行進
これはこの戦争より十数年後、ペドレッティ伯爵領出身の歴史家、クリストフが書いたものだそうだ。
それはとても奇妙な景色だった。
リシャール・ガスティンの軍を一蹴したペドレッティの愛し子、ジェルメーヌ・ペドレッティは兵士達にたった一言だけ指示を出したそうだ。
「歌いながら帰ろう」
小勢とはいえ、200人である。
全員が知っている歌といえば限られたものになる。
必然的に誰もが知っている童謡を歌い始める。そう、屈強な男達が誰もが知っている童謡を雄々しく歌いながら、クレティアン砦までの短い距離を堂々と撤退していったのである。
リシャール・ガスティンは柵の向こう側の景色をただただ茫然と眺めることしかできなかった。
ジェルメーヌ・ペドレッティは緒戦を勝利で飾った。
この歌いながらの撤退が世に言う「ペドレッティ合唱団の行軍」である。
この戦いによりペドレッティのコンダクター、ジェルメーヌ・ペドレッティは国中から注目される存在になるのである。
私は、すでに除隊したこのペドレッティ合唱団の、ある兵士に話を聞く機会があった。
「ジェルメーヌ様は名将だったのかどうかは俺のような末端の人間には判断できない。そもそもベルナール様がいる以上、ジェルメーヌ様が名将である必要はないからな。ただ、間違いなくジェルメーヌ様は優秀なモチベーターだった。この合唱団の行軍もそうだけど、軍中で提供される飯もうまかったんだ。歌を大声で歌えて楽しかったし、うまい飯を食うために生き残ろうって気分になれたんだ」
「あはははははははははは!」
私の姿を見てアドリアンに爆笑された。ぶち転がすぞ、お前。
クレティアン砦まで撤収後、ベルナールお兄様に呼びつけられ、この木札を首からぶら下げるように言われた。
「私は無茶な作戦行動でお兄様を心配させました」……なんだこれ。いや、ほんとに。なんだよ、これ。
鍋をかき混ぜながら、眉間にシワを寄せる。
「私のことはいいんで、マリウス様を呼んできてください」
「だって……だってお前……」
笑いながら死にかけのGのようにぶるぶる痙攣している。本で叩いたら死ぬんじゃないだろうか。
味見をしてからワインを注ぎ足す。これくらいかな……?
「わ、わかった。ちょっと待ってろ……ちっ、父上っ、呼んでくるからっ」
なんだよ、このG野郎……
アドリアンはひーひー笑いながら走っていった。もうちょっとワイン入れてもいいかな? んー……
禁酒を言い渡されてはいるが、これは食事なのでノーカウント。
「呼んだか?」
マリウスはすぐに捕まったようだ。アドリアンに連れられたマリウスがやってきた。
マリウスは私のこの姿を見ても笑わない。アドリアンと違って立派だ……まぁ、マリウスは文字読めないんだけど。
「ん?」
鼻をひくひくとさせる。
「なにかうまそうな匂いがするな」
「味見します?」
小皿に少しだけスープをよそう。
「……お、うまいな」
ペドレッティ伯爵領北部のクープ地方のチーズと先日、オーギュスト村のマリオンからもらったワインを使ってフォンデュを作ってみたのだ。
この世界にはまだフォンデュというものは存在しない。
私がこの世界ではじめて作る料理である。創始者になり放題だ。
といっても前世の私はどっちかといえば和食の方が得意ではあったし、味噌も醤油もない世界でなかなか料理にモチベーションが保てないところはあるのだが。
「これに、こうやって、串に刺したパンにチーズをつけて食べたら美味しそうじゃないですか。それに一つの鍋をみんなで囲むのはとても楽しいです」
「そうかもしれんな。いいアイデアだ」
微笑ましそうに笑うマリウス。
「あぁ、そうだ。アドリアンから聞いたが、俺に用事があるそうだな」
「おっと、そうでした。はい、これ」
マリウスに手渡したのはワイン……ただのワインではない。オーギュスト村産最高級ワインだ。マリオンにお願いして特別に売ってもらったやつである。
「今日のピルムスはお見事でした。そのワインは一番武勲を挙げた方に差し上げてください。ご褒美の一つです」
本当はあとで私が飲もうと思っていたやつだ。
禁酒を言い渡されてしまったから……せめて役に立たせたい。
泣いてないよ。
この話の舞台になっているのはイタリアによく似た地形の架空の地域です。
男性登場人物のほとんどにはモデルとなっている人物がおり、「そのモデルとなっている人物の所属している、または所属していたチーム」の本拠地が、その登場人物の勢力範囲となります。
モデルとなっているのはあくまで外見と地域だけであり、その人物の能力や適正、チームの規模や本拠地の規模などはまったく関係ないものとします。
☆今回の登場人物のモデル
ジェルメーヌ・ペドレッティ:ヒト科
クリストフ:ジョヴァンニ・トラパットーニ