5
それから三日間、小夜先輩は現れなかった。
廊下ですれ違うこともなければ、教室へ押しかけてくることもない。
どうやら「今日は勧誘しない」という言葉を、少なくとも三日分ほどは拡大解釈してくれたらしい。
俺は普段通り学校へ通い、授業を受け、昼休みには一人でパンを食べた。
田谷とは、前より少し話すようになった。
「昨日の数学、最後の問題できた?」
「途中まで」
「俺、最初から分からなかった」
「それは途中までとは言わないな」
「名前を書いた」
「参加点だけ狙ってるのか」
「高校は出席が大事だから」
会話はその程度だった。
放課後になれば、田谷はサッカー部の体験へ行く。
俺は帰る。
別れるときには、田谷が「また明日」と言い、俺が「ああ」と返す。
関係が深まっているのかどうかは分からない。
だが、少なくとも名前はもう間違えなくなった。
それだけでも、一週間前よりは進歩している。
部活動の勧誘も、少しずつ減り始めていた。
新入生の多くが所属先を決め、廊下に立っていた上級生たちも本来の活動へ戻りつつある。
俺の机の端に積まれていたチラシも、前日の夜にまとめて捨てた。
茶道部の紙だけは少し迷った。
結局、お菓子一つで三年間を売るのはやめた。
高校生活は、このまま大きな変化なく進むのだろう。
そう思い始めた日の昼休みだった。
教室の入口が、少し騒がしくなった。
「誰か探してる?」
「一年三組で合ってるはずだ」
聞き覚えのある声がした。
俺はパンを持ったまま、入口を見る。
小夜先輩が立っていた。
銀色の髪は教室の中でも目立つ。
近くにいた生徒が何人か、何となく道を空けている。小柄なので威圧感はないはずだが、本人が迷いなく中へ入ってくるため、周囲の方が避ける形になっていた。
目が合った。
小夜先輩の顔が明るくなる。
見つかった。
「みつき」
教室の入口から下の名前で呼ぶのはやめてほしい。
何人かの視線が俺へ集まった。
田谷が前の席から振り返る。
「知り合い?」
「一度だけ、校内を歩かされた」
「どういう関係?」
「被害者と加害者に近い」
小夜先輩が俺の席まで来た。
「人聞きの悪い説明をするな」
「事実関係を簡潔にまとめました」
「私は君を調査へ招待しただけだ」
「帰ろうとしていたところを止めて、一時間以上歩かせましたよね」
「有意義な一時間だった」
「それを決めるのは使った側ではありません」
小夜先輩は一瞬反論しかけたが、教室の視線に気づいたらしい。
周囲を見回し、少しだけ姿勢を正した。
「ここでは話しにくいな」
「では話さなくて大丈夫です」
「重要な話だ」
「先輩にとっては」
「君にも関係する可能性がある」
嫌な言い方だった。
前回の噂に関係する話なら、五脚目のベンチについて何か分かったのかもしれない。
俺は少しだけ気になった。
気になった時点で負けている気もする。
「五脚目が出たんですか」
「いや、別件だ」
「では、俺には関係ないですね」
「話を聞いてから判断しろ」
「前もそうして、断りにくくなりました」
田谷が興味深そうに俺たちを見ていた。
「何の部活?」
「地域文化・伝承実地調査同好会だ」
小夜先輩が答える。
「長いですね」
「活動内容を正確に表している」
「何するんですか」
「地域の怪異や都市伝説を調査する」
「正確に表してませんよね」
田谷が俺を見る。
「みつき、そういうの好きだったの?」
「好きじゃない」
「前回の調査では、よく協力してくれた」
「断りきれなかっただけです」
「しかし質問は多かった」
「危険性を確認してたんです」
「写真も見た」
「見るように置かれてたからです」
「中庭の観測も最後まで行った」
「途中で帰る方が面倒だったので」
小夜先輩は田谷へ向き直った。
「このように、本人は否定しているが適性はある」
「本人の意見を推薦文に使わないでください」
田谷は楽しそうに笑った。
「いいじゃん。入れば?」
「なぜ他人事だと思えるんだ」
「俺、サッカー部入ったから」
「安全な場所から勧めるな」
俺が言うと、小夜先輩が少し首を傾げた。
「サッカー部も安全とは限らない。捻挫、骨折、熱中症の危険がある」
「比較対象がおかしいんですよ」
「怪異による死亡事故よりは少ないだろうけど」
田谷が笑いながら言った。
小夜先輩は真顔になった。
