第109話 【幕間】秘めたる想い
ゼノン領都、アイアン・フォルト。
久しぶりに戻ってきた練兵場の空気は、やっぱり格別だ。
肺の奥まで焦げた土と汗の匂いが染み渡る。
「オラオラァ! 腰が入ってねぇぞ新入り! そんなへっぴり腰じゃ魔獣の餌食だ!」
「隊長、声が大きすぎます。新兵が怯えていますよ」
俺の怒号を、涼やかな声が遮った。
副隊長のヒルダだ。呆れたように俺を見上げるその瞳は、冬の月のように冷たく、けれどどこか温かい。きっちりと結い上げられた銀髪が、朝日を浴びて透き通るような輝きを放っている。
……あぁ、今日も厳しい。だが、それがいい。
死線を共にしてきた戦友であり、俺の背中を預けられる唯一の女。
彼女が隣にいるだけで、俺はどんな魔獣の群れにだって突っ込んでいけるんだ。
「お、おう。悪ぃなヒルダ。つい熱が入っちまってよ」
俺は頭を掻きながら、盗み見るように彼女の横顔を追う。
鎧の隙間から覗く項、真剣な眼差し、武器を点検するしなやかな指先。
……くそっ、なんでこう、ただ立っているだけで絵になるんだ?
俺の心臓が、早鐘を打ち始めやがった。戦場での緊張感とは違う、熱くて苦しいこの動悸。
――バレてねぇよな? 俺は平静を装い、無駄に大きな声を出して新兵たちの方へ向き直った。
休憩の鐘が鳴り、ベンチへ向かうと、そこには小さな先客がいた。
パスティエール様――俺たちが命懸けで守り、そして今やこの国の英雄となった、我らのお嬢だ。
「お疲れ様です、ヘクターさん、ヒルダさん!」
「ありがとうございます、パスティエール様」
お嬢はニコニコしながら、キンキンに冷えたタオルを渡してくれた。
だが、なんだ?
お嬢が俺の顔を、というより俺の頭の上あたりをじーっと見つめている。
そして、なぜか口元をヒクヒクさせ、必死に笑いを堪えているような……。
(……なんだ? 俺の頭に芋虫でもついてるのか?)
不安になって頭を撫でるが、何もない。すると、お嬢が俺の隣にチョコンと座り、悪戯っ子のような顔で覗き込んできた。
「ねぇ、ヘクターさん。ヘクターさんって、好きな人いないんですか?」
「ブフォッ!?!?」
俺は盛大に水を吹き出した。喉の奥が変な音を立てて引き攣る。
な、ななな、何を言い出すんだこのお嬢様は!
「ごほっ、ごほっ! な、何言ってるんですお嬢! 私はゼノン領護衛兵団の隊長ですよ! 色恋沙汰なんて、その、不真面目というか!」
「えー? 本当ですかぁ? でも、さっきヒルダさんが水を飲んでる時、ヘクターさんの心臓の音が『ドックン、ドックン!』ってお城の鐘みたいに響いてましたよ?」
ギクリ、と心臓が跳ねた。
なんでバレてんだ!?
俺の視線も、動揺も、完璧に隠蔽していたはずだ!
長年の偵察任務で培った俺のポーカーフェイスが、この七歳の少女に見破られただと!?あ、いや先日八歳になられていたのか。
……これが、王都を揺るがした『歌姫』の力なのか……?
