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8 やりすぎた反撃「効果的でした」「必要かと聞いている」

 翌日の午前、初夏の柔らかな陽光が王都中央区の目抜き通りを白く照らしていた。

 大理石の列柱が連なる王都公証院の前には、朝早くから権利関係の登記や契約の公証を求める商人や代筆人、家令たちが行き交い、蹄の音とざわめきが絶え間なく反響している。


 その大階段を下りてきたエヴリンは、手元で革表紙の手帳をパチンと閉じた。

 彼女の小脇には、公証院の受付印が鮮明に押された『預託金返還請求申告書』の正式な受理控が収められている。

 申告書は予定通り受理され、明日の朝一番にはランベール子爵家本邸へ公証官の手によって正式に送達される手はずが整った。


「手続きは受理された。これで、セドリック様も公の場での応答を無視して済ませることは難しくなったはずだわ」


 エヴリンは小さく息を吐き、階段の踊り場で足を止めた。

 彼女の三歩後ろには目立たぬ濃紺の仕着せを纏った初老の男、公爵邸の執事長ハインツが静かに付き従っている。


 昨夜のオズワルドの厳命により、エヴリンの外出にはハインツの同伴が義務付けられていた。

 本人が「一人で出向く」と頑なに主張したものの、オズワルドが「通信規約を盾に公証院への代理提出を引き受けるか、ハインツを連れて直接行くか選べ」と譲らなかったため、エヴリンが妥協した結果だった。

 さらに通りを挟んだ向かいの辻には、軽装の私設騎兵が二名、何気ない様子で馬を繋ぎ、周囲を警戒している。

 表向きは目立たぬよう配慮されているが、公爵の警備網は蟻の這い出る隙もないほど堅固だった。


「エヴリン様。次はどちらへ向かわれますか。南区の書記官詰所であれば、裏手の馬車を回させますが」

「いえ、歩いてすぐの二番街にある製本屋へ寄ります。昨日受注した伝票整理で使う新しい伝票の写し用紙を買い足しておきたいので」

「かしこまりました。お供いたします」


 ハインツが慇懃に一礼し、エヴリンは歩道へと歩みを進めた。

 中央区から二番街へと続く通りは、高級仕立て屋や宝飾店、上流階級向けの喫茶サロンが軒を連ねる、王都で最も洗練された社交街の一つだ。

 色とりどりの日傘を差した貴婦人たちや、洒落たステッキを手にした紳士たちが、優雅な足取りで行き交っている。

 擦り切れた藍色の古いドレスを着たエヴリンの姿は、昨日の今日で多少の皺が目立つとはいえ、背筋を真っ直ぐに伸ばしたその立ち居振る舞いには一切の引け目はない。

 だが、その華やかな通りの一角、瀟洒なガラス窓が並ぶ老舗カフェのテラス席の前を通りかかった時だった。


「お姉様!」


 甲高い悲痛な叫び声が、街の喧騒を切り裂いて響く。

 エヴリンが足を止めるより早く、テラス席の囲いから飛び出してきた一人の娘がドレスの裾を翻して駆け寄ってきた。

 幾重にも重なる淡い桃色のレース、胸元に輝く大粒の真珠の首飾り、そして金色の巻き毛。

 妹のコレットだった。

 コレットの愛らしい瞳には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。頬はわずかに赤らみ、息を切らしながらエヴリンの足元へすがりつくように両手を伸ばしてくる。

 カフェのテラス席には、コレットと同年代の良家の子女と思われる令嬢たちが四、五名。扇を口元に当てて息を呑みながら立ち上がった。彼女の取り巻きの友人たちだ。


「お姉様! 探しましたわ……こんなところでお会いできるなんて!」


 コレットの声は、周囲の貴族や通行人たちにもはっきりと届く音量だった。

 通りを行き交う人々が何事かと足を止め、瞬く間に二人の周囲に好奇の視線が集まり始める。


「お姉様。お願いですから、もう怒らないでくださいまし!」


 コレットは路上であることも構わず、その場に身を屈め、すがりつくような仕草を見せる。

 その姿は冷酷な姉の理不尽な怒りに怯えながらも、必死に許しを請う健気な妹そのものだった。


「セドリック様が私を選んでくださったことで、お姉様のお心を深く傷つけてしまったことは、心からお詫びいたしますわ……! ですが、セドリック様をそこまで追い詰めないであげてください! 門前で恥をかかせた上に公証院にまで訴え出るなんて、あまりにも酷すぎます! 私、セドリック様が困り果てておられるのを見ていられません!」


