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第九章――まだ羽のない者たち

ネフティアの子供には、生まれた日が三つある。


卵が産み落とされた日。


殻を破った日。


繭を出て、初めて自分の羽で飛んだ日。


どの日を最も大切にするかは、家族によって違う。三日とも祝う家もあれば、孵化の日だけを祝う家もあり、羽化するまで名を決めない土地もあった。


国が子供を数え始める日は、一つでよかった。


殻を破った日である。


盟約王令が、そう定めていた。


羽化記録官ミレアが中央孵化庭へ着いたとき、一つの卵がすでに割れかけている。


セレネアとアルヴェルンの停戦は、あと二十一日。


旧トーレン関門からネフティアまでは、途中で一度も地面へ降りずに飛べば二日半かかる。ミレアは三日を費やした。


向かい風を受けるたび、欠けた羽先から身体が左へ流れる。休む場所を探して高度を落とすのにも、もう慣れている。


それでも共和国議会への帰還報告より先に、孵化庭へ来た。


境界で誰が先に撃ったかを記録することも、誰が生まれたかを記録することも、同じ仕事だと考えている。少なくとも、ミレアは。


中央孵化庭は、首都で最も低い枝に設けられていた。


飛べる者には不便な高さである。だが卵も幼体も飛べない。


湿地へ根を張る巨木の間に、ネフティアの首都は築かれている。細い枝から住居が吊られ、幹と幹を蔓編みの橋が結ぶ。羽化した者は空を行き、まだ羽のない幼体は、縁に網を張った歩廊を歩く。


高い場所ほど、飛べる大人たちの都合でできていた。


だから孵化庭と蛹房だけは、落ちても死なない高さに置く。法律より古い習慣だった。


孵化庭には六つの出入口があり、天井にも大きな排気窓が四つ開いている。雨の日は樹脂を塗った薄布を張るが、すべての口を同時には閉じない。


千年前、ピクシーの卵と幼体は、戦地へ運ばれる間、窓のない箱へ詰められた。


その箱を見た者は、もう一人も生きていない。それでも、出口を一つしか持たない部屋は作らないという決まりだけが残っている。


記憶より、建物の方が長く生きることがある。


中央には浅い籠が円形に並び、発酵させた花粉と細く裂いた葉が、卵を下から温めていた。


安定した気温と湿度の中で、卵は十日から二十日ほどで孵る。殻を破った幼体には手も足もあるが、背中は滑らかで、羽はない。


六年から九年をその姿で過ごす。身体が育てば自ら糸を吐いて繭を作り、四十日あまりの蛹の間は歩くことも、声を上げることもできない。内側から繭を破って初めて、四枚の羽を持つ。


