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口外厳禁! 落ちこぼれ魔女と優等生の秘密の放課後―旧資料棟で、優等生の秘密を見てしまった―  作者: 明石竜


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第一章 落ちこぼれ魔女は旧資料棟で秘密を見る

 箒は、三秒で落ちた。

秋の乾いた風を切って、ほんの少しだけ浮いたのに、次の瞬間にはもう駄目だった。

 体がぐらりと傾いて、視界が空と芝生をひっくり返し、そのままわたしは訓練場に突っ込んだ。

「倉橋ルカ」

 先生に名前を呼ばれて、わたしは芝生に半分うずまったまま小さく返事をした。

「……はい」

「返事の前に立ちなさい」

 厳しい声なのに、周囲からはくすくすと笑いが漏れる。

 それにも、もう慣れていた。

 アルカナ魔術女学園高等部二年。箒は飛ばない、炎は暴れる、簡単な魔法陣さえよく途中で崩れる。倉橋ルカという生徒は、要するにこの学園では少し有名だった。

 ――よくない意味で。

わたしは砂を払って立ち上がり、傾いた箒を拾い上げた。グリップの端が少し焦げている。また制御魔力が暴発したらしい。自分でも気づかないうちにやってしまうのだから、我ながら救いようがない。

「本日の実技は以上にします。倉橋、放課後に補習の準備をしておくこと」

「あの、先生、今日は少し用事がありまして――」

「準備をしておくこと」

 有無を言わさない口調だった。わたしはもう一度「はい」と答えて、箒を脇に抱えた。


 放課後、わたしは素直に補習室へ向かわなかった。

 誰かに相談されたら「ちゃんと行きなさい」と答えるようなことを、自分でやっていた。でも、今日だけはどうしても気が乗らなかった。補習といっても先生に怒られながら基礎陣式を書き直すだけだし、それは明日でも明後日でもできる。それよりも、とにかく誰もいない場所に行きたかった。

 うまく飛べない、という事実は、四年以上経った今でも少しだけ心に刺さる。

 慣れている、と思っている。笑われても、呆れられても、もうだいたいのことには慣れた。それでも今日は、着地の瞬間の笑い声が、少しだけ長く残っていた。

慣れたつもりの痛みほど、こういう日に限って、ちゃんと痛い。

 気がつけば、校舎の東棟を越えて、旧校舎の裏手まで歩いていた。

 アルカナ魔術女学園の旧資料棟は、本棟から渡り廊下で繋がれた古い石造りの建物だった。使われなくなって久しいと聞いているが、今も鍵はかかっていない。「教員以外立入禁止」という手書きの紙が扉に貼ってあったが、紙の端が浮き上がって丸まっているのを見ると、そこまで本気で言っているとも思えなかった。

 わたしは少し迷ってから、扉を押した。

 中は薄暗かった。高い天井から差す光がほこりをゆるやかに漂わせていて、棚と棚の間の細い通路には、背の高い本の塔がいくつも積み上がっていた。紙と黴と、それから何か甘いような古い匂いがする。魔法具の残滓が染みついた空気の匂いだと、あとで分かった。

 廊下の突き当たりに、小さな扉があった。

 開けると、そこは独立した小部屋だった。

机が一つ、椅子が一つ。窓は高い位置に一枚だけあって、西日が斜めに差し込んでいた。床には本と羊皮紙の束が積んであって、机の上には広げかけの魔法陣が書かれた大判の紙。黒板代わりの壁には複数の数式が走り書きされていた。

 そして部屋の中央に、一人の少女が立っていた。

 わたしは、息を止めた。

 九条セレス。

 知らない人はいない、という言い方が正確かどうか分からないけれど、少なくともこの学年で知らない生徒はほとんどいないと思う。学年首席。成績は実技でも筆記でも常に最上位。教師からの信頼が厚く、所作が美しく、どこにいても自然と視線を集める。淡い黒髪を背中に流した姿が制服に映えて、「氷の優等生」という呼ばれ方が似合いすぎるほど似合っている。

 その九条セレスが今、部屋の中央で、両手を広げたまま動きを止めていた。

 床を見た。崩れた魔法陣があった。六重構造の精緻な召喚陣が、最後の接続部分で途切れて、黒く焦げた跡を残して止まっている。焦げた羊皮紙の切れ端が数枚、床に散らばっていた。わたしの足が、羊皮紙を一枚踏んだ。かさ、と音がした。

 セレスがゆっくりとこちらを向いた。

 目が合ってしまった。わたしは逃げるタイミングを完全に失った。

 セレスの顔には、見たことのない表情があった。驚き、というよりは、何か底の方が揺れているような、そういう表情だった。それが一瞬のうちにすっと消えて、代わりに無表情に近いものが戻ってくる。

