ヤキモチの行方(書籍発売記念SS)
私の旦那様はカッコいい。
見目麗しくて、頼もしくて、優しくて、時々意地悪だし厳しいけどそこも魅力だ。
完璧な旦那様は、同時に完璧な領主であって、領民に慕われるのはいいことだ。
だから仕方ないのだ。
そう。仕方ないのだ。
たとえ、妖艶な美女がディナートさんに寄り添って、何やら親しげに話していたって!!
いや、うん、ごめん。それは言い過ぎだ。
妖艶な美女は領内でも有数の商人で、今ふたりは大事な商談兼情報収集の真っ最中なのだ。
彼女は自らキャラバンを組んで各地をめぐるので、領地内外の情勢に詳しい。半年ぶりに帰ってきたという彼女は帰郷の挨拶を兼ねて、屋敷を訪れたのだ。
先ほどまでは私も一緒に、彼女が買い付けてきた珍しい品々を見せてもらっていたのだけれど、ディナートさんと彼女の話が少し込み入った政治的なものに変わったのを機に席を外した。
手持ち無沙汰になった私は、家令にひと言告げて外に出た。
私たちの住む屋敷は小高い丘の上に建っている。なだらかな坂を下れば小さな村があり、そこから歩いて三十分ほどのところに領内で最大の街がある。
玄関を出れば、ふもとの村とその街が一望できる。村の周りに広がる畑は収穫を前にして、黄金色に輝いている。
日差しは爽やかで、風は涼しく、何とも幸せな気持ちになる風景だ。
……いま胸を席巻している、我ながら呆れるようなヤキモチさえなければ!!
「ああ、もう。私のバカバカバカ!」
ディナートさんはお仕事上大事な話をしてるだけだし、補佐官や護衛も同席しているから二人っきりなわけじゃないし、ヤキモチなんて焼くほうがおかしいのだ。
新米とは言え、私だって領主の妻だ。ここはドーンと落ち着き払っていなければ……いなければ……いつか出来るようになるかなぁ……。
ディナートさんと並んで立ってもおかしくないくらい、立派な領主夫人になれるのかな。
「だめだ……落ち込んできた」
木の幹にでもおでこぶつけて気合いを入れたいぐらいだ。実際にやったら、あとで赤くなったおでこをディナートさんに咎められて、厳しく追及されるだろうからしないけど。
「ふもとの村に行って子ども達に遊んでもらおうかなぁ」
落ち込んだ時は身体を動かすに限るし、それが子ども達と一緒なら楽しくて尚更憂鬱も吹き飛ぶに違いない。
行き先も決まったので、緩やかな坂道を下る。
「あれ……? トニ?」
坂がちょうど終わるあたりに、境界を示すように一本の木が立っている。
その幹に凭れるように、一人の少年が蹲っている。
村側から身を隠そうとしているらしいが、反対側から坂を下りてきた私には丸見えだ。
膝を両腕で抱えて、その上に頭を載せているから顔はわからないけれど、あの特徴のある狐耳はトニに間違いない。
魔導国の人たちは、普段獣相を現さないけれど、子どもの頃はまだ力が安定してないので、尻尾や耳や、翼を出したままなのだ。
だいたい十歳ぐらいまでには安定して、みんな獣相を隠せるようになる。
けれど、力が強い子は制御も難しいから隠せるようになるまで少し時間がかかると言う。
トニも力が強いようで、もうすぐ十一の誕生日を迎えるのにまだ耳が隠せていない。
本人はそれをとても気にしているみたいなんだけれど……、もしかして誰かに何か言われたんだろうか?