寿命は、孵化してからおよそ五十年。


飛べない時間は、幼年期と呼んで片づけられるほど短くなかった。


「遅い」


孵育官が言った。


白い作業衣の上から、胸当てのような保温布を巻いている。抱いた卵の温度を下げないための服だ。


「関門の調査が長引きました」


「あなたではなく、この子です」


孵育官が籠の中を指す。


淡い黄緑色の卵が、小さく揺れていた。殻には昨日から亀裂が入っているという。


通常なら、孵化まで半日もかからない。だがこの卵は、割れかけては動きを止めている。


籠の左右には、卵を産んだエナと、その伴侶のトルが座っていた。二人とも羽を畳み、籠の縁へ手を置いている。


指は、殻へ届く少し手前。


外から割れば、幼体は楽に出られる。だが自分で殻を破る運動は、呼吸に必要な筋肉を目覚めさせる。


助けるのが早すぎても、待つのが長すぎても、子供を弱らせる。その境目を見極めるのが孵育官の仕事だった。


「呼吸音は」


ミレアが尋ねた。


「弱いですが、続いています」


孵育官は卵へ細い聴音管を当てる。


殻の内側から、規則正しい擦過音が聞こえた。


休んでは、押す。


休んでは、また押す。


「記録を始めます」


ミレアは薄い記録板を開いた。旧トーレン関門で兵士たちの証言を書き留めたものとは、別の板である。


一行目には産卵日。次に、温度の変化、殻の色、亀裂が入った時刻。


その下に、長い空欄が待っていた。


――固有魔法種別。


さらに、その右に小さな欄がある。


――軍用区分。


ミレアの筆が止まる。


「まだ、それを使うのですか」


エナの目は筆ではなく、二つの欄へ向いていた。


「使いません」


「では、なぜ持ってきたのです」


「何を残し、何を消すか、議会がまだ決めていないからです」


「王が死んだのに?」


「盟約王令は効力を失いました。ですが、記録板は残っています」


自分の答えが、ミレアにも妙に聞こえた。


王は死んだ。命令も消えた。子供を分けるために刷られた欄だけが、何事もなかったように次の名前を待っている。


エナが籠の向こう側へ目をやった。


壁際には、布を掛けられた黒い金属の輪。幼体登録器である。


孵化した子供を輪へ入れると、刺激術式が固有魔法を強制的に発現させる。炎、水、遠くへ届く音、物の重さ。現れた力は登録番号と結びつけられ、盟約王冠に接続された術式を通じて中央台帳へ送られた。


