猜疑
くりかえしになるが、ほんとうに、「天下様」をささやいたのかもしれない――仕えるべきおひとをうしなった秦氏の混乱は、そのくらいどぎつい現実を突きつけ、あらたな目的をあたえてやらねば立ち直れぬものだ、と、官兵衛は考えたのだろう。
……司馬遼太郎氏の『播磨灘物語』では、この一言を吹き込んでしまったがゆえに、秀吉は、自分よりも早く天下の簒奪という謀略に行き着いた官兵衛に、終生心をゆるさなかった、という劇的な筋書きを展開されている――
小説的、といってもいいくらいドラマチックだが、この場合、十分あり得ただろう――
秦氏は、天皇なり、藤原氏なり、中央政局の主役とは、つねにつながりを確保していた。
彼らは、周防、というありかたに、満足していたのではないか……それがそのまま、貴族の代官として所領安堵をとりつける武士の生理になった。
江戸時代の、観念化された「主人」を失ったのではない――この主人は、そのまま、秦氏の立つ瀬と大地を保証してくれる、「天」そのものだった……
痛哭であろう――
親を失った、幼童ではないか……
そこに、「天下様」などという、どぎつい野望を挿まれたのだ。
(ひとでなしが)と、そう思うとともに、(こういう男だったのか)と、目が覚めたように、官兵衛を見返したことであろう――官兵衛は悪くない。
秦氏ではなかったのだ――
武士よりも、さらに異邦人に近いひょうすべという生き物を、彼は理解できなかった。




