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口外厳禁! 落ちこぼれ魔女と優等生の秘密の放課後―旧資料棟で、優等生の秘密を見てしまった―  作者: 明石竜


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第六章 次席の少女は完璧さを疑う

 御門エリスを初めてちゃんと見たのは、生徒会の掲示作業をしている時だった。

 正確には、初めてではない。同じ学年だから顔は知っていた。成績は常に次席で、生徒会の書記で、名家出身の優等生、という情報も知っていた。でも廊下ですれ違っても「あの人だ」と思う程度で、話したことはなかった。

 その日の朝、昇降口の掲示板に新しい紙を貼っていたのがエリスだった。

 わたしは登校してそのまま掲示板の前を通り過ぎようとして、足を止めた。中間実技査定の詳細日程が追加で貼り出されていた。先日の公開試験の告知の隣に、今度は通常査定のスケジュールが並んでいた。

「倉橋さん、ですよね」

 声をかけられた。

 振り返ると、エリスがこちらを見ていた。

 微笑んでいた。柔らかい、丁寧な微笑みだった。目の形が少し細くて、おっとりしているように見えるけど、その奥が笑っているかどうかはよく分からなかった。

「はい」

「御門エリスです。同じ学年だけど、直接お話しするのは初めてですね」

「そうですね」

「掲示を見ていたの? 査定の日程、確認しておいた方がいいですよ。今年は例年より少し早いから」

「そうなんですか」

「一週間早まっています。担任から連絡がいくと思うけど、準備は早めに」

 丁寧だった。親切だった。でも何かが引っかかった。

 エリスはわたしに話しかける理由が特になかった。接点もない。名家出身で次席の優等生が、落ちこぼれのわたしに声をかけてくるのは、何かが理由としてある気がした。

「ありがとうございます」

「いえ」

エリスは微笑んだまま、少し間を置いた。

「最近、旧校舎の方によく行くの?」

 わたしは表情を動かさないようにした。

「図書室に寄ることがあります」

「旧資料棟の方だと聞いたけど」

「旧校舎の廊下は図書室への近道なので」

 これは本当のことだった。距離だけで言えば、旧校舎を通った方が少し近い。

 エリスはわたしを見た。

「そう」

それ以上は続けなかった。

「査定、頑張ってね」

 微笑みのまま、エリスは掲示板の前を離れた。

 わたしはしばらくその場に立っていた。

 何を知っているのか、何を知らないのか、どこまで確認しに来たのかが、分からなかった。

 

 その日の昼休み、リオが食堂のテーブルに座るなり言った。

「御門エリスに話しかけられたって本当?」

「本当。朝に」

「なんで」

と言いながらリオは眉を上げた。

「接点ないじゃない」

「掲示板の前で査定の日程を教えてもらった」

「それだけ?」

「それだけ」

 リオはしばらく考えるような顔をした。

「エリスさんってさ、次席でしょ。セレスさんの次」

「うん」

「生徒会の書記で、名家で、要するにセレスさんとキャラが近いのに、なんか立場が全然違う感じするよね」

「そう?」

「セレスさんは憧れ系じゃない。遠くて、完璧で、近づきにくいけど格が違う感じ。エリスさんはもう少し人間感があるというか……観察してる感じがする」

「観察?」

「なんか周りをよく見てそうじゃない。にこにこしながら色々把握してるタイプ」

 リオの見立てが、朝の感覚と重なった。

 正しい人の迷いは、たぶん穏やかすぎて見えにくい。

「ルカに何か聞いてきた?」

「査定の日程だけ」

「ふーん」

リオは、それ以上は聞かなかった。

 食堂の窓から、中庭が見えた。木の葉が揺れている。今日は少し風が強かった。

 

 放課後、旧資料棟に着くと、セレスは昨日と同じ机に向かっていた。

 今日の陣は昨日より構造が複雑だった。古い形式に則りながら、第六層の接続を少し変えてある。崩れたのが第六層と中心の接続部分だったから、そこを修正してきたらしい。

 モコは棚の上からわたしを見ていた。飛んできたのはわたしが椅子を引いてから少し経ったあとだった。今日は少し落ち着いている。

「朝に御門エリスに話しかけられました」

わたしが伝えると、セレスの手が止まった。

「何を聞かれた」

「旧校舎の方によく行くかどうか」

「それだけ?」

「それだけでした。掲示板の前で査定の日程を教えてくれて、それだけでした。でも旧資料棟の方だと聞いた、と言っていたので、誰かから聞いているか、直接見ているか、どちらかだと思います」

