家譜
新撰姓氏録は弘仁六年(八一五)に編纂された氏族名鑑で、畿内千百八十二氏族を「皇別」「神別」「諸蕃」「その他」に分類している。このうち、諸蕃(蕃別、渡来人)は、三二六氏族――
江戸幕府も、諸大名の素姓をただすべく、家系図集を編纂している。寛永諸家系図伝がそれで、作業が突貫だったため、百七十年後にこれを補強した寛政重修諸家譜が出た。体裁は新撰姓氏録をもとにしていて、掲載順は「皇別」「神別」「諸蕃」となっている。つまり、皇統、貴族由来、帰化人、と、筋目の順序になっている。
ただ、どうにも分類にこまる素姓もあるのか、「神別」と「諸蕃」のあいだに、編纂者が肩をすくめるようにして、「いずれの別といひがたきものは、しばらく神別の下におさむ」とした三氏がいる。まず飯高氏――これは、千葉氏の支流らしい。この箇所に記載されている以上あたりまえだが素姓ははっきりしない。千葉のほかに伊勢にも飯高という地名があり、飯高県造という上古の氏族に由来する。これがおおもとかもしれない。伊勢飯高氏の祖は、軍事に功績のあった古代氏族和邇氏――。応神天皇の時代に、百済から儒学者和邇吉師が渡来している。和邇、というのは、当時の百済にはよくある姓で、千葉飯高氏は、蕃別に分類されるのを嫌がり、幕府の編者に「祖先のことはよく存じ申し候わぬ」とつたえたのかもしれない。前にもふれたが、秀郷流の千晴子孫が、千晴の母を不詳としているように、武家の筋目は源氏で、渡来人ではかっこうがつかない。――かっこうがつかないと思っているのは当の帰化何十世の面々で、その周囲で筋目を名乗っている連中も、かなりのところ帰化人とかかわりをもっている、という目も当てられない状況である。江戸幕府は格式と体面の世間であり、なるべくなら、蕃別の不体裁はさけたいところであろう――八幡神も苦笑している――。もともと、なにもかも糊塗してきた馬の骨どもだから、いまさらだろうが。
秦やら漢やら――因果は廻る。
さて、「神別」と「諸蕃」の間に記載されている三氏――飯高氏のつぎは惟宗氏だ。
島津家の祖。
惟宗氏が宇佐八幡宮の大神氏に由来し、これが秦氏なのは周知なのだが、やはり、右の心理だろう――かっこうがつかない。鎌倉以来の家柄が島津の自慢で、帰化人由来ではこまる。なにぶん、大藩である。「ある本の惟宗系図には後漢霊帝四世の孫山陽王をもって惟宗氏の祖とすとみえたり。いまだその是非を詳にせず」と惟宗姓神保氏系図の注釈にある。つまりは渡来人の素姓をほのめかしていて、編者のぼやきだ。「島津家は秦氏でござ候に」
惟宗氏のつぎに有名な氏族が掲載されている。
豊臣氏だ。




