Scene-7 / 時空魔法
私は人々が倒れている街道を眺めていた。
見える限り、30人ほどの人間が倒れている。動くものは無い。
馬車のようなものが2つ倒されているのが見えた。一つは荷馬車だろう、荷物が散乱している。一つは飾りが着いた豪華なものだった。身分が高いものが乗るようなものかもしれない。
馬車を引いていたのだろう、馬と鳥を合わせたような生き物が近くで息絶えていた。
街道に倒れているのは全員、男のように見えた。
制服だろうか、似たような服装をしている男たちが何人も居る。
一つは騎士だろう。鈍く銀色に反射する兜や、胸当て、胴当てなどを着ている。しかし、どの男も胴当てが引きちぎられ、腹をえぐられている。
一つは、僧侶だろうか、ポンチョのようなものを着ている。
そして、もう一つは全身黒ずくめの男たちの一団だった。
一見すると、貴族か何かを乗せた馬車の一行が、黒ずくめの男たちに襲撃されたように見えなくもない。しかし、それでは、大型の生き物が残したであろう、そこら中に染みた血の足跡の説明がつかない。
私は無意識に空のシガレットケースを取り出した。鼻を近づけて、ケースに残っていたタバコの香りを嗅いだ。
遠目でもわかるほど、男たちの傷は深く、出血が多い。仮に生き残っているものが居たとしても、私ができることは無いだろうと考えた。
できるとしたら、この世の最後の時間の話し相手になるぐらいだが、あいにくと言葉は通じないに違いない。
しかし、こちらからは見えない馬車の向こう側などは、まだ生きているものが倒れているかもしれない。助けられる人間がいるかもしれない。
私は喉の乾きを覚えた。
できる限り身体を動かさずに、周囲をゆっくりとなぞるように眺めた。生き物の気配を感じることは出来なかった。
静かに深呼吸を繰り返したあと、私は森を出て、街道に向かって小走りに進んだ。
途中、石畳の前で、目に見えない空気の壁のようなもの抜けるのを感じた。一瞬、その場で立ち止まるが、頭を振り、石畳の上を馬車に向かって進んだ。
巨体の生き物が残したであろう、足跡は乱れ、まともな形をしたものは殆どなかったが、私の背丈ぐらいに達する生き物かもしれない。
すでに血は石畳と大地に吸われ乾き始めていた。革靴が石を叩く音がやけにリズミカルに響く。
2つの馬車は右手にあった。中洲の方角で倒れ、逆側に男たちが倒れている。中洲側からやってきたのだろうか。だとすると、アルトリウスという街がある方角からやってきたのかもしれない。
私は大きくまわりこむようにして2つの馬車の反対側へと向かった。
豪華な馬車は人が5、6人は乗れるような大きさだった。かなり大きなもので、人間がこれを倒そうとしても、大人が10人ぐらいは必要かもしれない。
荷馬車もまた大きかった。荷物だけではなく、人が乗ってもいたのかもしれない。倒れた荷馬車のまわりに崩れた荷物は、荷台の大きさに比べると少ないように見えた。それでも掃討な数の縛られた塊や、大きな箱などがいくつも転がっている。
2台の馬車の陰に倒れているものや隠れているものは無かった。
街道を挟み、私が通ってきた森とは反対側に広がる森の茂みをしばらく眺めた。風に木々の葉が揺れているが、危険を感じる生き物の気配はない。
荷馬車に近づき、散乱した荷物を調べた。
ほとんどが旅の支度に必要だったものだろう。テントのようなもの。食材。飲料としては多すぎるのではないかというほどの水。そしていくつもの女性用の衣服があった。
「中性ヨーロッパの衣服に似ているかも知れない。」
私は呟いた。
鮮明に何かを覚えているわけではないが、中性ヨーロッパに関する知識がある。しかし、ヨーロッパというのが国の名前なのか、地方の名前なのかがわからない。
ただ漠然と、中性ヨーロッパという概念だけが頭の中に浮かんだ。