治療や事故防止に役立った記録もある。


同じ記録から、軍は使える幼体を選んだ。


千年前の戦争が終わったあとも、登録制度だけは残された。二度と卵を売買させないため。危険な魔法から、本人と周囲を守るため。


盟約王令には、そう書かれていた。


軍用区分の欄が必要な理由は、どこにも書かれていない。書かなくても、使い道だけは誰にでも分かったらしい。


王の死後、孵育官たちは検査を止め、登録器へ布を掛けた。床へ固定された金属輪を撤去するには、共和国議会の決議が要る。


盟約王の命令は死と同時に失効したのに、従うための手続きは、二十八日目になってもきちんと生きている。


「この子を輪へ入れないと、約束してください」


トルが言った。


「私は入れません」


「あなた以外の記録官は」


答えが出なかった。


共和国では、議会が法を決める。記録官一人の約束は、その記録官の寿命しか持たない。


そのとき、卵の殻が大きく割れた。


エナが息を呑む。


黄緑色の殻の下から、小さな手が出た。四本の指。半透明の爪が、濡れた殻を掴んでいる。


孵育官が聴音管を外す。


「そのまま。触らないで」


もう一方の手が出た。


頭が見える。産毛のように短い髪と、殻へ貼りついた尖った耳。


幼体が口を開く。


最初の声より先に、壁際で青い光が灯った。


黒い金属輪を覆う布が、内側から膨らむ。


「離れて!」


ミレアが叫んだ。


布が落ちる。


登録器の頂点で、盟約王の冠印が明滅している。中央台帳へつながる術式は、王の死とともに切れたはずだった。


千年分の残留魔力までは、死んでいない。


生まれたばかりの固有魔法へ反応し、測定術式が動き始める。金属輪から伸びた細い光が、籠の中の幼体へ触れた。


幼体が泣く。


声は、途中で消えた。


子供の姿もない。


エナの悲鳴が上がる。


三つ目の出入口から、途切れた泣き声が聞こえた。


ミレアは空中へ飛び出す。幼体は孵化庭の外へ張られた捕網の上で、殻の半分を腰につけたまま、濡れた手足を動かしていた。


下にある捕網一枚が、湿地までの落下を止めている。


身体を傾ける。急げば急ぐほど、欠けた羽が左へ引いた。


入口の枠へ肩が当たる。


孵育官が後ろから飛び、ミレアの腰を押した。二人で網へ降りる。


「触る前に声をかけて」


再び驚かせれば、どこへ消えるか分からない。


孵育官が、いつも卵へ聞かせていた子守歌を歌い始めた。幼体の泣き声が少しずつ弱くなる。


エナとトルも網へ降りてきた。


エナが名を呼ぶ。


「イリ」


羽化まで名を決めない家もある。この家は、卵の中にいるときから決めていたらしい。


イリは消えなかった。


エナが両手で抱き上げる。小さな背中には、まだ羽の痕さえない。


孵化庭の内側で、登録器が乾いた音を立てた。


記録板へ文字が浮かんでいる。


――固有魔法種別、短距離転位。


――軍用区分、侵入・搬送補助。


――仮登録番号を発行。


泣き疲れた子供が母親の胸で眠るより早く、登録器はその力の使い道を決めた。


トルが孵化庭へ戻り、記録板を床へ叩きつける。薄い板に亀裂が入っても、文字は消えない。


「壊して」


エナが言った。


「全部、今すぐ」


孵育官はミレアを見ている。


欠けた羽先が、痛むはずもないのに震える。


七年前の登録器も、子供の魔法を正しく見つけた。


刺激術式に怯えた幼体が風刃を放ち、庇ったミレアの羽先を切り落とした。当時の記録へ、彼女は『検査中の事故により、記録官一名が負傷』と書いている。


もっと書けたはずだ。子供が泣いていたことも、輪から逃げようとしていたことも。


書かなかった。


事実を整えれば、報告書として受け取ってもらえる。そう自分に言い聞かせた。


盟約王府から戻った公文書に残ったのは、『固有魔法の発現を正常に確認』の一文だけ。


嘘ではなかった。


書かれなかったことの方に、子供の恐怖と、ミレアの羽があった。


「議会へ持っていきます」


割れた記録板を拾う。亀裂の下で、軍用区分の文字はまだ光っていた。


「壊すかどうかも、記録を残すかどうかも、今日決めさせます」


「決まるまでに、また誰かが孵る」


「だから今日です」


共和国議会は、孵化庭の五つ上の枝にある。


議場に壁はない。一本の太い枝を囲んで止まり木が広がり、その外側を、羽のない者も入れる歩廊が一周している。


雨が降れば天幕を張る。風が強ければ声が届かない。それでも、窓のない静かな部屋へ移そうと提案する者はいなかった。


ここでは、昔の箱を知らない者まで出口を塞ぎたがらない。


ミレアが着いたとき、羽化議長はすでに中央の止まり木に立っていた。セレネアの円卓で見たものと同じ礼装。ただし光粉は雨に流され、四枚の羽には長旅の曇りが残っている。


「孵化した子は」


「生きています。母親の胸で眠っています」


議場の何人かが息を吐く。


「怪我は」


「ありません。出口の下の捕網に落ちました」


「登録器は」


ミレアは割れた記録板を掲げた。軍用区分の文字は、議場の端からも読める。