「怪異による死亡事故の正確な統計は存在しない」
田谷の笑顔が少し固まった。
「冗談ですよね?」
「半分は」
「残り半分を教室で出さないでください」
俺は立ち上がった。
このまま話していると、クラス内での立場が「オカルト部の先輩と怪異について議論している生徒」に固定される。
まだ修正可能な段階で移動した方がいい。
「五分だけです」
「十分は必要だ」
「では五分で話せる部分だけ聞きます」
「重要な部分が切れる」
「切ってください」
小夜先輩は不満そうだったが、廊下へ向かった。
俺は残っていたパンを袋へ戻し、その後を追う。
教室を出るとき、田谷が小声で言った。
「楽しそうじゃん」
「どこを見てそう思った」
「結構しゃべってるし」
返事を考える前に、小夜先輩が廊下の先から呼んだ。
「早く来い。昼休みは有限だ」
「誰のせいで使ってると思ってるんですか」
そう返したとき、田谷がまた笑った。
*
小夜先輩は人気の少ない階段踊り場で立ち止まった。
窓際には、前回より少し大きな鞄を置く。
中から取り出したのは、数枚の印刷用紙と、タブレット端末だった。
「東浜ベイモールを知っているか」
「駅の向こうにあるショッピングモールですよね」
家族で何度か行ったことがある。
新館と旧館に分かれていて、映画館や飲食店も入っている。休日はかなり混むが、平日の夕方ならそれほどでもない。
「五日前、そこで夜間清掃のアルバイトが一人、行方不明になった」
小夜先輩の声から、いつもの軽さが消えた。
「大学二年生の女性だ。閉店後、旧館の清掃を担当していた。午前零時を過ぎても戻らず、翌朝になって勤務先が警察へ届け出た」
「事件じゃないですか」
「ああ」
「高校生が調べる話ではありません」
「警察は現在も捜索している。ただし、公開されていない映像がある」
「なぜ先輩が持ってるんですか」
小夜先輩の目が少し泳いだ。
「知人から提供を受けた」
「どんな知人ですか」
「個人情報になる」
「入手方法が正規かどうかだけ教えてください」
「違法ではない」
「正規ではないんですね」
「違法ではない」
同じ答えを繰り返すときは、それ以上聞かれたくないらしい。
小夜先輩はタブレットを操作し、映像を表示した。
画面には、閉店後のモールの通路が映っている。
防犯カメラの映像らしく、色は薄く、時刻が画面の隅に表示されていた。
清掃用の制服を着た女性が、モップと道具を載せたカートを押して歩いている。
「これが失踪した人ですか」
「ああ」
女性は旧館の通路を進んでいく。
画面には人物検知用の四角い枠が表示され、その上に、
『人物 一名』
と文字が出ていた。
「映像解析システムか」
「防犯管理用の自動追跡だ。人間、清掃カート、放置物などを分類している」
女性はカメラの前を通り過ぎる。
映像が別のカメラへ切り替わった。
同じ女性が、閉じた店舗の前を歩いている。
さらに次の映像。
その次。
カメラが女性を追い、旧館の奥へ移動していく。
「この先は、改装工事で閉鎖されている区画だ」
「入った理由は?」
「分からない。ただ、映像では何度か後ろを振り返っている」
女性が立ち止まった。
画面の外に、何かがあるように見える。
誰かに呼ばれたのかもしれない。
しかし映像に音声はない。
女性は清掃カートを残し、一人で通路の奥へ歩いていく。
頭上の表示は、まだ『人物 一名』だった。
映像がわずかに乱れた。
次の瞬間、表示が変わる。
『遺失物 一点』
女性の姿は、まだ画面に映っていた。
歩いている。
立ち止まり、後ろを振り返っている。
それでも、システムは彼女を人間として認識していなかった。
「……機械の誤認識では」
「その可能性はある」
小夜先輩はすぐに認めた。
「だが、同時刻に旧館の別のカメラも同じ分類を出している」
映像が切り替わる。
別角度から映った女性。
その上にも、
『遺失物 一点』
と表示されている。
「翌朝、彼女の鞄と名札が見つかった」
小夜先輩は印刷した写真を一枚出した。
棚の上に、黒い鞄と名札が置かれている。
「発見場所は、モールの遺失物保管庫だ」
「本人は?」
「見つかっていない」
「誰かが鞄を運んだ可能性は」
「保管庫へ入れるのは警備員と管理担当者だけだ。夜間の入退室記録には異常がない。鞄が持ち込まれた映像も残っていない」
