炎と水のはじまり1
ー登場人物紹介ー
◆桜田風晴・・・田舎の農業高校2年。
◆桜田風子・・・風晴の母親。民宿を営む。
◆桜田晴臣・・・風晴の父親。市議会議員だったが、6年前から行方不明。
◆桜田孝臣・・・晴臣の実弟。ミステリー同好会顧問。地学教師。
◆大道正火斗・・・ミステリー同好会部長。高校3年。実家は大企業の財閥グループ。
◆大道水樹・・・ミステリー同好会メンバー。正火斗の妹。高校2年。
◆安西秀一・・・ミステリー同好会副部長。高校2年。父親は大道グループ傘下企業役員。
◆桂木慎・・・ミステリー同好会メンバー。高校2年。
◆神宮寺清雅・・・ミステリー同好会メンバー。高校1年。
◆椎名美鈴・・・ミステリー同好会メンバー。高校1年。
◆宝来総司・・・正火斗、水樹の実父。元陽邪馬市市長。桜田晴臣が行方不明になる同日に転落死。
◆西岡幸子・・・桜田家の隣人。
◆井原雪枝・・・風子に屋敷を貸す民宿オーナー。
◆真淵耕平・・・灰畑駐在所勤務。巡査部長。
◆真淵実咲・・・耕平の妻。
◆真淵聖・・・耕平と実咲の長男。農業高校2年。
◆真淵和弥・・・耕平と実咲の次男。
◆北橋勝介・・・フリージャーナリスト。
祖父の家は鍵がかかっていない。
貴重品は娘である風晴の母がすでに持ち出しているし、民宿から ほど近いからだ。都会では信じられないだろうが、まだこのような田舎では 鍵をかける習慣がなく暮らす人々もいる。
風晴は、祖父の家から飲み物でも持ってこようかと申し出た。最悪、コップに水は出せる。
だが、正火斗は断って それよりも
『そのトマトが食べたい。』
と、畑で赤々と光っている"優美"と言う品種を指差した。
風晴はせめてもと、皿、果物ナイフ、塩、タオルを用意して、縁側で収穫したばかりのトマトを数個 6つに切り分けて出した。いくらかは食べ易いだろう。
切られたトマトは水々しく輝いている。
正火斗は一切れ口に入れた。
喉を潤すほどの果汁が溢れ、酸味と、やや遅れて、噛むごとに甘味が出てくる。
『うまい。』
彼は言った。気持ちのこもった一言だった。
『夏は冷えてたらもっと美味い。はい、塩も合うから。』
風晴は彼に塩の瓶を渡した。受け取って正火斗は、
『朝食の支度を手伝いに行かなくていいのか?風子さんが1人で大変なんじゃないか。』
と聞いてきた。
『さっき、正火斗とじいちゃんの畑にいるってメールした。返信で、もう井原さんと手伝いの人が来てくれたって。3人いれば充分だろ。』
彼はうなずいた。
塩をかけたトマトを食べる。トマトはあれよあれよと言う間に無くなり、正火斗はタオルで指をふいた。
風晴は3、4切れ食べた後は、彼が終わるのを待っていた。
だって、どうしても気になるじゃないか。
『初日に、来たときに、、、、』
今度は、風晴の方から口火を切った。
『正火斗が、"妹はナイフを持っているから"って桂木に言ってたの聞いてたんだ。アレずっと、どういう意味なんだろうって 引っかかってた。』
正火斗は観念したように、笑みを浮かべた。
『君には、とことん ウチの酷さを話す運命らしい。』
彼は話し始めた。まだ灼熱ではない朝日は、2人のいる縁側に明るく差し込んだ。
『父が、、、宝来総司が転落死してから、母は半年後に再婚した。僕はちょうど中学に上がった頃で、水樹は小学6年だった。
水樹は昔は、、、、ああではなかったんだ。少し生意気でお嬢さん気質だったが、普通の、、、女の子だった。
僕らはシッターや家庭教師や使用人には囲まれていたけれど、両親からの愛情は なかった。さっきも言ったように、実父すらも"時々来る男の人"でしかなかったから。』
正火斗は畑の野菜に目をやりながら話した。
風晴も、風に揺れる草花を見ながら聞く。
『だが大道英之は違った。母が戻ってこない日でも彼は夜になればマンションに帰ってきた。あの頃30になるかならないかの若い男だったが、水樹は、、、、父親がやっとできたかのように、嬉しかったんだろう。よく懐いたんだ。2人はよく一緒にいるようになった。』
彼はそこで足を縁側にあげ、体育座りのように膝を抱えた。
『僕は思春期の真っ只中で、彼とは距離を置いていた。向こうも妻の連れ子の中学生男子はやりずらかったんだろう。他人行儀にしか接してこなかった。ただ、水樹が大道英之と仲良くなるならそれも構わなかった。しばらくは一緒に暮らしていくのだろうから、仲が悪いより良いだろう、、、、とさえ思ってた。
