第16話 三人の昼食
弁護すれば、ここ一週間ユウリに掛けられていた精神的な負荷は極めて高いものであった。
アリシアを仲間に加えてカサフスへと戻り、まず初めに行ったのが新居探しである。
元々借りていたアパートには個室が二つしかない。一日二日ならともかく、ずっとエレナとアリシアが相部屋というのは流石に厳しい。
二人の関係は良好ではあるが、親しき中にも礼儀というものはある。
あまり他人に知られたくないこともあるだろうし、日常生活を送るうえでプライベートな空間というものは重要だった。
初めはアリシアが一人で暮らすと言ったのだが、これは却下した。
カサフスに慣れていないアリシアを一人暮らしさせるなど飢えたピラニアの群れに上等な肉を投げ込む行為に等しく、とてもではないが容認できなかった。
これで何かあれば今度こそフランベルジュのパイロットが黙っていないだろうし、ユウリとしても立つ瀬がない。
ユウリが新しい部屋を借りて今の部屋をアリシアとエレナが使うという案もあったが、これも難しい。
元々エレナとユウリが同居していたのは、ノーラム社のエージェントからエレナをガードする為という目的があったのだ。
護衛という意味で、ユウリはエレナやアリシアの傍をあまり離れるべきではない。
そうなれば採るべき案は一つしかなく、3DKの部屋に三人で引っ越すことになった。
部屋は三人で探した。エレナは機体整備の段取りをギルバートとしたいと主張したが、却下して同行させた。
人の目をそれ程気にしないユウリではあったが、アリシアと二人きりで新居を探す、などという状況はあまりにも周囲への心証が悪すぎる。
そんなこんなでエレナとアリシアを引き連れての新居探しと引っ越しが行われたのが一週間前。
周囲から見れば両手に花の状況だったが、ユウリからすれば心外だった。
事情を知らない傭兵達からは邪推され、アレットには怒鳴られ、ハインツには呆れられた。
そうして鬱憤は晴れることなく蓄積されてゆき、遂に爆発したのだが。
「(いや、ねぇよ。……ねぇだろ)」
ユウリは信じてもいない神を呪った。ユウリの我慢が限界を迎え爆発したタイミングで、エレナとアリシアの二人通りがかるなど、一体どんな皮肉な偶然だというのか。
叫び出したい気分ではあったが、冷静に事態を収拾する必要があった。
静まり返った酒場で、ユウリは状況を確認する。
周囲の被害もそれほどではない。ザックスが壁に叩きつけられた衝撃で周囲のテーブルに置かれたグラスがいくつか倒れてしまっているようだが、荒くれ者が集まるこの場所ではいつものこと。
グラスを押さえなかった客側の責任というのがこの店の暗黙の了解だった。
当のザックスはといえば、低い呻き声を上げながらノロノロと起き上がってきている。
流石に酔いも吹っ飛んでいるだろうし、この状況で第二ラウンドが始まるということはないだろう。
周囲の客は周囲の客でこの状況を固唾を飲んで見守っている。
それはそうだろう。先程まで話題に上がっていた、曰く『ユウリの女達』が期せずしてその場に集まったのだから。
見物料を払ってでも見たがる者はいるだろう。
と、そこまで考えて、ユウリはようやくこれまで背けていた問題へと目を向けた。即ち、入口に現れたエレナとアリシアである。
アリシアはまだこのような状況に慣れていないのか、表情が固まっている。
一方でエレナの方は慣れたもので、呆れた様子でこの惨状を眺めている。
どうしたものかとユウリは頭を悩ませる。と―――。
「……ユウリ、このバカ騒ぎはなに?」
意外なことに、真っ先に口を開いたのはアリシアだった。しかし、御覧の通りのバカ騒ぎですとしか答えようがなかった。
助けを求めるようにエレナへと目配せするが、目を逸らされた。孤立無援だった。
恐らくはさっきの啖呵も聞かれていただろう。先程までの満足感は完全に吹き飛び、ユウリの心には後味の悪さだけが残った。
「まぁ、アレだ。俺達なりのコミュニケーションというか」
「中世の蛮族じゃあるまいし……」
あまりにも苦しい言い訳にアリシアはやれやれと溜息を吐き、カウンターへ向かう。
「マスター」
「おぉ、いらっしゃい」
アリシアの呼びかけにバーテン兼マスターのガドックが応じ、今更ながらに来店を歓迎する。
ガドックは、右足を失って引退したが、元は腕のいい傭兵だった。荒くれ者達の事情を汲んでくれる為、カサフスの傭兵達にとって気安い場所だ。
近づいてきたガドックに、アリシアは数枚の高額紙幣を手渡した。
「このお金で、この場に居る皆さんにお酒を振舞ってあげて。連れが迷惑をかけたお詫びと、まぁ、挨拶代わりってことで」
「毎度。……噂以上の玉だな、アンタ」
「ありがとう。それって勿論誉め言葉よね?」
「そりゃ勿論」と一言言って、ガドックは奥へと引っ込んでいく。
残ったアリシアは、周囲の客の視線が自分の方へと向いているのを自覚しながら、愛想の良い笑みを浮かべた。
初めて会った時や、ハインドに紹介したときに見せたよそ行きの顔だ。
「知ってる人もいるかもしれないけど、これからユウリのところで雇われることになったアリシアよ。事情があって、ユウリには身辺警護をして貰ってるわ」