 セレスがペンを置いた。

「そう」

声は平静だったけど、どこかに力が入っていた。

「エリスは何が目的だと思いますか?」

「確認しに来たのでしょう。私が何かをしているかどうか。それに関係する人間が誰かを」

「わたしが関係しているとは思っていないはずですよね。接点がなかったので」

「だからこそ確認に来た。接点のなかった人間が突然視界に入ってきたから」

 わたしは少し考えた。

「エリスさんって、普段からそういう人ですか」

「そういう人、というのは」

「周りをよく見ていて、変化に気づいて、確認を取りに行く、という」

 セレスが少し間を置いた。

「エリスは優秀よ。成績だけじゃなくて、観察が正確。見えているものを論理的に繋げて、結論を出す。それが生徒会の仕事に向いている。規則への違反や、制度への異議申し立てを、見落とさない」

「敵ですか」

「敵とは少し違う。正しいことをしている人よ。私が隠し事をしていて、それが規則に触れるなら、エリスが動くのは当然のことだから」

 その言い方が引っかかった。

 正しいことをしている人。自分が間違った側にいる、という言い方に近かった。

 でも今は深く聞かない方がいいと思って、わたしは陣に目を向けた。

「読みます」と言って、羊皮紙に集中した。

 今日の修正は、昨日の崩れた部分を補強してあった。第六層の接続が変わっていて、中心への入り口が広くなっている。気配の流れを辿ると、昨日より通りが良さそうだった。

「ここの補強は合っています。流れが昨日より滑らか。ただ第五層の密度が少し高くなったので、流量の調整をもう一度見てもらえますか」

「どこ」

「外周から三番目と四番目の間。ここで少し渋滞しそうです」

 セレスが確認して、修正した。

 作業が続いた。

 一時間近く経った頃、モコが棚の奥に向かって飛んでいった。

「モコ、そっちは」

 セレスが呼んでも、モコは止まらなかった。棚の奥に入って、何かを引っ張る音がした。出てきたモコは、小さな巻物をくわえていた。紙ではなく布に書かれたもので、端が少し解れている。

「それは」

セレスが立ち上がった。わたしはモコから巻物を受け取った。広げると、人物の相関図と術式の略図が一緒に書いてある。古い記録だった。

「読めますか」

「見せて」

 セレスが受け取って、広げた。読んでいる間、表情が少しずつ変わった。

「何が書いてありますか」

「九条家の過去の記録。召喚魔法の研究記録の一部。でも内容は家で見たものと少し違う」

「どう違うんですか」

「家に残っている記録には、召喚の成立条件として術者の精神的安定と儀式の正確な遂行が挙げられている。でもこれには、別の条件が書いてある」

「別の条件?」

「術者の感情と意志の一致。感情的な切実さが高いほど、応答が得られやすい」

「感情が条件?」

「古い記録ではそうなっている。でも今の九条家の形式には、その条件は書かれていない。精神的安定、つまり感情を制御した状態での遂行が正しいとされている」

 部屋が少し静かになった。

 わたしは昨日のことを思い出した。六層目まで届いた陣。あの時、セレスは二ヶ月という期限の話をしたあとで、研究を再開した。急いでいた、というよりは、何かが切実になっていた。

「昨日、六層目まで届いたのは」

わたしは言いかけた。

「今日の話ではない」

セレスが遮った。

 遮り方が少し早かった。

 わたしは続けなかった。

 モコが巻物の上に乗ってきた。布の感触が好きらしく、ぺたぺた踏んでいた。

「モコ、踏まないで」

セレスがお願いすると、モコは踏むのをやめた。代わりに巻物の上に寝そべった。

「寝てる」

「踏むのはやめた」

「寝そべっています」

「…………」

 セレスが巻物をそっとモコの下から引き出した。モコは少し浮き上がってから、また机の上に着地して、何事もなかったように毛を整え始めた。

 

