絶望
なんだろう。なにを話ししているんだろう。
「現在、セリーヌ・ペドレッティ様が一軍を率いて南下し、ニコラの軍と睨み合っているようです」
パスカル・シクスと、ジャン・ヤヒアさんが、こっちを伺ってくる。
ニコラ・シクスがセリーヌお義姉様と睨み合っている。
はいはい、わかりました。それはわかりました。
その前……その前にこいつはなんて言った?
「……ユーリ・ペドレッティ様は戦死なさいました。領民を避難させるために時間を稼がれていたとのことです」
足元が崩れるような感覚がした。
あの、優しいユーリお兄様がお亡くなりになるはずがない。
あの人は戦乱とはまったく関係のない場所で、好きなだけ詩を読んで、「あー、いい人生だった!」って天寿をまっとうしなきゃいけない人だ。戦死なんて絶対にしてはいけない人だ。
私が額にケガをしたときだって、まるで自分がケガをしてしまったかのように嘆いていた、そんな戦乱の世の中に似合わない、とても優しい人が、ニコラに……
ニコラに……
ニコラ・シクスに……! シクス家の人間に……っ!
かっとした。
ふわふわと漂うようだった脳内に一気に血流が流れ込んだ。
パスカル・シクスを睨み付ける。パスカル・シクスがぴくっと反応した。
こいつの弟が! 私の! 大切なユーリお兄様を!
殺してやりたいと思った。
しかし、同時に思う。
私がパスカル・シクスを殺す……それはペドレッティ家がシクス家の庇護下から外れるということだ。そうなれば……苦しむのは領民だ。
笑え。
私は微笑みを浮かべる。
「パスカル・シクス閣下、本来であれば私達も復興のお手伝いをしなければならないところではございますが、このような事情でございます。なにとぞ即時撤退することをお許しいただきたいですわ」
笑えているだろうか。わからないが、私は顔に精一杯の微笑みを浮かべる。
「なお、我が伯爵領で起きたことは、すべて伯爵家でケリをつけさせていただきます。逆臣の処遇につきましても一任していただきますよう、お願い申し上げます」
ゆっくりと頭を下げる。
「……わかった。本来であればニコラは勘当し侯爵家とは無縁の人間である、というところだが、そうなると君らも怒りのぶつけどころをなくすだろう。我が弟の処分は君らに任せよう……俺を存分に憎んでほしい」
私は再びパスカル・シクスに頭を下げ、そしてベルナールお兄様を見る。
ベルナールお兄様は一回頷いたあと、乱暴に私の頭を撫でてから、後ろを向いて歩きはじめた。私もそれについていく……微笑みながら、だ。
「……見たか?」
軍神とその妹の退出していく後ろ姿を見ながら、俺……パスカル・シクスは傍の、最も信頼する部下、ジャンに声をかける。
「女傑、ですね」
ジャンが感心したような声を漏らした。
「閣下にあからさまなほどの殺気を放ったときはどうなることかと思いましたが、領民のために思いとどまったように見えました」
俺は椅子に深く腰をかける。
「笑っていたな。俺に対して不敬にならないように。シクス侯爵家との同盟は継続するように」
「えぇ」
ジャンがため息をつく。
「笑いながら……泣いておられましたね。涙をぼろぼろとこぼして、それでも綺麗に微笑んでおられました。お見事です」
ジャンが視線を向ける、その床には彼女の涙で濡れた痕があった。彼女が笑いながら泣いていたのを見たとき、俺はニコラに対して殺意を覚えた。
「彼女ではなく軍神の方が激昂したらどうしようかとも思いましたが……」
「ペドレッティの連中にとっては兄の仇だ。仕方があるまいよ」
肩をすくめる俺に「閣下は一勢力の長です。なにかあっては困ります」などと小言を言ってくる。
俺は、その小言を聞き流しながら、ある詩人に思いを馳せていた。
そいつは俺と学園で同じクラスだった。
そいつは学生のころからすでに詩人として高名なやつだった。
そいつは俺と同じくらい酒飲みだった。
そいつは……俺と気が合うやつだった。
目を瞑るとそいつの笑顔ばかりが思い出される。
「あぁ……」
俺は呻き声のような声を漏らした。
「俺も……それなりにショックを受けているんだな」
この話の舞台になっているのはイタリアによく似た地形の架空の地域です。
男性登場人物のほとんどにはモデルとなっている人物がおり、「そのモデルとなっている人物の所属している、または所属していたチーム」の本拠地が、その登場人物の勢力範囲となります。
モデルとなっているのはあくまで外見と地域だけであり、その人物の能力や適正、チームの規模や本拠地の規模などはまったく関係ないものとします。
☆今回の登場人物のモデル
ジェルメーヌ・ペドレッティ:ヒト科