 ポロポロと大粒の涙がコレットの白い頬を伝い落ちる。テラス席の取り巻き令嬢たちから、ざわめきと哀れみの声が漏れた。


「まあ、コレット様がそこまでお謝りになっているのに……」

「なんて可哀想。婚約者を取られた腹いせに、あんな身なりの姉が妹を責め立てているのではないの?」

「公の道端であんなに泣かせるなんて……」


 集まった野次馬の間にも同情の空気がさざ波のように広がっていく。

 王道の構図だった。

 美しく愛らしい妹が涙を流して頭を下げ、冷淡な姉が見下ろしている。事情を知らぬ第三者から見れば、エヴリンは妹の幸福を妬んで復讐に狂った悪女にしか見えない舞台立てだった。


 コレットは俯きながら、涙に濡れた睫毛の隙間からエヴリンの顔を盗み見た。その瞳の奥には、わずかな嘲弄の光が潜んでいる。

 公衆の面前でこうして泣いて見せれば、世間体というものがある。

 エヴリンがどれほど理屈を並べようと、「これほど謝罪している妹を許さぬ冷血漢」という汚名を被るか、あるいはその場で「もういいわ」と折れるしかない。

 そう計算しての行動だった。


 ハインツが一歩前へ出ようとしたが、エヴリンはすっと右手を上げてそれを制した。

 エヴリンの表情は氷のように冷え切っている。

 怒りも、当惑も、妹への憐憫すら微塵もない。


「コレット」


 エヴリンは静かに口を開く。その声音は透き通るように澄み渡り、周囲のざわめきをすっと鎮める。


「お芝居はもう結構です。路上の石畳に泥がついて、その豪奢な桃色のドレスが汚れてしまいますよ。セドリック様が私の口座から無断で引き出した金で仕立てた、特注のドレスなのですから」


 ピシリと、空気が凍りついた。

 コレットの肩が跳ね上がり、涙声が喉に詰まる。


「な……何を、おっしゃるの……」

「あなたが今口にした謝罪には、三つの明らかな事実誤認が含まれています」


 エヴリンは淡々と指を一本立てた。


「第一に、あなたはセドリック様が私からあなたへ乗り換えたことについて謝罪なさいましたが、私はその件について一度たりとも怒っておりません。不誠実で金銭感覚の危うい男性との婚約が解消されたことは、私にとってはむしろ好都合であり、心より安堵しております」


「え……」


「第二に、私が公証院を通じて行っているのは個人的な復讐ではなく、無断で引き出された私有財産四百二十万ゼルの正当な返還請求です。不当な金銭処理の後始末を求める法的手続きを『追い詰めている』と表現するのは、単なる論点のすり替えに過ぎません」


 エヴリンは二本目の指を立て、さらに三本目の指を立てた。


「第三に、あなたが『探しましたわ』と涙を流しておられますが、私は公爵邸に正規の滞在をしており、父上やセドリック様にも所在は伝わっております。偶然通りかかった私を待ち伏せし、ご友人方の前で先手を打って被害者を演じることで、周囲の同情を誘って請求を取り下げさせようという魂胆ですね」


