第4話 北への旅
リーゼが医学院に来て、二年が過ぎた。
俺は卒業を控えていた。
◇
「ルーカス、聞いたか?」
フェリックスが、興奮した様子で駆け寄ってきた。
「リーゼが、特別研究員に任命されたらしいぞ」
「特別研究員?」
俺は、目を見開いた。
「ああ。十四歳で特別研究員なんて、前代未聞だ」
特別研究員——
医学院の最高位の学生に与えられる称号だ。
通常は卒業間近の学生が任命される。
それを、十四歳で——
「やっぱり、リーゼはすごいな」
俺は、素直に感心した。
「ああ。天才だよ、あいつは」
フェリックスが頷いた。
「でも、大変そうだぞ」
「大変?」
「特別研究員には、任務があるんだ」
「国内各地で発生する医療問題に対処する、特別任務が」
◇
その日の夕方、リーゼが俺のところに来た。
「ルーカス先輩」
「おう、リーゼ。特別研究員の件、聞いたぞ」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
リーゼが、少し緊張した顔で言った。
「実は、先輩にお願いがあるんです」
「お願い?」
「私の初任務に、同行していただけませんか」
俺は、驚いた。
「俺が? 同行?」
「はい」
リーゼが、真剣な目で俺を見た。
「ノルトハイム地方で、疫病が発生したんです」
「ノルトハイム……王国最北の鉱山都市か」
「はい。原因不明の熱病で、すでに死者も出ています」
リーゼの声が、少し震えた。
「正直、私一人では心細くて……」
◇
俺は、考え込んだ。
ノルトハイム——
王都から馬車で三日以上かかる、遠い土地だ。
厳しい寒さで知られる鉱山都市。
そこで、疫病が発生している。
「俺で、役に立てるのか?」
正直に聞いた。
「俺は、お前のような天才じゃない。足を引っ張るかもしれん」
「そんなことありません」
リーゼが、首を振った。
「先輩がいてくれるだけで、心強いんです」
「……」
「先輩は、私が孤独だった時、ずっと支えてくれました」
「今度も、一緒にいてくれませんか」
リーゼの目が、真剣だった。
俺は——
「分かった」
頷いた。
「一緒に行こう」
リーゼの顔が、ぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!」
◇
出発の朝、王都の門の前に馬車が待っていた。
「リーゼ、準備はいいか?」
「はい」
リーゼが、小さな鞄を持って頷いた。
「医療器具と薬は、別の馬車に積んであります」
「さすがだな」
俺は、感心した。
「初任務なのに、しっかりしてる」
「でも、不安です」
リーゼが、正直に言った。
「原因不明の病気。死者が出ている。私に、何ができるのか……」
「大丈夫だ」
俺は、リーゼの肩に手を置いた。
「お前なら、きっと答えを見つけられる」
「……ありがとうございます」
リーゼが、少しだけ微笑んだ。
◇
馬車が動き出した。
王都の街並みが、ゆっくりと後ろに流れていく。
「先輩、ノルトハイムに行ったことはありますか?」
「いや、ない」
俺は、首を振った。
「北の方は、あまり行ったことがない」
「私もです」
リーゼが、窓の外を見た。
「寒いところらしいですね」
「ああ。冬は、雪に閉ざされるとか」
「今は秋だから、まだましだろうが——」
「それでも、王都よりずっと寒いらしい」
リーゼが、少し身震いした。
「厚着してきて、良かった」
◇
馬車は、街道を北へ向かった。
最初の日は、田園地帯を走った。
刈り入れの終わった畑が、広がっている。
「のどかだな」
俺は、窓の外を眺めながら言った。
「こういう景色を見ると、故郷を思い出す」
「先輩の故郷は、どんなところですか?」
「小さな村だ。畑と牧草地があって、近くに小川が流れてる」
「親父が診療所を開いていて、村の人たちを診ている」
「素敵ですね」
リーゼの声が、少し羨ましそうだった。
「先輩は、そこに帰るんですね」
「ああ。卒業したら、すぐに帰るつもりだ」
俺は、窓の外を見た。
「親父も、もう歳だからな。早く手伝ってやりたい」
◇
二日目、馬車は山道に入った。
道は険しくなり、馬車が揺れる。
「大丈夫か、リーゼ」
「はい。少し揺れますが」
リーゼは、平気そうに答えた。
「それより、先輩に聞きたいことがあります」
「何だ?」
「先輩は、なぜ医師になろうと思ったんですか?」
俺は、少し考えてから答えた。
「親父の影響だな」
「子供の頃から、親父が患者を診る姿を見て育った」
「村の人たちが、親父に感謝している姿も」
「それを見て、俺もこうなりたいと思った」
「そうですか……」
リーゼが、静かに聞いていた。
「でも、医学院に入って、自信をなくした」
俺は、正直に言った。
「周りには、天才ばかりいた。俺は、平凡だった」
「自分に才能がないと、何度も思った」
「……」
「でも、お前に出会って、変わった」
「私に?」
リーゼが、驚いた顔をした。
◇
「お前は、天才だ」
俺は、リーゼを見た。
「俺には、到底及ばない知識と技術を持っている」
「でも、天才にも弱点がある。孤独だ」
「俺は、それを和らげることができた」
「天才を支えること——それが、俺の役割だと気づいた」
リーゼが、黙って聞いていた。
「だから、今回の任務にも同行する」
「お前の知識は、俺にはない。でも、お前を支えることはできる」
「それが、俺にできることだ」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
「先輩……」
「泣くな」
俺は、苦笑した。
「まだ任務は始まってないぞ」
「はい……すみません」
リーゼが、涙を拭いた。
「先輩に出会えて、本当に良かったです」
◇
三日目、馬車は峠を越えた。
北の景色が、目の前に広がった。
「あれが、ノルトハイムか……」
遠くに、鉱山の町が見えた。
煙突から煙が上がっている。
「寒いですね」
リーゼが、身震いした。
「王都とは、全然違う」
確かに、空気が冷たい。
秋だというのに、吐く息が白くなる。
「防寒具は持ってきたか?」
「はい。マルタさんに言われて、毛皮の外套を持ってきました」
「良かった。これからもっと寒くなるだろうからな」
◇
日が暮れる頃、ノルトハイムに到着した。
町の入口で、役人が待っていた。
「リーゼ先生ですか?」
「はい」
「お待ちしておりました。こちらへ」
役人に案内されて、診療所に向かった。
町の様子が、おかしい。
人通りが少なく、皆が不安そうな顔をしている。
「どれくらいの患者が?」
リーゼが、役人に尋ねた。
「二十人ほどです。そのうち、すでに五人が亡くなっています」
「五人……」
リーゼの顔が、険しくなった。
「症状は?」
「高熱と、全身の発疹です。激しい頭痛も訴えています」
「分かりました。すぐに診察します」
◇
診療所に着いた。
中には、高熱に苦しむ患者たちが横たわっていた。
「ひどい……」
俺は、思わず呟いた。
患者たちは、赤い発疹に覆われ、苦悶の表情を浮かべている。
「先輩」
リーゼが、俺を見た。
「私、診察を始めます」
「先輩は、ここで待っていてください」
「分かった」
俺は、頷いた。
リーゼは、患者の傍に近づいた。
小さな体。
でも、その目には——医師の覚悟があった。
「診させていただきます」
リーゼの声が、凛と響いた。
俺は、その姿を見守った。
天才少女が、疫病に立ち向かう。
俺にできることは——彼女を支えること。
それだけだ。




