03.準備
屋敷の内側は、いやにさっぱりしていた。
もともと家具の多い家ではなかった。この屋敷のもとの主であり、少女を育てていた老女――シズネの生活は簡素過ぎるほどに質素なもので、必要最低限の家具と、仕事道具しか置いていなかった。
だからもともと、この家はさっぱりしていたとも言える。
だがそれにしても――さっぱりし過ぎてはいないか。
箪笥などは以前見たとき、葬儀のときとそのままだ。だが、違う。
空気が違う。
生活感がない。
長らく人の入り込んでいない蔵を開けたときのような、わずかに、しかし確かに侵入者を拒絶するような、静謐な空気に満ちていた。
まさかと思って、少女の周囲を確認する。少女の服装もよくよく見てみる。
変わった様子はない。荷造りがされているわけでもないし、少女の服装も平素な着流しだ。
なのだけれども。
「――ねえ、もしかして」
サツキは少女に、訊かずにいられなかった。
「もう――出るつもりなの?」
山を降りるつもりなのか――と。
問うと、少女はこともなげにあっさりと頷いた。
対して、サツキは絶句した。
少女の処遇は、既に里の合議で決められていた。
すなわち、性急にあの少女には山を出てもらわねばならない、と。
あの少女が山に来てからというもの、よからぬ事象が多発している、地脈に淀みがある、異業の影がちらつくようになった――などと言う理由だ。
そしてそれは、決して老女たちの疑心暗鬼などではなく、厳然たる事実でもあった。
実際、つい先ほどにもサツキ自身が体感しているし、それが初めてでもなかった。ただ、それがこの少女の直接かかわっているものではない、と思っていただけで――
……だからって、態度を変えるものではないのだけれど。
サツキは言葉には出さずにそう思う。
いずれにせよ、長老陣の決定は絶対だ。加えてそれは、里の総意でもある。
それを防いでいたのは、一重に少女の庇護者が――シズネが、有力なイタコだったからというだけに過ぎない。
そのシズネの亡き今、少女を守るものは誰一人としていはしない。サツキが何を言ったところでも、傍人のサツキでは焼け石に水というものだ。
……でも、出ていくしかないにしたって。
判断が早過ぎると、サツキは思う。
ましてや、その決定はまだこの少女には伝わっていないはずなのだ。サツキが今日この屋敷を訪れたのは、個人的に食事を届けたかったというのも大きいが、それを伝える役目もあったのである。
他の誰も近寄りたがらないが、うってつけの人物がいる、と。
しかし、その決定を聞かずとも、既に少女は出立の準備をしていた――いや。
出立しようとしていた。
もし、もう数時間でも遅れていれば、少女はここにいなかったかもしれない。
そんなに急ぐ必要はないのだ。
不帰の旅なのだ。それ相応の準備というものがいる。それを理由にすれば、もうしばらくはここにいることもできるのだ。
……なのに。
「もう……行くの?」
否定してほしい、という思いを込めて問うが、少女は躊躇いなく頷いて返す。
「いつ?」
「すぐ」
少女の返答は端的だった。あまりに簡素過ぎて、言い募る余地もなかった。
だからこそ、少女の答えが素っ気なかったからこそ――サツキは悟ってしまう。
……そっか。
本当に、もう行っちゃうんだね。
引き留めることなど、できない。
できはしないのだ。サツキでは。
……でも。
「――わかった。でもちょっと待って。ううん、あと一日、一晩だけ待って。お願い」
有無を言わさぬ勢いでサツキが少女に言うと、少女は表情は微塵も動かさないながらも怪訝に思ったのだろう、わずかに首を傾げながらも、頷いた。
それを見届けて、サツキは勢いよく立ち上がると、踵を返し、駆けだした。
「先に行っちゃったりしないでよ! 絶対だからね!!」
返事は聴こえなかったけれども、サツキは振り返らなかった。




