110 『テスト』
「どんな感じなのかねぇ……」
もう手慣れてきた実習の準備を進めながらも、レイスの意識はこの後に実施されるテストに向いていた。
今頃、生徒たちは多少の緊張感に包まれているのだろうか。手順を確認したり、静かに集中しているのだろうか。
熱心に質問してきた生徒の姿を思い出せば、色々想像が膨らむ。彼らも評価を得るために必死なのだ。
幸いにも今日は雨は降っていない。
テストを行うには絶好の日だろう。
「あー、気持ちいい……」
レイスは朝の冷たい空気を肺いっぱいに取り込み、のんびりと呟く。空を見上げれば、小鳥たちが高い声で鳴きながら羽ばたいていた。
レイスはテストを見守るだけなので呑気なものだ。
準備を終え、穏やかな気持ちでレイスが待っていると、少しピリピリした様子の生徒たちがグラウンドに訪れた。
「おー、やる気入ってるねぇ」
一目見ただけで分かるほど、やる気に満ちている。この学院での評価が今後の人生にも関わってくるので、それも当然のことだろう。
セスもこんな感じだったのだろうかと考えていると、彼の妹であるリーシャの姿が視界に入る。他の生徒がどこか落ち着きなくソワソワしているのに対し、彼女は目を閉じて静かに佇んでいた。
凛とした佇まいは、テストの直前でも変わらないらしい。恐らく、自分の実力に自信があるのだろう。ああいったところはセスとは似ても似つかない。やはり学年でも上位の成績を常に収めている彼女にとっては、テストであっても緊張はないのか。
レイスは生まれてこの方テストなんてものを受けたことはないので、生徒たちの気持ちはぼんやりとしか分からない。……まあ、生存をかけて錬金術を学んでいたことはあるのだが。どちらが幸せかは考えるまでもないだろう。レイスとて、同年代の友人と切磋琢磨しながら学ぶ方がはるかによかった。
清々しい気分が徐々に悲しい気持ちに塗り替えられてきたころ、ヘルガーが生徒たちの前に出る。
「これより試験を開始する」
その言葉に、生徒たちの表情に真剣さが宿った。
いよいよ始まるのかと、レイスも佇まいを直す。
試験は一度に五人までやるらしく、名簿順に前に出ていく。
今回試験のために用意された材料は鉄だ。土とは比べ物にならない耐久性を持っているし、材料費も程々に抑えられる。訓練に使う程度であれば、十分な材料だ。
土に比べて多少は変形の難易度が上がるが、テストである以上、簡単であっても意味はないだろう。
そして、最初の五人のテストが始まる。中には、レイスに質問をしに来た生徒もいた。五人揃って緊張を解すように深く息を吐き、用意された魔石と鉄に向き合う。
そして、そのまま作製に取り掛かった。
皆、レイスのように一瞬でゴーレムを作り出せるわけではないので、じっくりと時間をかけて形を作り出していく。ただ、もちろん時間をかけすぎるのは減点対象だ。
素早く頑丈に、ゴーレムの形を作り上げる。やることは単純だが、その難易度は高い。生徒たちも慣れない鉄の変形に苦戦しているのか、その表情は苦々しいものだった。
五人の中で一番早く形が作り上がったのは、作り始めてから五分経ったときだ。それから次々と出来上がり、一番遅くとも七分程で完成した。
この時点で、耐久性以外の評価が決定する。
やり切った顔をしている生徒や逆に悔しそうにしている生徒もいる中、ヘルガーは目の前に並ぶゴーレムを見ながら手元の用紙にペンを走らせた。
そのあと、すぐに耐久性の確認へ入る。ヘルガー本人が軽く魔法を発動し、どれだけゴーレムの形を保つことができているか見るのだ。
多少凹んだり、大きく形が歪んだり、結果は様々だ。どういう評価基準なのかはレイスも知らないので、気になりつつも進行を見守る。
それからどんどん順番は巡っていき、ついにリーシャの番が回ってくる。レイスとしても顔見知りである彼女の腕前は気になるところだ。
優秀であることは知っているが、どれほどのものなのか。
リーシャは落ち着いた様子でゴーレム作製に入る。その手際はとてもスムーズなもので、材料の違いによる戸惑いなどは一切見て取れなかった。
実際に作り上げる段階になってもリーシャの手が止まることはない。ほかの生徒を置き去りにして、みるみるうちにゴーレムが完成していく。
結局、リーシャは三分程でゴーレムを完成させてしまった。これにはヘルガーを含め、ほかの生徒たちも感嘆の声を漏らす。続く耐久性のテストでも、リーシャが作り上げたゴーレムは一切の形の変化がなかった。
まさに完璧というほかないだろう。
レイスから見ても、リーシャという名の少女はとびきり優秀だった。これが錬金術だけに収まらないのが彼女の凄いところだろう。魔法も勉学も怠ることはなく、上位の成績を取り続けている。
四大貴族の名に恥じぬ人材であることは間違いない。
