第5話 嵐の中で
リーゼの診察が始まった。
俺は、診療所の隅で見守っていた。
◇
リーゼは、患者を一人ずつ丁寧に診ていく。
脈を取り、熱を測り、発疹を観察する。
そして——
「衣服を見せてください」
リーゼが、患者の服を調べ始めた。
「何を探してるんだ?」
俺は、近づいて尋ねた。
「シラミです」
リーゼが、静かに答えた。
「シラミ……?」
「はい。この病気——発疹チフスだと思います」
「発疹チフス?」
俺は、聞き覚えのある名前に眉をひそめた。
「シラミが媒介する感染症です」
「高熱、発疹、頭痛——症状が一致します」
◇
リーゼは、患者の衣服の縫い目を調べた。
「いました」
小さな虫が、縫い目に潜んでいた。
「コロモジラミです。これが、病気を広めています」
「なるほど……」
俺は、納得した。
だが、現地の医師は、首を傾げている。
「シラミが病気を広める? そんな話は聞いたことがない」
「信じていただけなくても構いません」
リーゼが、冷静に言った。
「でも、このまま放置すれば、被害は拡大します」
「対策を取らせてください」
◇
リーゼは、住民を集めて説明を始めた。
「この病気は、シラミが媒介しています」
「感染を防ぐためには、シラミを駆除する必要があります」
「具体的には——」
リーゼが、対策を説明した。
「まず、患者を隔離します」
「次に、衣服や寝具を煮沸消毒します」
「そして——」
リーゼが、少し躊躇した。
「髪を短く切ってください」
「シラミは、長い髪に卵を産みつけます」
「駆除するためには、髪を切るのが一番確実です」
◇
住民たちが、ざわめいた。
「髪を切る?」
「俺たちの髪を?」
「冗談じゃねぇ!」
怒りの声が上がった。
「髪は男の誇りだ!」
「俺たち鉱夫は、長い髪が伝統なんだ!」
「子供に何が分かる!」
俺は、状況が悪化していくのを見ていた。
リーゼの言うことは正しい。
だが、住民たちには受け入れられない。
伝統と誇りがかかっているからだ。
◇
「静かにしてくれ!」
俺は、前に出た。
「彼女の話を聞け!」
「お前は誰だ?」
リーダー格の大男が、睨んできた。
「俺は、ルーカス。彼女の同行者だ」
「彼女は、王立医学院の特別研究員だ。この病気を治すために、王都から来た」
「特別研究員だと? こんな子供が?」
「子供だと思うなら、見てみろ」
俺は、リーゼを指した。
「彼女は、すでに病気の原因を突き止めた」
「五百人以上の患者を診た経験がある」
「お前たちの命を救おうとしているんだ」
◇
だが、住民たちは納得しない。
「髪を切るなんて、絶対に嫌だ!」
「俺たちを馬鹿にしてるのか!」
「子供の言うことなんか、聞けるか!」
怒号が飛び交う。
状況は、ますます悪化していく。
俺は、剣の柄に手をかけた。
「これ以上、彼女を侮辱するな」
「暴力で解決するつもりか」
大男が、俺を睨んだ。
「必要なら」
俺は、覚悟を決めた。
リーゼを守るためなら、何でもする。
◇
「先輩、やめてください」
リーゼの声が聞こえた。
「え?」
「剣を収めてください」
リーゼが、俺の前に出た。
「私が話します」
「リーゼ——」
「大丈夫です」
リーゼの目が、真剣だった。
俺は——剣から手を離した。
◇
リーゼは、住民たちの前に立った。
小さな体。
だが、その姿には——威厳があった。
「皆さん」
リーゼの声が響いた。
「私は、皆さんの誇りを傷つけたいわけではありません」
「髪を切れと言ったのは、皆さんを守るためです」
「……」
「私は、以前にも疫病と戦ったことがあります」
「故郷で、コレラが流行した時です」
「五百人以上の患者を診ました」
「そして——たくさんの人が亡くなりました」
リーゼの声が、震えた。
「助けられなかった人がいます」
「もっと早く手を打っていれば、救えたかもしれない命がありました」
「それが、ずっと心に残っています」
◇
住民たちが、静まった。
リーゼは、続けた。
「皆さんの誇りは、大切です」
「でも、死んでしまったら、誇りを守ることもできません」
「私は——皆さんに、生きていてほしいんです」
リーゼの目から、涙がこぼれた。
