第3話 二人の兄、戸惑いの再会
ラディに手を握られたまま、わたしはキョロキョロと落ち着きなく左右を見渡しつつ。
石畳の廊下を歩いて、イスランさんとシェニムさんの後を付いて歩いていった。
前方の二人は、何だか喧嘩をしているみたい。
というか……
一方的に、イスランさんが怒ってる。
「……だから、そんなしち面倒臭いことをしたくねえから、ああいう作戦をとったんだろうが!」
「困ったものですね。面倒だからといって、目の前の害を排除するチャンスを逃すなんて。言っておきますが、あの結果は偶然の産物です。もっとも、あなたには言っても分からないでしょうが」
「お前なー! 仮にも兄に向かって言う言葉か!?」
「ええ、仮、だったら本当に私も気が楽になるのですがね」
……仲の悪い兄弟なのかな……。
わたしは何だか困ってしまって。
だって、この人たちの妹なわけなのだし。
目の前で喧嘩を繰り広げられて、黙って見ていていいのかな……。
どうしよう。
声を掛けようか。それってでも、結構勇気いるし……。
何て考えていることが、ラディにはお見通しだったみたいで。
彼は、わたしに握った手を軽く振って、わたしを覗き込んだ。
ああ、沖縄で見た、あの青い海のような瞳……。さっきまで、真っ黒だったのに。
何だか、不思議。
「彩花、気にしないで。彼らは、あれが日常だから」
「え? 喧嘩してるわけじゃないの?」
「あれが、普通の会話。気にしていたら、身が持たないよ」
そうくすくすと笑って、吉田くん……じゃなくて、ラディはわたしの髪をくしゃっと撫でた。
「また、髪の色が抜けてきたな。こっちに一旦戻ってきたのは、正解かもしれないな」
それは、わたしも思ってた。
染めたと誤魔化していた、わたしの髪。
本当は、何もしていない。漆黒だった、わたしの髪が、自然に茶色くなってきて。
今では、ブリーチをしたような色になってきてしまっている。
「何だか、ヤンキーみたい……」
そう自分の髪を掴んで呟くと、隣のラディは盛大に噴出した。
何よ、失礼ね。
「ご、ごめ……ぶっ……!」
笑い上戸のツボに入ってしまったのかしら。
必死で口元を押さえて堪えてるし。
何だかその姿を見て、わたしも可笑しくなってきてしまった。
二人でくすくすと笑っていると、前方を歩いていたシェニムさんが足を止め、わたし達を呆れたように見ていた。
「何です、ここでも二人の世界ですか?」
「何だぁ!? 生意気な、オレの妹に手を出すなんざ、10年早いわ!」
憤慨しているイスランさん。
ずかずかとわたし達の前に歩み寄り、そして繋がれた手を見て。
すぅ、と目が細くなった。
怖いっ!
そして手を振り上げると、一閃。
見事にわたしとラディの間を割り込み、二人を引き離した。
「うむ。それでよし」
満足そうに頷いたイスランさんは、わたしの肩を掴んで……抱き寄せてくれたのかもしれないけど、イスランさんの勢いは、まるでわたしの襟首を掴んでと言ったほうがいいかもしれない……。
それから、一つの扉の前に連れて行かれた。
「この向こうに、父上がいる。今、会議中だから、ちょっと挨拶するだけだからな」
その言葉に、心臓が高鳴る。
お父さん……。
わたしのお父さんって言ったら、普通のサラリーマンで、毎朝、ご飯を食べながら新聞読んでて、それをお母さんに怒られてて。
吉田拓郎の大ファンで、吉田くんがうちに来てから、二人で拓郎談義をするのが楽しみで……。
あの、お父さんは、本当はわたしのお父さんじゃないんだ……。
何だか、現実を突きつけられるようで、凄く怖かった。
「開けるぞ」
そういうイスランさんに、わたしはまだ心の準備が出来ていなくて。
慌てて身じろぎをしてしまった。
「やだ、嫌!」
びっくりしているイスランさん。
そうだよね。ごめんなさい……でも、けど……。
戸惑っているわたしの腕を、ふいと掴んだのは、ラディだった。
「あっ、また勝手にオレの妹に触れやがって!」
と喚くイスランさんを無視し、ラディはわたしを反対側の壁際に連れて行った。
わたしは、壁に寄りかかる。
そのわたしの顔の両脇に、ラディの腕がある。
そして目の前に、切れ長の瞳が……
「彩花、ここは、アステリアだ」
そう、静かにラディは切り出した。
そうね……地球、じゃないんだよね……
今更ながらの確認も、今のわたしには有難かった。
もう少し、頭を整理したいよ。
