後悔にサヨナラを
利也に、あんな事を伝えてしまった。極力利也と関わらないようにするつもりだったのだが、耐えかねてしまった。
自分自身、後悔ばっかりのくせにそんなこと言える立場ではない事を伊藤はわかっている。
でも、伊藤は伝えたのだ。後悔するなと。言えない立場にあるのなら、言えるようにすればいい。ならば、過去に決着を付けるしかないのだ。
ーー後悔にサヨナラする時だ。
高級感が漂う、ビルの上階に位置するレストランに伊藤はいる。一応スーツ姿でいるものの、自分はここに酷く馴染まないなと思う。
一人そわそわしながら、しかし、心はしっかり前を向いて、待ち人を待つ。
そしてーー、
「久しぶりだな、実際に会うのは二十年ぶりくらいか?」
目を瞑り、深呼吸をしてまた目を開き、その人を見つめる。
二十年ぶりの再会ではあるが、伊藤の方はしばしばその姿をテレビで見るため、特に変わったなと言う印象はない。
少しの沈黙の後に、お互いの視線が絡まり合い、その声は発せられた。
「本当久しぶりだね。利也」
懐かしいと、時を感じずにはいられないその人の、明音の声が鼓膜を揺らしたーー。
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どこにでもいる冴えないおっさんの人生を語ろう。
その冴えないおっさんの名前は「伊藤 利也」
九州の田舎産まれ、東京在住、現在37歳、独身で、特技はと言われて思い起こすものはない。
昔、幼馴染の事が大好きなのに結局想いを伝える事をしなかったチキン。いや、チキンではない。幼馴染と幼馴染という関係を壊したくなくて、君の夢を応援するなんて言い訳を自分に言い聞かせていた臆病者。
そんな言い訳を続けて、応援し続けた果てに幼馴染は故郷を離れ、日本代表として世界を相手に戦うバレー選手となった。
想いを届けなかった結果、手の届かない存在へとなった。
ーーもっと明音と話していればよかった。
ーーもっと勉強以外の事もすればよかった。
ーーもっと時間を大切にすればよかった。
ーーもっと青春を感じればよかった。
ーーちゃんと、明音に想いを伝えたらよかった。
そんな嘘と言い訳と後悔を詰め込んだ過去を送ったのが未来の利也であり、伊藤なのだ。
そして現在、伊藤は入れ替わりの日々の中で目を背けていた過去に向き合う覚悟を決めた。
ーー明音を見つめて。
場面は高級感溢れるレストランの一席へと戻る。
「利也が私を呼び出すなんて、あの頃もほとんど無かったよね」
「ああ、確かにな。騒がしいお前にいつも連れて行かれる側だったからな」
苦笑いをして、あの頃を思い出す。心が温かくなる。
「そうそう、利也っていつも消極的で勉強ばっかりだから、いつか干からびて死んじゃうと思っちゃって。懐かしいね」
「本当にな。あの頃に戻りたいってそう思うよ」
予約した時点で注文していた赤ワインがグラスに注がれる。とくとくと、注がれて透明なグラスは紅へと色を変えた。
「でも、もう戻れないんだよね。今が私たちのいる現在だから。実は、大人になって利也とお酒を飲んでお喋りするって事もやってみたいって思ってたんだ。これが出来るってことは、もう私たちも大人になったんだね」
「とっくの前にな。あの日からもう二十年も経つんだ。産まれたばっかりの子供でさえ、成人するくらいだからな。おれはおっさんで、お前は引退前のバレー選手なんだよ」
また、苦笑い。今度は今を思い、心が寂しくなる。
「一年早く地元を出てたくさんのこと学んだから。私の夢は叶っちゃった。それどころか日本代表のキャプテンとして今度のオリンピック、優勝を狙えるところまで来たんだよ?すごいでしょ」
無邪気に笑うその姿は、いまの自分にはあまりにも眩しかった。
ーー俺は今でも変わらないのか。
明音の笑顔を見た感想がいつまでも同じで、立ち止まっている自分をはっきりと自覚させられた。