俺はもう一度、タブレットの画面を見た。
映像は停止している。
女性の上に浮かんだ『遺失物』という文字だけが、妙にはっきり見えた。
機械の不具合。
映像の加工。
内部の人間による犯行。
考えられる可能性はいくつもある。
少なくとも、幽霊や怪異を持ち出さなくても説明はできる。
それでも、前回の五脚目のベンチとは違った。
噂話ではない。
実際に一人、いなくなっている。
「警察に渡すべきでは」
「映像は警察も確認している。分類表示はシステムの不具合として扱われている」
「妥当だと思います」
「私も、表示だけならそう考える」
小夜先輩は別の紙を広げた。
モール旧館の案内図だった。
「東浜ベイモールでは、以前から閉店後の落とし物に関する噂がある」
「どんな噂ですか」
「閉店後、持ち主の分からない物を旧館へ置いておくと、翌朝には消えている」
「清掃員か警備員が回収してるだけでは」
「回収記録には残らない。遺失物保管庫にも届かない。防犯映像からも消える」
「今度は、消える物の噂ですか」
「ああ。そして今回は、人間が遺失物として分類された後に消えた」
小夜先輩の目は、映像を見つめていた。
新しい怪異を見つけた興奮というより、話のつながりを確かめようとしている顔だった。
「前回とは違う」
小夜先輩が言った。
「今回は、異常が起きている可能性が高い」
「確実なんですか」
「少なくとも、失踪事件は実在する」
「怪異だという部分は」
「現地を見なければ判断できない」
「では、確実ではないですね」
小夜先輩は口を結んだ。
少し悔しそうだった。
「言い方を訂正する。調査する価値がある」
「警察が調べています」
「警察は怪異を前提に捜査できない」
「先輩は怪異を前提にしすぎです」
「だから確認する」
「高校生が?」
「高校生であることと、異常を調べてはいけないことに関係はない」
「あります。かなりあります」
小夜先輩は俺を見た。
「今日の放課後、モールへ行く」
「一人で行ってください」
「君にも来てほしい」
「嫌です」
「今回は確実だ」
「確実なら、前回より参加する理由がないですよね」
小夜先輩が黙った。
前回と同じように、危険ではないから来いという話なら、まだ理屈は通っていた。
今回は本物かもしれない。
人が一人消えている。
その可能性を説明した直後に同行を求めるのは、勧誘として致命的だった。
「営業中に確認するだけだ」
「閉店後の事件ですよね」
「営業中にも痕跡はあるかもしれない」
「それを見つけたら、閉店後まで残るつもりでしょう」
「残らない」
返答は早かった。
早すぎた。
「今、考える前に言いましたよね」
「閉店前に帰る」
「本当に?」
「努力する」
「帰る気がない人の言い方です」
「帰る予定だ」
「予定は変更できますからね」
「君は細かいな」
「生存に関係する部分です」
小夜先輩は資料を抱え直した。
どう言えば俺が同行するか考えているらしい。
その顔を見ているうちに、少し苛立ちが湧いてきた。
前回は何も起きなかった。
今回は、違う。
危険だと自分で説明したうえで、それでも俺を連れていこうとしている。
「どうして俺なんですか」
「前回、冷静に観測できていた」
「ベンチを数えただけです」
「私の説明を鵜呑みにしなかった。映像を見ても、すぐ怪異だと決めつけていない」
「それは普通です」
「私に必要なのは、その普通ができる人間だ」
小夜先輩は真っすぐこちらを見ていた。
褒めているのだろう。
だが、褒め言葉の先に危険な調査が置かれているせいで、あまり嬉しくない。
「ほかの人を探してください」
「時間がない」
「なぜ」
「失踪から五日経っている。生存しているなら、早く見つける必要がある」
「それは警察の仕事です」
「ああ」
小夜先輩は、少しだけ目を伏せた。
「だが、もし彼女が普通の場所にいないなら、警察には見つけられないかもしれない」
その言葉には、反論しにくいものがあった。
反論できないのではない。
前提が証明されていないのだから、論理的にはいくらでも否定できる。
ただ、映像の中で『遺失物』と表示された女性の姿が頭に残っていた。
もし本当に、普通ではないことが起きているなら。
その考えが、ほんの少し入り込んでくる。