「ち、違うわ! 私はただお姉様と話し合いがしたくて……!」


 コレットは必死に声を張り上げ、立ち上がってエヴリンに縋り付こうとした。

 だが、エヴリンは冷徹な眼差しで見下ろしたまま、一歩も動かない。


「話し合い? 都合が悪くなると『家族の情』を持ち出し、他人の財産をあてにすることを、世間では甘えと呼びます」


 周囲の野次馬から、小さく息を呑む気配が広がる。

 エヴリンの反論には筋が通っていた。

 コレットの涙が計算されたものであること、そして返還請求が正当な権利行使であることを、誰の目にも明らかな形で解体してみせたのだ。

 この時点でコレットの企みは失敗に終わっていた。

 テラス席の友人たちも居心地悪そうに視線を泳がせ、コレットの味方をしてエヴリンを責め立てられるような空気は綺麗に消え去っている。

 しかし――エヴリンは止まらなかった。


 彼女の脳裏をかすめたのは、昨夜のオズワルドとの口論だった。

『そこまで徹底的に叩く必要があるのか』と渋い顔をしていた公爵の姿。

 甘い。あんなものは、安全な高みから物事を見ている者の気休めだ。

 中途半端に逃げ道を残せば、相手は『まだ取り繕える』と勘違いして、明日にはまた別の言いがかりを仕掛けてくる。二度と同じ企みを起こさせないよう手持ちの手段で退路を塞ぐべきだ。

 使える手札があるなら、ここで確実に使わなければならない。

 エヴリンは手元の手帳から、数枚の細長い紙片を迷いなく引き抜いた。


「コレット。あなたが本当に心清らかな妹で、純粋な反省から頭を下げているとおっしゃるなら、これらの用命メモについても、皆様の前でご説明いただけますか」

「な……何よ、それ……」


 コレットの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。


「実家にいた頃、あなたが私に対して日常的に送りつけていた用命の控えです。もちろん、あなた直筆の筆跡です」


 エヴリンは感情の一切こもらない、透徹した声で最初の一枚を読み上げる。


「『お姉様、今週末の茶会でベアトリス様が着てくるドレスの色を探っておいて。あの人の選ぶ色はどうせ地味だから、私が同じ系統で一段華やかな生地を押さえられるよう、先に仕立て屋へ連絡して』」

「や……やめて……!」


 コレットが小さな悲鳴を上げた。

 テラス席にいた令嬢の一人が、小さく息を呑み、椅子の上で固まった。まさにその髪に清楚な薄緑のリボンを飾っていた令嬢――ベアトリスだった。


「コレット様? あなた私の色を……?」

「ち、違うの、ベアトリス様! そんなの昔の冗談で!」

「冗談ではありません。日付も署名もございます」


 エヴリンは一瞥もくれず、二枚目の紙片をめくった。


「続いて昨年の秋のメモです。『クラウディア様のお茶会に持参する焼き菓子、一番安い店で適当に買ってきて、高級な包み紙に詰め替えておいて。あの方の好みなんてどうせ分からないし、体裁さえ整っていれば文句は言われないでしょうから』」

「まあ……!」


 テラス席の別の令嬢が、侮辱されたように顔を赤らめ、扇を握りしめた。


「コレット様! 私のお茶会にそんな失礼な真似を……!?」

「やめて! やめて、お姉様!」


 コレットは耳を塞ぎ、取り乱して叫ぶ。

 だが、エヴリンの唇は止まらなかった。彼女は最後の一枚を指先で弾き、冷然と読み上げた。


「そして先月のメモです。『セドリック様への手紙だけど、お姉様の机にあった詩の写しを私が選んだことにして添えておいて。あの人、難しい言葉を並べておけば感激するから、適当に合わせておけば機嫌がいいのよ』」