お兄さん二人は、今までわたし、一人っ子だったから、純粋に、嬉しいなと思える。
だけど、親の存在となると、そうはいかないの。
お父さんもお母さんも、ちゃんとわたしにはいるんだもの。
「地球でのご両親、アステリアでの父上、という考えで、取り合えずはいいと思うんだ。今後のことは、いずれきみが記憶を取り戻していくにつれ、自然に任せていけばいい。どうかな、彩花」
ラディの、耳に心地いい低い声は、限りなく優しくて。
間近で光る瞳は、真摯で、わたしのことをちゃんと考えて言ってくれているのが分かる。
わたしは真っ直ぐ、ラディを見つめ……
随分と長い間、わたしは考え込んでいたと思う。
それだけ、わたしには重要なことだった。
そして、少しだけ吹っ切れて、にっこりと笑って頷いた。
「ありがとう、ラディ。そうだね、うん。まだ、納得できないけど……そう思うようにする」
そう、頭では理解しても、心が着いて行かない。
でも、きっと大丈夫。
ほっとしたような笑みを浮かべるラディと。
わたしの戸惑いに、今やっと気付いてくれたイスランさんと。
腰に手を当てて、辛抱強くわたしの決断を待っていてくれたシェニムさん。
そして、わたしを心配そうに見上げるポワン。
皆がいれば、わたし、きっと頑張っていける。
何が何だか分からないけど……。でも、取り合えず、わたしの本当のお父さんに会う度胸はついた。
「イスランさん、もう、わたし大丈夫です」
そう言ったのに。
イスランさんは、あのいかつい顔を、泣きそうに崩した。
「イスランさんだと!? レーリア、何て冷たい娘に育ってしまったんだ!!」
「え……?」
「オレは、お前の兄上なんだぞ? 頼むから、そんな堅苦しい態度は止めてくれ」
ええー!?
たった今、お父さんに会う決意をしたばかりなのに……
でも、半泣きになっているイスランさんを、そのままにしておくわけにはいかない。
「気にしないことです、レーリア。自然と元に戻るんですから。ああ、全くうっとおしいですねえ、この男は」
そうシェニムさんは冷酷なことを言い、イスランさんを蹴り飛ばそうとしていたけれど。
でも、そうだよね……わたしを妹だと認識していてくれて。
その妹が、他人行儀じゃ寂しいよね……。
だから、わたしは……きっと顔を真っ赤にしていただろう。
シェニムさんに怒り出す寸前のイスランさんの袖を掴んで、俯いて呟いた。
「あの……お兄ちゃん、お父さんに、会わせて?」
その瞬間、イスランさんは、びくりと固まってしまった。
あれ、間違えたかな。
そう言えば、「大きい兄さま」と呼べとか言ってたっけ。
困ってしまったわたしに、シェニムさんは苦笑してわたしの頭をそっと撫でた。
うう……どうもわたしは、子供扱いされっぱなしだ……。
「レーリア、よく頑張りました。今のあなたにとって、兄など存在しないということは、私も兄上も重々分かっています。でも、兄上は寂しかったのでしょう。軟弱な男ですからね。そんなバカな兄上の要望に応えてくださり、感謝します」
随分と言いたい放題だけど……でも、シェニムさんの眼差しは、今までで一番、あったかかった。
「私も兄上も、妹はたった一人しかいません。あなたですよ、レーリア。困ったことがあったら、いつでも言いなさい。力の限り、あなたの希望に沿うように尽くしましょう」
固まってしまったイスランさんは、照れ隠しなのか、そっぽを向いてしまった。
本当に、お兄ちゃんって言ってもらうつもりなんか、無かったのかな……?
シェニムさんは、目を一瞬眇めて、イスランさんを睨みつけ(怖いっ!)、わたしを扉へと手招いた。
振り返ると、ラディが微笑んで頷いてくれた。
よし。
気合、入った。
わたしは、イスランさんが開ける扉の前に立ち、すう、と深呼吸した。
わたしの、本当のお父さん。
アステリアの、皇帝陛下。
どんな人なんだろう。
怖い。
でも、会いたい。
重い扉がゆっくり開き、わたしの目の前に広がるは、大きな会議室のような部屋。
大きな……という規模じゃない。
数百人は入れるかというような、だだっ広い部屋。結婚式場並み。
その中心にいた、カフェオレのような髪の壮年の男性。
すぐに、分かった。
金髪じゃないのは、意外だったけれど。
でも、その瞳は、誰よりも深い蒼。深海の、蒼。
お父さんん……お父様。
戸惑いと歓喜が、わたしの中で交差した。