「バッ……!? ひ、響いてません! 私はただ、副隊長の体調管理をですね……!」
「ふふ、ヘクターさんは嘘が下手ですね。……応援してますよ、隊長さん」
お嬢はニシシと笑い、ポルカを肩に乗せて去っていった。
……完全に遊ばれている。この国の英雄は、とんでもない小悪魔プロデューサーだ。
その日の夕暮れ。
訓練を終えた俺は、ヒルダと二人、城壁の上で風に当たっていた。
空は燃えるような茜色に染まり、遠くの森が影となって沈んでいく。
沈黙が心地よくも、どこか息苦しい。 昼間のお嬢の言葉が、呪いのように俺の頭の中でリフレインしていた。
――その時だった。
どこからともなく、優しくて、透き通るような歌声が聞こえてきた。
切なさと温かさが混ざり合った、胸を締め付けるような旋律。
「これは……パスティエール様の歌?」
ヒルダが不思議そうに呟く。
見れば、少し離れた物陰で、お嬢がギターとかいう楽器を爪弾きながら静かに歌っていた。
その歌声に呼応するように、辺りの空気が柔らかな光を帯び始める。
風の精霊が二人の間を優しく吹き抜け、黄昏の光がヒルダの銀髪を、まるで宝飾品のように美しく縁取っていく。
『――隣にいることが 当たり前すぎて――』
『――言えなかった言葉が 夜に溶けていく――』
不思議だ。
その歌を聞いていると、普段は喉の奥に固く閉じ込めていた言葉が、するりと解けていくような気がした。
十年近く、共に戦ってきた。
泥にまみれ、血を流し、互いの命を預けてきた。
恋だの愛だの、そんな言葉で片付けるには重すぎる想いが、歌に乗って溢れ出す。
「……ヒルダ」
「はい、隊長」
彼女がこちらを向いた。夕日に照らされたその頬が、心なしか朱に染まっているように見えたのは、光のいたずらだろうか。
「俺は……。俺は、お前が隣にいない戦場を、想像したことがないんだ」
俺の不器用な言葉に、ヒルダの瞳が微かに揺れた。
「……お前がいてくれたから、俺はここまで歩いてこれた。柄じゃねぇのは分かってるが……これからも、俺の隣に、いてくれないか。部下としてじゃなく……その、一生の相棒として」
心臓が耳元で鳴っている。
ヒルダは驚いたように目を見開き、それからゆっくりと視線を落とした。
長い沈黙。歌声はいつの間にか、二人を祝福するような穏やかな調べへと変わっていた。
「……隊長は、本当にずるい人ですね」
消え入りそうな声だった。
彼女がゆっくりと顔を上げる。そこにあったのは、冷徹な副隊長の顔ではなく、泣き出しそうなほど愛らしい微笑みだった。
ドックゥゥゥゥン!! 全身の血液が沸騰し、視界が真っ白になった。
あのヒルダが、笑った。
俺は感極まって、震える手で彼女の細い肩を引き寄せようとした――。
「――お、ヘクター隊長! こんなとこで何してんすか! 飯行きましょうよ、飯!」
間の抜けた、破壊的な大声が響き渡った。
城壁の下から、汗だくで木剣を担いだカイルがひょっこりと顔を出していた。
「あ、パスティエール様! なんでこんな茂みで歌って……っておわっ!? な、なんだその顔は!?」
「カ、イ、ル……ッ! あんた、ホントにデリカシーって言葉を知らないの!?」
お嬢の絶叫と、カイルの困惑した声。
……プツン、と。
俺の中で、張り詰めていた何かが音を立てて切れた。
同時に、猛烈な羞恥心が津波のように押し寄せてくる。
「うおおおっ!! な、何でもねぇぇぇ!! 飯だ、飯!!」
俺は叫び声を上げ、ヒルダの顔を見ることもできずにその場から全速力で逃げ出した。
「あ、待ってください隊長! 今の返事の続きが……!」
後ろからヒルダの、これまでに聞いたこともないような焦った声が聞こえた気がしたが、振り返る余裕なんてない。
走りながら、俺の口元はだらしなく緩んでいた。
お嬢の歌が、俺たちの止まっていた時間を動かしてくれた。
(……ありがとうございます、お嬢。俺、世界一の幸せ者ですわ)
心の中で深く感謝し、俺は真っ赤に染まった夕日に向かって走り続けた。
とりあえず、明日の早朝訓練では、カイルの野郎を文字通り土に埋めるまでしごいてやることに決めた。
ヘクター ステータスシート(二章終了時点)
■基本情報
名前:ヘクター