そう思ったら居ても立ってもいられなくなって、思わず声をかけた。
「トニ! どうしたの、こんなところで」
凹んでいるところを見られたくないから隠れたのかもしれないけど、どうしてもそのままにしておけなかったのだ。
なんとなく、昔の自分を見ているみたいで。
私の場合はディナートさんがいつも傍にいてくれたから、すぐにコツを掴めてなんとかなったけれど、思うように制御できないもどかしさは私も充分分かっているつもりだ。
ディナートさんみたいな上手な指導はできないけれど、悩みを聞くくらいなら私でもできる。
自分の心の中にわだかまる気持ちを、言葉という形にして吐き出すことだって大事だ。
「――ヤエカ様!?」
トニは私の声に反応して、弾かれたように顔を上げた。彼の顔に涙のあとはないけれど、やっぱり落ち込んでいるように見える。
「こんなところでどうしたの? 隣座っていいかな? 歩いて来たらちょっと疲れちゃった」
「……あ、はい、どうぞ……」
「ありがとう。あっ、これ食べる? お腹空いたら食べようと思って持ってきたんだけど」
好都合なことに、洋服のポケットにはいくつか飴玉が入っていた。
それを一つ、返事を待たずトニに渡す。
「これね、試作品なんだって。食べたら感想聞かせてね」
料理長が試作品だと言っていたものを、出がけに少し分けて貰って来たのだ。
包装紙を開くと、琥珀色の飴。その真ん中にはブルーベリーに似た味と形の実が入っている。
「綺麗だね」
そう言えば、トニはこくりと頷いた。
私が口に飴を放り込むと、彼もぱくりと口に入れる。
「あ、美味しい。これ、飴にも果汁入ってるね!」
明るく言えば、トニはまた無言で頷いた。
それきり沈黙が流れるけど、私も敢えて口を開こうとはしなかった。
こちらから尋ねるより、彼が話し始めるのを待った方がいい気がしたから。
木の幹に凭れて眺めるのは、今しがた下ってきた丘と、その上に立つ白い屋敷、そして真っ青な秋空。のどかで優しい景色。そして、口には爽やかな甘さがいっぱいに広がっている。
きっと頑なな心もほぐれるだろう。
「あの、ヤエカ様。――ヤエカ様は……」
言いよどみつつ、彼は私に悩みを打ち明け始めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
私の妻は可愛い。
努力家で、何事にも一生懸命で、時には見ているこちらが心配になるほど人に対して優しい。
くるくるとよく変わる表情も、生き生きとした眼差しも、元気いっぱいの声も、全部可愛い。
今日は一日一緒にいるつもりだったのだが、今、彼女は傍にいない。
込み入った話になると予見した彼女は、私と商人に気を利かせて、早々に退室してしまったのだ。
用件は手早く済ませて早く彼女と合流したいものだ。
帰郷した商人から、今年は国境に出没する魔獣の被害が例年より多いらしいと言う話を聞きながら、何気なく外に目を向ければ、ちょうどヤエカが外を歩いているのが見えた。
ふもとの村へ通じる道を、振り返らずに下りていく。
供も連れずに……とも思うが、屋敷の周りには簡易的に結界を張り巡らせてあるので、村との境辺りまでは、ここにいてもヤエカの気配は感じられる。
もし結界から遠く離れるようなら、誰かを護衛に命じなければ。
そう思っていた矢先、彼女の気配が一カ所で止まった。ちょうど、丘を下りきったあたりにいるようだ。
商人との話を終えた私は、彼女を追いかけるために屋敷を出た。
丘を下り始めてすぐ、ふもとの木の根元に人影が二つ見えた。
ヤエカと……確かトニという少年だ。
ふたりは木の幹に背を預け、何やら親密そうに話している。
非常に不愉快だ。
あの少年は人並み以上に強い力を持っていると聞くし、力の制御がまだ上手くできずにいるという噂も耳にしている。
強大な力を上手く制御できずに思い悩んだ過去を持つヤエカは、以前から彼にいたく同情していた。
おそらく今も、同じ悩みを知る者として、トニを慰めているのだろう。
このままそっと踵を返し、あとでヤエカから話を聞くのが一番いいのだろう。――とは思ったが、感情は時として理性を押しのけてしまうものだ。