 通りに重く冷たい静寂が落ちた。

 それは、金銭の横領や婚約破棄の真偽とは何の関係もないことだった。

 身内だけに向けられた、コレットの小さな見栄。友人への嫉妬、取り巻きに対する陰口、そして元婚約者を裏で軽く見ていた本音。

 重大な犯罪ではない。

 だが、思春期の令嬢にとって、社交の場において友人たちの面前でそれらを一字一句晒し上げられることは、耐え難い屈辱だった。


「あ……あぁ……っ」


 コレットはその場に崩れ落ち、両手で顔を覆って震え始める。

 テラス席の友人たちは、もはやコレットを庇うどころか、困惑と不信感に満ちた目で距離を取っていた。昨日までの親密な関係に、修復しがたい深い亀裂が入ったことは明白だ。

 コレットの味方は消えて、企ては木っ端微塵に粉砕された。

 だが、エヴリンは手帳に紙片を戻しながら泣き崩れる妹を見下ろし、冷ややかな声音で最後の一撃を放つ。


「これで、もう誰の前でも被害者の顔は通じませんね」

「ひっ……!」


 コレットが小さく息を呑み、恐怖に顔を歪めた。彼女の体面をさらに傷つけるだけの冷徹な追い討ちだった。

 コレットは声にならない叫びを上げながら跳ね起きると、ドレスの裾を乱暴に抱え、通りの向こうへと逃げるように走り去っていく。

 しかし、エヴリンが顔を上げた瞬間、周囲の空気がさきほどとは全く違うものに変質していることに気づいた。

 そこにいたのは、不当な言いがかりを退けた姉に賛同する人々ではなかった。

 足を止めていた通行人や野次馬たちは、息を呑み、引きつったような面持ちで半歩後ずさっている。

 妹の企てが浅はかだったことは理解している。

 だが、すでに相手が言い返せなくなっているにもかかわらず、個人的な用命メモを次々と読み上げて友人の面前で晒し者にしたエヴリンの姿に、人々は明らかな「引き気味の恐怖」を覚えていたのだ。


「……そこまで言わなくても……」

「嘘を暴くだけでよかったろうに……」

「正論だけど、ちょっと容赦がなさすぎるわ……」


 低く囁かれる声が、冷たい飛沫のようにエヴリンの耳朶を打った。

 エヴリンはわずかに眉を寄せる。

 なぜ周囲がそんな目で自分を見るのか。先に仕掛けてきたのはコレットだ。

 中途半端に情けをかければ、また同じ真似を繰り返す。だからこそ味方を削ぎ、二度と立ち上がれないように徹底した。

 それのどこが間違っているというのか。

 その時、ざわめく人垣が左右に割れ、速い足取りで近づいてくる長身の男があった。

 漆黒の軍礼服を着流し、青灰色の瞳を険しく光らせた男、オズワルドだった。

 近隣の警備詰所で待機していた彼が、ハインツの合図か衛兵の報告を受けて駆けつけてきたのだ。


「公爵閣下……」


 ハインツが小さく頭を下げる。

 オズワルドは逃げ去ったコレットの足跡と、凍りついたテラス席の令嬢たち、そして周囲の観衆がエヴリンに向けている居心地の悪そうな視線を、鋭い一瞥で把握した。

 そして、淡々とした顔で佇むエヴリンの腕を乱暴にならない力加減で掴む。


「乗れ」


 低く、押し殺した声だった。

 大通りに横付けされた公爵家の黒い馬車へと、オズワルドはエヴリンを促す。エヴリンは無言でステップを上がった。


   ◇


 重厚な扉が閉まり、馬車が力強く走り出す。

 車内には、針の落ちる音すら聞こえそうなほどの重苦しい沈黙が満ちていた。

 向かいの座席に腰を下ろしたオズワルドは、腕を組み、彫像のような顔立ちのままエヴリンをじっと見つめている。

 その青灰色の瞳に宿っていたのは、怒りというよりも、深い苦渋と失望の色だった。

 エヴリンは手帳を膝の上に置き、背筋を伸ばしてその視線を受け止めていた。


「……何かおっしゃりたいことがあるのならどうぞ。私は正当な防衛を行いました。あの場で妹の虚偽を放置していれば、公証院への正当な請求すら復讐劇だと曲解されるところでした」


 オズワルドはすぐには答えなかった。

 窓の外を流れる街並みに視線をやり、一度深く息を吸い込んでから、静かに口を開く。


「嘘を暴くのは正当だ。返還請求の正当性を主張するのも、何ら間違ってはいない。……だが、最後の一言は必要だったか」

「効果的でした」


 エヴリンは即座に平然と言い放つ。


「妹の友人関係における小さな見栄や陰口を突きつけることで、コレットが今後、取り巻きを利用して私に圧力をかける手段を封じました。味方を減らし、二度と同じ企みを起こさせないようにしたのです。そして『被害者の顔は通じない』と釘を刺すことで、彼女の逃げ道を塞ぎました。極めて効果的でした」