「明音に比べて、俺は一介のサラリーマンだよ。勉強してたおかげでいい会社には入れたけどな」
伊藤は笑顔でそう答えた。社会人になって身についた虚偽の笑顔。暗く俯いた自分を背中に隠して、仮面を被るのだ。無意識のうちにその仮面は張り付いている。
「利也、あの時のこと。後悔……してる?」
ーー明音に対して、そんな仮面は意味のないと知っているのに。
何年も隣にいたのだ。自分の家にズカズカと入り浸るのだ。自分の心にズカズカと。
「後悔してるかしてないかだったら、勿論してるよ。正解だったかどうかなら、俺は正解だったと思う。俺らは、ちゃんと大人になれたんだから」
紛れもない、本音だ。伊藤の本音だ。そして、それを口にしてしまえば、自然と止めどなく溢れてくる。あの頃言うべきで、今言わなきゃいけない言葉達が。
「こんなに歳を重ねるまで気づかなかった。あの頃の楽しさを。友達の何気ない一言とか、勉強以外の体験とか、母さんの飯とか、明音との思い出とか。なんでもっと大事にしなかったんだろうって。
実際、もっと本気で青春を謳歌してたら後悔なんて無かっただろうし、明音と今でも連絡くらいは取る合う仲だったんじゃないかな」
ーー今しか言えない。今だからこそ言うべきだ。言いたいことを全て伝えよう。
明音相手に仮面なんて要らない。ならば捨ててしまえ。本気で本音で本当の自分をぶつけなければ、後悔は乗り越えられないと分かっているから。
「そうだろうね。でも、私としては連絡くらいいつでも欲しかったんだけどな」
「お前の顔が怖くて逃げ出した俺にそんな資格無かったから、今までずっと逃げ出したまま逃げ続けてきた」
「分かってる。でも、ちゃんと向き合う覚悟はしてきたんでしょ?」
瞑目して、ゆっくりと瞼を開けてーー。
「明音、伝えたいことがあるんだ。
ーーずっと俺、明音が好きでした」
真っ直ぐ、明音を見つめる。ゆっくりと時間が流れて、ふと明音の唇が震えた。
「知ってました。ずっと利也が好きでしたから。ふぅ、何年待たせるつもりなのよ。ざーんねーんでした。とっくの昔にタイムアップだよ」
「ああ、知ってるさ」
明音の頬が緩み、伊藤の口はほころび、どっちが先に笑い声を上げたのか分からなかったが、いつの間にか二人とも笑っていた。清々しい笑い声が場違いに響いていた。
夜、たまにはと自分の足で自宅へと帰る伊藤。
月は満月。幻想的なまでに綺麗で、お互いの後悔にサヨナラした夜を祝福するかのように伊藤に光を浴びせていた。
お互いの想いを伝えて、後悔などあるはずがない。彼らは幼馴染としての正解を勝ち取ったのだから。
「あぁー、歳をとると涙腺が緩くなるって本当なんだな。さて、次は」
ーーあの少年の背中を押してやるとしよう。
一滴の水色が、月の光を反射して地面へと落ちていた。
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あの日から、目覚めても鶏の鳴く朝は訪れなくなった。
もし、入れ替わりの日々が俺らの答えを導くためのものだったとするのなら、それはそれで仕方ないのかと伊藤は思う。
ーー確か、俺と明音が別れた日が利也と明音の決別の日でもあった気がするのだ。
お互いに、明音との関係を清算した。ならばこれ以上奇跡は起こるべきではないのだ。奇跡が手助けするのはここまでで十分。むしろ貰いすぎたくらいなのだから。
ならば、この物語の続きは伊藤たち自身の手で切り開くべきもの。
少なくとも伊藤は、そう思っている。
* * * * * * * * * * * * *
あの日から一ヶ月経っている二十年前の今日、明音が東京へと行ってしまう。
そんな日に伊藤は新幹線で九州へと向かい、さらに乗り換えて元々の地元へ電車に揺られながら戻っていた。
ーー今日、俺は明音を見送りに行かない。
明音と伊藤が二十年もの間音信不通となっていた理由。それがこの日に詰まっている。