 夕方になって、外が暗くなり始めた頃、廊下から足音が聞こえた。

 今日で二日目だった。昨日と同じ足音の気がした。

 二人とも動きを止めた。

 今日は扉の前で少し長く止まった。昨日より三秒か四秒、長かった。

 それから遠ざかった。

 セレスが立ち上がって、扉の方へ歩いた。そっと扉を開けて、廊下を確認した。

 戻ってきた時の表情が、朝の話を聞いた時の表情と同じだった。

「エリスさんですか?」

「見えなかった。でも、可能性はある」

 わたしは少し考えた。

「もし確認しに来ているなら、何を確認したいんでしょう?」

「私が何かを隠しているかどうか。そして、倉橋さん、あなたが関係しているかどうか」

 セレスが机に戻って、椅子に座った。

 今日の作業は終わりに近かった。羊皮紙は片付けて、モコは棚の上に戻っていた。

「一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「エリスさんが確認を取りに来ているとして、もし分かってしまったら、どうなりますか?」

 セレスは少し間を置いた。

「九条家への連絡と、学園への報告が同時に行く。継承者が継承魔法を使えない事実が表に出る。それは九条家にとって致命的で、私が継承者の資格を問われることになる」

「それは」

「家名ごと、ということ。九条の継承者が召喚魔法を使えないという事実は、家の存在意義に関わる。今まで名家として積み上げてきたものが、一人の欠陥によって崩れる」

 わたしは黙っていた。

 セレスが続けた。

「家の期待を背負っている。それだけじゃなくて、今まで九条家の名前が守ってきたものが、私のせいで終わる可能性がある。だから隠してきた。研究してきた」

 家、という言葉を口にしたときだけ、セレスさんの声は少しだけ部屋の温度を下げた。

声は穏やかだった。感情的ではなかった。でも、ずっとそこにあり続けてきたものの重さが、声の奥に染みていた。 

「もし失敗したら、私は九条の名前ごと終わるわ」

 部屋が静かだった。モコが棚の上で丸くなっていた。小さな毛玉が、夕暮れの影の中にあった。わたしはセレスを見た。完璧な優等生の顔ではなかった。ただここにいて、二ヶ月という期限を前に、ずっと抱えてきたものを冷静に話している人の顔だった。

 窓の外で、また風が通った。 


      ☆


 翌週月曜日の放課後、モコは最初から落ち着きがなかった。

 旧資料棟の扉を開けた瞬間から、白い毛玉は棚の上と下を行ったり来たりして、何度も耳をぴんと立てていた。いつものようにわたしの腕に飛び込んでくることもしない。廊下の奥を気にして、そわそわしている。

「どうしたの、モコ」

 声をかけると、モコは一度だけこちらを見た。それから、ちょこ、と小さく鳴いて、さらに奥へ飛んでいく。

 部屋に入ると、セレスは机の上の羊皮紙を整えているところだった。わたしが来たことには気づいていたはずなのに、視線だけを寄越して、すぐにまた手元へ戻す。

「遅かったわね」

「補習の先生に捕まりかけました」

「捕まりかけた、で済む話なの」

「なんとか逃げました」

「感心しない」

 いつものやりとりだった。それなのに、今日はそこへモコが割り込んでこない。

 棚のいちばん上から、こっちを見ている。耳だけが忙しなく動いていた。

「なんか変じゃないですか」

「さっきからああよ。落ち着きがない」

「お腹すいてるとか」

「羊皮紙ならそこにある」

 セレスが机の端を示す。失敗した術式の切れ端が、数枚まとめて置かれていた。普段ならモコは喜んで飛びつくはずなのに、今日は見向きもしない。

 代わりに、また廊下の奥へ飛んでいく。

 わたしとセレスは顔を見合わせた。

「……追う?」

 わたしが聞くと、セレスは少しだけ考えてから立ち上がった。

「何かを見つけた可能性はあるわね」

「食べ物じゃないといいですけど」

「この建物の中で、あの子にとっての食べ物じゃないものの方が少ない気がするけれど」

 それは否定できなかった。

 モコのあとを追って、わたしたちは資料棟のさらに奥へ向かった。

 普段使っている小部屋より先へ来るのは、わたしはまだ数えるほどしかない。棚の間隔は狭くなり、積み上げられた本や箱のせいで、通路も複雑に曲がっている。高い窓から差す光はもう細く、棚の影が床に長く落ちていた。

