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観望
兵主蚩尤の観望下、天王山の戦いを制し、秀吉は織田政権の中枢に立つ。その後、賤ヶ岳の戦いで、筆頭家老柴田勝家と雌雄を決する――勝家は、足利義昭をつうじて、毛利氏に秀吉を攻めるよう要請した。毛利は、元亀四年(一五七三)以来、義昭を備後国鞆にむかえている。義昭はここから数々の命令を出し信長包囲網を構築、現代の研究者に「鞆幕府」とよばれるほどの、厚遇をうけていた。
輝元は、いくたびにもわたる秀吉を攻撃せよという命令に、したがわなかった――こういうあたりが、出るか出ないかでは、後者を取る――優柔不断と評されるゆえんなのだろう。
彼の賭博は、もう、済んでいたのだ。