俺はそれを追い出すように言った。
「俺が行って何ができるんですか」
「一人では確認できないことを確認できる」
「具体的には」
「記憶や認識に差が出た場合の比較。私に異常が起きた場合の記録。別行動が必要になった際の連絡――」
「別行動はしません」
「例だ」
「最初から危険な例を出すのをやめてください」
小夜先輩は少し困った顔をした。
「報酬なら出せる」
「いくらですか」
「モール内の飲食代」
「高校生の労働条件として不透明すぎます」
「夕食も含める」
「食事で危険手当を処理しないでください」
「では、好きなものを一つ買う」
「上限は?」
「千円」
「急に現実的な額ですね」
「私も高校生だからな」
胸を張るところではない。
それでも、真剣な話の途中で予算交渉を始めたせいか、張りつめていた気持ちが少しだけ緩んだ。
小夜先輩も、俺の反応を見てわずかに安心したようだった。
「行きません」
もう一度言う。
小夜先輩の表情が元に戻った。
「なぜだ」
「怖いからです」
自分で言って、少し驚いた。
面倒だからでも、予定があるからでもない。
今回は単純に、怖かった。
映像の女性が、歩いているのに物として扱われていたこと。
人間が人間ではないものに変わる。
その意味がよく分からないまま、映像だけが頭に残っている。
「そうか」
小夜先輩は、意外にもすぐうなずいた。
「なら、無理には頼まない」
「……はい」
「すまなかった」
資料をまとめ、タブレットを鞄へしまう。
引き止めると思っていたので、少し拍子抜けした。
「一人で行くんですか」
「ああ」
「それは危ないでしょう」
「危険な役割は私が担当すると言った」
「誰も同行しなければ、全部先輩の役割になります」
「仕方がない」
小夜先輩は鞄のファスナーを閉めた。
その動きに迷いはなかった。
本当に一人で行くつもりらしい。
俺が断った以上、止める権利はない。
行くなと言っても、聞く人ではないだろう。
それに、俺には関係のない話だ。
小夜先輩が自分の判断で危険な場所へ行く。
結果も自分で引き受ける。
それだけのことだった。
「では、昼休みを邪魔したな」
小夜先輩が階段を下りようとする。
俺はその背中を見た。
小柄な体に対して、鞄が大きく見える。
一人で調査するための道具が、あれだけ詰まっている。
前回なら、そのまま帰していたと思う。
だが、今回は一人の人間が消えている。
「先輩」
呼ぶと、小夜先輩が振り返った。
少しだけ期待した顔をしたので、すぐに言葉を続ける。
「一人で行くのはやめた方がいいです」
「では同行するか?」
「それとこれとは別です」
「君が来ないなら一人になる」
「ほかの人を探してください」
「放課後までに見つかると思うか」
「先生とか」
「活動内容をすべて説明すれば止められる」
「止められるような活動なんですよ」
「だから説明しない」
「判断が一貫して危険側なんですよ」
小夜先輩は階段を一段上がり、俺と同じ高さに戻った。
「君は来ない。私は行く。それで話は終わりだ」
「勝手ですね」
「最初から私の調査だ」
言われてみれば、その通りだった。
俺が関わる必要はない。
昼休みが終われば教室へ戻り、午後の授業を受ける。
放課後は一人で帰る。
小夜先輩はモールへ行く。
それぞれ別の一日を過ごすだけだ。
そのはずなのに、妙に引っかかった。
この人は、止めても行く。
そして何か起きても、助けを呼ぶ相手がいない。
「……閉店前には帰るんですよね」
小夜先輩の目がわずかに明るくなった。
「その予定だ」
「予定ではなく、約束してください」
「努力はする」
「また言い方が戻ってます」
「調査中に予想外の事態が起きる可能性はある」
「だから行きたくないんです」
「同行すれば、予想外の事態にも二人で対応できる」
「参加する理由に変換しないでください」
小夜先輩は口元を少し緩めた。
交渉が再開したと判断したらしい。
腹が立つ。
「君は放課後、何か予定があるのか」
「ありません」
「なら――」
「予定がないことと、危険な場所へ行くことはつながりません」
「だが、断って帰っても、君は一人で時間を潰すだけだろう」
言葉が落ちた。
小夜先輩は、言った後で少し表情を変えた。
おそらく、悪意はなかった。