 古い紙と黴の匂いが少し強い。そこに、魔法具の残滓みたいな甘い匂いが混じる。

「ここ、あんまり人が来ないんですね」

「整理の手が回っていないの。古い記録が多いし、分類も古い形式のままだから」

「じゃあ、何がどこにあるか分からない?」

「だいたいは分かる。だいたい、だけれど」

 セレスがそう言った直後、足元で紙の擦れる音がした。

 モコだ。棚と壁の隙間みたいな狭い場所に入り込んで、何かを引っ張っている。白い身体が半分見えなくなっていた。

「また変なものを」

 セレスがしゃがみ込む。

「モコ、出しなさい」

 言われて素直に出すはずもなく、モコは小さく鳴きながら、さらに奥へ引っ張った。紙ではない、もう少し厚みのあるものらしい。ごと、と鈍い音がする。

 わたしも横から覗き込んだ。

「箱、ですか?」

「……みたいね」

 木箱だった。かなり古いものらしく、角の金具は黒ずんでいて、表面の塗装も剥げている。棚と壁の隙間に半分はまり込んで、長いことそのままだったみたいだった。

「どうしてこんなところに」

「誰かが一時的に置いて、そのまま忘れたのかもしれない」

「それをモコが見つけた」

「見つけた、というより、匂いを嗅ぎつけたんでしょうね」

 モコは得意げに箱の上へ飛び乗った。ふわふわの身体でぴょこんと跳ねて、早く開けろと言いたげにこちらを見る。

セレスが箱を手前へ引いた。埃が舞う。

 鍵はかかっていない。代わりに細い封印線が一本だけ走っていて、もうほとんど消えかけていた。

「開けますか」

「ここまで来たら、確認はした方がいいわね」

 セレスが指先で封印線をなぞる。微かな光が散って、線は簡単にほどけた。

 蓋を持ち上げると、中に入っていたのは紙の束だった。

 羊皮紙、古いノート、薄い木板に刻まれた術式の控え。

 どれも保存状態は良くない。でも、捨て置かれていたにしては、内容はずいぶんきちんとしているように見えた。

 いちばん上にあった一冊を、わたしはそっと持ち上げた。

 革表紙の小さな記録帳だった。端が少し焦げている。

「読める?」

 セレスが隣から覗き込む。

「たぶん……古い字ですけど」

 表紙を開く。中には短い記述が日付ごとに並んでいた。個人的な研究記録らしい。術式の形、失敗した箇所、修正の試み。読んでいくうちに、わたしはある言葉に目を止めた。

「召喚補助体……?」

「見せて」

 セレスが帳面を受け取る。しばらく黙って目を走らせ、それからもう一度その単語を確かめるように小さく読んだ。

「……“召喚補助体は、完全な星霊召喚に至る前段階に生じることがある”」

「補助体」

「不完全な応答体、とも書かれている」

 モコが、帳面の上に前脚をのせた。

 わたしもセレスも、同時にその白い毛玉を見る。

 モコは何も分かっていないみたいな顔で、ぱちぱちと目を瞬かせた。

「まさか」

 と、わたしが言うより先に、セレスが続ける。

「まだ断定はできないわ」

 声は落ち着いていたけれど、少しだけ硬い。

 帳面の次の頁には、簡単な図が描いてあった。

 中心から外へ広がる螺旋の陣。今の学園で教えられている形式とは、やっぱり少し違う。その横に、丸い小さな影みたいなものの走り書きがあった。

「これ、形が」

「似ているわね」

「似ていますね」

 わたしたちはまた、モコを見た。

 モコは、今度は記録帳の端を齧ろうとした。セレスがすぐに取り上げる。

「ダメよ」

 少し強めの声だった。モコは一瞬だけ止まって、それから不満そうに耳を垂らした。

 その様子が少し可笑しくて、わたしは笑いそうになる。

 でも、笑っていい空気かどうか分からなくて、口元を押さえた。

「笑いたいなら笑えば」

「だって、こんな大事そうな話をしてるのに、本人は食べようとしてるので」

「本人」

「本体?」

「どちらでも」

 セレスの口元が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

