二人の答え
それから、入れ替わりは何度も起こった。それは夢ではないと周りの反応が物語っている。
週2、3ペースという、結構なハイペースで訪れるそれに対処するために、利也と伊藤はとある対策を立てた。
入れ替わりのトリガーとなる、睡眠の前にその日の出来事、伝えたいことを書き相手に伝えるのだ。もっとも、電話やメールを打てれば逐一互いの状況を把握できるのだが、田舎で大して普及もしてなく、さらに学生である利也は携帯電話など持っているはずもなく、断念された。
一応、親に携帯を学校に持っていっていいか聞いたのだが、用途を聞かれその後しこたま怒られたのは余談である。どっちにしろ、親のケータイでも連絡は取れなかったのだが。
「上司の目線!サボるな、正しい敬語を使え、反論するな!人生の基本だろ?」
「伊藤さぁん。勝手に俺のイメージ変えないでくださいよ。伊藤さんと変わった次の日、なぜか全身筋肉痛なんけど!?」
一ヶ月経った今でも、入れ替わりは起こる。まったく、前途多難である。
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「いやはや、テストはどうなるかと思ったよ、本当に」
「本当だよ、どうしたの?利也。いつも通りの良い教科と、極端に悪い教科あったよね?順位もいつもならトップなのに、今回は真ん中より少し上くらいだし。何かあったの?相談聞くよ?」
少し、俯いて上目遣いで聞いてくる明音にドギマギする。思春期をとうの昔に置き去りにしたいい年したおじさんがなんて様なのか。
ーーいかん、ポルノがどうたらこうたらだぞ……。
一回りもしたのJKに本気で照れるおじさん。誰得。犯罪の匂い。
「最近、なぜか眠くてさ!テスト前も寝ちゃって追いつけなかった教科があっただけだよ」
とっさに思いついたにはなかなか良い言い訳である。と、伊藤だけが思った。
「本当に?んー。抱えきれなくなる前に言うんだよ?何のための幼馴染だと思ってんのさ」
時は、夕暮れ。学校からの帰り道。家が隣なので、二人はいつも一緒に帰っている。幼馴染という関係がもどかしいーーと利也も思っているはずだ。
右を見れば田んぼ。前を見ても田んぼ。後ろを見ても田んぼ。そんなド田舎でも、左には、輝く君がいる。
ーー何とかして、二人を幸せな道へと導きたい。
人生の先輩として、そんなことを思うのはやはりあの頃の後悔を消し去りたいと思う自分のエゴなのだろうか。
気がつけば、二人は立ち止まり別れの挨拶を交わす。
「それじゃあ、また明日ね!しっかりするんだよ?」
「あぁ、お前もがんばれよ」
淡い青春の一ページは終わり、次のページが開かれる。一生に一度きりの日々。最高に煌めく時間。それを俺が奪っていいのかと、伊藤は自問自答する。罪悪感に襲われる。
夜、伊藤は利也に今日の出来事とは別に書き残す事があった。途中途中、ペンが止まり、書き続けても良いのかと、不安になる。それでも書かなければ、後悔の連鎖は終わらないのだろう。
「利也、お前は良いのか。俺はお前の大切な時間を奪っている。煌めく時間を奪っている。本当にすまないと思ってる。それでも、今までの時間を返せと言われても返すことはできない。だから、だからな。その対価に一つアドバイスを残したいんだ。
ーー絶対に後悔はしないでくれ」
季節は秋、もうすぐ冬がやってくる。
ーー運命が動き出す。
* * * * * * * * * * * * * * *
ーー昨日の夜、一本の電話がかかって来た。
「よっ、利也!寒くなってきたねぇ」
「おはよう。朝は冷え込むようになったな。風邪ひかないようにしろよ?」
と、軽い挨拶を交わし、互いの玄関から歩き出す。
家を出てからしばらく経っても、明音は口を開けない。いつもなら、とっくの前に他愛もない話を利也にふっかけるのだが、なかなか言葉を紡げない。
ーー言わなきゃいけない事が、言い出せない。
何年も前から見飽きた風景と、何年たっても変わらない二人の距離感に明音は、煩わしさを感じる。
朝、登校途中の二人を寒さを帯びてきた空気が覆う。