「オーケー、ジム。荷物には触らないでおこう。これらの品を持っているところを、誰かに見られたら、盗賊扱いされるかもしれない。
大丈夫、水と食料はまだなんとかなる」
荷馬車の見分を終えて、豪華な馬車の方へ身体を向けた。
それは緻密な装飾が施され、いかにも高級ですと言わんばかりの代物だった。まるで貴婦人が寝そべっているかのように、倒れていてもその高貴さを失っていない。窓ガラスがいくつかはめられているが、一枚も割れてはいない。何か、馬車自体が硬い鉱石でもあるかのようで、損傷している部分が見当たらない。
倒れているせいで、おそらく乗り口の部分が上に向いていた。確認するには車体をよじ登る必要がありそうだ。車体の前方にあたる部分には御者が座るためと思われる座椅子部分があった。その座椅子の後ろには小さな窓が見えた。カーテンがかかり、中を伺うことはできない。窓にはめられたのはガラスだろう。近づいてみると、かなり薄く、透明度が高い。指先で軽く、優しく叩いた。まるで金属音のような音が鳴った。
しばらく馬車の中に動く気配が無いかを待ってから、私は顔を上げ、適当な場所に足をかけて、倒れた馬車の上に身体を持ち上げた。
乗車するための扉は閉まっていた。変わらず馬車の中から人の気配はしてこない。
ドアノブに手を掛けようとしたとき、鋭く何かを警告するような女の声が森の方角から聞こえた。
同時に、別の女の力強い声が聞こえた。森に女が二人いるようだ。
二人の女の声が聞こえたと思ったときには、右肩に重い衝撃が走り、馬車の上から弾け落ちた。
鋭い指笛が聞こえた。
その指笛に呼応するかのように、聞き覚えのある、唸り声と雄たけびが複数聞こえた。
私は馬車の上から、街道の石畳みに転がり落ちていた。視界の左側に石畳。右側に空が見える。その視界の隅に、シルエットに見覚えのある4体の黒い塊の一団 ― 黒いのにシルバーウルフと呼ぶらしい ― がこちらに目掛けて疾走してくるのが見えた。
身を起こそうとしながら、右肩を見ると、短い矢が刺さっていた。
ありがたい。巨大な鈍器で殴られたような衝撃だったが、右肩が身体から吹き飛ばされたというわけではないらしい。
落下した際に、胸を強く打って、肺の中の空気を出し切っていた。動こうとしない肺に意識を集中しながら、息を少しずつ吸い込み、勢いよく吐くと同時に、身体を起こして、馬車の陰に身を隠した。
獰猛な唸り声が近づき、短い吠え声とともに、倒れた馬車の上を飛び越えて2匹のシルバーウルフが頭上に現れた。
同時に、馬車の左右から挟み込むように2匹が姿を現す。
私は左手を胸に当て、息を静かに吸い込みながら、動き出すタイミングを見計らった。
急に左手の中で何かが熱を持ち、緑の光が宿った。すると奇妙なことに戦闘態勢だったシルバーウルフから敵意がすっと消失するのがわかった。消失どころか、急になつくような声を上げて、尻尾を振り始めて近づいてくる。右に居た一匹が、私の右肩の匂いを嗅ぎ始めた。肩の傷を心配しているかのように小さく鳴く。
他の一匹が、私の顔を舐め始めた。
森で目覚めた時に襲われたシルバーウルフとは別らしい。4匹の額には紫の水晶らしきものが埋まっていた。
シルバーウルフの異変に気づいたのだろう、指笛が何度も鳴らされ、強く低い女の声が何度も聞こえた。今の位置は女から影になっており、私たちの様子を確認することができない。
さきほどよりも、声が少し近づいているかもしれなかった。
「ハロー!俺はジム。ジェームズ・ハートリーという!
きっと、私立探偵だ!」
私は大声で叫んだ。
女は何かを叫んだようだが、言葉はよくわからなかった。
鋭い声だった。
「オーケー!オーケー!
いいんだ!君は俺の言葉はわからい!俺は君の言葉がわからない!
