第7話 聖女ざまあ
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宮殿の謁見の間は、つい数日前までの神聖な輝きを失っていた。
空気は重く、肌を刺すような不快な波動が空間を支配している。立ち並ぶ高位の魔導士や騎士たちの顔は青ざめていた。彼らの足元には、数日前まで「救国の奇跡」と称えられていた新物質――『魔吸石』が、どす黒く変色して転がっていた。
部屋の中央では、堆く積み上げられた真っ黒な魔吸石が、山をなしていた。 それはまるで、どろりとした悪意を凝縮した炭塊のようだった。石からは時折、黒い霧のような魔毒が漏れ出し、天井の装飾を少しずつ腐食させている。
「・・・・・・信じられない。たった数日で、これほどの量が溜まるなんて・・・・・・。計算では、数ヶ月は持つはずだったのに!」
山をなした黒い石を前に、聖女リリアニアが震える声で叫んだ。
彼女の美しい顔は焦燥に歪んでいる。彼女たちが日々行使する「慈愛の魔法」の代償として生じる毒素は、彼女たちの予想を遥かに超えていたのだ。いや、それは聖女だけではなかった。高位魔導士、剣士・・・・・・その他この宮殿に務めていた者たちが生じさせていた魔毒の量は、想定外の多さだったのだ。
一つの魔吸石が飽和して、すぐに隣の石へ魔毒を吸収させて、そしてまた次へ・・・・・・。そうして魔毒を押しつけられることによって、連鎖的に汚染された石の山は、今やいつ爆発してもおかしくない「魔毒の爆弾」と化していた。
「聖女様、もう限界です!魔吸石の在庫が、ついに底を尽きました!!」
宮廷官僚の悲鳴に近い報告が、非情な現実を告げる。その途端、場の雰囲気は絶望的なものへと変わった。
当初の予定では、魔吸石のストックは三ヶ月分以上はあった。その間に、更なる魔吸石の増産を行う計画だったのだが、その見通しはあっけなく破綻した。
聖女リリアニアの目の前は真っ暗になった。どうしてこうなった?こんなはずではなかった。あの薄汚い「ゴミ箱」――ミトとかいう名前だったな――をお払い箱にして、より効率よく、よりスマートに、私たちの魔毒を処理していくはずだったのだ。なのに、いまはもう、どこにもその魔毒を処理する手立てがない。
あの「ゴミ箱」は、今頃とっくに王都の外れにあるゴミ処理場で、腐竜ゲルニアのエサにでもなっているだろう。ええい、こんなことなら、魔吸石の効果を確かめてから、ゴミ処理場に追放するべきだった。しかし、いまとなってはもう後の祭りだ。
そのとき。絶望に満ちた静寂を切り裂くように、正面の重厚な扉がゆっくりと、だが力強く開かれた。
「――それが、君たちが僕に毎日押し付けていたものの正体だね」
♢ ♢ ♢
僕の静かな声が、部屋に響く。
リリアニアが弾かれたように振り返る。そこには僕と、剣を携えたエマと、そして余裕の笑みを浮かべたクレアの姿がある。
「お前・・・・・・!捨てられたはずのゴミ箱が、なぜここにいるの!?」
リリアニアが信じられないものを見る目で僕を指差した。
僕は彼女を無視し、目の前にそびえ立つ魔吸石の山を見上げた。
――圧倒された。
これほどの量。これほどの密度。
これを、僕は毎日、毎日、自分の体一つで受け止めていたのか。
胃の奥が焼けるような記憶が蘇る。けれど、今の僕の中に恐怖はなかった。あるのは、かつての自分に対する深い同情と、その状況を強いてきた者たちへの静かな怒りだけだ。
「・・・・・・ひどいものね。鑑定するまでもない」
クレアが鼻を鳴らし、冷ややかに目を光らせた。
「ミト、あんたがどれだけ異常な『性能』を持っていたか、これで証明されたわね。この魔吸石の山・・・・・・王都の全予算をかけて作っても、あなたの仕事の何ヶ月分になるでしょうね?」
「ミト・・・・・・。これ、全部あなたが・・・・・・」
エマが絶句し、剣を握る手に力を込めた。彼女の目には、僕への深い同情と、聖女リリアニアたちへの激しい怒りが入り混じっている。
「・・・・・・ああ。でも、もう大丈夫だよ、エマ」
僕は一歩、魔吸石の山へと近づいた。
「何をするつもり!?近づかないで、汚れ者が!石が暴走したら、お前なんて一瞬で・・・・・・!」
リリアニアの絶叫に近い制止を背中で受け流し、僕は漆黒の山にそっと手を触れた。
瞬間、沢山の石に封じ込められていた膨大な魔毒が、牙を剥いて僕に襲いかかってくる。
