第6話 見守る者
ノルトハイムから戻って、数週間が過ぎた。
俺の卒業が、いよいよ近づいていた。
◇
「ルーカス、卒業試験、お疲れ」
フェリックスが、声をかけてきた。
「ああ。なんとか終わった」
俺は、疲れた顔で答えた。
「結果は?」
「まあ、ぎりぎり合格だろ」
「相変わらずだな」
フェリックスが、笑った。
「でも、お前らしいよ」
「どういう意味だ」
「派手じゃないけど、確実。お前の人生そのものだ」
俺は、苦笑した。
「褒めてるのか、けなしてるのか」
「もちろん、褒めてる」
フェリックスが、肩を叩いた。
「お前は、いい医者になるよ。俺が保証する」
「……ありがとな」
◇
卒業式の日が来た。
俺は、式服に袖を通した。
四年間の学び。
長かったような、短かったような。
「さて、行くか」
鏡を見て、襟を正す。
眼鏡をかけた、平凡な顔が映っている。
天才ではない。
派手な才能もない。
でも——俺は、ここまで来た。
それだけは、誇りに思う。
◇
式典会場に向かう途中、フェリックスと合流した。
「いよいよだな」
「ああ。緊張するな」
「お前が緊張するのか」
「当たり前だ。卒業は一生に一度だからな」
俺たちは、会場に入った。
たくさんの卒業生が、席についている。
教授たちも、厳粛な表情で並んでいる。
◇
式典が始まった。
院長の挨拶、来賓の祝辞——
長い話が続く。
そして、卒業証書の授与。
「ルーカス・シュタール」
俺の名が呼ばれた。
壇上に上がる。
院長が、卒業証書を手渡した。
「成績優秀、ではないが——」
会場から、少し笑いが起きた。
俺も、苦笑した。
「人望があり、後輩の面倒見が良い」
院長が、続けた。
「医師として大切な資質を持っている」
「故郷で、良い医師になることを期待している」
「ありがとうございます」
俺は、深く頭を下げた。
◇
式典が終わった。
会場の外で、リーゼが待っていた。
「先輩、おめでとうございます」
「ありがとう、リーゼ」
「これ、お渡ししたくて」
リーゼが、小さな包みを差し出した。
「何だ?」
「開けてみてください」
包みを開けると——
銀色のペンが入っていた。
「カルテを書く時に、使ってください」
リーゼが、照れくさそうに言った。
「先輩のこと、忘れないでいてほしくて」
「……ありがとう」
俺は、そのペンを握りしめた。
軽くて、持ちやすい。
「大切にする」
◇
「リーゼ」
俺は、真剣な顔で言った。
「お前は、この国の医学を変える」
「え?」
「俺には、分かる」
俺は、リーゼの目を見つめた。
「お前の知識、お前の志、お前の行動力——」
「すべてが、この国を変える力を持っている」
「先輩……」
「俺は、地方で小さな診療所を開く」
「大きなことはできない」
「でも、お前がこの国を変えるのを、見届けたい」
俺は、手を差し出した。
「お前が困った時は、いつでも呼べ」
「お前が成功した時は、一緒に喜ばせてくれ」
「俺は、お前の味方だ。いつまでも」
リーゼが、その手を握った。
小さくて、温かい手。
でも、この手には——無限の可能性がある。
「約束です」
リーゼが、涙ぐみながら言った。
「先輩に胸を張れるように、頑張ります」
「ああ。期待してる」
◇
「ルーカス」
フェリックスが、近づいてきた。
「別れの挨拶、済んだか」
「ああ」
「寂しくなるな」
フェリックスが、少し寂しそうに笑った。
「四年間、楽しかったよ」
「俺もだ」
俺は、フェリックスの手を握った。
「お前は、王都で研究を続けるんだな」
「ああ。新しい治療法の研究だ」
「お前らしいな。天才肌だ」
「お前だって、才能はあるさ」
フェリックスが、真剣な顔になった。
「違う才能だけど、確かにある」
「人を見る目、人を繋ぐ力——それは、医師として大切な才能だ」
「……ありがとう」
俺は、素直に礼を言った。
「元気でな、フェリックス」
「お前こそ。故郷で、いい医者になれよ」
◇
王都を離れる日。
俺は、荷物をまとめて馬車に乗り込んだ。
門の前で、リーゼが手を振っていた。
小さな姿。
でも、その目には——強い光がある。
「先輩! お元気で!」
「ああ! お前も頑張れよ!」
馬車が動き出す。
医学院の建物が、少しずつ遠ざかっていく。
リーゼの姿が、小さくなっていく。
やがて、見えなくなった。
俺は、静かに目を閉じた。
四年間の思い出が、胸に去来する。