羽音が広がった。


「撤去しろ!」


「台帳も焼け!」


「王が死んだ日に、そうすべきだった!」


羽化議長が止まり木を二度叩く。


「発言は一人ずつ」


「子供は一人ずつ生まれるとは限りません」


孵化庭を代表する議員の声だった。


「次の二日で、首都だけでも十一個が孵る予定です。審議の順番を待たせるのですか」


「登録器の停止を、議長命令で先に行います」


「停止命令はすでに出ています。今日、動きました」


「では撤去する」


議場の反対側から、低い声が届く。


防衛委員だった。厚い羽を畳み、右肩から腰へ革帯を掛けている。帯には小さな投槍が三本。割れた記録板より、そちらを見る者の方が多かった。


「ただし、台帳まで焼くことには反対する」


怒号が飛んだ。


防衛委員が羽を大きく開く。


「聞け。戦争が始まれば、敵は我々の子供にどんな魔法があるか知らずに済ませてはくれない。転位する子供を避難させるなら、その力を知らなければ守れない」


「侵入・搬送補助と書くことが、子供を守るのですか」


ミレアには、守るという言葉だけが引っかかった。七年前にも聞いた気がする。検査を受けさせる親へ、誰かが同じ言葉を使っていた。


「その言葉を残せとは言っていない。だが能力まで隠して、事故が起きればどうする」


「事故を起こしたのは登録器です」


「今日はそうだ。明日は、泣いた子供が寝床から消えるかもしれない」


反論しかけた羽音が、途中で止む。


捕網の上で泣いていたイリが浮かんだ。あの輪が動かなければ、次は寝床からどこへ消えていたのだろう。


台帳を焼けば、軍は子供を選べない。孵育官も、家族も、危険を知らずに済む。


知らずに済む。


一瞬だけ、その言葉が楽に聞こえる。


記録は子供を選別するために使われた。同じ記録が、発熱に弱い子供を見分け、羽化不全を防ぎ、危険な魔法から家族を守ってきた。


焼くべき記録と残すべき記録を、板の亀裂に沿って分けることはできない。


「では、検査を続けるのですか」


歩廊から声が上がる。


まだ羽化していない幼体だった。七歳ほどで、背中には繭を作る前兆の白い筋が浮かんでいる。


共和国議会で投票できるのは、羽化した者だけ。傍聴席で話すことまでは禁じられていない。


守られる側には票がなく、聞こえるところで尋ねることだけは許されていた。


「私も、もうすぐ繭に入ります」


幼体は言った。


「その前に検査を受けろと言われています。王が死んだあとも、予約の日は消えていません」


「取り消します」


羽化議長が答えた。


「今日だけですか」


議長は黙る。


議長命令は、次の議長が覆せる。この幼体が羽化する日まで、同じ約束が残る保証はない。


「法律にしてください」


「私たちが投票できないうちに決めるなら、少なくとも聞こえるところで決めてください」


議場の外を風が通り、止まり木の何人かが歩廊へ顔を向けた。


羽化した者だけで作られた国が、まだ羽のない者を守れるか。


盟約王が死んだために生まれた問いではない。王がいたあいだ、答えずに済んでいただけだった。


羽化議長がミレアを呼ぶ。


「記録官。あなたは、台帳をどうすべきだと考えますか」


焼く、と言えば議場は喜ぶ。


割れた板も、七年前の報告書も灰になる。自分が何を書かなかったかまで、一緒に。


「残します」


再び怒号が上がる。


ミレアは声が収まるのを待った。


「千年前、誰が卵を持ち去り、誰が幼体へ戦闘魔法を刻んだか。私たちが知っているのは、記録が残ったからです」


「その記録に子供の番号も残っている!」


「はい」


「なら一緒に焼くべきだ!」


「焼けば、奪った者の名も消えます」


二十の寿命を隔てた犯罪に、生きた証人はいない。


記録を失えば、被害だけでなく、加害した国の名も、命じた制度も、すべて昔話になる。残せば、次の権力者が同じ名簿を使うかもしれない。


それでも、自分に都合のいい方を事実と呼ぶことだけはできる。


記録官なら、なおさら。


「記録することが間違いなのではありません」


ミレアは割れた板を裏返し、旧トーレン関門で作った第三報告書の写しを重ねる。


「誰のために、何を記すかが問題です」


境界術式が先に光った。


工兵は警告を受けながら銀線を越えた。


人族兵は光を攻撃だと思い、引き金を引いた。


エルフ兵は銃声を攻撃だと見て、矢を放った。


どれか一つだけなら、どちらかの国が望む報告書になる。すべてを書けば、どちらの国も満足しない。


「記録は、使い道を先に決めてから事実を選んではいけません」


幼体登録板を示す。亀裂の左右に、固有魔法と軍用区分が分かれて光っていた。


「この子は、驚くと自分の身体を短い距離だけ移します。それは事実です。侵入に向くというのは、軍が決めた使い道です」


防衛委員が腕を組む。


「使い道を書かなければ、事実だけ残せると?」


「いいえ。事実を書く者と、読む者を制限します。治療と養育に必要な記録は孵化庭へ残す。本人と養育者の同意なく、軍にも外国にも渡さない。魔法を無理に発現させる検査は禁じる」