躊躇ったのは一瞬だけで、迷いなくふたりへ向かって歩き出す。
いくら子どもとは言え、あんなにヤエカに近づいてけしからん。
いや、子どもにまで嫉妬するとは我ながら情けない。
そんな思考がせめぎ合う間に、声をかければ届く距離まで近づいていた。ヤエカが柔らかい表情で笑っているのまでよく見える。
そんな笑顔を他の者に見せないでくれと思うのと同時に、あんなふうに誰にでも優しく笑う彼女だからこそ、短期間で領地に溶け込み子ども達にも慕われるのだろう。
大らかな彼女の夫として、私は少し心が狭すぎるかもしれないと自嘲の笑みが漏れる。
相応しくないとしても、離れる気は毛頭ないのだから考えるだけ無駄だ。
嫉妬も自嘲も、心の奥底に隠して普段通りの顔をしよう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「そうかぁ、弟くん達、よっぽどお兄ちゃんが大好きなんだね」
「でも危ないことはしてほしくないです」
「だよねぇ」
「僕がもっと、上手く力を制御できればいいんですけど……」
真剣な顔で話し合っているトニとヤエカは、近づいてくるディナートにも気付かない。
「ふたりとも、どうしたんですか? こんなところで」
そう声をかけられて、ようやく顔を上げる。
「りょ、領主様!」
「ディナートさん!」
二人の声が重なる。
「ディナートさん、ちょうどいいところに!! ここ! ここ、座ってください! で、トニの悩み聞いてあげてください。ディナートさんならきっといい方法を知ってますよね。だってディナートさんは近衛騎士団でも一、二を争う強さだったんですから。子どもの頃は制御に苦労しましたよね!?」
「え? ええ、まぁ」
素早く立ち上がったヤエカが、ディナートの腕をぐいぐいと引っ張って、今まで彼女が座っていた位置に座らせた。
そうしてヤエカは、ディナートの隣に腰を落ち着ける。
『さあ、さあ、さあ! トニの話をしっかり聞いてくださいね!』
そんな期待を込めた煌めく瞳で見つめられ、ディナートは戸惑いつつも、緊張で身を堅くしているトニに話しかける。
「何か、困ったことでも起きたのかな、トニ?」
「あの、実は……」
トニが語ったのはこうだ。
いつまでも獣相を隠せないトニを、一部の少年達が日常的にからかうらしい。彼らは少々粗暴な振る舞いをすることで知られており、トニ自身は何を言われてもあまり気にしないようにしていた。
しかし、今日、度を超した中傷に弟たちが怒り、殴りかかってしまったのだ。
慌てて止めに入ったトニは、歳上でしかも大柄な少年達の拳から弟達を守る際に、力を暴走させてしまった。
幸い、誰にも大きな怪我はなく一部始終を目撃した子ども達が何人もいて、大人たちにこぞって証言したため、トニも弟たちも叱責されることはなかった。逆に少年達のほうが、叱られたと言う。
「けど、やっぱり、僕がもっと強ければよかったのに、力が制御できたらよかったのにって思うんです。そうしたら、あいつらだって僕ひとりでなんとか出来たかもしれないし、弟たちにあんなことをさせなくてすんだんです。僕、弱い自分が情けないです」
力はあるはずなのに。使えない。
大事な者を守りたいのに、上手くいかない。
それは、ヤエカも、ディナートも舐めてきた辛酸だ。
「力が全てを解決できるわけではない。それは分かるかな?」
「はい。分かります、領主様。それでも僕は強くなりたいし、力も抑えられるようになりたいです。弟たちを守れるように。誰かを不用意に傷つけたりしないように」
「そうか。私の手が空いている時だけになるから、毎日とは行かないがそれでもいいか?」
「え……?」
問われたトニはきょとんとした目で、ディナートを見る。
「私でよければ、君が強くなるための手伝いをしよう」
「あ……あの……本当に、いいんですか?」
「もちろん。では早速明日の午後。ちょうど今頃の時間に、屋敷へおいで。家の者に伝えておくから玄関で名前を告げなさい」
「は、はい! ありがとうございます!!」
トニは弾かれたように立ち上がり、深々と頭を下げた。
「良かったね、トニ!」
