第4話 切ない誓い、小さな呼び名
「……だから、フォーティニアのあの尋常ではない課税を何とかしてからであろう!」
「そうは言うが、フォーティニアの観光の力はそう甘く見るものではない。全てが同じような税率で、国家が成り立つわけではないであろうに」
「それよりも、ティリシアのあの姉妹の動向はどうなっている!? 常に牽制しあっているというではないか」
日本の国会も、こんなに白熱した討論を繰り返してるのかな。
わたしは、あまり政治に詳しくないから、開かれた扉の向こうで、おじ様おば様たちが、汗を迸らせて討論してる姿を見て、ある意味感動を覚えた。
凄い。
みんな、この国を思って、熱くなっている。
そんなわたしの肩を、イスランさんが軽く叩き、一礼をすると……慌ててわたしも倣った。
朗々とした、響く大きな声で、イスランさんは言った。
「ご討論中、大変申し訳ございません。皇帝陛下の直子、レーリアの一時帰還をご報告致します」
その声に、熱く議論を交わしていたおじさんたちが、ぴたりと口を閉ざす。
ああ……視線を感じる。
頭を下げたはいいけど……上げるのが怖かった。
「レーリア様だ……」
「レーリア様よ、あんなに大きくおなりになって……」
そんな囁き声が、わたしにはまる聞こえ。
いっそ、「どうもー! レーリアでーす!! 皆さん、久しぶりー!」って、テンション上げて言えれば、どんなに楽か分からない。
でもね……。出来る訳もなく。そもそもわたし、そんなキャラじゃない。
珍獣でも見るかのような眼差しから逃げるように、わたしはその部屋から出ることになった。
だけど、その瞬間。
「レーリア」
地を這うような、低い声。
わたしは、びくりとして身体を固めてしまった。
恐る恐る振り返ると、あのカフェオレ色の髪の、壮年の男性が、じっとわたしを見てる。
……アステリアのお父さんで、皇帝陛下の人だ。
そんな認識しか、わたしにはないけど。ちょっと怖い。
彼は、座ったままわたしをじっと見つめ、そして口を開いた。
「私の私室に行っていなさい。話は、その後だ」
……怒ってる? 怖いよー!
わたしは身を縮ませて、頭を下げて会議室を後にした。
なぜかそこの場に入らなかったシェニムさんが、わたしに聞いてきた。
「父上の様子は、どうでしたか?」
「えと……緊迫してて、おっかなかった」
素直にそう言うと、くすりと笑って肩を竦めた。
「おやおや、父上も努力なさったようで」
努力? どういう意味??
微妙な表情のラディを見上げると、彼は小さく、「大丈夫だよ」と囁いてくれた。
……うん。
あなたがいれば、わたし、きっと大丈夫。
だから……傍にいて……。
こんな短い間なのに、何でこんなにこの人に頼り切ってしまってるのかな。
それは、きっと。
「ラディ?」
そう声を掛ければ、限りなく優しい笑顔を向けてくれるから。
代償の無い愛情を、注いでくれているのが分かる。
ありがとう……もう少しだけ、あなたの気持ちに、甘えさせて。
わたしが、あなたを想う気持ちに向き合うのを、後回しにさせてごめん。
でも、いつか。
必ず。
記憶が戻る前に、わたしの今の気持ちを整理して、あなたに伝えたい。
だから、もう少しだけ、待っていてね。
わたし、どうしてこんなに男性嫌いなのか、分かってしまった。
きっとレーリアが、魔法をかけたんだ。
記憶を無くしてしまっても、ずっとラディが迎えに来てくれるのを待ち続けたいから。
だから、他の男の人を避けるように。
あなただけを、この先も見つめていきたかったんだ。
たった5歳のくせに。
レーリアの想いを考えると、わたしは鼻の奥がツンと痛くなった。
考えれば、可笑しなことだけど。だって、わたし自身のことだから。
「……では、父上の私室に行きましょう。すぐに来るでしょうからね」
そう笑いを含んだような、シェニムさんの言葉に首を傾げながら、わたし達はぞろぞろとまた、歩き出した。
本当に、広い。それに、何でこんなに入り組んだ作りなの。
