昼休み
仕事を終えたサツキは、急ぎカイルの執務室へと向かった。
論文のデータということは、グラフや表にまとめる作業の手伝いだろうか。
カイルは執務室の机の前に座り、書類を確認していた。
室内は整頓されているが、机の上には書類が山のように積まれていて今日の忙しさがいつも以上であることを物語っていた。
「ああ、時間通りか――君は本当に優秀だな」
「そんなことは……」
「いや、君が来てから業務の効率化が大きく進んだし、君自身の書類の処理能力も高い。その部分は高く評価している」
カイルは立ち上がると、サツキに手を差し伸べた。
この世界に来てすぐは戸惑ったが、貴族の男性は女性をエスコートするものなのだという。
カイルの立ち振る舞いは上品で、生まれの良さを物語っている。
きっと貴族出身なのだろうと思ってはいたが……まさか王族だったとは。
手を取ると部屋の窓際にあるテーブルの前までエスコートされた。
「サツキ、大丈夫か?」
「え……?」
「いや、その……いろいろなことがあったから疲れているんじゃないかと」
上司としてのカイルは、いつだってはっきり物を言う。
彼が悩んでいる姿はあまり見たことがない。
もしかして、論文のデータをまとめるというのはサツキを心配して呼び出すためだったのだろうか。
「お気遣いありがとうございます。でも、今日からしばらくは定時を目指そうと思っています――気になるので」
気になる、というのはもちろんシアンのことである。
どうして初対面であんなに懐かれたのか、理由はわからないがサツキもシアンのことがすでに可愛くてしかたがない。
なぜかはわからないが――まるで家族のようにすら思えるのだ。
「それがいいだろう……もし仕事が残りそうだったら執務室に来てくれ。俺が処理しておこう」
カイルも早く帰った方が良いのだが……彼は王立魔術院の総合部署の部長だ。
王国全土に影響を持つ王立魔術院は巨大な組織だ。
総合部署は、調整的な役割を持つ。部長であるカイルの責任は重い。
「シアン殿下は、不思議なほど君に懐いているからな」
「職場で名前を出して大丈夫なのですか?」
「この部屋の中は、魔導具で外に音が漏れないようになっている」
「そうですか」
「何か相談や問題が生じた場合には、執務室に来るように」
そう言いながらカイルは紙の束をテーブルの上に置いた。
「さて、少しこの書類を見てもらえないか」
「あれ……この部分」
「やはり、君もそう感じたか。詳しく計算し直してもらっても?」
「ええ、もちろんです」
サツキは計算は得意だ。
就職してから書類とデータばかりに向き合っていると時々数字に違和感を覚えることがある。
そんなときは、計算し直すと大概どこかにずれがあるのだ。
「誰も来ないのなら、眼鏡を外しても大丈夫でしょうか?」
「ああ、ここであれば問題ないだろう」
「助かります。細かい文字は少々見づらくて」
黄色く色づいた世界では、小さな文字は少し見づらいのだ。
慣れてきたので普段はそんなに違和感を感じないのだが……。
「美しい瞳だな……隠してしまうのがもったいない」
「ありがとうございます……まだ、自分の瞳の色が変わってしまったことに私自身は慣れないのですが」
「……そうか。この世界に来たときに変わったのだったな」
「ええ」
もしかすると、王弟であるカイルは変わった理由の一端を知っているのではないか。
しかし今は書類に集中すべきだろう。
サツキは真剣に計算をし始めるのだった。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。
「さて、食事にしようか」
計算を終えた頃合いで、カイルが声を掛けてきた。
サツキは顔を上げると、淡い紫の目を瞬いた。
「え? 職員食堂で食べますよ」
「――呼び出しておいて申し訳ないが、職員食堂の営業時間は終わってしまった」
「あ……こんなに時間が過ぎていたとは思いませんでした」
そう言って、カイルはテーブルの上にサンドイッチと紅茶を並べた。
カイルの言うとおり、王立魔術院には職員食堂はカイルの執務室からは少々遠い。
すでにお昼時間はほとんど過ぎている。
「ところで、今日はなんの業務が残っている?」
「あとは決済後の書類の確認と提出、通常の書類の不備がないかの確認程度です」
「なるほど……」
書類の束が差し出された。
受け取るとそれはずっしりと重かった。
「データ処理を頼んだ」
「え……定時無理」
「恐らく、このあと昼休みをずらしてとっても、定時に終わるだろう」
「そうは思えません」
「終わるように、重要箇所に印を付けてある。その部分を確認してくれれば良い」
「ありがとうございます」
彼とともに食事を終え、部屋を出る直前振り返る。サツキには休憩をずらして取るように言いながら、彼はもう業務を再開していた。
「働きすぎではないかしら?」
仮の妻であっても家族になったと思えば以前よりも気になるものだ。
だが、あくまで契約夫婦なのだから踏み込みすぎないように気をつけなくてはとサツキは思う。
――そして終業時間。
「信じられない、終わったわ……あんなにあったのに」
彼の言っていたとおり、サツキは定時の丁度一分前にすべての業務を終えた。
やはりカイルは、サツキ自身以上にその力量を正確に把握しているようだ。




