第一章
鳴り響く空襲警報に、もう誰も見上げなかった。
街頭モニターに赤い警告文が流れ、鈍いサイレンが街を震わせる。
──空域危険指定区域。市民は速やかに地下避難区画へ移動してください。
無機質な音声が繰り返されているが、人々は慌てない。ただ少しだけ歩く速度を速める。空が燃えるように赤く染まることに世界は慣れすぎていた。
──2XXX年。
戦争は終わりを見せない。長く続いてきた戦争に、いつから始まったのかすらも、誰も気にする様子は見せなかった。
十三歳の藤本薫は、人の流れの中を静かに歩いていた。その後ろを、一人の女性が追従する。
ショートボブの黒髪に、整った顔立ち、感情のないガラスのような瞳。遠目から見れば人間に見えた。
だが近づけば違和感はすぐに分かる。
肌には微かな光沢があり、生身特有の柔らかさがない。関節には人間にない継ぎ目がある。瞬きの間隔も一定のように思えた。
人間を模してはいるが、決して人間に見えきらない、旧型護衛ロボット。
識別名──ベル。
「……ねぇ、あれ旧型じゃない?」
「うわ、まだ使ってる人いたんだ」
「珍し」
すれ違った人たちが小声でせせら笑う。薫は聞こえないふりをした。ベルだけが僅かに視線を向ける。
『周囲の視線数増加を確認』
「気にしなくていいよ」
『了解しました』
それだけ言って、ベルは前を向く。声には抑揚がなく、機械的で平坦だった。けれど薫は、その声が嫌いじゃなかった。
街中を見渡せば、新型ばかりだった。隣を歩く新型護衛ロボットたちは、ほとんど人間と区別がつかない。
肌は柔らかく、体温調整機能まで搭載されている。笑いもしないし怒りもしないが、それでも見た目だけなら完全に人間だった。
対してリナは古く、人間に似せきれていない。性能が低いのだ。反応速度も、防御性能も、耐久性も全て、新型に劣っていた。
それでも薫は、一度もベルを替えたいと思ったことはなかった。
「ベル」
『はい』
「今日、帰ったらシチューを作るよ」
ベルは数秒ほど沈黙したあと、視線を薫へ向ける。
『以前、薫が"好き"と発言していた料理ですね』
「覚えてたんだ」
『記録しています』
事務的な返答だったが、薫は嬉しそうに少し笑った。
「そっか」
その笑顔を、ベルは数秒見つめる。
内部処理装置に、小さなノイズが発生していた。
未定義の感覚で、優先度が不明。そういったものはベルにとって必要のないものである。しかし排除できなかった。
次第にベルは視線を逸らす。その行動理由を、ベル自身は理解していなかった。
──
薫の家は、街外れにあった。
古い集合住宅街で、戦争が長引くにつれて、人が減っていった区域だ。
エレベーターは数年前から止まったままで、薄暗い階段を上りながら、薫は小さく息を吐いた。
「疲れた……」
『本日の歩行距離は通常平均値を7%上回っています』
「数字で言われると余計疲れるんだけど」
『失礼しました』
ベルは本当に謝ったわけではない。ただ会話のパターンとして返しただけ。それでも薫は笑って言葉を返した。
「別に怒ってないよ」
部屋へ入るのと同時に古い扉が軋んだ。薫の部屋は狭く、最低限の家具しかない。
食卓とソファ、そして壁際の治癒カプセル、その隣には工具箱が置かれていた。
ベルは旧型である為、短期間の定期的な整備が必要だった。
新型なら自己修復で済む程度の不具合も、ベルは細かく手を入れてやらなければならない。
薫は荷物を置き、そのままキッチンへ向かう。
「ベル、今日の調子はどう?」
『左腕部駆動に0.4秒の遅延があります』
「また?あとで見るよ」
『ありがとうございます』
ロボットは礼を言う。だが事務的でそこに感情はない。
少なくとも、普通はだが。
薫は冷蔵庫を開きながら振り返る。
「座ってていいよ」
ベルは静かに立ったままだった。
『護衛行動を継続します』
「家の中なのに?」
『空襲発生率は現在28%です』
「真面目だなあ……」
薫は苦笑しながら鍋を火にかける。その様子を、ベルは静かに見つめた。
鍋の中から沸騰する水、野菜を切る時にまな板にあたる包丁。なんてことない小さな生活音ばかり。
ベルはそれらを内部の記録媒体へ保存した。不要なデータであり、削除推奨の警告が出ている。
だがベルは、削除を実行出来なかった
──
──夜。
窓の外に目を向けると遠くで空が赤く燃えていた。どこか別の区域が爆撃されている。
けれど薫はもう見慣れていた。
「ねぇベル」
『はい』
「怖いって分かる?」
ベルは数秒停止し言葉を処理、そして内部で検索をかけた。
『危険回避優先信号と類似する感覚だと定義されています』
「そっか」
薫は縮こまるように膝を抱えた。
「僕さ、空襲の音が苦手なんだ」
『……』
「僕の父さん母さんが死んだ時も、こんな音してたから」
ベルは返答出来なかった。返答パターンが存在しなかったからだ。それに慰めの言葉も知らない。だからただ、薫を見つめる。
それ故に長い沈黙が2人の間で起きてしまった。
やがて薫が小さく笑う。
「ごめん、変なこと聞いた」
『問題ありません』
そう返しながらも、ベルの内部では再びノイズが走った。また未定義の感覚が起きている。
それに伴い内部温度が微増した。そして優先対象を確認し視線を固定する。
──なぜ。
なぜ今、離れるべきではないと自身で判断しているのか、理由を検索したところで該当はない。
ベルは、その場から動かなかった。その様子を見た薫はソファに身体を預けたまま、目を閉じる。
「……ベル」
『はい』
「おやすみ」
通常なら不要な会話であり、返答の必要もない。
それでもベルは僅かに間を置いて、「……おやすみなさい、薫」と、答えていた。
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