だが、彼との生活は2か月と続かなかったんだ。』
『どうして?』
風晴は思わず聞いていた。
正火斗は風晴の方を向いて答えた。
『水樹が大道を刺した。』
予想を超える答えに、風晴は一瞬 言葉を失った。
が、すぐに、彼は聞きたいことを、尋ねた。
『なんで?そうなった理由があるんだろ?』
正火斗は、そう尋ねた風晴を見つめ、口を開いた。
『マンションに水樹の友達の女の子が1人、よく遊びにくるようになっていた。大道は2人に炭酸の飲み物を出してくれたそうだ。水樹は炭酸が飲めないんだ。だから口にしなかった。だが、友達は飲んだ。そうしたら、その女の子が眠ってしまったそうなんだ。水樹は起こそうとしたが、そこに大道が来て、寝室で休ませると運んで行った。』
風晴の中で嫌な予感がしている。
『まさか、、、、、』
正火斗は、黙ってうなずいた。
『水樹が心配して友達の様子を見に行くと、大道は女の子のスカートの中に手を入れていたそうだ。』
苦いものが込み上げる。なんてことを、、、
『今は小学校でも、不審者や、大人からのボディタッチへの注意がされている時代だ。水樹は悪いことが起こっていると気づいて、寝室の燭台の横にあったペーパーナイフで彼の脚を刺した。』
風晴はうなずいていた。無意識だった。
『最悪だったのは、刺された大道の水樹への言葉だ。彼は''お前のせいだ"と、水樹に指を指して叫んだそうだ。
"自分は子供になんか興味はなかったが、お前がその顔でくっついてくるからこんな気持ちが沸き起こってしまった。全てお前のせいだ"と。あの人でなしは、水樹にそう言い放ったんだ。』
『クソ以下だな、そいつ。』
風晴は迷わず言った。
正火斗は少しだけ笑みを浮かべたが、それはすぐに消えた。
『僕は剣道の全国大会で県外に行っていた。水樹が電話をかけてきて、さっきの話しと、あいつの言葉を、泣きながら教えた。僕は一言一句忘れない。あの時の、水樹の言葉を。』
正火斗の肩がわずかに震えた。怒りで。
『大道英之は自分を被害者にして、水樹を児童更生施設に送ろうとまでしていた。僕はすぐ母に電話して、あなたが大道を止めて水樹を救わないなら、僕が彼を殺すと言った。』
風晴はただ聞き入った。それしか、できない。
『殺人者の母親では、次の再婚は難しくなるだろうと言ったら、動いたよ、あの人は。』
正火斗はそれを笑って言った。風晴はこんなに悲しい笑顔を見たことはないと思った。
『炭酸ジュースを飲んだ女の子は?水樹の味方にはならなかったのか?』
『本人がただ昼寝をしただけだと思っていて、何も覚えていなかった。後は大道がその両親に"大変なことに巻き込んでしまって"と、大金を渡したんだ。水樹は事件直後にマンションにいたハウスキーパー達には何があったか訴えたが、友達の両親にまで会わせてもらえてはいなかった。
僕は後日会いに行ったけれども、門前払いだった。"これ以上水樹に関わりたくない"と。』
『、、、ひどいな。娘さんは、水樹に助けられたのに。』
風晴は胸が痛くなった。
『仕方ないさ。彼らにとっては、ただ新しい父親とうまくいかない娘が、暴れたようにしか伝わっていなかったんだろうから。』
正火斗は固まっていた体をほぐすかのように、長い脚を伸ばした。また、縁側の下におろす。
『あれから大道英之と水樹を会わせてはいない。
僕がマンションに着いたときには、もう炭酸ジュースは廃棄されててグラスも洗われていた。でも、おそらくは睡眠薬のような物が入っていて、それは両方ともだった可能性はある。彼が本当はどちらを邪魔にならないように眠らせ、どちらを狙ったか、、、、、、それを考えると、いつも あいつを火炙りにでもしてやりたくなるんだ。』
風晴は正火斗の気持ちが当然だと思った。本当に、吐き気がするほど ひどい男だ。
正火斗はそこで一息ついた。瞳にかかる前髪をかき上げる。
『事件直後の水樹は、ありとあらゆる意味でショックを受けていた。父親と慕っていた人の裏切りと言葉、人を刺してしまった自分、友達の自分への誤解、、、。カウンセリングにも幾つもかかったけれど、壊れた水樹の心は戻らない。ようやく外出するようになれたと僕が思った時、水樹はナイフを持ち歩くようになっていた。』
『もしかして、、、、』
風晴は考え込みならが呟いた。
正火斗は同意して続けた。
『そうだ。水樹はナイフを護身用に持ってるんじゃない。
あいつは、ナイフが無いと外に行けないんだ。今も、まだ。』