「必要だったかと聞いている」


 オズワルドの声が一段低く沈む。


「効果的でした」


 エヴリンは眉毛一本動かさず、同じ言葉を返した。


「必要だったかと聞いているのだ、エヴリン!」


 オズワルドが身を乗り出し、座席の間の革張りの肘掛けを低く叩いた。エヴリンの肩が微かに跳ねる。


「妹はお前の反論で言い分を崩され、すでに周囲への取り繕いも失敗していた。嘘を暴いた時点で、お前の潔白は誰の目にも明らかだったはずだ! それなのに、なぜ過去の個人的な用命メモまで持ち出し、友人たちの面前で晒し者にした! 泣き叫んで崩れ落ちた相手に、なぜあのような追い討ちの一言を浴びせる必要があったのだ!」


「効果がある手段を使い切らなければ、また別の手を使って攻撃してきます! 徹底的に叩かなければ――」

「最初に攻撃されたことは、何を返しても許される理由にはならない!」


 オズワルドの一喝が密閉された車内を鋭く切り裂いた。エヴリンの唇が凍りつき、反論の言葉が喉元で止まる。


「お前に反撃する権利があるのは当然だ。理不尽に尊厳を踏みにじられそうになったのだから、身を守るために事実を突きつけるのは正しい。……だがな、エヴリン。相手が悪意を持っていたからといって、どれほど過剰に踏みにじっても正当化されるわけではない!」


 オズワルドの瞳には、強い焦燥が宿っていた。


「勝負はもうついていた。お前は勝っていたのだ。それなのに、お前が選んだのは、すでに立ち上がれなくなった相手へ、さらに追い打ちを重ねるようなものだ。周囲の人間の顔を見ただろう。彼らはお前を称賛していたか? 違う。お前のその容赦のなさに、ただ怯えて引いていただけだ!」


 エヴリンの胸の奥に冷たい針が突き刺さるような痛みが走る。

 言い返そうとした。

 相手が先に罠を仕掛けてきたのだと、徹底的に叩くことこそが最も確実な安全策なのだと、いつものように理路整然と言葉を組み立てようとした。

 しかし、声が上手く出なかった。

 脳裏に浮かんだのは、目抜き通りで自分を取り囲んでいた人々の、あの奇妙な視線だ。

 自分は正しかった。

 数字も、事実も、論理も、必要なものは揃っていた。妹の浅はかな泣き真似を退け、自分の立場を守れたはずだった。

 それなのになぜ、周囲の人間は自分から距離を取り、恐怖の混ざった目を向けていたのか。


「効果があることと、やる必要があることは別だ」


 オズワルドの声は再び静かで重い調子へと戻っていた。

 そこにあったのは、エヴリンを頭ごなしに否定する怒りではなく、危うい刃を振るい続ける彼女への、真摯な忠告だった。


「お前の実務の腕も、事実を突きつける強さも本物だ。だが、その強さにブレーキがついていない。できるからという理由だけで相手を徹底的に潰す選択を重ねていけば、お前は敵だけでなく、味方まで遠ざけることになる。自分自身の選べる道を、結果として狭めることになるのだぞ」


 エヴリンは膝の上で、擦り切れた藍色のドレスの生地を指先が白くなるほど強く握りしめる。


「……敵しかいない日々を過ごしたことはありますか? あの場にいた者たちも同じです。そのような経験が無いから、甘ったれた防衛意識しかないのです。これまでの日々を踏まえ、加減などしていたら、今頃私はどうなっていたんでしょう。高みから見下ろす立場の閣下も含め、味方が一人でもいる方たちが羨ましいですわ」


 車輪が石畳を規則正しく叩く音だけが、沈黙の車内に響く。

 正当な勝利の先に残った、苦く冷たい後味。

 エヴリンの胸の中に生じたその鈍い痛みは、彼女がこれまで信じ切ってきた「徹底的な反撃」という防壁に、初めて生じた小さな亀裂だった。



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