絶対わたし、一人になったら迷子になる。
わたしがそう思いながら歩いていると、隣のラディがまた、わたしの心を読んだようなことを教えてくれた。
「こんな複雑な形態は、わざとなんだよ。盗賊や敵が万が一、この城に入り込んできてしまった場合を想定して作ってあるんだ」
「そっか……真っ直ぐ、皇帝陛下のところに行ける様な城じゃ危ないもんね」
「そう。この城自体が、要塞なようなものだから。もっとも、他国の者が簡単に入れないよう、何重にも結界はかけてはあるんだけど」
「ふぅーん……」
結界か。
ここに来る時には、シェニムさんにワープさせてもらっちゃったからなあ。
正面から入るには、ちゃんと結界を解いてもらうようにしなきゃ駄目なんだ。
「迂闊に、うろうろしないようにしよう……」
わたしが思わず呟くと、ラディは目を細めて頷いた。
「そうだね、魔力を封印した状態のきみは、無防備そのものだから。出来るだけ、俺と離れないで。俺は離れるつもりはないけど、きみがそう自覚してくれれば、言うことはない」
……はい、分かってます。
ここにいる間は、あちこち見たいけど……それはラディとか、お兄さん達と一緒のときにしよう。
散々歩いた先で、一つの扉にたどり着いた。
イスランさんとシェニムさんに続いて入ると、そこはベットルームのようだった。
だって、ベッドと机しかない。
「レーリア、そこにお掛けなさい」
そうシェニムさんは指し示してくれたのは、この部屋唯一の椅子。
「え、でも……」
「いいから。歩き通しで、疲れているでしょう?」
そう言うや、椅子を引いてわたしの肩をぽんと押した。
よたよたと情けなく、わたしは椅子に倒れこんだ。
イスランさんが、わたしの前に跪き、わたしの足をその膝に載せた。
え、ちょっと、待って!!
そして履いていたパンプスを脱がせて、ふくらはぎを揉み始めた。
「きゃー、止めて、止めてください!!」
「何だ、こんなにパンパンにして。黙って大人しくしていろ」
そう言って、イスランさんは慣れた手つきでわたしの足をほぐしていってくれていた。
確かに、アステリアに着いてからはずっと歩きっぱなしで疲れているけど、でも……。
わたしが困ってしまって、ラディを見上げると、彼は透明感のある蒼い瞳を細めて笑った。
「イスランがやりたいんだから、やらせてあげて。嬉しいんだよ」
え……?
驚いて、わたしは思わずイスランさんを見下ろしたら……
俯いたイスランさんの耳が、真っ赤に染まってる。
「ずっと待ち望んでいた、妹との再会ですからね。まあ、気の済むまでやらせておあげなさい」
シェニムさんまでそう言うなんて。
わたしは身体を硬直させたまま、イスランさんに足を預けることになってしまった。
そして、本当に上手なイスランさんのマッサージが気持ちよくて、わたしが何だか眠くなってきてしまった頃。
部屋の扉が、盛大な勢いで開いた。
バンッ! という音に、思わず身体を縮ませてしまう。
「レーリア!!!」
そう歓喜に満ちた声で叫び、両手を振り上げて突進してくるその姿は。
カフェオレ色の髪の紳士。
ギュウウウー!とわたしをおもむろに抱きしめ、そして頬を摺り寄せてくる。
いつの間にか、イスランさんが離れていたようだ。
というか、突き飛ばされたらしい。
目線に蹲るイスランさんが見える……。
「ああ、レーリア。何て可愛らしく成長したんだ! いや、ずっとお前の成長は見続けていたけれど、しかし生に敵うものはないな! こうして触れ合えることを、どれだけ夢見てきたか!」
「うぐ……ぐるじい……」
ギュギュギュー! と力の限り抱きしめてくれるお陰で、わたしは息も出来ずにもがいてしまった。
「おお、これは済まない。感情が高ぶってしまった」
そう言うや、わたしを羽交い絞めにしていた人は、そっと身体を離してくれた。
や、やっとまともに息が出来る……。
「もっと顔を良く見せてくれ。……ああ、セリカによく似てきた」
セリカ……?