流石だと、素直にそう思う。口より先に手が出るユウリや、口より成果で語るエレナではこうはいかない。
厳つい顔が多い傭兵達を前に全く気後れすることなく、アリシアは堂々とした佇まいで酒場の傭兵達へと視線を向けていく。
「だからまぁ、皆が思ってるような関係じゃないわけ。大体この男にそんな甲斐あるわけがないでしょう?」
馬鹿にするような物言いで言って、ユウリを親指で指す。この動作も恐らくは意識したものだ。
そうして角を立てることなく傭兵達の誤解を払拭し、仕上げとばかりにアリシアはにっこりと微笑む。
「そういう訳で、これからよろしく! 皆とは良い関係を築いていきたいと考えているわ」
同時に、周囲から歓声が上がる。これまでの静寂を吹き飛ばすような、それはもう大きな歓声だった。
「ひゅーっ!」
「またスゲェの捕まえてきたじゃねぇかユウリよぉっ!」
「イカしてるぜ姐さん! アンタ、酒はイケるのか? 俺と飲もうじゃねぇか!」
周りからの熱心な誘いを「まだ仕事が残っているから」と手慣れた様子で断って、アリシアは周囲に愛想よく手を振りながらユウリのテーブルへと向かってくる。
いつの間にやら、エレナも席についてた。
「手慣れたもんだな」
「グーで殴るだけが解決じゃないってね。まぁこういうのは割と得意分野だから、任せて貰って良いから」
「あたしもユウリもこういうの苦手だもんね。これから交渉関係はアリシアにもついていってもらった方が良いかもね」
満足のいく結果が得られたからか、アリシアは機嫌よくメニューを手にしている。
一方のエレナは先ほどまでの喧騒などなかったかのように穏やかに笑いながら、横からメニュー表を眺める。
「なにこれ、肉ばっかりじゃない」
「この辺シーフードだけど」
「油がキツそう……。もっとこう、あっさりした野菜系の……」
「フィッシュアンドチップスの国出身が何言ってんだ」
「喧嘩売ってるなら買うわよ」
「あー、はいはい。あ、ガパオライスなんてどう、結構おいしいけど」
ここ数日で、アリシアとの付き合い方も大体分かってきた。
遠慮なく物を言うアリシアに、ユウリも遠慮なく言葉を発し、エレナがそれをフォローする。
ユウリが二人に増えたみたいだなどと二人でいる時にエレナが愚痴を零していたが、満更でもない様子だった。
「んー、ならそれ。パクチーも頼もうかな」
「草だろそれ」
「レディは繊細なのよ。貴方みたいに肉だけ食べてれば満足ってわけじゃないんだから。ね、エレナ」
「うーん、どうかな……」
「こいつはこう見えてガッツリ肉派だし、下手すりゃ俺より食うぞ。残念だったな」
「ホントにっ?!」
何だかんだと言いながら、この一週間でアリシアはよく笑うようになった。色々と肩の荷が下りたのだろう。
それならまぁ、骨を折った甲斐もあったかとユウリは思った。
「いやっ、普通だよ。あ、あたしはガパオライス三倍、辛さ増し、肉増しで」
「ホントだった……。私は普通にガパオライスと、あとパクチー」
「畏まりましたー!」
注文を終えウェイトレスが席を離れたのを見て、ユウリは居住まいを正す。
些か面映い気持ちではあるが、こういうことははっきり言っておくべきだと思った。
「ここの連中に払った酒代は経費で落とすから、マスターに領収書貰っといてくれ」
「え?」
予想外といったアリシアの表情。ポケットマネーから支払ったつもりだったのだろう。
「元々俺が仕出かしたことなんだから当たり前だろ。それから、金銭面でつまらん遠慮もしないでいい。うちはそれ程貧窮しちゃいないんだ」
新居の家賃や引っ越しにかかった費用などを気にして、アリシアが光熱費や生活費を切り詰めているのには流石に気付いていた。いかにも生真面目な彼女らしい。
「善意で人を雇うほど俺はお人良しじゃない。人手が足りないと言ったのは事実だし、実際交渉面じゃ俺達よか余程頼れそうってことも分かった。不要な気遣いはなしでいこう」
「……えっと、うん。分かったわ」
まだ何か言いたげな様子だったが、ひとまずこちらの言いたいことは伝わったらしい。
ユウリは笑みを浮かべ、そして続けた。
「まぁどうしても気が済まないってんなら、またマッサージでもしてくれりゃ」
「あっ、あんな恥ずかしいのもう二度とやらないわよっ!」
「ユウリっ!?」
場を和ませるためのジョークは、しかし冗談と認識されなかったらしい。
みなまで言うよりも早くアリシアが顔を真っ赤にして叫び、エレナから非難の声が上がる。
そして二人の反応に、外野が再び騒ぎ出す。
「聞き捨てならねぇなぁユウリぃっ!? 一体どういうマッサージだったんだよ!」
「尻に敷かれてんのかと思ったらやっぱ美味しい思いしてんじゃねぇかこの野郎!」
「そのマッサージとやらは幾らで受けられるんですかね……」
「通帳を取り出すな、ダーレン。お前本気すぎんだろ」
「あぁっ、くそっ、うるせーよお前らっ!」
やっかみ交じりの視線を浴びながらも、一人で来店した時とは明らかに違う空気を感じて、ユウリは毒づきながらも笑みを漏らすのだった。