「本人が幼体なら、同意をどう取る」


「取れないうちは、軍用の判断をしない」


「戦争は、羽化を待ってくれない」


「だから大人が戦うのです」


止まり木のあちこちで羽が動く。


防衛委員はすぐに答えなかった。投槍を差した革帯へ、指を掛けている。


「大人だけでは足りないかもしれない」


「足りないから子供を使うなら、我々は千年前と同じ国になります」


「使わなければ、千年前と同じように奪われるかもしれない」


欠けた羽先に、ないはずの痛みが戻る。


子供を使えば、千年前へ戻る。使わずに奪われれば、子供を守れなかったと言われる。


大人はどちらにも、子供のためという名をつけられた。


羽化議長が口を開こうとしたとき、伝令が議場へ飛び込んできた。両腕に一通ずつ書状を抱えている。


「セレネアとアルヴェルンからです」


議長が二通を受け取り、封を見比べてからミレアへ渡す。


どちらも、第三報告書の訂正要求だった。


セレネアが加えるよう求めた一文。


――境界術式は、アルヴェルン工兵による無許可の侵入を受けて作動した。


事実ではある。


アルヴェルンが求めたのは、別の一文だった。


――セレネア軍が管理を継続していた軍用術式が、事前の通告なくアルヴェルン兵の眼前で作動した。


こちらも事実である。


二つを並べれば、第三報告書とほとんど変わらない。片方だけなら、最初の一発を撃った国が決まる。


「応じなければ」


議員の一人が尋ねた。


伝令は首を振る。


「どちらの書状にも、処分は書かれていません」


書かれていないことを、全員が読んだ。


ネフティアの調査員は、他国の空を飛ばなければ現場へ行けない。食糧の多くは国内で採れても、刃物の鉄も、繭を病から守る薬も、外国から買っている。


国境を閉じると書く必要はない。


通行許可を一日遅らせ、荷物の検査を一度増やす。それだけで、小さな国は自分から正しい言葉を飲み込むようになる。


「訂正するべきです」


一人の議員が言った。


「両方を加えればよい。どちらも事実なら、報告書の価値は損なわれない」


「両国は、自国の一文を加えるよう求めています」


「相手国の一文ではありません」


「では、両国へ提案し直す」


「合意するまで、報告書を公表しないのですか」


「停戦は二十一日残っている」


「二十一日しかありません」


二つの大国の書状の間で、二十一日は政治上の端数に見える。


ネフティアでは、卵が二度孵る時間だった。蛹なら、羽化までの半分以上を過ごす。


「我々は小さい」


訂正を求めた議員が言った。


「正しい報告書一枚で、国境を守れるわけではない」


「だから、報告書まで大国へ渡すのですか」


「子供を守るには、国が残らなければならない」


「国を残すためなら、何を記録してもよいのですか」


幼体登録板と国境報告書。


まったく違う二つの文書には、同じ空欄がある。誰のために書くのかという欄だけが、最初から用意されていない。


羽化議長が二通の書状を受け取った。


「訂正には応じません」


「議長」


「第三報告書を、証言記録を含めて残る五国家すべてへ送ります。セレネアの要求書とアルヴェルンの要求書も添付する」


議場がざわめく。


「両国を同時に敵へ回します」


「同時なら、少なくともどちらかの味方だとは言われません」


冗談のような言葉だった。


誰も笑わなかった。


「それから、幼体登録令に代わる共和国法を、本日中に採決します」


議長は歩廊の幼体を見た。


「聞こえる場所で」


審議は日没まで続く。


最初に決まったのは、卵、幼体、蛹を共和国の保護を受ける者と認めることだった。卵を産んだ者にも、孵化庭にも、それを財産として売る権利はなく、国も戦時を理由に徴用できない。


次に、固有魔法を強制的に発現させる検査を禁じた。養育と治療に必要な観察は続ける。


記録は番号ではなく、本人の名へ結びつける。羽化まで名を持たない場合は、家族が定めた仮の呼び名を使う。本人が判断できる年齢になるまでは、養育者と孵育官が共同で保管する。


