いつもと変わらぬ鬼上司
――シアンは、出掛けはわがままを言ったものの、その後は「頑張ってね」と笑顔で見送ってくれた。
彼の面倒を見ているという王家の影は、侍女の姿をしていた。
なんだか見覚えがある気がして、どこかで会ったかと聞いてみると、たいそう困った顔をされた。
――多分聞いてはいけないことだったのだろう。
そして現在、サツキは王立魔術院の事務部門、自身の机の前に座っている。
「ねえ、昨日は宿舎に帰ってこなかった?」
「え?」
出勤早々、サツキに声をかけてきたのは宿舎の隣の部屋に住んでいるガルヴァだ。
浅黒い肌にごく淡い金色の髪をしている彼は、美しいアイスブルーの瞳をしている。
遠い南の国から、魔術大国であるこの国に移住した魔法薬師だ。
彼の頭には猫のような耳、お尻には長い尻尾が生えている。
この国ではあまり見かけないが、南の国には獣人と呼ばれる動物の特徴を持った種族がいるのだという。
もしかして、性格も動物の特徴を有しているのだろうか――彼は猫のように気まぐれだ。
この国ルナティエルは獣人に寛容だが、北の国ウェンデスにある中央神殿は、彼らを人であるとは認めていない。
そして、魔女を異端だとして捕まえてしまうのだという。
その話を聞いたとき、瞳が淡い紫色に変わり魔女の特徴を有してしまったサツキは、転移したのがルナティエル王国で良かったと冷や汗をかいたものだ。
それでも、転移者が魔女であるという噂が立てば、この国でもサツキをよく思わない者がいるだろうと、カイルは言っていた。
――現在、サツキはいつもの眼鏡をしているので、淡い紫色の瞳は周囲には黒色に見えているはずだが。
「こら、ガルヴァ! 詮索しないの!」
「だって〜」
後ろから現れたのは、魔術師のシェーンだ。
彼女は姉御肌で、変わり者揃いのこの王立魔術院の良識枠だ。
淡い水色の髪と瞳の彼女は、まるで湖の精霊のように美しい。
だが、口を開けばお母さんのようでもある。
「――でも、問題に巻き込まれたりしていない?」
「シェーンさん……大丈夫です」
目が泳いでしまったかもしれない。
だが、問題に巻き込まれたかと聞かれれば、大問題に巻き込まれている。
「すでに始業の鐘が鳴っているが?」
そこに現れたのはカイルだ。
彼は、朝はおろしていた前髪を上げている。
「はい!」
「失礼しました!」
まるで、軍隊の鬼軍曹を前にしたかのように、二人はそそくさと去っていった。
「サツキ、申し訳ないが昨日早退した分の書類を確認してもらえるか」
「はい、かしこまりました」
カイルはいつだって、部下の力量を正確に見極めている。
だから、もはやカイルの姿が見えないほど机の上に書類が積み上げられたとて、それはサツキなら処理できる分量であると彼が判断したからだろう。
「ああ、それが終わったら論文の分析について意見をもらいたい」
「かしこ……まりました」
「午後から重要会議がある。昼休みの前に執務室に来てくれ」
「……この量を」
「君ならできるだろう。合間に小休憩も取るように」
相変わらずの鬼上司であるが、ここまでの早朝からの短時間で仕上げた能力は感嘆に値する。
――この人と夫婦になるなんてあり得ない。やっぱり、夢だったのではないか。
そんなことを思いつつ書類に取り組んだサツキ。
書類は処理がしやすいように分類までされていた。
確認作業は、カイルが言っていた通り、小休憩を挟んでも昼休みの十五分前に終わったのだった。