舗道されているとは言い切れない、通学路を同じ歩幅で歩く。手が触れるか触れないかの距離。意を決し、踏み込むことさえできればいともたやすく利也の手を包み込める。
小学生の頃からいつでも明音の隣にいるのは利也で、利也の隣にいたのは明音なのだ。
友達以上の関係を望んではいけない。そう思うからこそ、その一歩が踏み出せない。明音たちの間には見えない壁が確かに存在しているのだ。
友達という関係ならその壁は消え去るというのに、異性として利也を見た瞬間、現れる。
幼馴染という繋がりを崩してまで踏み込みたくはないのだ。それが、ひどく自分の心を苦しめることでも。
ーー利也もそれを望んでいないはずなのだから。
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朝のチャイムが、始業を告げる。勉強は嫌いだ。頭を使うと疲れるし、眠くなる。運動する方が好きだ。
授業では自分の中のはっきりしない気持ちを忘れることはできない。明音は、気怠げにペンを走らせながら、昨日の電話を思い出す。
「一年ほど早いですが、東京の高校に転校し、もっと高いところでバレーをして見る気は無いですか?」
「考えて……みます。少し時間をください」
という話が明音に訪れ、結果、こんなにも頭を抱える始末である。
もちろん、バレーをしたい気持ちもある。でも……それでも踏ん切りのつかない自分がいる。
家族と離れるのは不安だし、向こうで上手くやっていけるかも分からない。何より、
「利也になんで話すべきかな」
そう思ってしまう。きっと、利也は自分の気持ちを無視しても背中を押すのだろう。同じ背丈で、同じ目線で彼を見てきた。ずっとずっと、ずっとずーっと。だからこそ、分かる。
自分の気持ちを押し殺して、私自身の未来を応援してくれる。
利也はそんな人だと明音は分かっている。
話すタイミングはジリジリと過ぎていき、一限目が終わり、二限目が、と午前が終わり昼休みを過ぎ、午後の授業も終わった。
ーー話を切り出せないまま、放課後を迎えた。
放課後、部活が始まる。きつくて辛くて楽しいこの時間が、明音は大好きだ。部活の時だけは、いろんな思いも何もかも忘れてバレーに没頭できる。
そんな感じで明音が汗を流している間、利也は教室で勉強しながら部活が終わる時間を待っている。
もはや、何も言わなくても一緒に帰るのが二人の常だ。朝の登校と同じように、その中で他愛の無い話をするものなのだが、朝に続いて唇が乾き、なかなか口を開けない。
元々、利也から話しかけてくることはあまり無い。最近の利也は時々、テンションがやけにハイになる事があるが、それでも男子の中では口数が少ない方だと思う。
だから、いつも明音が先に話しかける。その明音が、悩みを抱えて話しかける事ができない状況。
ーーこんなの私のキャラじゃない。
そう思った。
だから、明音は意を決してーー
「ねぇ、利也。今日さー、女子の間で聞いたんだけどね、あはは。利也ってモテるんだねぇ!最近の運動する姿がいいんだってさ。私には分かんないけど」
ーー違う。
「ほら、でも利也ってなんだかんだ顔は悪くないと私も思うし。勉強もできて、運動もできるんならそりゃモテるか!」
ーー違う。そうじゃない。
「あ、普段クールなキャラの利也のイメージが変わったからかな?ギャップ萌えって奴かな。そうなのかな?」
ーー違う違う違う違う!!
「私もさ、私もさぁ」
ーー利也をそんな風に見てるんだよ。ずっとずーっと。
そんな言葉を口にする前に、利也は明音の言葉を遮り、諭した。
「なぁ、後悔ってきっとさ。その時は気づかないもんなのかなぁって思うんだ。今は気づかなくても、大人になってそう思うのかなって。
ねぇ、明音。明音は明音の道を歩むんだよ。キラキラした未来をちゃんと進むんだ」
知らないうちに涙が溢れてきた。涙は止めどなく溢れて、視界をぼやけさせる。自分の目に映る利也がどんな表情をしてるのかも今は分からなくてーー、
「私来月、東京に行かなきゃいけないんだ」
ーー答えは、もう自分の中にあったんだ。