理由1、兄
誤字をご指摘をいただいて改めました。教えてくださった方、ありがとうございます。
ミレーユ。
僕の愛しい天使。
僕の希望、僕の宝。
この世の醜さの全てからきみを守ってみせると誓おう。
願わくば今日も、きみが幸せでありますように。
◇
白い手袋が投げられた。
「決闘を申し込もう、アダン伯爵」
金髪碧眼、甘いマスクの青年には、すらりと剣を抜く様が驚くほど似合っている。思わず状況を忘れて見とれ、ため息をつくギャラリー…ご婦人方に、青年は気まぐれなサービス精神を発揮し、にっこりと微笑みかけた。
「貴様っ、どういうつもりだ!」
きゃあ、と歓声を送るご婦人方の声に我に返ったらしいアダン伯爵が、投げられた手袋を怒りもあらわにたたきつける。
そのどなり声に一瞬で表情を冷たく凍らせた青年は、美しい碧の瞳で虫けらを見るようにアダン伯爵を見下ろした。
「どういうつもりも何も、言葉の通りだよ。日時も場所も、そちらで指定していただいて結構。悔いのないよう、せいぜい腕のたつ介添え人を選びたまえ」
「ちょ、待ってくださいお兄様!」
青年…兄が腰にまわした手をようやく退け、ミレーユは彼に抗議した。
アダン伯爵が何をしたかって、夜会に来たばかりのミレーユに挨拶しただけである。言葉を交わす暇すらなく兄に決闘を申し込まれた。
どういうつもりだ、というアダン伯爵の叫びはミレーユの思いでもあった。
「伯爵は、わたしに挨拶をしてくださっただけで、」
「きみの美しい手を醜い手で取った。臭い息を浴びせ、汚い口を押しつけた。万死に値する行いだ」
「ちょ…」
あまりの言い様に、言葉が出ない。そんなあほうな、という衝撃がミレーユの頭を占領した。
とりあえず、兄の怒りの原因はアダン伯爵がミレーユにした“当世風のあいさつ”らしい。
確かに兄はミレーユの手を取り、甲に口づけた伯爵を掴んで引き倒すと、ものすごい力でミレーユを己に引き寄せ、気付いたときには手袋を投げていた。
こんなくだらないことで決闘を申し込む人間がどこにいる、と思うがミレーユに対して異常なほど過保護なこの兄に常識は通じない。
さらに悪いことに、公爵家の嫡男で王家と縁続きという身分に生まれ、容姿端麗で頭脳明晰、剣術にも秀で王妃の騎士という地位まで手にする兄に異を唱えられる人間は少ない。
まさに無敵。好き放題してくれる。妹であるミレーユに関しては特に。
「死ぬ覚悟はお早めにお願いします、伯爵。軽々しくミレーユに触れた人間が生き存えている瞬間が延々続くなど、おぞましい」
「…っお兄様!」
ミレーユが睨むと、兄は冷徹非道そのものの表情を一瞬で引っ込めた。「なんだい、ミリィ」と返す声も瞳も砂糖菓子より甘い。
騒ぎに集まったギャラリーから羨望のため息が漏れるが、ミレーユには見馴れた顔だ。見とれることもほだされることもない。迷惑な兄をギッと睨んだ。
「決闘の申し込みなんて馬鹿なものは取り消して、伯爵に謝罪してください」
「優しい子だね、ミレーユ。けど、こんな男をかばう必要はないんだよ。突然汚い手で触られて、怖い思いをしただろう?僕がたっぷり苦しめてからあの世に送ってあげるからね」
「申し込みを取り消して、謝罪しなさい。出来ないなら、お兄様のことを嫌います」
ミレーユの宣言がもたらした効果は絶大だった。
ざ、と血の気の引く音が聞こえる勢いで兄の顔が蒼白になる。美しい碧の瞳が受けた衝撃の大きさにグラグラ揺らぎ、唇が震えた。
「き、き、嫌いになるって、ミレーユ、お、お兄ちゃんは、そんな、」
「決闘の申し込みを取り消して、謝罪してください。そうしたら嫌いになんてなりません」
三度目の言葉に、兄は素早く伯爵に歩み寄ると、優雅な動作で跪いた。
「大変な失礼を申し上げました、アダン伯爵。どうか、若輩者の狂言とお許しください」
この変わり身の早さ。怒りもあきれも通り越して感心したのはミレーユも伯爵も同じだろう。アダン伯爵は半ば呆気にとられた表情で謝罪を受け入れた。
集まったギャラリーは何をしても様になる兄にうっとりと見惚れている。
…目を覚ませと言いたい。切実に。
「ありがとうございます、伯爵。…ひとつ、重ねて失礼を申し上げることをお許しいただきたいのですが」
「…なんですかな」
「金輪際、たとえ挨拶であろうと、ミレーユに触れることはおやめください。不愉快です」
「…………」
「お集まりの皆さんも、覚えておいていただきたい。もっとも、私を敵に回したいなら別ですが」
「…………」
この兄とやり合う覚悟を持ってミレーユに近づいてくる男は、いまだ、いない。
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