かお姉とゆー君の日曜日(4)
「あの、そろそろ機嫌をなおしてもらえないかな」
顔を合わせずに先行してすたすたと歩いて行くかお姉に後方から話しかける。中学生になって少し背丈が伸びたとは言え、もともとかお姉の足は長いから少し本気を出されてしまうと早足では追いつけなくなる。
「つーん。女心のわからないゆー君なんて知らないもん」
追いついて、話しかける。かお姉はそこで律義に返事をしてはまた足早に進んでゆく。返事をしてくれる――しかも可愛らしい擬音を発してくれるから、その怒りが取り返しのつかないほどのものではないとわかる。けれど、やはり蟠りを与えたまま今日の残りを過ごすのは嫌だった。
かお姉が拗ねている原因はわかっている。先ほどようやくの思いでかお姉と合流した際に、かお姉が化粧品コーナーで会計を済ませた後で僕が言ってしまった言葉だろう。
「かお姉にお化粧って必要なの?」
思ったままの疑問を伝えて解消しようとした。だけどその言葉を耳にした瞬間からかお姉の表情が変わってしまったことで、僕の言い方がまずかったのだと気が付いた。
江川くんからの会話にあったように、僕の周囲の人間からかお姉の容貌は評判が良い。それはこれまで寄り添って生きている中でも感じたことはあった。何より僕だって、その、かお姉に一目ぼれしたし。
だから「こんなに綺麗な人に化粧品というものが必要なのか」と思ってしまったのだ。
しかし、かお姉は誤解してしまった。
「どうせ私は引きこもりだもん! お肌の心配程度のことだって、お外に出ない人間には不要だよね!」
かお姉はそう言って、その場を駆け出してしまった。……のだけど、10秒ともしない間に早足へと変更した。大型であるとは言え店内で駆けることへの罪悪感を持ったのか、悪目立ちすることが恥ずかしくなったのか、持久力がなさすぎて息切れすることが想定されたからか、どういった経緯かはわからないけれど、今のかお姉は早足で歩いている。
だから僕はここぞと追って話しかけてはいるのだけど、なかなか説得されてくれない。
人前でこういうことを言うのは照れるから抵抗があるのだけど、やっぱりちゃんと言わなきゃ伝わらないか……。
「かお姉、ちゃんと聞いて。僕はかお姉がとても綺麗だと思ってるんだよ」
覚悟を決めて声に出すと、かお姉がピクリと反応をしてから立ち止まった。
「僕がこれまでに会ってきた女性の誰よりも綺麗だと思ってるし、さっきだってクラスの子に美人だって言われてたんだ。そんな人に化粧が必要なのかって思っちゃって、むぐ……」
畳みかけるように言葉を出していると、口をふさがれた。僕の顔3分の1を柔らかく細い手指が覆っている。
「……恥ずかしいから、そういうのはもうちょっと人のいない所で、ね?」
その持ち主を見上げると、顔を真っ赤にした状態で緩み切った口角を震わせていた。
〇 〇 〇
「とりあえず一息入れてお昼にしよう。今の私は気分が良いから、ゆー君の分も払ってあげよう。なんでも好きなの頼んでね」
本日2度目の飲食店。とは言え、さっきの喫茶店ではなくて、同じくショッピングモールに入っているファミリーレストラン。そこでかお姉は恰好を付けたがった。
「そんなわけにはいかないよ。僕だってお小遣いは持ってきてるし。それに今日はかお姉の洋服を買いに来たんだから、そっちに回してもらわないと」
「あのね、私だってお小遣いがあるんだよ? そう。ゆー君とデートするときにしか使わないお小遣いが溜まっているんです」
御馳走の提案を慌てて断ったのだけど、別方向からの反論が来てしまった。……えっと、これは暗に「もっと一緒にお出掛けしたい」ということなのだろうか。
「それに、私には年上であるというメンツがあります。レジ前でもテーブルでも、年下の子からお金を受け取っているところを見られれば、私が後ろ指をさされることになります。……これについてゆー君は不服かもしれないけれど、年齢というものは抗うことのできない現実なので受け入れてください」
そして更に、姿勢を正して追い打ちをかけてくる。どうにも納得できない内容ではあるのだけど、かお姉がそう要求するのであれば従うしかないか。後で、それ相応の金額のものをプレゼントさせてもらうことにでもしよう。
「エビピラフにスープサラダセットを。それとチーズハンバーグランチをお願いします」
お店の人への注文をにこやかに済ませるかお姉を見て、やっぱり違和感を覚える。いや、極度の内弁慶だということは理解しているし、この程度のこともできないと生活ができないということはわかるんだけれど。普段の様子からかけ離れていて、心配になる。
「……それで、さっきのクラスメイトの子はゆー君に何か長話でも持ち掛けて来てたのかな。随分と時間がかかってたよね」
思いを巡らせていると、江川くんとの会話を質問された。かお姉から切り込まれてしまうと、ちょっとややこしいことになってしまう。確かに、僕は江川くんの相談をかお姉に話すことは考えていた。けれど、経緯が厄介だ。
江川くんは僕が宗倉くんの件の解決を手伝ったことを知っているけれど、かお姉は知らない。むしろ、禁じられていた。だから、すべてを正直に伝えるのはよくない。
「それとも、手早く別れることはできたけど私がお化粧コーナーにいるって推理をゆー君ができなかったかな」
僕が答えに迷っているとかお姉が次の可能性を出してきた。その案に乗ってしまうのも良いかもしれないと考えた。けれども、そう告げるかお姉の表情があまりにも悲しげで、首を縦に振ることはできなかった。
「えっとね、江川くん――さっきの彼ね。彼は、ある女子生徒について悩みがあったらしくて、それで僕がかお姉と一緒にいるところを見て、その相談をされちゃったんだ」
嘘は言っていない。
「それで、その話がなんだか不思議なんだけど……」
「お待たせいたしました。エビピラフとセットのスープ、サラダです」
この際だからこの不思議をかお姉に相談してしまおう。そう思った矢先に僕の注文が届いてしまった。
「それでね」
「先、食べちゃおうよ。冷たくなっちゃうから」
かお姉の料理が届いていないから、と話を続けようとしたのだけど、先に食べるように促されてしまった。
「じゃあ、スープから」
「どうぞー」
なるべく完食時間を合わせるように調整しようと試みた。すると、その後かお姉の注文が滞りなく届いた。外食時の食事中に会話をするのはなんだか気が引けたので、料理への感想を話しながら食べているとほとんど同時に食事を終えることになった。もちろん、それを図ってはいたのだけれど、さっきの話をし損ねてしまって少し気持ちが悪い。
けれど、かお姉は口喧嘩が収まったこと、昼食を済ませたことで気持ちが和らいだのか「じゃあ、お買い物に付き合ってもらおうかな」と言って、食事の伝票を指で挟んでレジへと歩きだしてしまった。
今度は解決編がお預けです。