「お願いします」
「私を信じてください」
「髪は、また伸びます」
「でも、命は——一度失ったら、二度と戻ってきません」
◇
長い沈黙が流れた。
住民たちは、互いに顔を見合わせている。
「……くそっ」
大男——ガンツが、頭を掻いた。
「泣かれたら、困るじゃねぇか」
「ガンツ……」
「分かったよ、先生」
ガンツが、リーゼを見た。
「俺から切ってやる」
「髪くらい、また伸ばせばいい」
「命がなくなったら、それまでだからな」
俺は、安堵の息をついた。
リーゼの言葉が、心を動かしたのだ。
◇
「野郎ども!」
ガンツが、振り返った。
「聞いたな! 先生の言う通りにするぞ!」
「服を煮ろ! 髪を切れ!」
「俺たちの命がかかってるんだ!」
住民たちが、動き出した。
怒りが、やる気に変わった瞬間だった。
「リーゼ」
俺は、リーゼの傍に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「はい……」
リーゼが、涙を拭いた。
「先輩がいてくれたから、勇気が出ました」
「俺は、何もしてない」
「いいえ」
リーゼが、首を振った。
「先輩が守ろうとしてくれたから、私も頑張れました」
◇
それから、町全体での防疫活動が始まった。
巨大な釜で衣服を煮沸し、仮設の散髪所で髪を刈る。
俺も、袖をまくって手伝った。
「先輩、そっちの服を釜に入れてください」
「了解」
「次は、あっちの寝具を」
「分かった」
リーゼの指示に従って、作業を進める。
ガンツたちも、一生懸命に働いている。
「先生、これでいいか?」
「はい、完璧です」
「よし! 次だ!」
鉱夫たちの行動力は、すごかった。
一度納得したら、全力で動く。
三日間で、町中の衣服と寝具が煮沸消毒された。
◇
「先輩」
作業の合間に、リーゼが声をかけてきた。
「すごいですね……一度納得したら、この行動力」
「ああ」
俺は、汗を拭いた。
「頼もしい限りだ」
「これなら、勝てます」
リーゼが、微笑んだ。
「新規の感染者が、減ってきています」
「そうか……良かった」
俺は、安堵した。
リーゼの判断は、正しかったのだ。
◇
一週間後。
新規の感染者は、ゼロになった。
「やった……!」
リーゼが、小さく叫んだ。
「勝ちました……!」
「ああ、勝ったな」
俺は、リーゼの頭を撫でた。
「よくやった、リーゼ」
「いえ、先輩のおかげです」
リーゼの目に、涙が浮かんでいた。
「先輩がいなかったら、私は——」
「泣くな」
俺は、苦笑した。
「お前の力だ。胸を張れ」
◇
帰還の日。
町の入口に、住民たちが集まっていた。
「先生、ありがとうございました!」
ガンツが、頭を下げた。
「あんたのおかげで、俺たちは助かった」
「いえ、皆さんが協力してくれたからです」
リーゼが、微笑んだ。
「お体に気をつけて」
「ああ。先生も、元気でな」
馬車に乗り込む。
窓から、住民たちが手を振っているのが見えた。
「先生! また来てくれよ!」
「髪が伸びたら、見せに行くからな!」
リーゼが、小さく手を振り返した。
「皆さん、お元気で」
◇
帰路の馬車の中。
リーゼが、窓の外を見ていた。
「先輩」
「何だ?」
「本当に、ありがとうございました」
リーゼの声が、静かだった。
「先輩がいてくれたから、私は頑張れました」
「住民が反発した時、先輩が守ってくれた」
「心細い時、先輩がいてくれた」
「俺は、大したことしてない」
俺は、正直に言った。
「病気を診断したのはお前だ。住民を説得したのもお前だ」
「俺は、傍にいただけだ」
「それが、大切なんです」
リーゼが、俺を見た。
「一人じゃないと思えるだけで、どれだけ心強いか」
「先輩は——私の大切な人です」
俺は、少し照れくさくなった。
「……そうか」
「はい」
リーゼが、にっこりと笑った。
「これからも、よろしくお願いします」
「ああ。任せろ」
俺は、窓の外を見た。
雪景色が流れていく。
俺にできることは、リーゼを守ること。
彼女が安心して力を発揮できるように、傍にいること。
それが、俺の役割だ。
そして——それは、俺の誇りでもある。