「はい! ヤエカ様のおかげです。ありがとうございます」
「明日から頑張ってね。ディナートさん、すっごく厳しいけどすっごく良い先生だよ。なんせ落ちこぼれな私だって、ほら! こんなことが出来るくらい上手くなったんだよ!」
そう言うと、空になった飴の包み紙を載せた手を、トニの目の前にかざす。包み紙は風もないのにふわりと宙に浮く。くるくると数回回ったあと、それはひとりでに細長く折れ、しまいには結び目が一つ作られて、ヤエカの手に戻る。
「すごい……」
トニが驚いたように呟き、なにも言わないもののディナートも感心したように目を見張った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ディナートさん、ありがとうございました!」
「いいんですよ。話を聞いたら私も放っておけなくなりました」
迷いのないトニの眼差しに、つい絆されてしまった。
ディナートは内心で苦笑を浮かべる。
だが、こういうのも悪くない、と思う。
「ヤエカはいつの間にか、とても上手に力を操るようになりましたね。さっきは驚きました」
そう褒めると、ヤエカはエヘヘ、と照れくさそうに笑った。
「師匠が良いので」
「そんなお世辞を言っても何も出ませんよ」
「やだ、本気で言ってるのに。お世辞だなんて酷いなぁ」
ぷくっと頬を膨らませ、しかし彼女はすぐに笑顔に戻る。
くるくると変わる表情に目を細めつつ、ディナートは穏やかな微笑を唇に乗せた。
「正直なことを言えば、もうあなたに教えられることはないと思います」
「え……? やだ、そんな。……寂しいです」
「ここからは、ヤエカ自身が自分の力を磨いていくんです。寂しいなんて言ってられませんよ?」
しょんぼりとするヤエカの髪を、秋風が乱していく。
ディナートは彼女の頬にかかった髪を手で払い、そのまま優しい手つきで頭を撫でる。
「でも、やっぱり寂しいものは寂しいです」
「仕方ありませんねぇ。では、トニの稽古を一緒に見てくれますか? 弟弟子の様子、気になるでしょうし」
「弟、弟子?」
不思議そうに首をかしげたあと、ハッとしたような顔をする。
「そっか。私もトニもディナートさんの弟子だー! じゃあ、私って兄弟子で、それから一番弟子ですね!? あっ、もしかして私の前にも弟子っていました!?」
「いや、後輩はいますが、あれは弟子とは少し違いますね」
「やった! じゃあ、やっぱり一番弟子!」
何だかやけに嬉しそうなヤエカに、今度はディナートが不思議そうな顔になる。
「弟子を卒業しても、一番弟子の立場に変わりありませんよね?」
「ええ、まあ、それは」
怪訝そうにディナートが答えれば、ヤエカはやった、と笑う。
「ディナートさんの一番、私がもらっちゃいましたー!」
「…………なんでそんなことが嬉しいのか分かりませんが、ヤエカが幸せなら私も幸せなので、まぁ、いいでしょう」
ヤエカは、ふふふ、と笑ってスキップで坂道を上る。
「そんなふうに浮かれて転ばないでくださいね」
「分かってます!」
スキップをやめたヤエカや、くるりとディナートを振り向き、後ろを向きに歩き始める。
「ヤエカ」
呆れたようにディナートが名前を呼んだ途端、踵を小石にぶつけてしまった。
「わ、わわわ!」
仰向けに倒れそうになる。両腕をばたつかせて、バランスを取ろうとするがそれくらいでは止められそうもない。
素早く動いたディナートが彼女の身体を抱き留める。
「ほら、だから言ったのに」
「ごめんなさい……」
「仕方ないですね。手を繋いで帰りましょうか」
ヤエカを立たせ、ディナートは彼女の手を引いて歩き始める。
「ところで、トニに向かって私はとても怖い先生だと言ってましたが……」
「怖いとは言ってません! とっても厳しいって言いました!」
「どっちも似たようなものでしょう。――私はあなたに対してそんなに厳しかったですか?」
「ええ、それはそれは厳しかったです! 鬼かと思いました!」
「おかしいなぁ。私としてはこの上もなく優しくしたつもりだったんですが」
他愛もないことを言い合う二人の心には、もう、ヤキモチも嫉妬も存在しない。




