第19話:王の夢と届ける一言
絶望。
国王の寝室へと続く、最後の扉を前にして、俺の心を満たしていたのは、その一言だった。セリアが言う通り、扉に刻まれた魔法陣は、俺たちがこれまで対峙してきたどんな障害とも質が違った。それは、力ずくで乗り越える「壁」ではなく、正しい「鍵」がなければ決して開かない、絶対的な「錠前」だった。
「…万事休す、か」
俺は、自分の無力さに歯噛みした。スキルリストを何度見返しても、この魔法の扉を開けるような、都合のいいスキルは存在しない。扉の向こうで、日に日に弱っていく王を見殺しにするしかないというのか。
俺の焦燥をあざ笑うかのように、脳内に、本日最後となるガチャの音が鳴り響いた。
「本日もスキルガチャの時間でーす!」
もう、どうにでもなれ。俺は、やけっぱちな気持ちで、それを起動した。
【半径100メートル以内にいる、指定した相手一人にだけ、自分が囁いた一言を、障害物を無視して届けることができる】
「…………」
囁きを、届ける。たった、一言だけ。
一見、またしても何の役にも立たないスキル。意識のない王に、何を囁けというのだ。「起きてください」とでも言うのか?
だが、そのスキル説明を読んだ俺の脳裏に、一つの、あまりにも大胆で、そして無謀な仮説が閃いた。
セリアは言った。この扉は『特定の魔力パターン』で開くと。それは多くの場合、王家の血を引く者が、特定の『言葉』を魔力に乗せて唱えることで発動する。王は、そのパスワードを知っているはずだ。
そして、俺には【下位限定・思考受信】のスキルがある。今の、衰弱しきった王は、もしかしたら俺よりも『格下』の状態にあるかもしれない。もしそうなら、彼の無意識にアクセスできるかもしれない…!
「セリアさん、静かに。集中したい」
俺は、魔法陣が刻まれた扉に、そっと手のひらを当てた。そして、全神経を集中し、【マインドエコー】を発動させる。
ノイズの奔流が、俺の脳を焼く。苦痛、昔日の記憶の断片、そして、死への恐怖。だが、その混沌とした意識の海の、さらに奥深く。まるで嵐の中の灯台のように、一つの言葉だけが、繰り返し、繰り返し、明滅していた。
『……リリアーナ…』
おそらくは、若くして亡くなったという王妃の名だろう。王が、無意識下で、最も拠り所にしている言葉。これだ。これが、この封印を解くための、鍵に違いない。
だが、俺がその言葉を唱えても意味はない。扉は、王自身の魔力にしか反応しない。
そこで、今日のスキルが生きてくる。
俺は、再び扉に手を当てた。今度は、【囁きを届ける】スキルを発動させる準備をする。ターゲットは、扉の向こうで眠る、国王テオドール。
俺の計画はこうだ。俺が、パスワードを、このスキルで王の意識に直接囁きかける。その言葉を夢の中で聞いた王が、無意識に、扉を開けるための魔力を発動させてくれることに賭ける。
あまりにも不確定で、あまりにも奇跡頼みの作戦。だが、他に道はない。
俺は、一度だけ、大きく息を吸い込んだ。そして、扉の向こうにいる王の魂に届けるように、全ての願いを込めて、その一言を、静かに、囁いた。
「―――リリアーナ」
俺の唇から離れたその言葉は、音になることなく、扉を通り抜け、眠れる王の夢の中へと、まっすぐに届いたはずだ。
しん、と。
廊下には、沈黙だけが満ちていた。
一秒が、永遠のように感じられる。
ダメだったか。やはり、そんな都合のいいことが起きるはず…。
その、諦めが俺の心をよぎった、まさにその瞬間。
キィ…という、ごく微かな音と共に、俺たちの目の前で、扉に刻まれた魔法陣が、淡い、優しい光を放ち始めた。そして、絶対不動のはずだった重厚な扉が、まるで俺たちを招き入れるかのように、ゆっくりと、音もなく、内側へと開いていったのだ。