だが言っておく、俺は君を傷つけたいとは思っていない!」
女はまた何かを叫んだ。言葉は分からないが、苛立っているようにも、怒気を含んでいるようにも聞こえた。
私は何も動じることはなかった。男女の関係ではよくあることだろう。お互いに主張し、譲らず、理解できない。
しかし、私は私立探偵だ。その能力で、なんとかしてしまうものだろう。
諍いはまず、相手の顔を見て話し、信頼関係を築くところからだ。根気強くいくものだ。
私はシルバーウルフたちを撫でるのをやめ、立ち上がった。
両手を上げて ― といっても、右手は上がらないが ― 馬車の陰から声のするほうに向かって、全身が見えるように立った。
シルバーウルフたちがまるで私を守るように、前に並び、声との間に立った。
女の姿が見えた。右腕と右肩を使って、ボーガンのようなものを構えている。4連か5連だろう。すでに森から出ていて、街道の近くまで歩いてきている。この距離から矢を放たれたら避けるのは不可能そうだ。
盛んに左手を使って、指笛を拭き、何かを口走っていた。表情からも、苛立っているのがわかる。
北方の人間を思わせるように鼻梁が高い顔立ちだったが、肌は浅黒かった。顔つきに無駄がなく、体脂肪が少ないのが見て取れる。もちろん、単に痩せているというわけではない。肌の露出は無いが、革でできているであろう防具の隙間からうかがえる骨格、身体の動きから、相当に鍛錬している様子がうかがえる。手にしているボーガンも金属製でかなりの重量があると思われるが軽々と扱っている。油断なくこちらへ向かってくる様子は、野生の大型肉食獣のような圧力を放っているように思えた。
浅黒い女の後ろから、高く、細い女の声が聞こえた。あいかわらず、何を言っているかは不明だ。
その声を聞いて、普段は大声を出し慣れていないだろう人間のものに違いないと思った。無理をして発声しているのがわかる。女の声には強い尊厳のようなものがうかがえた。きっぱりと何かを主張、いや、命令しているようだ。
浅黒い女は、振り向かないまま、後ろの女に何かを叫んでいた。ボーガンの女の声は、まるで絶対零度まで冷やした丸太ほどの大きさのアイスキャンディのようだ。容赦なく冷たく、硬い。触れるのでさえ怖いほど冷たい。しかし、冷えすぎてわからないが、本来は甘い声だろう。
浅黒い女と後方の女とのやりとりは何度が続いた。私は動かずに、浅黒い女の目を見つめた。女の視線は鋭く、緩むことがない。あまりにもその眼光は鋭く、私に突き刺さり、身体を突き刺して、後方の森まで達するような勢いに感じられた。
眼前の女は言い負けたのか、少しずつ後退を始めた。
後方の森から人影が現れる。
その二人目の女はいかにも、貴族か上流階級の娘といった格好をしていた。大きく膨らんだスカートに、大きなレースの生地とふんだんなドレープ。いかにも全てが高級品といわんばかりに見えた。高級な服屋から出てきたばかりと言われてもおかしくはない。
浅黒い女は出てきた娘の護衛なのだろう。この二人は運良くこの惨劇から逃れることができたのかもしれない。
護衛の女は、娘が森から出てきたことに気づくと、私と娘を結ぶ直線上に素早く移動し、私から娘が見えないようにして立った。
女と娘の言い争いはまだ続いているようだった。女は何度も身振りで、娘に森に帰るように促していた。
私は右肩が痛むのを急に感じた。
オーケー、ジム。とにかく、人に出会うことはできた。
しばらく、二人のやり取りをながめながら、私はその場で動かずにいた。まるで自分が彫刻になったように感じた。
不意に、視界の左の空間が歪むような気配を感じた。
みるみるうちに、目の前の空間に暗い雲のようのものが拡がり始めた。それは、薄い円盤状に拡がり、背丈を越える大きさになったと思った瞬間に、その雲の中から、男が現れた。その男は両腕にいくつもの腕輪をしていて、じゃらじゃらと音を出しながら現れ、その場に突っぶして倒れた。いきなり現れて倒れたが、その短い時間の中で、目から赤い血を流しているように見て取れた。耳からも出血しているようだ。石畳に血の雫が垂れる。
一呼吸おいて、暗い雲から騎士の鎧に身を包んだ人物が現れた。鉄製の兜の中の瞳が私を捉え、大剣を私に振りかざした。
遠くで娘の叫び声が聞こえたような気がした。
斬られた、と思ったが、そうではなく、鞘のまま殴られたようだった。視界がひっくり返り、眼の前が急速に暗くなる。
オーケー、ジム。大丈夫だ。まだ殺す気は無いらしい。
私の意識は暗闇に落ちた。




