第12話 月無き夜に
今月も新月の日がやってくる。
星の瞬きは夜空に無数に輝くも、闇夜を全て照らし出すには全くもって足りていない。うごめく黒を制するものが、今宵は足りない。そんな暗い夜に、獣は己の存在を主張するために遠吠えをする。
「ふにゅ……」
ライツはその目をこすりながら、ゆっくりと起き上がった。誰かに呼ばれた気がするのだが、気のせいだろうか。瑠璃色の瞳は、涙で濡れている。ライツはそんな、寝ぼけ眼で周囲を見渡した。
五月に短く切った髪は、もうすでに元の長さになっている。彼女が動くたびに、その金糸はゆらりと揺れ、先端がきらめいていた。
「ん?」
ライツは自分の視界に映ったものが、いつもの寝起きと違っていたことでようやく思い出した。ライツは今日、洋介の家に泊まりにきたのだった。
未だに昨日のことのように鮮明に思い出せる、ライツがこの世界に落っこちてきて、洋介と共に過ごした日々。その時に使っていたものと同じ、洋介が用意してくれた籠のベッドから抜け出して、ライツはその体を宙にふわりと浮き上がらせた。
やはり、誰かに呼ばれた気がする。そんな声の主を探して、ライツは洋介の傍に近寄ってみる。
「すぅ」
彼は穏やかに寝息をたてていた。どうやらライツを呼んだのは洋介ではなさそうだ。
ちなみに、洋介が寝言を言うことはあまりない。彼の眠りは常人よりも深い方である。今も、ライツがかなり近くに寄って洋介の様子を確認しているのだが、その間も彼は起きる気配が全くない。
「あれ?」
そんな風にライツが洋介の近くで首を捻っている時、ガタンという物音が階下でした。微かなものであったが、ライツの耳は敏感に感じ取る。
「何の音?」
ライツは、ちらりと洋介の様子を確認してから部屋の扉へと向かう。
何度も試みているから、この手の戸の開け方なら慣れたものだ。スムーズに洋介の部屋を出ると、階段の上をすっと降りて行って一気に一階まで到達する。
「おっ」
そんなライツの前を、よく知っている人影が通り過ぎて行った。
「ヨースケママだ」
こんな夜更けに明かりもつけずに何をしてるんだろう。そんな疑問を持ったライツは彼女に近寄ってみる。
洋介の母は、いつものようにライツに反応を示すことはない。洋介の家にいるとよく遭遇するのだが、ライツは自分の声が彼女に届かぬことを知っている。だから、普段ライツが彼女に話しかけることはない。
「どうしたの?」
それでも、そんなライツが思わず声をかけてしまうほどに彼女の様子は奇異に映った。
彼女はふらふらと、まるで酒を飲みすぎた者のように前後不覚で歩いている。もしくは夢遊病者か、眠ったまま動いているようで視線もどこを見ているのか、定まっていない。
そして、そのまま、まるで仕事に行くかのように玄関から出ていこうとしている。普段なら洋介と一緒に見送る場所で、ライツはその背中から目を離さずに「う~ん」と唸っている。
「ヒトって、こんな夜に家から出ないよね」
地上にいる間、ライツはどちらかと言えば夜の方が調子がいい。しかし、最初の頃、それに付き合っていた洋介が辛そうだったので最近では彼の就寝リズムに合わせてライツも行動している。
だから、この時間は人間が眠っている時間だということをライツは承知しているのだった。
それなのに、洋介の母はそのまま家を出ようとしている。鍵も閉めないで。物騒なこと、この上ない。
「むぅ」
ライツは短く唸った。とても、嫌な予感がする。このまま見過ごしてはいけないと、ライツの本能が背中を押す。
「ライツもついてこ」
ライツはもう一度、洋介が眠っているであろう部屋の方向を見やって、彼女の背を追って家を出て行った。
街灯が照らす道を、ライツはキョロキョロと周囲を見渡しながら飛んでいく。
「みんな、どうしたんだろ」
少し進めば、洋介の母と同じように、おぼつかない足取りで同じ方を向いて歩いている人達がいた。他の家から、今、まさに出てくる人間も数人見かけた。
「なんか、ヤな感じ」
まるで、映画のワンシーンのようだ。それも、不穏な空気を生み出す演出がされているような。計り知れない不気味さと、その中に知り合いが混ざっている不安をライツは感じていた。
「なんなんだろ、これ」
さすがにこれだけ色々と経験してきたライツは、それが異様な光景であるということを理解できる。いつの間にか、一人で歩いているだけだった洋介の母も、その他大勢の一人になってしまっている。
それだけ大勢の人が皆、どこへ行くつもりだろう。このまま行かせていいものなのだろうか。
「どうしよう、どうしたらいいかな」
ライツが次の行動を決めかねて、上空を行ったり来たりする。そんなライツの動きに合わせて、首に下げた鎖の先にある輪がライツの胸の前で踊る。
揺れている金色の輪の左右の振り子の動きが徐々に大きくなり、ある拍子で爆ぜるように勢いよくライツの頭目掛けて跳ね上がった。
「いたっ」
思わず声を出して、胸元に戻ったリングをライツは睨みつける。その視線に応えるかのように、リングはきらりと輝いた。
もたもたするな。急げ。手遅れになる前に。
そんな言葉がライツには聞こえた気がした。
「そんなに危ないの?」
ライツは金色の輪から伝わる意思に疑問を投げかける。
それは本当に尋ねたわけではなく、どちらかといえば、自分の感覚に対しての確認だ。ライツだって、この状況が危険なことくらいわかる。だから、どうしようか迷っていたのだ。
どうやら、鎖につながれたリングはライツの背中を押してくれるらしい。
リィルの件では、ライツがどれほど望もうとも中々許してくれなかった。それなのに、ライツの母が彼女を護りつつも縛りつけている金色のリングは、率先して封印を解かせようとしている。
こんなことは初めてだ。この珍しい状況は、それだけ現状がおかしな事態に陥っていることを示唆している。
少しの時間、ライツは静かに目を閉じる。その瞼の裏に、すやすやと眠っている洋介の顔が映った。
「うん、ライツが守らないとね」
この場所は洋介にとって大切な場所。加えて、ライツが洋介と出会った彼女にとってもかけがえのない場所。
だから、護らなければ。
今日が過ぎて、妖精界に戻ったとしても。また、「帰って」これるように。
「ふぅ」
ライツは短く息を吐く。そして、大きく吸い込むと、ぐっと口を閉じた。その動きに合わせて、右手でリングを握りしめる。
何度やっても慣れない。封印を解けば、自分が自分でなくなりそうな、そんな力の奔流に襲われる。こうしている今も、外に出ようと暴れる力がライツの心を乱す。
体がバラバラになりそうな、そんな気持ち悪さは今回もライツを蝕むだろう。それがライツをどうにかするわけではないと教えられているが、それで嫌悪感が和らぐわけではない。
(いくよっ!)
それでも、覚悟なら、とっくにできていた。
「流れる星のキセキをここに!」
ライツは声とともに、首にかけた鎖から金色の輪を引きちぎった。