俺は今日、親に無理やり見送りに行けと催促され家を出たはいいが、それから駅ではなく近くの公園に向かう。
届くはずはない。声は届くはずはないのだがあの頃の自分と話がしたい。利也の後悔が納得へと変わる手伝いをしたい。
「ああ、久しぶりに見たな。確か、あのベンチで俺は」
午後八時前。田舎で最後の電車が出るのは八時ちょうど。すでに三十分もの間ベンチで無意味に項垂れている利也がそこにいたはず。
当時の記憶を思い出しながら、苦笑する伊藤。もう、彼にはあの頃の迷いはない。
そのベンチへゆっくりと腰を下ろし、普段はあまり吸わないタバコに火をつける。こうしていれば多少なり、気持ちを落ち着かせて話すことはできるはずだ。
田舎の夜、さらに冬前という事もあり、辺りは真っ暗で厚着をしていなければ鳥肌が立つほどに寒い。
そんな状況なので、もちろん公園には伊藤を除いてはただ一人も人の影はない。
そして、伝わるはずのない想いをそっとささやいた。
「よぉ、利也。元気に……してはないよな」
「明音のところには行かないのか?きっと明音も来てほしいだろうよ」
タバコを一吸し、肺に煙を充満させてからそれを吐き出す。慣れないニコチンが少し、頭に影響を与え、フラフラしてしまう。
「あの時、後悔するなって俺は言ったはずだよな。今頃、明音はもう決めてるはずだぞ。男のお前なんかより、しっかり前を向いてさ」
さらにタバコを吸って、吐くの動作を繰り返す。心は至って落ち着いている。もう季節遅れの一匹の鈴虫の音色が耳に心地よく響いていた。
「入れ替わりがあって、完全に俺の記憶と利也の今が一致しているのかは俺には分からない。あれから入れ替わりもなくなって、現状を知る事もできないしな。でも、今日この日に明音が旅立つのは変わらないはずだよな」
「明音が俺のことなんか待ってないって思うんだよな。んで、俺はお前の未来を応援してるって。明音の決意の邪魔になるって。でも、心の奥ではこうも思ってるよな?明音の決意は揺るがないって。だって一番近くで見てたんだもんな」
伊藤はタバコの灰を落とした。小さめの深呼吸をして、「ははっ」と笑い、声を発する。
「お前がここにいなくて、俺の独り言になっているなら万々歳だ。元々独り言なんだけどな」
そっと、ベンチから立ち上がり、またタバコを吸って吐き出す。まだほとんど吸っていなかったはずのタバコは時間の経過によって半分ほどに減っている。
「あの場所に行けとは言わない。ただ、利也自身の後悔がない道を選ぶんだ。
ーーお前はもうその道を知ってるはずだろ?」
タバコの火を靴底で消し、伊藤は大きく背伸びをする。そうして、脱力して座っていたベンチに向かって手を差し伸べた。
「タバコのポイ捨ては、ダメですよ。伊藤さん」
「分かってる、後で拾っとくよ」
ーー朧げに視覚に映り込む利也の姿が見えた。
幻想なのか、夢なのか、それは定かではないが、これだけは断言できる。今、そこに利也はいるのだと。こうしたありえない状況にいる伊藤なのだが、ちゃんと落ち着いている。
「もう、自分で言っててわかんないんですか?自分で決めろとか言いながら、結局はそうやって明音に会いに行かせようとしてるでしょ。矛盾してます」
はっきりと存在しない利也の表情が柔らかな笑みへと変わる。
「やりたいようにしろとは言ったな。お前は俺で、俺は未来のお前なんだよ。お前のやりたいことなんて分かってるに決まってる」
二人は笑う。思い切り笑う。今を、そしてこれからを笑って考えている。やりたいことがはっきりと見えて、まっすぐ前を向ける。
差し伸べた手と利也の伸ばした手が繋がり、伊藤は青い自分を引き上げる。利也はその後大きく深呼吸をして、「よしっ」と一声。
「それじゃあ、行ってこい!走れ!!」
思い切り利也の背中を叩いて、鼓舞する。利也は何も言わずに自転車に飛び乗り、やりたいことに向かって走り出した。