一瞬不思議に思ったわたしの頬を、がっしりと掴んだのは、先ほど会った皇帝陛下。
会議中だった彼とは、全く別人みたい。
あの気難しそうな顔が、今は蕩けてわたしを恍惚と見つめている。
「あの……」
「レーリア、この城にいる間は、何も心配することはない。全て父上に任せなさい。安心して、羽を休ませるんだよ」
にこにこと言ってくれる皇帝陛下の肩に、白い手が重なった。
その手の持ち主は、にっこりと笑みを浮かべてるけど……その笑みが怖い。
シェニムさんだ。
「父上、レーリアが記憶を無くしている事実をお忘れのようですね?」
皇帝陛下は、びくりと身体を震わせ、ぶるぶると頭を振った。
「ま、まさか!」
「ならば、あなたが父だということを認識していない彼女に、自己紹介から始めるのが筋だと思いますが。違いますか?」
ああ、シェニムさん。
あなたがこの国の最強の人物だと、今わたし知ってしまった……。
ごほんと咳払い一つし、皇帝陛下はわたしを解放してくれて、そしてわたしの手を取った。
立ち上がるわたしを、感慨深げに見つめた彼は、優しげな笑みを浮かべていた。
「レーリア、私はお前の父で、アステリアの皇帝であるハルバーシュタット・カーロス・ロベール・エルハラード・アステリアだ。記憶には無いかもしれないが、でも間違いなく、お前の父だ。どうか、構えないでおくれ」
そうわたしの頬に手を伸ばし、そっと撫でてくれるその手は大きく、暖かい。
でも……けど。
わたしには、お父さんがすでにいる……。
だけど、さっきラディが言ってくれた。
地球での、両親。
アステリアでの、父。
それで、いいんだと。
「あの……父上という言い方は、わたし慣れていなくて……」
兄上とも、言いづらい。だから、イスランさんに「お兄ちゃん」と言ったくらいだもの。
皇帝陛下は、少し首を傾げて、「お父さんは?」と言ってくれたけれど。
でも、お父さんは少し抵抗がある。
「ああ」
そう言って、シェニムさんがポンと一つ手を打った。
「地球では、他に『パパ』という呼び名があったはず」
パ……パパ!?
皇帝陛下に向かって!?
カチーンと固まってしまったわたしをよそに、周りはその呼び名を受け入れてしまったようだ。
「何ていい響き……パパか。うう、娘を作ってよかった」
「ずるいですよ、父上だけ。それに引き換えお兄ちゃんなんて、オレもシェニムも同じじゃないですか。区別が欲しいですよ」
「なら、前に名前をつけて貰えばいいじゃないですか。レーリア、私を呼んでごらんなさい」
え……?
名前を前に?
「ええと……シェニムお兄ちゃん……?」
やだ! 最高に恥ずかしいんだけど!!
わたしは自分で言っておいて、その果てしない羞恥心に耐え切れず。
深々と頭を下げてしまった。
「すみませんが……お許しくださいぃ……」
イスランさんは見るからにがっかりし、シェニムさんは珍しくおかしそうに口元を押さえている。
もう、絶対からかったに違いない!
結局、イスランさんには、「イスラン兄さん」、シェニムさんには「シェニム兄さん」で無難に落ち着くことになった。
これからは、慣れるために、頑張って心の中でもそう呼ぼう……。
呼び名一つでも異なるこの環境の変化……わたしは耐え切れるのかな……。
何だか、凄く疲れ果ててしまった。
だけど、慣れなくちゃ。
わたしを家族だと認識してくれている、この人たちに、一日でも早く溶け込みたい。
大丈夫。
きっと、すぐに馴染めるはず。
不安になれば、隣を見上げる。
そこに、ラディの暖かい笑顔があるもの。
頑張ろう。