性別:男性年齢:30歳
所属:ゼノン領護衛兵団・隊長/東方遠征隊リーダー
誕生日:大陸暦656年、若葉の月
種族:人間身長:190cm
体重:100kg
髪色:焦茶色
髪型:短髪
肌色:褐色
性格:
熱血で実直。責任感が強く、仲間や部下からの信頼が厚い。お嬢様を溺愛しており、彼女の身の安全を第一に考える。恋愛に関しては極めて奥手で不器用だが、情に厚く涙もろい一面も持つ。
人となり:
ゼノン辺境伯家の軍事の要。一見すると豪快な「脳筋」タイプだが、遠征時には値切りテクニックを披露したり、新米冒険者を装うための機転を利かせたりと、経験豊富なベテランらしい老獪さも併せ持つ。
■交友関係
パスティエール・ゼノン:命を懸けて守るべき主君。現在は彼女の「プロデュース」に振り回されつつも、その成長と奇跡を誰よりも喜び、支えている。
ヒルダ:副隊長であり、長年の戦友。心の底では深く信頼し、恋心を抱いているが、長年「相棒」として過ごしてきたため、一歩踏み出せずにいた。
カイル:期待の新人であり、弟分。その成長を喜びつつも、空気の読めない言動には厳しいシゴキで応えることも。
ゼノン辺境伯:絶対的な忠誠を誓う主君。
■基礎魔術の熟練度
・身体強化:【極めて高い】
槍の一撃で大型魔獣を圧倒する、彼の戦闘の主軸
・魔力付与:【中】
武器への属性付与、あるいは強化を行う程度
・魔力障壁:【低】
武人としての最低限の防御。基本は回避か物理防御
・魔力感知:【低】
パスティエールの心音感知に対し「完璧に隠蔽していたはず」と驚くなど、魔術的な察知は専門外
・魔力弾:【低】
精霊魔術の媒体として魔力を放出する制御能力は持つ
■習得魔術
・精霊魔術
地属性:『岩石の弾丸』、『大地の壁』
■戦闘スタイル
巨大な槍を操る前衛アタッカー。圧倒的な身体能力を活かした重い一撃と、巨体に似合わぬ素早い踏み込みで敵を粉砕する。乱戦では仲間を背負って戦う「盾」の役割も果たす、東方遠征隊の精神的支柱。
■加護
なし
ヒルダ ステータスシート(二章終了時点)
■基本情報
名前:ヒルダ
性別:女性
年齢:28歳
所属:ゼノン領護衛兵団・副隊長/東方遠征隊副リーダー
誕生日:大陸暦658年、雪解けの月
種族:人間
身長:172cm
髪色:銀髪
髪型:ポニーテール
性格:
冷静沈着で論理的。通称「鉄仮面」。感情を面に出すことは稀だが、内面にはゼノン家への深い忠誠心と、ヘクターへの強い信頼を秘めている。規律に厳しく、暴走しがちなヘクターやカイルの「手綱」を握る役割。
人となり:
兵団の知恵袋。ヘクターが現場を引っ張る「動」のリーダーなら、彼女は後方支援や戦術立案、補給管理などを完璧にこなす「静」の要。ヘクターとは十代の頃からの付き合いであり、彼の思考パターンを完全に把握している。実は可愛いものに弱いが、表情に出ないため周囲には気づかれていない。
■交友関係
ヘクター:上司であり、長年の戦友。不器用な彼に呆れつつも、誰よりもその背中を信頼している。
パスティエール・ゼノン:慈しむべき主君。彼女の「プロデュース」には戸惑いつつも、その結果については密かに感謝している。
カイル:期待しているが、詰めが甘いと思っている。ヘクターと一緒に彼をしごくのが日常。
セリナ:「お嬢様を守る女性陣」として、職種は違えど強いシンパシーを感じている。
■基礎魔術の熟練度
・身体強化:【高】
ヘクターほどの怪力ではないが、無駄のない動きで魔力を循環させる効率的な強化。
・魔力付与:【高】
自身の剣や矢に魔力を乗せ、精密な一撃を放つ技術に長ける。
・魔力障壁:【中】
必要最小限の魔力で急所を守る、洗練された防御。
・魔力感知:【極めて高い】
索敵のスペシャリスト。ヘクターの「目」となり、周囲の状況を常に把握している。
・魔力弾:【高】
放出系の制御が得意。精密な射撃が可能。
■習得魔術
・精霊魔術
風属性:『風の刃』、『風の障壁』
■戦闘スタイル
剣も使いこなすが、本領は風魔術を付与した精密射撃や、高速の刺突。ヘクターが正面から敵を引きつけ、彼女がその隙を確実に突くという、完璧なコンビネーションを誇る。
■加護
なし




