイネルフだったが、キエラの「ハイネ」という弱々しい促しに応えてくれる気になったらしい。

 ハイネルフは真っ直ぐにキエラと向き合うと、いつになく真剣な表情で「キエラ、あのな」と切り出した。


「リディアルの姿絵を見た時に、はやくお前の花嫁姿も見てみたいと思った」

「えっ」

「それと、花嫁姿のお前もリディアルに劣らずさぞ美しいだろうなと考えていたんだ」

「えっ、なっなっ、え!?」

「……俺たちも、早く夫婦になりたいものだな」

「っっっ!」


 花嫁姿ならこのまま順調にいけば来年ごろに問題なく見れますわよ、だとか、わたくしの花嫁姿なんて美しいリディアル姉様と比べようなく劣るに決まっていますわ、だとか、本当にあなたは突然何を言い出すんですかハイネルフ! などなど、言いたいことはたくさんあったキエラだが、どれも口からまともに出てくることはなかった。

 そのぐらい、衝撃的だった。


 ハイネルフの言葉の意味は、そのまま、そういうことだろう。


 あの、ハイネルフが。

 リディアル狂で、キエラのことなど妹のようにしか思っていないだろうハイネルフが。

 今までだって婚約者でありながら、キエラを口説こうともしなかったハイネルフが。

 口を開けばリディアルリディアルなハイネルフが。

 ……昔も今も、リディアルを愛しているだろうハイネルフが。


 それはあまりにも突然で、唐突だった。

 

 キエラは、親の決めた相手(ハイネルフ)との結婚は公爵令嬢として当然の義務だと思っていた。そして、ハイネルフも同じくそう考えているものだと思っていた。のだが。

 ハイネルフの口ぶりから、雰囲気から、穏やかに笑むその瞳から、キエラが思う以上にハイネルフが二人の結婚を待ち望んでいるだろうことが伝わって。


 キエラは、驚きに思考回路が上手く回らず、意味のない音を吐き出す口はとうとうはくはくと動かすだけになってしまった。

 完全に固まったキエラ。その様子に少しだけ安堵したように、しかしそれ以上に満足したようにハイネルフは微笑みを浮かべた。

 それが今までに見たことがないような表情で、どこか艶っぽくて、どきどきと鳴り出していたキエラの鼓動が更に大きくうるさくなった。

 ハイネルフの手がキエラの頬に触れ、ひときわ大きくキエラの心臓が跳ねる。

 今までになく近付いたハイネルフの顔に、キエラは呼吸が止まりそうになった。


「下僕から婚約者に立場変わって二度目の人生だけど。今度はちゃんと俺がお前を幸せにしてやるから。な、キエラ」


 それじゃ、お見送りありがとう。

 キエラの耳元でそう言い残してあっさりとハイネルフは立ち去ってしまった。

 そんな余裕綽々な婚約者と正反対に、キエラはいつまでたってもその場から動けず、視線もその後ろ姿が消えた門からそらすことができなかった。


 心臓がうるさい 。頬が、耳が、熱い。

 ハイネルフの言葉が頭から消えない。

 新緑の綺麗な瞳が、過去の熱と今の熱を持ってキエラを見つめていた。

 誰でもない、キエラを。


 ……彼も、同じだった。


 ようやく動き出したキエラの体はへたりと地面に座り込んでしまった。手が顔を覆う。その隙間から見える肌や、耳は、これでもかと真っ赤に染まっていた。


「………………ばかっ」


 苦し紛れのように小さく吐き出された罵倒は、今までまともに口説いてもこなかったくせに色々と唐突な婚約者に対するものか、それとも特殊なのはなにも己だけではなかったのだと気付かなかった自分に対するものなのか。


 少なくとも一部始終をやむを得ず目撃してしまうことになり甘酸っぱい気持ちが込み上げてムズムズとしてる門兵や、さりげなく存在感を消し頬を染めながらもにやにやと楽しそうにしている侍女にはわかりかねることだった。



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