俺が放課後に一人で帰ることも、家に帰って特に何もしないことも、彼女にとっては単なる事実だった。
だから、比較材料として口にした。
それだけなのだろう。
それでも、胸の奥を指で押されたような感覚があった。
「事実なら、何を言ってもいいわけではありませんよ」
声が少し低くなった。
小夜先輩の目が見開かれる。
「……今のは」
「別に、間違ってはいません」
「いや」
「一人で帰って、家で時間を潰します。先輩の言う通りです」
「そういう意味で言ったわけではない」
「どういう意味でも同じでしょう」
自分でも、少し感情的になっていると分かっていた。
本来なら、ここで話を終えて教室へ戻ればいい。
だが、引き下がるのも、傷ついたことを認めるようで嫌だった。
小夜先輩は珍しく言葉に詰まっている。
その顔を見ていると、少しだけ気が済んだ。
同時に、居心地の悪さも増した。
「分かりました」
俺は言った。
「行きます」
「本当か?」
小夜先輩の顔が明るくなる。
すぐに明るくなるなと思う。
「ただし条件があります」
「聞こう」
「これで最後です」
小夜先輩の表情が少し固まった。
「今日、異常があってもなくても、今後は俺を勧誘しない」
「しかし――」
「条件を飲めないなら行きません」
少し強く言う。
小夜先輩は黙った。
さっきの言葉を気にしているのか、いつものようにすぐ反論してこない。
「今日だけ」
俺は確認した。
「本当に、最後です」
数秒後、小夜先輩がうなずいた。
「分かった」
「約束できますか」
「ああ。異常があっても、なくても、今日で勧誘は終わりにする」
声は真面目だった。
俺はそれを聞き、少しだけ息を吐いた。
腹を立てた勢いで、危険な調査への同行を決めてしまった。
どう考えても合理的ではない。
帰宅して一人で時間を使うことを馬鹿にされたように感じて、それを否定するためにモールへ行く。
選択としては、かなり幼稚だった。
けれど、今さら撤回するのも悔しい。
「放課後、校門で待っている」
小夜先輩が言った。
「授業が終わったら、すぐ来てくれ」
「準備は?」
「私がする。君はスマートフォンと財布があればいい」
「護符とか塩は」
「今回は私が持つ」
「効果が分からないものを人数分用意してたんですか」
「備えは多い方がいい」
小夜先輩は少しだけいつもの調子を取り戻していた。
鞄を持ち直し、階段を下りようとする。
「先輩」
「まだ何かあるか」
「さっきの件ですけど」
小夜先輩の表情がまた硬くなる。
俺も、何を言いたいのか完全には決まっていなかった。
謝ってほしいわけではない。
慰められたいわけでもない。
ただ、何もなかったことにされるのは嫌だった。
「今後、他人の予定がないことを、勧誘材料にしない方がいいと思います」
「……分かった」
「かなり感じが悪いので」
「そこまで言うか」
「事実なら何を言ってもいいわけではないんでしょう」
小夜先輩が少しだけ困った顔をした。
それから、小さく息を吐く。
「悪かった」
短い謝罪だった。
言い訳はしなかった。
「はい」
「だが、君が普段一人で帰っていることを観察していたのは、勧誘候補を探すためだ」
「補足で印象を悪化させないでください」
「誤解を残すのはよくない」
「正しく理解した結果、怖くなりました」
小夜先輩の口元がわずかに動いた。
笑っていいか迷ったらしい。
結局、少しだけ笑った。
「放課後、遅れるなよ」
「先輩こそ勝手に先へ行かないでください」
「五分は待つ」
「短いです」
「十分」
「最初から最大値を言ってください」
「善処する」
「それ、しない返事ですよね」
昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。
小夜先輩は階段を下りていく。
俺はその姿が見えなくなるまで見送った。
教室へ戻れば、田谷に何を話していたのか聞かれるだろう。
放課後には、東浜ベイモールへ行く。
人が一人消えた場所へ。
腹を立てた結果としては、あまりにも損失が大きい。
それでも、これで最後だ。
今日一日だけ付き合えば、小夜先輩との関係も終わる。
その後は、元の高校生活へ戻ればいい。
俺はそう考えながら教室へ戻った。
自分がすでに、その「元の生活」から少し外れ始めていることには、まだ気づいていなかった。