 箱の中身をさらに見ていくと、記録はほとんどが失敗例だった。

 何を呼ぼうとして、どこで崩れたのか。どう修正したか。どの段階で補助体が発生したか。そのどれもが、完成した魔法の記録というより、失敗の積み重ねだった。

 わたしは、その紙の束を見ていて、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じた。

「どうしたの?」

 セレスが尋ねる。

「なんとなく」

 わたしは箱の中を見たまま言った。

「こういうの、好きだなって思って」

「失敗記録が?」

「はい。ちゃんと残ってるので」

「ちゃんと?」

「成功したものって、きれいに整っていて、そこに至るまでの迷いが見えなくなるじゃないですか。でも失敗したものは、どこで迷ったか、そのまま残るので」

 言いながら、自分でも少し変なことを言っていると思った。

 でも、セレスは否定しなかった。

「失敗の方が正直、ということ?」

「たぶん」

 セレスは箱の中の古い紙を一枚手に取り、その焦げ跡を見た。

「……そうかもしれないわね」

 その言い方は、誰かの言葉を受け入れるときの声だった。

 しばらくして、わたしたちは箱ごと資料を小部屋へ運ぶことにした。

 このまま棚の隙間へ戻すより、ちゃんと読める場所へ置いた方がいい。セレスがそう言って、わたしも頷いた。

 箱は見た目より重かった。わたしが片側を持ち、セレスがもう片側を持つ。通路は狭いし、床には本の山があるしで、思ったよりずっと運びにくい。

「せーの、で行きますか」

「そういうの、本当に必要?」

「気分の問題です」

「……せーの」

 二人で持ち上げる。

 少しだけ息が合わなくて、箱が傾いた。

「あ、ごめんなさい」

「あなた、こういうところは本当に危なっかしいわね」

「セレスさんも今ちょっとずれました」

「私はずれていない」

「ずれてました」

「ずれていない」

 そのやりとりのあいだ、モコは箱の上に乗ったまま、揺れに合わせてふわふわと耳を揺らしていた。手伝う気はまったくないらしい。

 やっとのことで小部屋へ戻り、机の横に箱を下ろす。

 息をつくと、窓の外はもうだいぶ赤くなっていた。

「今日は研究、あまり進みませんでしたね」

「そうでもないわ」

 セレスが箱を見たまま言う。

「こういう寄り道で見つかるものもある」

「寄り道」

「あなたといると予定通りに進まないことが多いけれど」

「褒めてます?」

「どう受け取ってもいいわ」

 モコが机の上へ跳んで、記録帳の前にちょこんと座った。

 夕日を背中に受けて、白い毛が少しだけ赤く見える。

 わたしはその姿を見ながら、ふと思った。

「モコがいなかったら、見つからなかったですね」

「そうね」

「えらい」

 わたしが言うと、モコは得意げに胸を張った。たぶん。

 セレスはその様子を見て、それからそっと帳面を閉じた。

「……この子が何なのか、まだ分からない」

「はい」

「でも、分からないままそばにいたものが、少しだけ読めるようになった気がする」

 わたしは頷いた。その“少しだけ”が大事なんだと思った。

 魔法も、人も、急に全部は分からない。

 でも、分からなかったものが昨日より少しだけ見えるようになる瞬間はある。

 たぶん、放課後の研究って、そういう時間だった。

 窓の外で、夕方の風が一度だけ枝を鳴らした。

 モコが小さく鳴く。その声に重なるように、どこか遠くで本棟の終業ベルが鳴った。

 わたしは机の上の箱を見た。失敗の記録が詰まった、古い木箱。

 それを見つけたのが、白い毛玉ひとつだというのが、なんだか少しだけ可笑しい。

「ねえ、モコ」

 わたしが呼ぶと、モコはすぐにこちらを向いた。

「次は、もう少し運びやすいものを見つけてね」

 モコは分かったような、分かっていないような顔で、耳を揺らした。


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