軍用区分は廃止。


外国へ記録を渡す場合は、本人の同意と議会の承認を必要とする。


最後まで揉めたのは、防衛だった。


幼体へ魔法の制御を教えることまで禁じれば、本人を危険にさらす。だが制御訓練と戦闘訓練の境目は、教える者の言葉一つで簡単に動く。


議会は、避難と事故防止のための訓練を認めた。他者を傷つけることを目的とした訓練は、羽化前の者へ行わない。


軍への参加は、羽化した本人の志願に限る。


防衛委員は、最後の条文に反対した。


「志願者が足りなければ」


「足りない人数で守ります」


羽化議長が答えた。


「勝てません」


「子供を兵士に数えなければ勝てない戦争なら、その戦争を始める前に、できることを探します」


「見つからなければ」


議長は答えなかった。


風が天幕のない議場を抜け、歩廊に立つ幼体の薄い服を揺らしている。


そこへ目を向けてから、議長は言った。


「そのとき足りなかった大人の一人に、私がなります」


採決が行われた。


全会一致ではない。


幼体記録の外部提供を全面的に禁じるべきだという者。戦争が近い以上、羽化前から戦闘訓練を認めるべきだという者。卵にまで個人と同じ保護を認めれば、親と国家の権利関係が変わると反対する者。


それでも法案は可決され、羽化議長が主権印を押した。


淡い金色の光が、条文を端から端まで走る。


刻まれたのは、ネフティア一国の主権印だけ。


盟約王冠を介して六国すべてを縛る力は、もう存在しない。この法が守れるのは、ネフティアの国境の内側だけだった。


外国へ持ち去られた卵を取り戻す力も、国境の外で幼体を兵器扱いする者を罰する力もない。


小さな主権だった。


だがその日まで、ネフティアの卵に与えられたのは、売買を禁じられた資源という位置だけ。


その日から、守られるべき者になった。


日没後、ミレアが中央孵化庭へ戻る。


幼体登録器は床から外され、六つの部品に分けられている。冠印を刻んだ金属輪だけが残り、その前で孵育官が槌を持って待っていた。


「記録官が立ち会わないと、壊してはいけないそうです」


「最後まで手続きが要るのですね」


「手続きなしで作ったものではありませんから」


ミレアが頷くと、孵育官は槌を振り下ろした。


一度では、冠印は消えなかった。


二度目で亀裂が入り、三度目で王冠の形が二つに割れる。


青い光は戻らない。


エナは籠のそばにいた。花綿の寝床では、イリが呼吸に合わせて小さな腹を上下させている。


ミレアは新しい記録板を開いた。


軍用区分の欄はない。


登録番号の欄もなかった。


最初に名を書く。


――イリ。


次に、産卵日と孵化した時刻。


体温。


呼吸。


殻の状態。


最後に、固有魔法について記す。


――強い恐怖を感じた際、本人が三歩から五歩ほど転位する。


――抱き上げる前に声をかけること。出入口の捕網を外さないこと。


エナが記録板を覗いた。


「侵入に使えるとは、書かないのですか」


「この子を侵入させる予定がありますか」


「ありません」


「なら、養育記録には必要ありません」


ミレアは板を閉じる。


外では羽音が幾重にも重なっていた。


議会の決議を受け、羽化した者だけで作る防衛隊の志願受付が始まっている。


花粉を運ぶ者。


繭を見守る者。


記録を書く者。


これまで武器を持たなかった者たちが、飛び方を確かめるように夜空を旋回する。


その姿が国を守る翼になるのか。


別の国の空へ向かう軍になるのか。


まだ誰にも分からない。


イリが寝返りを打った。


身体が一瞬消え、寝床の反対側へ移る。


誰も番号を読み上げなかった。


エナが、その名を呼んだ。


戦争がその力へ使い道を与えるより先に、ネフティアはその子自身の名を記した。

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