◇
故郷に着いたのは、三日後だった。
見覚えのある風景が、目の前に広がっている。
緑の草原、小さな川、牧草地——
「帰ってきたな……」
俺は、呟いた。
馬車を降りると、診療所が見えた。
古い木造の建物。
子供の頃から、見慣れた場所だ。
「ルーカス!」
父が、診療所から出てきた。
「帰ってきたか!」
「ただいま、親父」
俺は、父の手を握った。
父の手は、しわだらけで、節くれ立っている。
五十年以上、患者を診てきた手だ。
「やっと帰ってきたな」
父が、嬉しそうに笑った。
「長かったぞ、四年間」
「すまなかった」
「謝ることはない。立派に卒業したんだろう?」
「まあ、なんとか」
俺は、苦笑した。
「成績は、ぎりぎりだったけどな」
「成績なんぞ、関係ない」
父が、真剣な顔になった。
「大切なのは、患者を診る心だ」
「お前には、それがある」
「……ありがとう」
◇
それから、俺は父と一緒に診療所を切り盛りし始めた。
村の人たちが、次々と診療所を訪れる。
「ルーカス先生、おかえりなさい」
「先生のおじいさんの代から、お世話になってます」
「これからも、よろしくお願いしますね」
温かい言葉が、胸に染みる。
俺は、この村で生まれ、この村で育った。
そして、この村で医師として生きていく。
「ルーカス、次の患者さんだ」
「分かった」
リーゼからもらった銀のペンを手に取り、カルテを開く。
「どうされましたか?」
患者の話に、耳を傾ける。
これが、俺の仕事だ。
派手ではない。
歴史に名を残すこともない。
でも——誰かの役に立てる。
それだけで、十分だ。
◇
ある日、リーゼから手紙が届いた。
「ルーカス先輩へ
お元気ですか。
王都は、相変わらず賑やかです。
私は、医学院での研究を続けています。
新しい治療法の開発や、感染症の研究——
やりたいことが、たくさんあります。
先日、エリーゼ先輩と話しました。
先輩のこと、よく話題に出ますよ。
「ルーカスは、いい先輩だった」って。
私も、同感です。
先輩がいなかったら、私は孤独なままでした。
先輩が声をかけてくれたから、私は仲間を作れました。
先輩が支えてくれたから、私はノルトハイムでも頑張れました。
先輩は、自分を「平凡だ」と言っていましたね。
でも、私はそう思いません。
先輩には、先輩だけの才能があります。
人を見る目、人を繋ぐ力——
それは、かけがえのない才能です。
故郷で、いい医師になってください。
いつか、また会える日を楽しみにしています。
リーゼより」
俺は、手紙を読み終えて、微笑んだ。
「元気そうだな、リーゼ」
窓の外を見る。
故郷の風景が広がっている。
遠くに、山が見える。
その向こうに、王都がある。
リーゼが、頑張っている場所だ。
◇
俺の名は、ルーカス・シュタール。
王立医学院を卒業し、故郷で開業医をしている。
大きなことはできない。
天才でもない。
でも、俺には俺の役割がある。
◇
リーゼと出会って、学んだことがある。
才能がなくても、できることはある。
天才を支えること。
孤独を和らげること。
人と人を繋ぐこと。
それが、俺の才能だ。
◇
リーゼは、きっと大きなことを成し遂げる。
この国の医学を変える。
一人でも多くの命を救う医療を実現する。
俺は、それを見届けたい。
地方から、静かに見守りたい。
そして、いつか——
「先輩、私たち、やりましたね」
そう言って笑うリーゼの顔を、見たい。
◇
診療所の窓から、空を見上げた。
青い空に、白い雲が流れている。
リーゼは、今頃何をしているだろうか。
きっと、研究に没頭しているに違いない。
新しい治療法を開発し、難病に挑んでいるに違いない。
「頑張れよ、リーゼ」
呟いた。
俺は、ここで待っている。
お前が困った時は、いつでも駆けつける。
お前が成功した時は、一緒に喜ぶ。
それが——見守る者の、務めだ。
◇
父が、診療所に入ってきた。
「ルーカス、次の患者さんだ」
「分かった」
俺は、立ち上がった。
銀のペンを胸ポケットにしまい、診察室に向かう。
「どうされましたか?」
患者に、微笑みかける。
これが、俺の日常だ。
派手ではない。
でも、大切な日々だ。
俺は——見守る者だ。
リーゼが飛び立つ空を、見守り続ける。
そして、故郷の人々を、守り続ける。
それが、俺の誇りだ。
(外伝 ルーカス編 見守る者 完)




