第108話 旋律の歌姫
大陸暦686年、陽光の月。
王城前の広場は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
人々が待ちわびているのは、昨夜の闇を払い、奇跡の鐘を鳴らした「救国の英雄」の登場だ。
正午の鐘が王都に鳴り響くと同時に、王城のバルコニーに魔導王オリオン陛下が姿を現した。
「民よ! 昨夜の奇跡を、その目に焼き付けたか!」
陛下のよく通る声に、地鳴りのような大歓声が上がる。
「あの光は、我が国の危機を救うために天より遣わされた、精霊の御使いによるものだ。……紹介しよう。その名は――『メロディア』!」
陛下が天を指差した、その瞬間。 私は上空で待機していた雲の切れ間から、一気に急降下を開始した。
「――♪~~ッ!!」
ポルカと同調した姿で、王都の空を鮮やかに旋回する。
碧色と桃色の髪が風になびき、背中の五線譜の翼から光の粒子がこぼれ落ちる。それはまさに、王都に降り立った碧色の天使そのものだった。
陛下からのリクエストは「とびきり明るく、精霊との仲良し感をアピールできる曲」。
前世のアイドルソングをベースにした、アップテンポで多幸感あふれるメロディを、ポルカの共鳴で王都全土へと響かせる。
「行くよ、ポルカ! みんなの心を調律しちゃおう!」
『了解だよ、パスティ! 最高のステージにしよう!』
私が指先をタクトのように振るうと、空中に無数の『光の精霊』が現れ、ダイヤモンドダストのように煌めきながら舞い踊った。
それに呼応し、川面からは『水の精霊』たちがイルカのように跳ね、リズムに合わせて水飛沫の宝飾を作る。穏やかな『風の精霊』が街中を吹き抜け、人々の髪や服をやさしく撫でていった。
広場を埋め尽くす人々が、魔法にかけられたように手拍子を始める。
私は両手を広げ、歌声をさらに高めながら王都の上空を大きく円を描いて飛んだ。
その軌跡をなぞるように、光・水・風の精霊たちが、王都の端から端を繋ぐ巨大な「七色の虹」を描き出したのだ。
「おお……! 虹だ! 王都に虹がかかったぞ!」
「なんて美しい歌声だ……! まさに精霊王の御使いだ!」
虹の架け橋の下で、陛下が高らかに宣言する。
「彼女こそが、我が国の魔獣災害を鎮め、獣王国との友好を結び、この王都に希望をもたらした真の英雄である!」
どよめきが波のように広がる。サザンの件も、獣王国の件も、すべて「メロディア」の手柄として上書きされた。これでいい。これで『パスティエール・ゼノン』は、ただの平穏な貴族令嬢に戻れるのだ。
「――ありがとう、みんな! この国に、永遠の平和の旋律を!」
私は最後に特大のウインクを決めると、太陽を背にして一気に急上昇した。
強烈な逆光で民衆の目をくらませた一瞬の隙に、ポルカの超加速で王城の影へとダイブする。
後には、熱狂的な「メロディア・コール」と、空に消えない虹の余韻だけが残された。
「……ふぃ~。心臓が止まるかと思いましたわ」
王城の奥深く、人払いがされた執務室。私は変身を解いて、ふかふかのソファに深々と沈み込んだ。目の前には、満足げに笑う魔導王陛下がいる。
「見事なステージだったぞ、メロディア。これで民衆は熱狂し、あらゆる怪異も『歌姫による浄化』として納得するだろう」
「恐れ入ります。……それで、お約束通り、わたくしの本名は出しませんわよね? わたくしはあくまで、目立たない平穏な学園生活を希望しているのですから」
陛下は頷き、一枚の書類を差し出した。
そこには王家の紋章と共に、『学費免除証明書』の文字が。
「内々に、数年後の『魔術学園』への入学金、および在学中の授業料を全額免除としてやろう。辺境伯家の出費も、これで少しは浮くだろう?」
「あら!それは助かりますわ!我が家も、色々と出費がかさんでおりまして……」
さらに陛下はニヤリと笑い、豪奢な装飾が施された短剣と、一通の辞令を机に置いた。
「そしてもう一つ。そなたを、魔導王直属の『特命歌劇長』に任命する」
「……はい? なんですの、その『お名前からして忙しそう』な役職は」
「名前だけの名誉職だ。気にするな。……ただし、実務はあるぞ?」
陛下は身を乗り出し、声を潜めた。
「大陸各地には、まだ『侵蝕者』が残した瘴気の吹き溜まりや、怪異の種が眠っている。そなたには今後も、その解決に尽力してもらいたい。何、そなたなら『飛べる』し、この短剣があれば顔パスで王城にも入れる」
……完全に、便利な「掃除屋」扱い。抗議しようと口を開きかけた私に、陛下は真顔でとどめを刺した。
「ああ、それともう一つ命令だ。今後、余に会いに来る際は……必ず『メロディア』の姿で来るように」
「…………は?」
「正体がバレては君も困るだろう? それに……余は、あの碧いドレスと翼が気に入ってな。むさ苦しい爺共との会議の間の、最高の癒やしにするのだ」
「職権乱用を隠そうともなさいませんのね!?」
こうして私は、栄誉ある勲章の代わりに、学費免除とブラックな役職、そして理不尽な出勤命令を受け取ってしまったのだった。
翌日。私はクラウス先生の手を引いて、王都の大通りを歩いていた。
「こっちですわ、先生! このお店、老舗ですけれどデザインが洗練されていて素敵なんですのよ」
「待ってください、パスティエール様。まだ足元がおぼつかないので……」
私たちは、約束通り新しい眼鏡を買いに来ていた。
老舗の眼鏡店で、私は並み居るフレームの中から一本を選び出した。以前のものより少し細身の、気品ある銀色のフレーム。
知的な先生にぴったりだ。
「これにいたしましょう! 絶対にお似合いになりますわ!」
「貴女が選んでくださるのなら、間違いありませんね」
調整を終えた眼鏡を、先生がおずおずとかける。彼は何度か瞬きをしてから、ゆっくりと視線を私に合わせた。
「……どうですか? 見えますか?」
私が覗き込むと、レンズの奥にある琥珀色の瞳が、優しく細められた。
「……ええ。よく見えます。貴女の、その誇らしげな笑顔が」
彼は慈しむように微笑んだ。
「これからの数年。貴女が立派なレディになり、学園を卒業するまで……。この眼鏡を通して、一番近くでしっかり見守らせていただきますよ」
「はい! ビシビシ鍛えてくださいね、先生!」