 どちらが本物か、という問いに答えるのは難しくなかった。さっきの顔が、本物だったと思う。

「……何をしているの?」

 セレスの声は低く、感情がなかった。

「す、すみません、迷い込んだというか、何というか」

「立入禁止の紙は見えなかった?」

「見えました」

「では、どうして入ったの」

 答えに詰まった。「なんとなく」は通じそうになかったし、「補習から逃げてきた」は余計に話をこじらせそうだった。

 わたしは黙って床を見た。崩れた陣の残骸が目に入った。

 そのとき、何かがわたしの中でふわりと動いた。

 うまく説明できないのだけれど、失敗した魔法の痕跡には、気配がある。形が崩れていても、暴発して跡形もなくなっていても、そこには術者が何をしようとしたのかという意図の残滓が残っている。それをわたしは感覚的に読むことができた。誰に教わったわけでもなく、いつからそうだったわけでもなく、ただできた、としか言いようがない。役に立つかどうかも分からない、地味な特技だ。

 床の焦げ跡から、気配が流れてくる。召喚、とわたしの感覚は覚えた。何かを呼ぼうとした。正確な形を持った、しかし遠い何かを。陣の構造は完璧に近かった。最後の接続だけが逆だった。それだけで全部崩れた。でも、呼ばれかけたものの気配は、まだここに薄く漂っている。消えかけのランプの光みたいに、柔らかくかすかに、でも確かに。

「……何か、いましたね」

 声に出してから、失敗したと思った。

 セレスの目が細くなった。

「何を言っているの」

「あの、焦げ跡から、何かが一瞬こちらに触れた感じがして。召喚しようとしていたのに、最後の接続が」

「その先を言わなくていい」

 低い声だった。それより早く、何かが棚の奥から飛び出してきた。

 白い毛玉だった。正確には、毛玉に長い耳と小さな尻尾がついたもので、ふわふわと宙に浮きながら一直線にわたしの方へ向かってきた。小さな黒いビー玉みたいな目が、きらきらしている。わたしが手を出すより早くそれはわたしの胸元に飛び込んできて、柔らかい毛が顔に当たった。

「ちょ、えっ、うわっ」

 とっさに両手で受け止めると、毛玉はわたしの手の中でちょこちょこと動いてから、満足そうに丸まった。温かい。思ったよりずっと重さがある。

「……モコ」

 セレスが呟いた。

 わたしは毛玉を見た。毛玉はわたしを見た。耳が小さく揺れた。

「この子、名前があるんですか?」

「そこの棚に住み着いている。追い払っても戻ってくる。餌もやっていない」

 そうは言っているが、セレスの声にはわずかに何か別のものが混じっている気がした。困惑と、それから説明のつかない何かが。

 モコと呼ばれた毛玉は、わたしの腕の中で耳をパタパタさせた。床に散らばった焦げた羊皮紙の切れ端に鼻先を寄せて、ふんふんと匂いを嗅ぐ。それから一枚をパクッと食べた。

「食べた」

「食べる。失敗した魔法の残滓が好きらしい」

 セレスの声は、やや疲れていた。

 わたしは改めて部屋を見回した。床の陣の残骸。机の上の展開図。壁の走り書き。これは一日二日でできた量じゃない。かなり長い時間、誰にも見せずにここで何かをしていた痕跡だ。

 セレスがわたしの視線に気づいたのだろう。彼女はゆっくりと腕を組んだ。

「見たことは誰にも言わない。それが、あなたがここにいた代償よ」

「分かりました」

「分かった、では済まない。誰にも、とは文字通りの意味。担任にも、友人にも、教師にも」

「分かりました」

わたしはちょっと慌て気味にもう一度言った。

 セレスはしばらくわたしを見ていた。少し癖のある黒髪は肩のあたりで跳ねやすいし、背も高くない。ぼんやりして見えるとか、どこにでもいそうだとかは、たまに言われる。

でも、目だけは少し変わっている、と言われることもあった。 

 モコがわたしの腕の中でまた耳を揺らす。もう一枚羊皮紙を食べようとしたので、わたしはそっと遠ざけた。

 西日が部屋の中を橙に染め始めていた。

 静かだった。セレスがようやく口を開いた。

「あなた、さっき何を見たの」

 声は穏やかだったが、その底に何か重いものがあった。

「失敗した陣から、気配を読む、みたいなことが」

「それは分かった」

セレスの目が、真っ直ぐわたしを見た。

「そうではなく」

 一呼吸おいて、彼女はもう一度言った。

「その力。あなた今、何を見たの」

 わたしはモコを腕に抱えたまま、セレスの顔を見た。

 完璧に見えるその顔の奥に、さっきの表情の名残がある気がした。

 揺れていた、あの底の部分が。

 夕暮れの旧資料棟に、風が一度だけ通った。


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