レイスはとてもリーシャが自分より歳下だと思えなかった。育った環境が違いすぎるのもあるのだろうが。レイスの親は冒険者なので、家柄も何もない。まあ、何故か両親の知り合いは有名な人物が多かったが。
「そういえばあの二人、今頃どうしてんだろ」
特に寂しいわけでもないが、最近は連絡を取れていないので多少は気になる。幼いレイスをルリメスに預けていったくらいなので、根っからの冒険者だ。とはいえ、愛情はきちんと受けていたし、手紙も頻繁に送られていた。
年に一度は顔を合わせに来ていたし、きっと今もどこかで未知の遺跡でも調査しているのだろう。
テストの風景を眺めながらぼんやりと取り留めのないことを考えていると、隣に人の気配を感じる。思わずそちらに視線を向けると、テストを終えたであろうリーシャが立っていた。
「どうでしたか?」
「どう……とは?」
「テストですよ。ここでずっと見ていたんですよね?」
「あぁ、まあ全体的にレベルが高いし、良い環境だと思うよ。ヘルガーさんもベテランだし」
学びの場としてはこれ以上ない程だろう。自分の弟子を魔物が蠢く墓地に送ったりする師匠の下で学ぶよりはずっといい。
「レイスさんの目から見て、私はどうでしたか?」
「ん? そうだなぁ、この中だと飛び抜けて優秀だと思うよ。今のところはね」
まだ全員が終わったわけではないので、断言はできない。もしかしたらリーシャよりも実力が高い生徒もいるかもしれない。まあどちらにせよ、リーシャが優秀であるという事実に変わりはないのだが。
リーシャはレイスの言葉に苦笑を浮かべた。
「レイスさんに言われると、不思議と褒められている気がしませんね」
「え、結構褒めてるつもりだけど……」
レイスとしてはこれ以上ないほど褒めているつもりだ。事実、そうだろう。ただ、本人のレベルが生徒たちと比べるまでもない領域にあるだけだ。
レイスほどの力量となると、もはや嫌味にも聞こえない。
リーシャはレイスの評価を聞けて満足したのか、すぐに生徒たちのところへ戻ろうとする。しかし、その途中で唐突に足を止めた。訝しげな表情で足を止めるものだから、レイスも首を傾げてリーシャを見る。
「どうしたんだ?」
「いえ……少し、魔力の流れがおかしい気がして」
「……魔力の流れ?」
最近、似たような話を聞いたばかりだ。思わずレイスも眉をひそめて聞き返してしまう。
「はい。昨日まではそんなことはなかったんですけど……」
昨日。
レイスは昨夜の会話を思い出す。
シルヴィアとルリメスは、確かに魔力の流れの異常がなくなったと言っていた。だが、今度は学院で同じことが起こっているときている。
偶然にしては随分と都合が良い時期に思えた。
「……そうか。引き止めて悪かったな」
生徒たちの方へ戻っていくリーシャの背を見ながら、原因を考える。しかし、そう簡単には何も思いつかない。
思考を深めている間に、テストももう終盤といったところだ。
レイスは嫌な予感を覚えながらも、残りのテストを見守った。
***
「あ」
テストが終わり生徒たちが消えたグラウンドで、レイスは思わずといった風に声を出す。
彼の目の前にあるのは、グラウンドの土に刻まれた足跡のようなものだ。見覚えのあるその足跡は、前回は特に思うことなく消したが、二回目となるとさすがに気になってくる。
「…………」
まるで引っかき傷のようにも見える、動物のものらしき足跡。ただ、あれから学院で過ごしているが、動物を飼っているなんて話は一度も聞いたことがない。
足跡を見る限り、本体もそれなりの大きさを持っているだろう。
もしかしたら、学院内に何か迷い込んでいるのかもしれない。
……まあ、王都内にある学院に一体何が迷い込むのか、という話ではあるのだが。
ふと、この足跡を辿ってみるか、という考えが湧いて出てくる。
レイスの知らない場所で、何かが起きている可能性がある。魔力の件もあって、少々過敏になり過ぎているのかもしれないが。
「まあ杞憂で終わるなら、それが一番だしな」
少し面倒に思えるが、何かこの足跡について分かるかもしれない。レイスは一度グラウンドの整備の手を止め、ぽつぽつと続く足跡を追い始める。
「結局、魔力の流れなんて俺には分かんないしなぁ……」
あれから色々と考えてはみたものの、やはり魔導師でもないレイスには難しい問題だ。一度、本格的にルリメスとシルヴィアに相談してみてもいいかもしれない。
ぼやきながら足跡を追っていると、グラウンドの終わりに差しかかる。そこからはぽつぽつと土の欠片が落ちているだけで、とても追跡できそうになかった。
「はぁ、こっちも分からず終いか」
レイスは肩を落とし、追跡を諦めて来た道を戻る。胸に積もる不安は、より大きなものとなっていた。
もう少しで何事もなく教師という仕事を終えられそうなこのタイミングでこの仕打ちとは、世界に呪われているとしか思えない。
それほどの何かをした覚えはないが。
「とりあえず、今日はもう帰るか」
深くため息をつき、レイスは重い足を動かした。