僕はそっと目を閉じて、魔毒を受け止める。 それはかつてのように、ただ暴力的に、強制的に流し込まれるのではない。僕の意志が、主体的に、魔毒の洪水を呑み込む。
ドクン、と世界が拍動した。
次の瞬間、魔吸石から流れ出たどす黒い霧が、巨大な渦となって僕の右手に吸い込まれ始めた。
石の山からは黒い色が剥がれ落ち、光の奔流《奔流》となって僕の体内へと入っていく。
「な・・・・・・っ!? 吸収している・・・・・・? あの量を、一瞬で!?」
高位の魔導士たちが腰を抜かし、尻餅を着いたり、地べたに這いつくばったりする。
黒々とした石の山が、下から順に雪解けのように白くなっていく。
数秒後。そこにあったのは、不純物一つない、透き通った水晶のような透明な石の山だった。
室内を満たしていた腐食の臭いは消え、代わりに、僕の体から溢れ出す清冽な光が、空間を浄化していく。
僕は黒い山から、ゆっくりと手を離した。体内の魔力はさらに密度を増し、より輝きを深めている。魔毒を喰らうたびに、僕は強く、純粋になっていく。
「・・・・・・ありえない。あんなこと、人間の、ましてや『ゴミ箱』ができるはずがないわ!」
リリアニアは呆然と立ち尽くしていたが、やがてその目に、醜い独占欲が戻ってきた。
彼女は僕の利用価値が、以前とは比較にならないほど跳ね上がったことを瞬時に理解したのだ。
「・・・・・・ミト。そう、分かったわ。お前は、特別な進化を遂げたのね。いいでしょう、これまでの無礼は許してあげる。・・・・・・今すぐ戻りなさい。私の、聖女直属の『神聖なる器』として、生涯私に仕えることを許してあげる。『ゴミ箱』からしたら、大した出世よね・・・・・・これは命令よ!跪いて私に誓いなさい!」
女王のように胸を張り、傲慢に言い放つリリアニア。
周囲の魔導師や剣士、官僚たちも、手のひらを返したように「そうだ、戻れ」「名誉なことだぞ」と口々に言う。
僕は、彼女を静かに見つめた。
その瞳に宿る、自分たちだけが選ばれた人間であるという、救いようのないおごり。
「断る」
低く、だけれど拒絶の意志は明瞭にして、僕は返す。
「な・・・・・・っ!? 今、なんて言ったの?」
「断ると言ったんだ。僕はもう、誰かの汚れを引き受けるだけの道具じゃない。ましてや、自分の醜さを棚に上げて、人をゴミ箱呼ばわりする君たちのために、この力を使うつもりはない」
「・・・・・・っ、分をわきまえなさい! 私が、この国の希望であるこの私が、慈悲を与えてやると言っているのよ!」
リリアニアの顔が激昂に真っ赤に染まった。彼女は高潔な聖女の仮面をかなぐり捨て、その手から強大な魔力を練り上げた。
「従わないというのなら、力ずくでも分からせてあげる!ゴミ箱は、ゴミ箱らしく、私たちのゴミを処理すればいいのよ!」
彼女が杖を掲げる。最高位の攻撃魔法――【聖光の裁き】の魔法陣が展開される。
「死なない程度に、その生意気な魂を焼き切ってあげるわよ!!」
放たれたのは、触れるものすべてを蒸発させる、極太の白光。
それはまっすぐに僕へと迫り、視界を白一色に染め上げた。
「ミト!!」
エマの叫びが響く。
けれど、僕は動かなかった。避ける必要さえ感じなかった。
光が僕の体に触れる寸前。
僕はただ、右手を軽く前に差し出し、指を弾いた。
「――【虚空への帰還】」
パチン、と乾いた音がした。
次の瞬間、リリアニアが放った絶大なる攻撃魔法は、僕の掌に吸い込まれるようにして、一瞬でかき消された。
いや、吸収されたのだ。彼女の魔力さえも、僕にとってはただの糧に過ぎなかった。
「・・・・・・え?」
リリアニアが呆然と声を漏らす。
その隙を逃しはしない。僕が軽く右手をかざすと、真っ白な光の輪が幾重も放たれて、聖女リリアニアの上半身を拘束する。
「ぐっ・・・・・・くっ・・・・・・!!」
リリアニアは、必死にその拘束を解こうとするが、無駄な抵抗だ。悠々と彼女に歩み寄った僕は、その白い喉元に、光り輝く高熱の炎を突きつけた。
「無駄だよ。君の魔法は、もう僕には届かない」
僕から放たれる圧倒的なプレッシャーと熱波に、リリアニアは、膝をついて、杖を床に落とした。彼女の瞳には、初めて自分よりも圧倒的に上位の存在を目の前にした、根源的な恐怖が宿っていた。
「・・・・・・ひ、ひぃ・・・・・・っ」
かつての「ゴミ箱」を前に、聖女と呼ばれた女性は、ただの怯えるこどものように震えていた。
僕は彼女を見下ろし、静かに告げた。
「ユートピアは、今日で終わりだ・・・・・・これからは、誰もが自分の毒に、自分で向き合う番だよ」




